正しい知識を得るための仕組み(II-2 枠組の構築:政治)

某国大統領が多用することで「フェイクニューズ」といふ言葉が流行つたが、フェイクではない本物のニュース、正しい知識*1を得るためには何が必要だらうか。

知識は空から降つては来ない

先づ「人の世の中に役立つもので、何もせずに手に入るものなど無い」といふ基本的な事実を忘れないことが大事だらう。空から降る雨も、それを蓄へ田畑に導くなどの仕組みがあつて、初めて役立つのだ。知識も例外ではない。誰かが働いて生み出してゐるものだ。

私達が学校で学ぶ知識は、すでに出来上がつたもの、不変なものとして教へられる。しかし、その知識も空から降つたものではない。誰かが思ひつき、確かめたのだ。さうした人々の作業がすべての知識の背後にあるのだ。

知識の正しさを確かめるには、それがどのやうな人々によつて、どのやうに作られたものかを知ることが大切だ。

知識の正しさを決める仕組み

知識の正しさは、どのやうにして決められるのだらうか。その仕組みはそれぞれの社会に組み込まれてゐる。

学問の世界では、専門家の集まりである学会といふ制度があり、新しい知識を載せた論文を発表するための学会誌や会合がある。学会誌に掲載される論文は、査読といふ仕組みによつて一定の品質が保たれる。発表内容については、疑問や質問が、学会誌上あるいは会合の場で出されて、議論が戦はされる。かうした一連の作業を経て、学界としての定説が決まつて行く。

議論の過程では、実証が重んじられる。正しいとは、現実に合つてゐるといふことなのだから、それを確かめようとするのだ。自然科学の場合には実験が重要な手段となる*2。人文社会科学の場合には、実験が難しいことが多いので、過去のデータを元に議論が行はれることが多くなる。

かうした作業を経ても、意見が一つに纏まらないこともある。その場合には、定説無しの状態が続く。また、一度定説が出来上がつても、その後に発見された事実によつて、これが覆されることもある。

いづれにしても、学問が、世の中に正しい知識を生み出すための基本的な活動なのだが、その活動は、税金や寄付によつて支へられてゐる場合が多い。学問は、すぐに収入に結びつくとは限らないからだ。どれだけの資金を学問に振り向けるかは、市場によつては決まらないので、それぞれの社会が社会の意思によつて決めるべき問題となる。

正しい知識を広めるには

正しい知識も、世の中に広まらなければ役に立たない。知識の普及には、最新の医学について現場の医師が学ぶやうに、或いは、最新の材料技術について現場のエンジニアが学ぶやうに、学問の成果が現場の専門家に伝へられる場合がある。最新の知識が現場の医療や製品の設計・製造に生かされることで、私達は正しい知識の恩恵に与かる。

他方で、ウイルスの伝染を防ぐために「密」を避けるといふやうに、学問の成果を私達が直に使ふ場合もある。専門的な知識が一般に伝へられる場合だが、この場合には、伝へるための媒体や、伝へる人が問題となる。専門的な知識を、一般にも分かるやうに、噛み砕いて、しかし正確さを失はない形で伝へる、といふのは難しい仕事だからだ。

 従来、この役割は新聞やテレビのやうなマスメディアが果たして来た。ところが、インターネットの登場によつて、知識の伝達の仕組みが大きく変はりつつある。個人でも「情報」を簡単に発信できるやうになり、出所のよく分からない「情報」が増えた。新聞やテレビは、職業として情報伝達をしてゐるので、情報の取捨選択をしてゐるのだが、インターネットを流れる「情報」は、さうとは限らない。

インターネットの問題は、出所不明の「情報」が流れるといふだけに留まらない。新聞やテレビなどの職業的なメディアが、広告収入の減少によつて、そのサービスの質を落としてゐることが大きな問題だ。広告は、グーグルなどのインターネット関連サービスに流れてゐるのだが、グーグル検索によつて得られる「情報」は、世の中で閲覧数が多い情報かも知れないが、それが正しいといふ保証は、どこにもない。

ここでも、正しい知識の普及をどのやうな仕組みで行ふか、そのために必要な費用を誰がどのやうに負担するか、といふ社会の仕組みの在り方が問はれてゐる。

健全な社会には正しい知識が欠かせない

健全な社会とは、正しい知識に基づいて動く社会だらう。事実を踏まへないで物事を決める社会は、長続きしないのだから。それほど正しい知識が社会に欠かせないのだとすれば、正しい知識を産み出すとともに、これを世に広めることが重要になる。 

正しい知識は健全な社会で育つ

そして、これらの活動に必要な費用を、誰かが何らかの形で負担することが求められる。正しい知識を「ただ」で得られるといふことは、あり得ないのだ。さうした費用の負担を厭はない社会こそが、健全な社会と言へるだらう。

*1:ここで「正しい」といふのは、事実に即してゐる、現実を反映してゐる、といふ意味である。人の倫、正義に適つてゐる、といふ意味ではない。

*2:自然科学の分野でも、宇宙の起源をめぐる議論の場合のやうに物理的制約によつて、或いは、人間の遺伝子組み換へのやうに倫理的な理由から、実際に試してみることができない問題もある。

デカルトとパスカル(I-1 前向きな心)

デカルトパスカルの一致点

思想の体系化の最初に「前向きな心」といふ区分けを設けたが、全ての中心に私がゐて、その私とは私の心だ、といふものの見方は正しいものなのか。科学者の一部には、心は脳の働きに過ぎず、意識は幻に過ぎない、といつた主張も見られる。数値化、客観化できないものは存在しない、といふ考へ方だ。この立場に立てば、私の心が世界の中心だといふのは、戯言に過ぎないだらう。

数値化によつて物事を正確に把握しようといふのは、近代科学の基本的な姿勢で、それを主唱したのがデカルト(1596-1650)だつた。他方で、デカルトは全てを疑ふことから始めて、「我思ふ、故に我あり」といふ疑ふことができない命題にたどり着いた人でもある。デカルトにとつて最も確かなのは自分の考へるといふ力であり、身体ではなく心だつたのだ。

デカルトを「役に立たず不確かだ」と批判したパスカル(1623-1662)も、「人間は考へる葦だ」と述べて、考へることの重要性を認めてゐる。基本的な立場を異にする二人が、考へるといふ心の働きを重んじてゐるのだから、私とは私の心だ、といふ前提で話を進めることも許されるだらう。

小林秀雄デカルト

小林秀雄(1902-1983)の文章にはデカルトの名が何度も出て来るが、デカルトについて詳しく述べてゐるのは、「「テスト氏」の方法」(1939年)と「常識について」(1964年)の二つだ。

「「テスト氏」の方法」は、ポール・ヴァレリー(1871-1945)の「テスト氏」について書かれた文章だが、「多くの批評家が、ヴァレリイをデカルトに比べてゐる。哲學者に對する無關心或は不信用は、ヴァレリイが機會ある毎に示してゐる處だが、デカルトだけは例外である。」といふことで、デカルトにも触れてゐる。

世人の信ずる生活とか生命とかいふ何か意味ありげなものは、ことごとデカルトの精神によつて疑はれ、意味ありげな意味をがれて、物と形と動きとの中に投げ返された。併し彼は動物機械から人間機械に決して移らうとはしなかつた。彼は踏み止まつた。彼の耐へた地點といふものを心に描かうとすると、一本の縄の上で、極度の心の緊張に頼つて身體の平衡を保つてゐる人間の姿の樣なものが眼に浮かぶ。

彼が自分のCogitoをétendueの世界から、驚くべき果斷で引きちぎり、兩者の裸な痛烈な對決に、恐らくほんたうの生活の極意を見たといふ事、兩者の曖昧な妥協や混同を監視する爲に、絶え間なく疑ひの火を燃やしてゐなければならなかつたといふ事、兩者を隔てる淵が深まれば深まるほど、精神は勇氣を得、決意に充ちて、自在に淵の上に架橋したといふ事、これらデカルトの徹底した二元論のはらんでゐた難題は、悉くヴァレリイの方法に承け繼がれた樣に思はれる。(第五次全集 第六巻 544-545頁)

「常識について」は、講演を元にして書かれた文章だが、「「コンモン・センスの哲學」の元祖と言ふ事になると、これは、どうしても百年ばかりさか上つて、デカルトといふ大人物に行き當らねばならぬ。」といふ訳で、文章の半ば以上がデカルトに割かれてゐる。

デカルトは、常識について反省して、常識の定義を見付けたわけでもなければ、この言葉を、哲學の中心部に導入して、常識に關する學説を作り上げたのでもない。常識とは何かと問ふ事は、彼には、常識をどういふ風に働かすのが正しく又有效であるかと問ふ事であつた。たゞ、それだけであつたといふ事、これは餘程大事な事であつた。デカルトは、先づ、常識といふ人間だけに屬する基本的な精神の能力をいつたん信じた以上、私達に與へられる諸事實に對して、この能力を、生活の爲にどう働かせるのが正しいかだけがたゞ一つの重要な問題である、とはつきり考へた。これを離れて、常識の力とは本來何を意味するかとか、事實自體とは何かとか、さういふ問ひ方、言はば質問の爲の質問といふやうなものは、彼の哲學には、絶えて見られない。神の存在といふ形而上學的問題にしても、窮極の問題として、これに迫られてゐるのが明らかである限り、彼はこれを避けはしなかつた。例へば心臟の構造の問題とともに、平氣で、これに取組む。しかし、問題の解決は、問題に對して、自分が自由に使用し得る常識といふ道具の、出來る限り吟味された使用法に、ひとへにかゝつてゐる、と確信してゐたやうに、私には思へます。この常識の使用法、働かせ方が、彼が"méthode"と呼ぶものであり、彼の哲學とは、この使用法メトードそのものである。といふ事は、彼の著作に、仕上げられた知識を讀むより、いやでも生きた人間を感ぜざるを得ないといふ意味でもある。 (第五次全集 第十三巻 82-83頁)

 學業を終へたデカルトが、書物を捨て、世間といふ大きな書物だけを讀まうと決心し、今こそ自分一人で判斷し考へる自由を得たと言ふ時、彼の自己發見は、絶對的な完全なものであつたと考へていけない理由はないでせう。判斷し考へる自己の自由とは、これを完全に知るか、全く知らないか、どちらか一つのものだらう。三分の一ほど知つたといふやうな言葉は、意味を成すまい。そこから「方法的懷疑」と言はれてゐる彼の讀みが始まるのだが、この疑ひは、自分の發見したところを一層明瞭化し、信じたところをいよいよはつきり信ずるといふ目的しか持つてゐない。デカルトは、「方法の話」で、さういふ自分の讀みによる、意識の發展と發明以外の事は、何一つ語つてゐないのだが、自分を主張しようとか、他人を説得しようとかいふ感情の動きは、少しも現れてゐません。この本は、著者が「身の上話イストワール」だと言つてゐるやうに、まさしく自傳なのだが、後世現れたローマン主義文學の發明した自傳的意匠などは、一とかけらも見られない。彼の晩年の努力は、身體の動きに固く結ばれた情念パツシオンの動きを、精神が、どう觀察し、どう監視するかといふ問題に集中されたが、その種子は、既にこゝに見られると言つてよい。自ら現れて來るのは自分一人で考へる人の、男らしい明るい歡びの感情だけだ。 (同 90頁)

近代的自我の發見者デカルトといふやうな、解つたやうな解らないやうな言葉を弄してゐるよりも、この自我發見者には、自我といふやうな言葉につまづいたことはいつぺんもなかつた、彼が、實際に行使したものは、今日では、もう大變わかりにくゝなつて了つた、非凡な無私といふものであつた事を、とくと考へる方が有益であると私は思ふのです。 (同108頁)

「方法の話」といふのは、『方法序説』のことで、小林秀雄が言つてゐるやうに自伝的な書物なので、哲学的な議論に関心の無い人でも、興味を持つて読めるのではないだらうか。

岩波文庫版は、電子書籍(Kindle)も出てゐる。

山田弘明といふ人の、日本におけるデカルト哲学の受容 1836-1950といふ論文は、題名のとほり、日本でデカルト哲学がどのやうに受け入れられたかを詳しく調べたものだが、「歴史的に見れば日本人の好みはスピノザ、カント、ヘーゲルに集中しており、とくにデカルトを受容しなくても不都合はなかったようにも見える。」と書かれてゐる。デカルトの哲学は、「常識的」なものなので、研究材料とするには面白みに欠けるのかも知れない。

小林秀雄パスカル

小林秀雄パスカルにもしばしば言及してゐるが、パスカルについて書かれた一番長い文章は、「パスカルの「パンセ」について」(1941年)である。短い断章を連ねたやうな文章だが、その最初に、次のやうな一節がある。

人間は考へる葦だ、といふ言葉は、あまり有名になり過ぎた。氣の利いた洒落だと思つたからである。或る者は、人間は考へるが、自然の力の前では葦の樣に弱いものだ、といふ意味にとつた。或る者は、人間は、自然の威力には葦の樣に一とたまりもないものだが、考へる力がある、と受取つた。どちらにしても洒落を出ない。

パスカルは、人間はあたか脆弱ぜいじやくな葦が考へる樣に考へねばならぬと言つたのである。人間に考へるといふ能力があるお蔭で、人間が葦でなくなる筈はない。從つて、考へを進めて行くにつれて、人間がだんだん葦でなくなつて來る樣な氣がしてくる、さういふ考へ方は、全く不正であり、愚鈍である、パスカルはさう言つたのだ。さう受取られてゐさへすれば、あんなに有名な言葉となるのは難しかつたであらう。 (第五次全集 第七巻 265-266頁)

小林秀雄一流の語り口だが、ともかく、パスカルの言葉をもう一度読んでみることは、無駄ではないだらう。

人間は一茎の葦に過ぎない。自然の中で最も弱いものだ。しかし、それは考へる葦だ。これを押しつぶすのに宇宙は全身で武装するまでもない。殺すには、一吹きの蒸気、一滴の水で足りる。だが、宇宙が人間を押しつぶしたとしても、人間は彼を殺すものよりもなほ気高いだらう。何故なら、彼は自分が死ぬことを、そして宇宙の持つ優位を知つてゐるからだ。他方、宇宙は、これらについて何ら知ることがない。従つて私達の尊さの全ては考へることにある。立ち上がるべきなのは、そこからだ。私達が満たすことのできない空間や時間からではない。だから、よく考へるやうに努めよう。それが人のみちの原理だ。 (Branschvicg版 347節 拙訳)

人間の尊さは考へることにある、といふことがはつきりと述べられてゐる。しかし、小林秀雄が言ふやうに、考へることで人間を葦でなくなる訳ではない。

「無限に比べれば虚無、虚無に比べれば一切、無と一切との中間物」、「僕等は何も確實には知り得ないが、又、全く無智でもあり得ない。僕等は、渺茫べうばうたる中間に漂つてゐる」。これが、パスカルの見た疑ひ樣のない「人間の眞實な状態」であり、人生はさういふシステムとして理解されなければ、それは誤解であり、さういふ實在として知覺されなければ、錯覺である。僕は、パスカルを獨斷家とも懷疑派とも思はない。彼は、及び難く正直であり大膽であるに過ぎない。 (第五次全集 第七巻 271頁)

『パンセ』には、「自分とは何か」といふ文章があり、小林秀雄は「僕は、「パンセ」の中でも名文だと思つてゐる。あゝいふ單純で深い味ひを持つた文章は、僕を本當に驚かす。」と書いてゐる。

パスカルは、「自分」といふ樣なものは、人間の美貌にも才能にもない、肉體のなかにも魂のなかにもない所以ゆゑんを簡明直截ちよくせつに分析して見せて、突然、次の樣な結論に飛び移る。

「だから、たゞ官位や職務の故に尊敬されてゐる人々も輕蔑してはいけない。總て人が他人を愛するのは、相手にいろいろ借り物の性質があればこそだ」。結論まで來たら讀者は冒頭の文句に戻るがよい。「或る人が窓にもたれて通行人を眺めてゐる。私がそこを通りかゝる。彼は私を見るために、其處にゐるのだと言へるだらうか。否。」 (同 268頁)

自分といふやうなものが魂のなかにもない、といふのは、魂の性質である判断力や記憶力が失はれると、私の判断力を愛してゐた人は、愛さなくなるだらうからだ。しかし、私が私でなくなる訳ではない。

パスカルの「パンセ」について」は、次のやうな文章で締めくくられてゐる。

神が現れた。こゝで、僕は「パンセ」の中で一番奥の方にある思想に出會ふ。

「人は、神が或る人々は盲にし、或る人々の眼は開けたといふ事を、原則として認めない限り、神の業について何事も解らぬ」

その通りである。僕等は、さういふ神しか信ずる事が出來ないからだ。盲であらうが、目明きであらうが、努力しようが、努力しまいが、嚴然として、僕等に君臨する樣な眞理を、僕等は理解する事は出來るが、信ずる事は出來ないからだ。何故なら、それは半眞理に過ぎないとパスカルは考へたからである。 (同 274頁)

 『パンセ』は『方法序説』ほど一般に薦められる本ではないかも知れない。

岩波文庫の『パンセ』は詳しい注釈も付いた三冊の大作になつてゐる。簡単に読みたい人には、中公文庫プレミアム版が便利だらう。

     

 

 

 

 

 

 

 

 

体系化とは

どこに足場を求めるか

「使ふ側から見た思想の体系」を考へると書いたが、体系といふからには、主な問題を漏れなく取り上げるとともに、全体として、ある程度の整合性がなければならない。そして何より、体系の要素となる思想をどこから持つて来るのか。人々が読み継いで来た古典と呼ばれる書物と、最新の科学の成果とが、基礎になるだらう。

古典を読むといふのは、偉人の生き方に学ぶといふことだ。過去の偉大な人達が、私達が出会ふ問題について、どのやうに立ち向かつたかを知ることだ。彼らが出した具体的な答へが正しいとは限らない。デカルト(1596-1659)は精神と肉体とを結びつけるのは松果腺だと考へたが、現代の科学者でこれを肯定する人はゐないだらう。しかし、全てを疑ふことで正しいものを探し出さうとした姿勢には、今日でも学ぶべきものがある。

科学は、何が確かめられた事実であるかを教へて呉れる。ただ、事実の確定は多くの学者の共同作業であり、時間と手間を要する。COVID-19にどう対応するかについて、専門家の間でも様々な意見が出てゐる。新しいウイルスなのだから、その性質を知ることから始めるしかないので、適切な対処法を確立するには時間がかかるのは仕方がない。

最新の科学の場合には、専門化が進んでゐるため、個別の問題を理解できる人の数が限られてゐる一方で、大きな視点から考へる人も不足してゐる。医療だけではなく経済的影響も含めて考へると何が正しい対応なのか、「正解」は一つとは限らない。

事実を踏まへ幅広い視点で向かふべき方向を知るために、私達に何ができるか。その一つが、体系化といふ形で考へ方を整理し、何が根本の問題で何が枝葉に過ぎないのかを見極めることだと思ふ。

どの古典を選ぶか

古典から学ぶとしても、どれを取り上げるかといふ問題がある。学者の立場であれば、古今東西の思想家を読みつくして、その中から代表的なものを取り上げる、といふ作業を行ふのかも知れないが、普通の生活者では、さうは行かない。結局、自分が読んだ限られた本の中から、気に入つたものを取る、といふことにならざるを得ない。

しかし、これは必ずしも欠点だとは言へない。そもそも、代表的な思想家は誰か、何が重要な思想かを、どのやうに決めるのか。その「代表的思想家」が私には理解できないとすれば、その思想がどんなに立派なものであつたとしても、私の人生を豊かにしては呉れない。

勿論、その分野の専門家がどのやうな思想家を重んじてゐるかを知ることは無駄ではない。しかし、最終的には、自分のことなのだから、自分で決めるしかないのだ。

先達としての小林秀雄

とは言へ、何かの手がかりが無ければ、世間にあふれてゐるの書物の中からどれを選ぶかを決めることは難しい。書店に並ぶ片つ端から読んで行くのでは、良い書物に出会ふのは宝くじに当たるやうなものだ。「すこしのことにも、先達はあらまほしき事なり」*1。先達は有難い。その先達探しも大変だが、小林秀雄(1902-1983)は目利きとして知られてをり、頼りになる。

文芸評論家といふことになつてはゐるが、この人生をどう生きるかについて深く考へた人で、文学者に限らず古今東西の偉人について書いてゐる。小林秀雄に学んだ人は多く、哲学者の木田元(1928-2014)には、『なにもかも小林秀雄に教わつた』といふ本もある。

哲学者 ハイデガーベルクソン

幅広い問題について、根本的な問題から考へる、といふのは哲学者の仕事だらう。思想の体系化を考へる際には、先づ、哲学者の著作をひも解いてみるのが一つのやり方だ。20世紀を代表する哲学者と言へばハイデガー(1889-1976)の名前が一番に挙がるのではないかと思ふ。確かにハイデガーは、ギリシャの古典からニーチェに至るまで、西洋哲学について深い知識を持ち、その講義には学ぶところが多い。ただ、一部の著作を翻訳で読んだだけで言ふのも烏滸がましいが、ハイデガーは哲学のための哲学をやつてゐるやうに見える。哲学そのものに関心が無い人には、余り役立つとは思へない。

他方で、ベルクソン(1859-1941)の哲学は、生きるための哲学だと見える。小林秀雄は「私が熟讀した唯一の西洋の大哲學者」がベルクソンだと言つてゐるが、私達が直面する生きた問題について考へるといふ姿勢が、小林秀雄の求めるものに合つてゐたからではないだらうか。ベルクソンは、科学的な決定論と自由意志、心と身体、生物の進化、宗教と倫理などの問題について、深く考へた。現代の人類が直面する問題について考へるヒントを与へてくれる哲学者だと言へるだらう。

科学の動向

科学の進歩は凄まじく、専門の学者でも自分の分野で出される論文を追ひかけるのに必死だといふ程だから、素人で全ての分野の動向を把握することは不可能だ。各種の雑誌、新聞などに掲載される記事に頼るしかない。

幸ひ、インターネットの発達で、(理解できるかどうかは別として)元の論文を見たり、これに関する専門家の意見を調べたりすることは、比較的容易になつた。新聞やテレビで流されるニュースには、誤解や誇張、歪曲も少なくないので、かうした手段を使つて、自分なりに確かめることが大切だ。

いづれにしても、一人の素人の考へに過ぎない。ただ、かうした作業は、誰もが何らかの形でやつてゐることに違ひない。それを体系化といふ形で表すことで何が得られるか、それは、やつてみないと分からない、と言ふしかない。

*1:徒然草』第五十二段

使ふ側から見た思想の体系

思想*1の体系について語られるとき、多くの場合に、学者の立場から見た体系が取り上げられる。言はば供給側の論理だ。他方で、幸せに生きるために思想を使ふ側、需要側からの体系化といふものもあり得るだらう。ここでは、そんな体系、あるいは整理の仕方の一例を考へてみたい。それは、自分を中心として、次第に広がる輪のやうな形をしてゐる。

I 心と身体

II 個人と社会

III 人間と地球

IV 人間と宇宙

自分を中心に広がる世界

輪の中心には私がゐる。自分が世界の中心にゐると考へるのは、子供じみた見方であると言へるだらうが、一人ひとりの立場から見れば、これが私達の姿だ。世の中は、私が見聞きし、感じるものから出来てゐる。近くのものは大きく見え、遠くのものは小さく見える。その先は見えない。今の私に見えるものの外にも世界が広がつてゐることは、経験からも分かる。自分が世界の中心であるといふことは、自分の知らない世界は存在してゐないのと同じだ、といふ意味ではない。しかし、その世界を自分の目で見ようとすれば、そこまで動いていかなければならない。そこでも、世界は私が中心にゐるやうに見えてゐる。私が見る世界は、いつもそんな姿をしてゐる。

心と身体

人は心と身体で出来てゐる。心は脳の働きに過ぎない、といふ近代的な考へ方もあるが、心が身体に宿つてゐるといふ昔ながらの見方も捨てがたい。自分の身体は、自分であるとともに、自分で自分に触れることができるやうに、心にとつては一つの対象でもある。そこで、心から話を始めて、幸せに生きるために知つておくべきことを整理してみると、次のやうな区分ができるだらう。

I-1 前向きな心

I-2 健やかな身体

I-3 心と身体の間で

幸せには心と身体の健康*2が大切だ。心と身体とのつながりは、薬物依存や心身症などの現代の問題を考へる際に欠かせない、重要な事柄だ。

個人と社会

世界の中心に自分がゐる、と書いたが、人は一人では生きられない。必ず社会の中に生まれ出るのだ。親がゐないと生まれない、といふだけではなく、新生児は誰かの助けが無ければすぐに死んでしまふからだ。個人が集まつて社会を作つたのではなく、社会から個人が出て来たのだ。そこで、幸せに生きるには自分の生まれた社会の仕組みを知ることが欠かせない。社会に関する思想は、次の三つの分野に整理できるだらう。

II-1 経済:生活を支へる

II-2 政治:枠組を築く

II-3 歴史:過去を伝へる

1)衣食住といふ生活に欠かせない物やサービスがどのやうにして作られ、配られてゐるかを知ること、2)社会として纏まるために、様々な決りがどのやうにして作られ、守られてゐるかを知ること、そして、3)この社会がどのやうな経緯でできて来たのかを知ることの三つだ。

人間と地球

今までのところ、生命が確認されたのは、この地球だけだ。人間は、今の技術では、それ以外の場所に短期間留まることはできるとしても、そこで命をつなぐことはできない。地球は人間のただ一つの居場所なのだ。この大切な地球での人間の存続を脅かすのは、環境変化と戦争だらう。そこで、幸せに生きるには、次の三つの課題について考へる必要が出て来る。

III-1 環境を守る

III-2 争ひを防ぐ

III-3 人類として生きる

環境問題にしても平和の維持にしても、一つの国を超えた対応が求められる。国としてではなく人類としての目標の共有や、それを実現するための手段が必要となる。

人間と宇宙

人間にとつての究極の問ひは、「私達はどこから来たか、私達はどこに行くのか」といふものだらう。先づ、科学が何を教へてくれるか。近代の科学が発達するまでは、大地と空とが世界の全てだつた。今や、私達が棲む地球は広大な宇宙の中にあり、その宇宙も137億年前にビッグバンで誕生したと考へられてゐる。宇宙は永遠に続く固定的なものではなく、そこでは星が生まれたり、ブラックホールに飲み込まれたりするやうな激しい変化を続けてゐる場所なのだ。

果てしもないやうな宇宙の姿を知ると、人間がいかにも小さく無意味な存在に思はれることもある。生きて行く意味はどこにあるのか。人間は神や仏に救ひを求めて来た。科学が進んだ今日、宗教についてどう考へるべきかは、避けて通れない問題になつてゐる。

そして、とにもかくにも人間は生き延びて来た。人々はどのやうな信念に支へられて生きて来たのか。

IV-1 宇宙の姿

IV-2 神や仏の救ひ

IV-3 今ここに生きる

体系に基づく思想の整理

使ふ側から見て、思想が役立つのは、世の中を見詰め、自分の問題を考へる際の基軸を与へてくれる、といふ点だらう。上に挙げた体系の一例は、生きて行く過程で私達が持つ疑問を並べたものでもある。これまでに出現した様々な思想が、かうした疑問にどのやうに答へてゐるのかを整理すること、それを少しづつ進めたいと考へてゐる。

*1:「思想」といふ言葉は幅広い意味を持つが、ここでは、物事の基本となる部分についての問ひと答へといふ意味で使つてゐる。例へば、幸せとは何だらう、どうして働くのだらう、などの問ひとその答へだ。日々の生活に役立つノウハウなどの個別具体的な知識は含まれない。

*2:世界保健機関(World Health Organization, WHO)は、健康を次のやうに定義してゐる。

「健康とは、病気でないとか、弱っていないということではなく、肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも、すべてが満たされた状態にあること」

しかし「すべてが満たされた状態」など、あり得ないだらう。WHOの「健康」は、実際にあり得る状態といふよりも、目指すべきだが達し得ない理想だ。生まれながらに持つてゐる体質や気質は様々でも、過去に事故や病気で身体を損なひ心を病むことがあつたとしても、それぞれに応じて、前向きに生きる姿があるはずだ。

日本の思想の基盤

思想の共通基盤を持たない日本

丸山眞男(1914-1996)が『日本の思想』に、かう書いてゐる。

一言でいうと実もふたもないことになってしまうが、つまりこれはあらゆる時代の観念や思想に否応なく相互連関性を与え、すべての思想的立場がそれとの関係で——否定を通じてでも——自己を歴史的に位置づけるような中核的あるいは座標軸に当る思想的伝統はわが国には形成されなかった、ということだ。(岩波新書版 5頁。傍点をゴチックに変更)

ここで中核的な思想伝統といふ言葉が指してゐるのは、例へばヨーロッパにおけるキリスト教のやうな伝統だ。

別に座標軸など無くても困らない、といふ考へ方もあるかも知れない。しかし、今日のやうに世の中が複雑化し、「情報」が溢れる時代には、なんらかの座標軸があつた方が、物事を整理するには便利だ。また、自分の生き方を考へる時に、過去の偉人たちが何を考へたのかを知らうとすることは、自然なことでもある。さうした過去の偉人たちの考へが一つの座標軸のやうな形にまとまるとは限らないが、幾筋かの流れができても不思議ではない。

三枝博音(1892-1963)は『日本の思想文化』の中で、「知識人に共通の古典があったか」について論じてゐる。その一節。

近代ヨーロッパの詩人や小説家や科学者たちが、昔の思想家、たとえばプラトンセネカスピノザ、ベーコン、パスカルゲーテというような人たちの著書を読み、感じ、そして引用するように、近代日本の随筆家や小説家や学者たちが、好んで共通に読み、感じ、そして引用した思想家が日本にいたであろうか。この問いは肯定できないようである。現代の日本人の書いた随筆や小説や、学問的論説の類をしらべてみても、それらの作者が、わが国の古典から汲み、それでもって自分の思想の展開をたすけ、そのためにのびのびと想を発展させているとは思えないのである。(中公文庫版 79頁)

ここでも、日本の思想が全体としてのまとまりを欠き、共通の基盤と呼ぶべきものが見当たらないといふ説が述べられてゐる。

その原因

三枝は、「いったい日本では、それぞれの時代における古典の時代化ということが、なかったのではあるまいか。ファウスト伝説に対するゲーテのような人がいなかったのである。わが国の古典はその思想性を発展せしめられずにいたのである。」と述べて、かう続ける。

私はその理由を、日本には文化の横の交流がなかったためであるということに、見出さねばならぬと思う。日本では為政者は宗教や道徳に伴う学問を、政治的観点から普及したけれども、その場合、特殊の一つの流派の学問を採用することはしたが、学問の諸派全体の交互的影響を企てることをしたとは考えられない。(同 81頁)

丸山は、『日本の思想』に収められた三つ目の論文「思想のあり方について」で、「ササラ型とタコツボ型」といふ図式を示してゐる。日本の学問は、共通の基盤を持つた「ササラ型」ではなく、学問の間での交流が乏しい「タコツボ型」になつてゐる、といふのだ。その理由について丸山は、次のやうの述べてゐる。

日本がヨーロッパの学問を受け入れたときには、あたかもちょうど学問の専門化、個別化が非常にはっきりした形をとるようになった段階であった。従って大学制度などにおいては、そういう学問の細分され、専門化した形態が当然のこととして受け取られた。ところが、ヨーロッパではそういう個別科学の根はみんな共通なのです。つまりギリシャ——中世——ルネッサンスと長い共通の文化的伝統が根にあって末端がたくさんに分化している。(岩波新書版 132頁)

その結果、ヨーロッパの学問が「ササラ型」であるのに対して日本の学問が「タコツボ型」になつたといふ訳だ。丸山は、哲学が本来諸科学を関連づけ基礎づけることを任務とするものなのだが、近代日本では哲学自身がタコツボ化した、とか、ヨーロッパの教会、クラブなどの別の次元で人間をつなぐ伝統的な集団や組織が日本には乏しい、といつた問題点も指摘してゐる。

二人が共通して指摘してゐるのは、学問間の交流が乏しかつたといふことなのだが、更に言へば、長い歴史の中で日本が学問の輸入国であつたといふことが大きな影響を与へてゐると思はれる。学問が国内に自生してをらず、出来上がつた学問の成果だけを摘み喰ひしてゐるので、共通の根を持たないのだ。

では、どうするか

日本にも、思想家がゐなかつた訳ではない。三枝は次のやうな人達をその例として挙げてゐる。

私は、思想家らしい思想家として、最澄空海道元中江藤樹荻生徂徠、三浦梅園、本居宣長西周福沢諭吉等が、誰よりもまず問題になると思う。ところがこれらの人々は殆んどすべて危険を冒して異種類の外国文化を日本に移植したか、それとも日本の内にあって仏教、儒教神道等の諸思想を相継いで熱心に汲んだ人々、つまり思想上の交通の多かった人々であるかである。誰でもこれらの思想家が、相寄って過去の日本文化の大いなる部分を形成したのであることに、異論はあるまいと思う。これらの思想家は、それぞれ宗教や文学や学問において、その理解の仕方と表現力の秀れている点で共通点をもっていると考えられる。すなわち思想性をもつという点で共通しているのである。もし、これらの思想家の著述を現代化することができたら、過去の日本人の文化遺産は一層豊富さを加え、光輝を加えるであろうと思う。(中公文庫版 84-85頁)

 「現代化する」といふのは、これらの思想家の著作を読み返し、現在の問題を解くための手がかりを得るといふことだらう。しかし、上に挙げられたやうな思想家の著作を直接読むことは、一般の読者には困難な場合も多い。その大きな理由の一つが、漢文だ。

例を挙げると、空海の『三教指帰』は、次のやうな姿をしてゐる。

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空海三教指帰

読み下すと、「文の起り必ず由(ゆゑ)有り。天朗かなるときは則ち象を垂れ、人感ずる時は則ち筆を含む」といつた具合だが、なかなか敷居が高い。上に示した本は1882(明治15)年に出版されてゐるのだが、当時はかうした文章を読む人たちが少なからずゐたといふことなのだらう。

かうした文章を読めるやうな教育をすべきだ、といふ意見もあるだらうが、口語文で書かれた文章で間に合ふのであれば、一般人にはその方が助かる。外国語で書かれたものであれば翻訳で、漢文は書き下しで、註を付し、専門的な予備知識なく読める日本語の本が、これからの日本人がものを考へる際の支へとして必要になる。

そのやうな知的な基盤がなければ、日本人の思索の水準が上がることは期待できないし、世界への発信も無理だらう。

思想を使ふ立場から

かうした日本の知を支へる本を著す、或いは探すといふのは、必ずしも専門的な学者の仕事ではない。むしろ、そんな一般向けの仕事をしてゐては論文も書けないので、学者に期待するのは無理だと考へるべきかも知れない。過去の思想的な遺産を自分の生き方を考へるために使ふ立場からすれば、欲しいのは、重箱の隅をつついて、過去の思想家の著作に細かな註を書くといふ仕事ではない。さうした遺産を自分で読むために役立つやうな道しるべだ。

思想が本当に生きたものとして伝へられるためには、「名作を5分で読む」といふ類の本は役に立たない。思想家本人の息づかひが感じられるやう、思想家自身が書いた文章を読む必要がある。

そんな作業を自分でもやつてみたいと思ふ。

 

 

『旧約聖書』の読み方(承前)

第3回は「雅歌は最初のエロティックな詩か」といふ題で、Olivier Abel氏が話をした。「雅歌」は旧約聖書の一章で、英訳聖書では Song of Solomon といふ題になつてゐる。文字通り読めば男女の愛の歌であり、「ねがはしきは彼その口の接吻をもて我にくちつけせんことなり 汝の愛は酒よりもまさりぬ なんぢの香膏(にほひあぶら)は其香味(かをり)たへに馨しく」といつた調子で始まる。様々な解釈がある章のやうだが、放送では、拒むことと受け入れることといふ自由の問題を扱つてゐる、とか、人は最初から二人である(あるいは神と向き合つてゐる)、とか、最初の言葉は感情を表現するものであつた、とかいふ話をしてゐた。伊邪那岐命伊邪那美命の話や『詩経』を思ひ出す。孔子は「詩三百、一言以て之を蔽へば、曰く、思ひ邪しま無し」(為政第二)と言つたが、放送では、最初にあつたのはイノセンスなのだ、と言つてゐた。他方で、契約といふ行為の基礎には結婚の契約があり、結びつきは自由なもので変はり得るのだ、といふ話は、西洋的な考へ方だと感じた。

第4回は「ヨセフとモーゼ、どう共存するか」といふ題で、Thomas Römerといふ人が話をした。聖書は旅立ちと亡命の物語であり、他者と共存するといふことが常に問題となる。住み続けるか旅立つかを問ひ続ける生き方でもある。ユダヤ人は長い間流離ふ民であつた。どこまで現地と同化するかといふのは、人々の動きが激しくなつた現代では大きな問題となつてゐるが、ユダヤ人にとつては歴史と共にある問題なのだと感じた。さうした歴史の中で、ユダヤ人が民族としての同一性を保ち得たといふのは(実際には様々なユダヤ人がゐるのであらうが)、驚くべきことだ。戒律を守ることが、その要となつてゐたのだらうと思はれる。

他方で、第1回では、聖書では解釈が重要であり、イサクの犠牲の話でも、文字通りに解釈すると神の為には我が子でも殺すといふ狂信的な話になるが、それを抑へるために様々な工夫が重ねられて来たといふ印象を持つた。さうした柔軟な解釈は、共存せざるを得ない状況に長く置かれてゐたことと無縁ではないといふ気がする。

さて、日本人はどうやつて同一性を保つのか。そもそも、日本人の同一性などあるのか。

『旧約聖書』の読み方

France Cultureのラジオ番組Chemin de la philosophie(哲学への道)で、先週は『旧約聖書』に関する4つのテーマを放送してゐた。『旧約聖書』についての知識を殆ど持たない身には興味深い話ばかりだつたので、メモして置く。

第1回は「アブラハムと犠牲、神と交渉できるか」といふ題で、Delphine Horvilleur氏が話をした。フランスで三番目?の女性ラビだといふ人。

神との交渉といふのは、「創世記」第十八章に出て来る話で、神がソドムの街を滅ぼさうとした時、アブラハムが「善人も悪人も一緒に滅ぼされるのか、もし街に五十人の善人がゐたとすれば、その五十人に免じて街を許されないのか」と問ふところから始まる。神は、五十人の善人がゐれば全て許さうと応へるのだが、アブラハムは更に、「もし五十人が五人欠けたら、五人が欠けたことで全ての街を滅ぼされるのか」といつた調子で神との交渉を続け、つひには十人の善人がゐれば街を許すところまで神に認めさせる。Horvilleur氏は、この交渉の際にアブラハムは立つてゐたことを指摘してゐた。神の前に立つてゐたアブラハムは、近寄つて上記の交渉を始めるのだ。ユダヤ教では神の前にひれ伏して祈るのではなく、立つて祈るのださうだ。

アブラハムはいつでも神に逆らつてゐるのではない。老いた妻(90歳!)との間にやつと生まれた子イサクを捧げよと言はれた際には、言葉の通りに祭壇で我が子を殺さうとする。「創世記」第二十二章のこの場面は、解釈が重要だと言ふ。Horvilleur氏によれば、ラビの学校では、先づ、聖書を文字通りに読むといふのは間違ひだと教へられるのださうだ。そもそも聖書は多様な解釈ができる言葉で書かれてゐる。イサクを犠牲に捧げよといふ神の言葉も、「高きに登らせよ」といふものであり、アブラハムのやうに犠牲に捧げるといふ意味に取れる言葉だが、イサクの独立を促すものとも取れるやうだ。これに関連して注目すべきなのは、イサクの代はりにアブラハムが捧げるのは、通常の子羊ではなく、藪に角をひつかけてゐた牡羊だといふ点だと言ふ。神の使ひがアブラハムの名を二度呼ぶのも重要で、二度目に呼ばれるアブラハムはそれまでとは違ふ新しいアブラハムであると解釈される。

聖書には様々な解釈が可能であることに関連して、ヘブライ語では「顔」といふ言葉は複数しかない、といふ話も面白かつた。表情は多様なものであることが前提となつてをり、一つの表情に固まつたのが偶像であり、仮面の神なのださうだ。

また、第十八章の冒頭で、アブラハムが三人の客を迎へる場面では、神が現れてゐるのだが、それを差し置いてアブラハムは客を迎へてゐる。これは三人が神の使ひだから、といふ解釈もできるが、砂漠のやうな厳しい環境では、客を歓待することが重要であることを示すとも言ふ。迎へてゐる場所がテントであることから分かるやうに、アブラハム自身も旅路にあるのだ。アブラハムは、ユダヤ教キリスト教イスラム教で父祖とされる人物だが、神のお告げに従つて、父親の家を出た人物である。ヘブライとは渡る人といふ意味でさうだ。アブラハムは、親の地を離れ約束の地を求めて、過去の自分を離れ新しい自分を求めて、常に途上にあるのだ。常に自分は異国にゐると感じる人だからこそ、客を迎へることができるのだ。

第2回の題は「アダムとイブは一人だつたのか」で、Catherine Chalierといふ人が話をしてゐる。よく分からないところが多かつたのだが、確かに「創世記」第1章では男と女は同時に作られたと書かれてゐる。よく知られたアダムの肋骨からイブが作られたといふ話は、第2章にある。両者の関係をどう解釈するか、といふ点はよく分からなかつたが、神による世界の創造は全て言葉による、創造は昼と夜、空と海のやうに世界を分けることから始まる、動物や植物は種として作られたが人は単一である、など興味深い指摘があつた。(続く)