死者の魂

「ある」とは誰かにとつて、何らかの主体にとつてあるといふことだ。この観点から、魂、特に死者の魂はあると言へるかを考へてみる。
先づ、私の魂は、他人から見て「ある」と言へるだらうか。「魂」とは、知覚と連続した記憶を持つもの(或いは持つこと)だとすれば、私が知覚や連続した記憶を持つてゐるかどうかは、他人からも確かめることができる。その限りで、他人にとつても私の魂(といふ現象)は「ある」と言へよう。記憶が怪しくなれば、魂が消えかかつてゐるといふことになるだらう。私が死んで仕舞へば、私の魂も消える。身体を持たない知覚といふものは考へづらいし、本人に尋ねて記憶の有無を確かめることもできないのだから。
故人の人格は残された者に影響を及ぼすのではないか、といふ反論があり得る。しかし、故人を偲ぶといふ行為を支へてゐるのは故人の魂ではなく、偲ぶ側に残された思ひ出だ。もし霊媒を通じて、或いは直かに、故人と話ができるのだとすれば、さうした交流を持てる人にとつて故人の魂は「ある」と言へるだらう。だが、かうした出来事は、あるとしても極めて稀である。一般的には、他人にとつて故人の魂は消えるのだと言ふべきだらう。
本人にとつてはどうか。私の魂は、私にとつてあると言へるのか。私の魂とは、私の人格そのものだ。その私は有る無しを判断する主体なので、自分で自分の有無を判断するといふ、眼が自分を見るやうな、をかしな事態となる。デカルトは、判断主体が無いのに判断ができる筈はない、判断力がある限り、その主体はあるに決まつてゐると考へて、「我思ふ故に我あり」と言つた。
それでは、私が死んだらどうだらうか。少なくとも普通の他人からは、私の魂は消えた状態となるのだから、私にとつても無くなる、私は消えると考へるのが自然だらう。判断主体が無いとすれば、有る無しといふ問題自体が意味を持たない、といふ理屈もある。ただ、この論では「無い」が出発点なのだが、それと「意味がない」といふ結論との関係は良く分からない。
それにしても、私は、私にとつて、この世界の中心であり、世界を成り立たせてゐる重りである。それが消えるとは、どういふことなのか、理解が難しい。意味が分からない。しかし、理解とか意味とかいふのは、この世界の中で生きて行くための手段なので、生きるといふ前提がなくなれば、意味が分からなくなるのは当然だとも言へる。
他方で、死後も何らかの知覚や統一性のある記憶が残る可能性が無いとは言ひ切れない。ベルクソンの説を聞くと、脳が記憶を蓄へてゐる訳ではなく脳は思ひ出すための(或いは不要な記憶を思ひ出さないための)装置に過ぎないといふのもあり得ることだと思はれるし、臨死状態などでの身体離脱体験が事実だとすれば、身体を離れた知覚もあり得ることになる。
しかし、さうした知覚や記憶を持つて、死後の私の魂は何をしてゐるのだらうか。草葉の陰から世の中を見てゐるのか、天使の歌を聴いてゐるのか。いづれにしても、この世との積極的な関係を失ふであらうことは、この世からは死んだ人達が見えないといふ経験的な事実から推測できる。
死者の魂が私達の知らないうちにこの世の動きに影響を与へてゐるといふことも考へられるが、さうした働きがあるにせよ、生きてゐる者達がそれを感知できないのであれば、彼等にとつては「ない」といふことなのだ。自分にとつてだけ「ある」といふ状態が「ある」と言へるだらうか。死者には死者達の世界があるのかも知れないが。

その行ひは誰の為か

フランスの放送局 FRANCE Culture が Les Chemins de la philosophie といふ番組を放送してゐて、その内容はPodcastでも聴くことができる。先日、「それが君の運命だ」といふテーマで4日間にわたり放送があり、最後の回は"Les vies du karma"と題してMarc Ballanfatといふ人が『バガヴァッド・ギーター』などに表されたインド哲学では、運命についてどのやうな考へ方があつたかを解説してゐた。"Les vies du karma"は「業(ごう)の下での様々な生」といふやうな意味だらうか。(ちなみに、第1回はソフォクレスの『エディプス王』、第2回はストア哲学、第3回はヴォルテールの『ザディーグ』が取り上げられ、それぞれに示された運命観が説明された。)

その中で興味深かつたのは、次のやうな話。いづれも聞き流したもののうろ覚えなので、不正確だが。

その1:西洋流の自由についての考え方は抽象的だが、インドでは人間は常に状況の中に置かれてゐると考へる。それまでの行為の蓄積(=業)が人間に影響を与へるので、完全な自由といふものは無い。しかし、これからの行為は過去の蓄積の上に積み上がり、新たな業となつて、その後の生き方に影響を与へるので、行為が無意味だといふことではない。この点で業は、決定論的な運命とは異なる。

その2:『バガヴァッド・ギーター』はガンジーの無抵抗主義にも影響を与へたが、彼は、現在の自分があるのは過去の様々な人々の行為の結果であり、逆に自分の行為は、自分の為にするものではなく、将来の人々への責任を果たすためにするのだと考へてゐた。

個人主義の基礎には、人の一生は物理的な誕生とともに始まり死とともに全ては終はる、といふ考へ方がある。それが道徳の基礎を浸食してゐるといふ見方もできよう。西洋流でこの問題を解決するには、「死んだ」神を復活させるか、人類愛のやうな新しい原理を導入するかが必要になる。前者は狂信へと堕すことが多く、後者は力が弱い。ここで示されてゐるのは、これらとは別の道のやうに見える。

行為が自分の為のものでないとすれば、誰のためか。そこには、どのやうな人達が含まれるのか。この問題を考へ始めると、簡単な解は無いのだが、人の心のあり方についての反省を重ねてきたインド哲学は、抽象的な観念の操作ではなく、実際の人間を踏まへた議論なので、学ぶべきところが多いやうに思はれる。

『ゲンロン0 観光客の哲学』を巡つて 4

『ゲンロン0』を読んで勉強になつたことの一つは、政治の本質とは「友敵理論」であるといふ考へがあるといふことだ。それも有名な政治学者カール=シュミットの説だといふ。政治を経済や倫理と峻別するために考へ出されたものだとの事。純粋に政治的な現象を突き詰めようとした理由如何はともかく、かうした純粋を求める型の人達が、本人の意図に係はらず、世の中を悪くすることがある。ドイツ的な真面目さが招いた悲劇の一例であるやうな気がする。
「分かる」は「分ける」と同根だらうから、複雑な現象を少数の原理から説明しようといふのは人間の基本的な傾向に違ひない。しかし、さうした分析が物事の本質を捉へ損なふ場合もあるだらう。
小林秀雄が漢方について、こんな話をしてゐたのを思ひ出す。胃腸に効く漢方の薬草があるとすると、西洋医学では、その薬草の成分を分析して、有効成分を取り出さうとする。その成分を濃縮して、もつと良く効く薬を作らうとする。しかし、さうすると副作用が強く出ることが多い。不思議なことに、元の薬草には副作用を抑へる成分も含まれてゐる、云々。
社会が成り立つには、政治だけでなく、物質的基礎を整へる経済も、人の道を示す倫理も必要だ。同じ一つの社会に現れる現象だから、といふより元々は一つの社会を異なる観点で見てゐるだけなのだから、政治は経済とも倫理とも繋がつてゐる。政治といふ成分だけを取り出して、それだけで社会に働きかけようとすると、副作用が出るのは当然だ。
友敵理論が政治の本質だとすれば、目的は手段を選ばないことこそ政治だといふことになる。それが経済に悪影響を及ぼさうと、倫理規範を損はうと、それこそが純粋の政治、良い政治だといふことになる。かうした考へ方が、現代の日本の「偉い」人達に見られる独善的な振舞ひの一因であるといふ気がする。
『ゲンロン0』は、さうした現代の状況を変へるために書かれた本だと思ふのだが、小林秀雄が、1951年に書いた「政治と文學」といふ文章の末尾に出てくる次の意見は、東浩紀氏の主張に通ずるところがあるのではないだらうか。
政治は、私達の衣食住の管理や合理化に關する實務と技術との道に立還るべきだと思ひます。
政治は、特定の価値を主張するのではなく、「動物」の世界の利害の技術的な調整に専念すべきだといふのである。
改めて「政治と文學」を読み返してみると、ヘーゲルの歴史のシステムについて、こんな文章もある。
ディアレクティックの發條としての矛盾などといふものは空想に過ぎぬ。さういふ考へを、例へばケルケゴールとかドストエフスキイとかいふ人々は早くも抱いてゐた。
アンドレ=ジイドの「ソヴェト旅行記」の話も出てくる。観光客ジイドだ。
小林秀雄は文学者としての立場を崩さなかつた人なので、常に個人から出発するが、それが世界をどう変へるのか、については具体的な言及はしてゐない。ただ、カール=シュミットが純粋な政治から排除しようとした美が、一つの働きをすると考へてゐたのではないだらうか。同じ文章の中で、十九世紀末の芸術家達については、こんなことを言つてゐる。
古いイデオロギイを新しいイデオロギイで救ふといふ樣な欺瞞は、彼等の念頭になかつたのであり、ブルジョアジイが腐敗させた個人主義自由主義を、人間の個性や精神の自由といふ人間に永遠な問題として、自分の責任に於て、新しく取り上げる仕事をしたと言へると思ひます。
また、戦後間もなく行つた講演では、こんなことを言つたと伝へられる。
”藝術の役目はわれわれの意識なり知覺なりと現實-つまり内的なリアリティーとの間のヴェールを破ることだ”とベルグソンはいつてゐる、ヴェールとはわれわれの知性が張り廻らすもののいひである、人間ははじめに行動があり、次に行動を規制するものとしての知慧が生まれる、外的なリアリティーから政治的、社會的な生活に不必要なものを知性が取り捨てる、これがヴェールの役割なのだ、この幕を掲げて現實をぢかに魂で受けとめ、いはば言語に絶し色彩を超えた美的經驗を、人間に與へられたところの限りある不自由な言葉を用ひ、繪具を驅使して再現するのが藝術なのである、かうした美的經驗はまた現實の歴史の動かし難い生命を見出すのに大切な見方でもある
(『文學界』2002年9月号掲載の郡司勝義「一九六〇年の小林秀雄」で引用された大阪版 「毎日新聞」の記事を孫引き)

『ゲンロン0 観光客の哲学』を巡つて 3

これまで述べたやうに、日本人に哲学が身近でないのは、元々が西洋からの輸入物であり、それを受け入れるための文化的な基礎が、明治維新や敗戦の混乱で失はれたからだらう。
他方で、現在の哲学といふ学問のあり方にも、欧米を含めて、大きな問題がある。一庶民の立場で言へば、現在の哲学は分かりにくいだけでなく、余り役に立ちさうにないのだ。(役に立つといふのは、金が儲かるといふ意味ではなく、自分の生き方との関はりが感じられるといふことです。)特に、大学を中心とした専門家の間で行はれてゐる哲学はイケナイ。東浩紀氏がさうした制度的に「確立」された哲学の外にあつて、ご自分の会社から立派な本を出してをられるのは、偶然ではないだらう。
一つには、哲学といふ長い歴史を持つ学問の過去の蓄積が重くなり過ぎたことがある。まともに哲学を学ばうとすれば、古代ギリシャ語でプラトンアリストテレスを読むことは元より、フランス語、ドイツ語、最近では英語で書かれた主な哲学書を自分のものにする必要がある。その上で、新しい「業績」を出すには、最近の論文に眼を通してから、独自の主張をせねばならない。どんなに頭の良い人でも、簡単な業ではない。
「新しさ」は「新解釈」であつたり、従来注目されてゐなかつた細部の議論であつたり、解説の解説だつたりするのだが、さうした議論は専門家には大事であつても、一庶民には興味のないことである。
特にイケナイのは、哲学では新語が頻繁に出て来ることだ。カントのやうな立派な哲学者でもさういふ傾向があると思ふのだが、これまでに無い新しい概念を導入するために、矢鱈と新語が出て来る。その意味や有用性を確かめるためには、本を読み終はるだけでなく、さうした新概念を色々な場面で使つてみることが必要だ。概念も道具の一つなのだから、役に立たなければ意味がない。ところが、厄介なことに、新語、新概念が文字面としては一つでも、それが意味するところ、その正しい使ひ方が、物理的な道具のやうには明確ではない。さらには、道具使用の効果である明快な現実分析、従来に無かつた視点の提示などの結果も、元々が難しい議論なので、物理実験の成功/失敗のやうな誰の目にも明らかなものではない。バラバラの解釈を持つた人達が無闇に新概念を適用し、曖昧な「成果」を得る。専門家の方々には商売の種が尽きないで結構な事だか、一庶民としては付き合つてゐられない。
そもそも哲学といふ学問の社会的な価値は何処にあるか。過去から続く遺産を守り続けるといふのは大切な仕事だ。人間として生きるのであれば、世事に追はれて一生を終はるのではなく、星を見上げて自分が生きる意味を考へ直すことも必要だらう。そんな時に役に立つ哲学があれば有難い。逆に言へば、過去の遺産の価値を理解させ、物事を根本から新しい視点で見直す手助けとなる、さうした効用がない哲学は、少なくとも一庶民には無用である。電車に乗り、インターネットで調べごとをするのに、モーターや送配電の仕組み、TCP/IPについて理解してゐる必要は無い。物の世界の理屈だからだ。しかし、哲学は心の世界の理屈だ。人々の間で生きてゐなければ、存在しないも同然だらう。
人間は何千年も前から「最近の若い奴らは...」といふ愚痴をこぼして来た。基本のところは変つてゐない。そんな人間のあり方を考へる哲学で、さうさう新しい説が出て来る筈がない。最近の哲学書を読む暇があれば、プラトンデカルトを読む方が何倍も有益である。ただ、何か新しいことがあるとすれば、人間社会の有様が変つたといふことだらう。人間は数百人の集団で生きるやうに進化して来たと言はれる。それが数十億人が経済的につながる世界で生きなければならない。世界から流れて来る情報は個人の処理能力を超えるが、地球の裏側の事件が直接、間接に自分の生活に影響を及ぼすので、無関心でもゐられない。分かりやすい「解説」を鵜呑みにするのも仕方のないところだ。多様な信念を持ち、会つたことも恐らく今後会ふこともない、そんな人達が平和につながるにはどうすれば良いか。政治学にせよ、経済学にせよ、哲学にせよ、かうした現代の課題について応へることが求められてゐる。
『ゲンロン0』の登場を歓迎する所以である。

『ゲンロン0 観光客の哲学』を巡つて 2

『ゲンロン0 観光客の哲学』は、哲学書なのに読み易いといふ評判だ。では、普通の哲学書は何故読み難いのか。

 

一つには、言葉の問題がある。哲学には「存在」、「本質」、「概念」、「表象」などといつた耳馴れない言葉が出て来る。これは哲学用語の大半が翻訳語だからだ。「存在論」は英語でontolgyと言ひ、元はラテン語で、さらにはギリシャ語に遡ることができる、耳馴れない言葉だが、「存在」はbeingで、be動詞の現在分詞だ。フランス語のêtreも「ある」といふ一番普通の言葉である。

 

哲学の「本場」では、さうした日常の言葉をより専門的意味で使つて哲学用語としてゐる。これに対して日本では、例へば「あり」といふ言葉ではなく「存在」といふ言葉を当ててゐる。この「本場」と日本との違ひは大きい。

 

「ある」「なし」といふことであればそれが何を意味するか日頃の経験からよく分るし、「ある」「なし」についての議論を聞けば、自分の感覚に照らして時に納得し、時に首を傾げる。議論に経験的、感覚的な基盤がある。それが「存在」についての話だと、実感を伴はない言葉なので、抽象的な議論にならざるを得ない。新しい発見も生まれ難い。

 

今から殆ど80年前の戦前の話だが、小林秀雄西田幾多郎について述べてゐたことが思ひ出される。

 

だが、眞實、自分自身の思想を抱き、これをひたすら觀念の世界で表現しようとした樣な學者は、見物と讀者との缺如の爲に、どういふ處に追ひ詰められたか。例へば西田幾多郎氏なぞがその典型である。氏はわが國の一流哲學者だと言はれてゐる。さうに違ひあるまい。だが、この一流振りは、恐らく世界の哲學史に類例のないものだ。氏の孤獨は極めて病的な孤獨である。西洋哲學といふものの教へなしには、氏の思想家としての仕事はどうにもならなかつた。氏は恐らく日本の或は東洋の傳統的思想を、どう西洋風のシステムに編み上げるべきかについて本當に骨身を削つた。これは近頃學者の間に流行する日本古典思想の歐風の新解釋なぞといふ知識の遊戲とは根本から異るのである。そしてさういふ仕事で氏はデッド・ロックをいくつも乘り越えて來たに間違ひあるまいと思ふ。
 だが、この哲學者は、デッド・ロックの發明も征服も、全く自分一人の手でやらねばならなかつたのである。かういふ孤獨は、健全ではない。デカルトの孤獨が健全だつたのは、彼には學者の樣には考へない良識を備へたフランス人といふ友があつた爲であり、ニイチェの孤獨が健全だつたのは、ドイツ國民と呼ばれる俗人といふ敵があつたからだ。
 西田氏は、たゞ自分の誠實といふものだけに頼つて自問自答せざるを得なかつた。自問自答ばかりしてゐる誠實といふものが、どの位惑はしに充ちたものかは、神樣だけが知つてゐる。この他人といふものの抵抗を全く感じ得ない西田氏の孤獨が、氏の奇怪なシステム、日本語では書かれて居らず、勿論外國語でも書かれてはゐないといふ奇怪なシステムを創り上げて了つた。氏に才能が缺けてゐた爲でもなければ、創意が不足してゐた爲でもない。
 これは確かに本當の思想家の魂を持つた人が演じた悲劇だつた樣に僕には思へるが、言ふ迄もなく亞流は魂を受け繼がぬ。專ら健全な讀者を拒絶する爲に(他に理由はない)、何處の國の言葉でもない言葉を並べ、人間に就いては何一つ理解する能力のない、貧弱な頭腦を持つた哲學ファンを集めた。
(「學者と官僚」小林秀雄全集第六巻 559-561頁)

 
小林秀雄は、この文章で西田氏個人を攻撃してゐる訳ではなく、それ以外の凡百の学者達に悪態をついてゐるのだが、今日の学者にも通用する部分があるかも知れない。(なほ、「デッド・ロック」といふ言葉の使ひ方は、錠lockと岩rockとを混同したもので、誤りとされてゐる。)

 

他方で、『ゲンロン0 観光客の哲学』を読むと、西田氏の時代からの80年で確かに進歩があつた事が感じられる。日本の西洋の哲学や文学に関する研究は、少なくとも一部では世界的な水準に達してゐるし、それが普通の人に理解できる日本語で読める。木田元氏の『ハイデガー存在と時間』の構築』や、『ゲンロン0 観光客の哲学』でも引用されてゐる亀山郁夫氏のドストエフスキーに関する仕事など、大変に立派なものだと思ふ。

 

『ゲンロン0 観光客の哲学』も、さうした著作の一つに挙げられるだらう。かうした本が広く読まれることで、この国にものを考へる文化が根付くことを期待したい。

 

小林秀雄が言ふやうに、独善を戒め進歩をもたらすのは「本當に健全な無遠慮な讀者」なのだから。

『ゲンロン0 観光客の哲学』を巡つて 1

東浩紀氏の『ゲンロン0 観光客の哲学』を面白く読んだ。その内容については、何度か読み返した後で言ひたいことがあれば言ふつもりだが、取り敢へず、読みながら考へたことを書いてみる。先づは、今日の日本における哲学の欠落について。

 

哲学とは何か、いろいろと難しい議論があるだらうが、ここで言ふ哲学とは、例へば次のやうなものである。

 

哲学とは何か。哲学といふ言葉を極普通に受け取れば、 大本は逃さない。それは、各自の眼で善悪を正確に見定め、 欲、野心、心配事や後悔を静めるといふことだ。見定めるには、物事を知らねばならない。例へば、愚かしい迷信や空疎な予言を打ち破ること。さわぐ心そのものを知り、これを治める術も必要だ。哲学による知識とはこれだと荒つぽく言つて、欠けてゐるものはない。それが常に倫理的、道徳的な理論体系を目指すこと、そして各自の判断に基礎を置くこと、頼りになるのは哲人の助言だけだといふことも分かる。哲学者が多くを知つてゐる訳ではない。物事の難しさを感じ取り、自らの知らない事柄を正確に数へ上げることが、英知への道となるからだ。ただ、哲学者は自らの知つてゐることを確かに、自らの努力で知つてゐることが必要だ。死、病、夢想、失望に立ち向かふ力の全ては、しつかりとした判断の中にある。かうした哲学の捉へ方は馴染み深いもので、 これで十分なのだ。
(アラン『精神と情念に関する81章』緒言)

 

人はどうすれば良く生きることが出来るか。人が地上に出現して以来、この問は幾度となく繰り返されたに違ひない。長く続いた文明では、この問に対する答が古典といふ形で受け継がれて来た。これは西洋の哲学に限らない。古典を読み、そこから生きるための知恵を学ぶことは、文明の基本的な在り方だつた。それが現在の日本では崩れてゐる。

 

崩れてゐるのは日本だけではない、世界中がさうだ、といふ意見もあるだらう。しかし、この国の場合、明治維新、敗戦といふ二つの大きな転換期を経て、江戸時代にあつた人の生き方に関する先人の知恵が途絶えて仕舞つたといふ事情が、さらに大きな混迷を招いてゐると思はれる。

 

上記のアランの定義にあるやうに、頼りになるのは哲人の助言だけだとすれば、日本の哲人とは誰だらうか。

 

『日本倫理彙編』といふ本がある。明治34年(1901年)に、井上哲次郎等が編集した本で、その巻頭には井上が編集の意図を次のやうに書いてゐる。

 

(前略)之れを要するに、東西兩洋の道徳主義を打ちて一塊となし、以て今日の道徳主義の根柢をなすべきこと、決して復た疑ひを容るべからざるなり、然るに今日にありては、西洋の倫理書類を購求すること、必ずしも困難ならずと雖も、日本の倫理書類を購求すること、反つて容易なりとせず、世の徳育に志あるもの竊に以て遺憾となす、是を以て余頃ろ文學士蟹江義丸氏と日本の倫理書類を各學派に從ひて之れを分類し、以て陸續發行し、聊か教育界の缺陷を充たすの一端となさんと欲す(後略)
国立国会図書館デジタルコレクションで読むことができる。http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1913233

 

つまり、西洋の哲学に対応する日本の哲学の基本的な書物(中でも手に入り難いもの)を集めたといふのだが、全十巻に収められてゐるのは、次のやうな人達の著書なのだ。

 

中江藤樹、熊澤蕃山、三重松菴、三輪執齋、中根東里、佐藤一齋、大鹽中齋、山鹿素行、伊藤仁齊、伊藤東涯、荻生徂徠、太宰春臺、山縣周南、藤原惺窩、中村☆齋(☆「立心偏」に易)、室鳩巣、雨森芳洲、山崎闇齋、佐藤直方、淺見絅齋、三宅尚齋、山縣大貮、貝原益軒、尾藤二洲、頼杏坪、細井平洲、片山兼山、井上金峨、太田錦城、三浦梅園、帆足愚亭、二宮尊徳、盧草拙、有木雲山、阿部漏齋、廣瀬淡窓

 

今の日本では、多少教養のある人でも、これらの人達の著作を読んだ人は多くあるまい。まして、その読書が自らの生き方の支へとなつてゐる人は。他方で、井上が上に引いた文章の中で西洋の「道徳主義」の代表的人物として挙げてゐるカント、ヘーゲルでも、事情は余り違はないだらう。

 

西洋では必ずしもさうではない。例へばフランス。アランを読んでゐると、プラトンデカルトの説いたところが彼の中で生かされてゐるのがはつきりと感じられる。哲学教師だつたのだから、プラトンデカルトを読むのは当然だが、彼らを心から尊敬し、その教へを自らの糧としてゐるのだ。アランは明治維新の年に生まれ20世紀半ばに死んだ人だが、今日でもフランスでは哲学が身近にある。大学入試資格試験に相当するバカロレアでは、理科系の試験でも哲学が必修で、次のやうな問題が出る。

 

科学部門
1 少なく働くのは、より良く生きることか。
2 何かを知るためにはそれを証明する必要があるか。
3 次のマキャベリの文章について解説せよ。

 

技術部門
1 正しくあるためには、法に従ふだけで十分か。
2 我々は信ずるところを常に正当化できるか。
3 次のメルロ・ポンティの文章について解説せよ。

 

フランスでは、「理科系」の人達も、大学に行かうとするのであれば、このやうな問に答へる力を求められる。マキャベリやメルロ・ポンティを読んでゐなくても、その文章について解説を求められるのだ。

 

日本の教養人も、かつては『論語』を仁齋や徂徠に学んでゐた。福沢諭吉は、西洋文明の紹介者として知られてゐるが、自伝の中で、かう言つてゐる。

 

歴史は史記を始め前後漢書、晉書、五代史、元明史略と云ふやうなものも讀み殊に私は左傳が得意で大概の書生は左傳五巻の内三四巻で仕舞ふのを私は全部通讀凡そ十一度び讀返して面白い處は暗記して居た

 

かうした読書で得た史観が、彼の西洋文明を見る眼を養つたことは疑ひない。逆に、このやうな知的な基盤を持たない現代の日本人は、いかにも薄つぺらに見える。恥づかしいといふだけでなく、これでは良い国づくりは期待できないし、幸せにもなれない。特に、現代のやうな大きな変革の時代では、理念や世界観が問はれる。経済の領域でも、「ものづくり」に一所懸命で、新しいビジネスモデルを生み出す力がないのは、かうした哲学の欠如が一因ではないだらうか。

 

(つづく)

正義と戦争

Yuval Noah Harari氏の"Sapiens: A Brief History of Humankind"(邦訳「サピエンス全史」)を読み始めた。ホモサピエンスネアンデルタール人よりも優位に立てたのは大きな社会組織を作ることに成功したからであり、その基礎となったのは神話mythである、といふ説は非常に興味深い。
 
社会を纏めるために物語が必要だといふ事情は現代でも変はらない。むしろ、グローバル化する経済の実態に物語が追ひ付いてゐないことが、今の一番の問題かも知れない。
 
近く米国大統領に就任するトランプ氏の標語は「アメリカを再び偉大な国に」といふものだが、同氏の頭の中にある偉大なアメリカとはいつの時代のどんなアメリカなのだらうか。ともかく、この標語が全世界に共有されるものでないことは明らかだ。自らの利益を最優先する、といふのは当然と言へば当然だが、人が一人で生きてゐるのではないやうに、国も一国で成り立つてゐる訳ではない。貿易は、一方が他方を搾取するといふ場合もあらうが、基本的には双方に利益があるからこそ取引が成立してゐるのだから、一方だけが得をするといふことは例外的だし、長続きしない。WTOのやうな公正な貿易を実現する仕組作りも進んでゐた。何が正しい行ひかを自分だけで判断するといふのでは、国際社会は成り立たない。同氏が非難するロシアや中国と同列に堕すこととなる。
 
アラン(1868-1951)が1923年4月18日付けの文章で、正義と平和との関係を説いてゐる。 

「正義による平和」といふ良く知られた言ひ回しを思ひ付いた人は、少ない言葉に多くの誤りを盛つたのではなからうか。私は長い間これについて考へたが、始めは一貫性が無く、何も見出せなかつた。その後、戦争で来る日も来る日もこの問題に何時間も付き合ふこととなり、つひに、考へ方が歪んでゐると善意があつてもどうにもならないことが分かつた。「正義による平和」といふのはよく聞けば鬨(とき)の声の一つで、これこそが鬨の声なのだとさへ言へる。
消し去るべき誤つた考へ方の一番目は、人間が戦争をするのは奪ひ取りたいがためだ、といふものだ。少数の例ではさうかも知れない。しかし、大多数は正義のために戦ふのだ。少なくともさうだと強く信じてゐるので、結局、同じ事だ。同様に、訴訟が熱くなるのは、強欲に因るよりも、狂信的とも言ふべき正義への、或いは自分が正義だと考へるものへの執着に因る。この訴訟の例をもう少しよく見てみよう。当事者達はいつでも何らかの権利を自認してゐるだけでなく、言はば正義が世を支配するやうにと訴へるのだ。更に、全ての訴訟では、物事が複雑で、契約には全てを書くことが出来ず曖昧さが残るので、双方が正しいと見えるのも事実だ。成文法と判例の全体系は、常識では両者に明確で強い論拠があると見える場合に決定を下すといふ、大きな困難に対応するものだ。人にはこれが簡単には分からない。私は次のやうに考へる素朴な人を何人も見た。「正しいのは二方のうちの一方なのだから、二人の弁護士の中に金を貰つて嘘をついてゐる者がゐる」と。しかし、弁護士、代訴士、裁判官に尋ねてみ給へ。弁護士は決して嘘をつかず、嘘をつく必要も無いと応へるだらう。さうした荒つぽい遣り方では直ぐに笑ひ者になる、嘘や誤魔化し無しでしつかりと主張できる正義が双方にあると見えなければ訴訟は成り立たない、と言ふだらう。だから、二つのうち一つを選ぶ判決は直ぐに法の一要素となり、その後の訴訟で有力な主張となるのだ。しかしまた、正義を捉へるのは難しい。心が騒いで急(せ)いてゐる人間は皆、いつでも正義は明らかで議論の余地は無いと信じてゐるからだ。
では正しさは何処にあるのか。それは、判決が力の結果ではなく、争ひに利害関係を持たない裁定者の前での自由な討議の結果だといふ点にある。この条件で十分であり、正義の間の争ひは難解で微妙なので、これで十分でなければならない。正しいのは、予め裁定を受け入れることだ。正しい裁定ではなく、下される裁定だ。法律の基礎となるのは、自らの権利を力により主張することを公に放棄するといふ行為だ。だから、正義により平和があるのではない。正義により、正義と見える事が原因で、さわぐ心により火を点けられて、戦争が、聖戦が起こるのだから。そして全ての戦争は聖なるものだ。逆に、平和あつてこその正義なのだ。正義の秩序は、裁定の前にも、途中でも、裁定後も、満足であらうとなからうと、予め平和が宣言されてゐることが前提なのだから。これが平和な人間といふものだ。しかし、危険な人間は正義による平和を望み、力を使はないと言ひ、さう誓ふのだ。但し、自分の正義が認められるといふ条件で。これでは素晴らしい日々が約束されてゐる。

利害が複雑に絡む社会で平和を維持するためには、正義を前面に押し出すのではなく、裁定のための手続きを決めて、それを皆で守ることが重要だといふのは、数百年にわたり争ひを続けて来た欧州人が辿り着いた知恵だらう。今こそ、それを生かすべき時だと思はれるのだが。