ケインズ『孫たちの経済的可能性』(II-1 経済:生活を支へる)

「経済問題は解決する」との予想

ケインズ(1883-1946)が、1930年に『孫たちの経済的可能性』といふ文章を書いてゐる。元々はマドリッドで行はれた講演を文章化したもので、ネットで原文と、山形浩生氏による翻訳*1を見ることができる。

ケインズはこの中で、講演の100年後の2030年には、生産性の向上により、人々は週に15時間、1日に3時間働けば生活できるやうになるだらうと述べてゐる。生活に必要なものをどのやうにして手に入れるかといふ経済の問題は、大きな戦争や人口の大幅な増加が無ければ、100年で解決される、あるいは解決の見通しができる、と言ふのである。2030年まであと10年足らずだが、とても3時間労働の社会は実現しさうもない。ケインズは何を間違へたのだらうか。

なぜ予想は外れたか

櫨浩一氏による東洋経済ONLINEの記事では、以下のやうな理由が挙げられてゐる。

  1. 所得の上昇に伴って、われわれが考える「生活に必要なもの」の水準も高まったこと
  2. 「最低限の生活」をしようと思ったとしても、「高級なもの」を購入せざるをえず、最低限度の生活をするコストが上昇してしまっていること
  3. 基本的な生活の改善速度が低下している一方で、人間の高度な欲求の充足度は急速に高まっていること
  4. 所得や富の分配に偏りがあること

櫨氏はあまり強調してをられないが、四番目に挙げられてゐる所得の分配が、そして、所得が労働の対価であるといふ状態(「働かざる者喰ふべからず」)が基本だとすれば、労働の分配がうまく行はれてゐないことが、根本的な原因ではないだらうか。生産性の向上が、労働時間の短縮ではなく、減少した仕事の奪ひ合ひといふ結果を生んでゐるのだ。仕事の奪ひ合ひは、国家間でも、企業間でも、個人間でも起きてゐる。

なぜ労働の分配が進まないか

本来であれば、生産性の向上によつて、世界の人々が必要とする財・サービスの生産のために必要な労働量が減つてゐるのだとすれば、その分だけ、皆が働く時間を減らして、余暇を楽しめば良いはずだ。

しかし、企業間の競争が前提となつてゐる社会において、実際に、生産性の向上が、労働者の削減(それに伴ふ失業の増加)ではなく、労働時間の短縮につながるためには、労働時間、賃金、労働環境などに関する社会的な規制が必要である*2。先進国では、かうした制度により企業間の競争に一定の枠組を設けることで、生産性向上の恩恵が広く行き渡る工夫がなされて来た。

また、働くことが好きな人は、好きなだけ働けば良いが、所得はある程度を超えると働いても増えないやうにして、その分を他の人達に配分することにすれば、好きで働く人によつて他の人達の仕事=所得が「奪はれる」ことはない。先進国では普通になつてゐる所得税累進課税は、さうした仕組みだと見ることができる。

しかし、この種の仕組みがうまく働くためには、経済圏全体でこれを採用する必要がある。貿易や投資の自由化によつて世界全体が一つの経済圏になると、世界のすべての国々が、協調して採用しなければならない。

ところが、実際に起きてゐるのは、主要国間の「経済戦争」だ。主要国が直接、物理的に争ふ戦争は、幸ひにして第二次大戦後には起きてゐないが、大国間の主導権争ひは経済の分野で続いてゐる。現在では、米国と中国との関係が典型的だらう。生産性の向上を労働者の待遇改善につなげるために必要な制度の導入について、現状では、主要国間で何らかの合意が成り立つ見込みは小さいと言はざるを得ない。

世界的な合意は欠かせない

しかし、現状では多くの困難があるとしても、経済活動の在り方について、世界的な合意がなされることは、私達の幸せのためには不可欠だ。何の制約もない国家間の経済競争が続けば、過剰生産、独占、失業といつた様々な問題が避けられないのだから。

また、資源制約の観点からも、経済的な「軍拡」を放置することはできなくなつてゐる。漁業資源の枯渇は、すでに大きな問題になつてゐる。地球環境維持の観点から、エネルギーの開発や利用についても、国際的な合意が求められるやうになつて来た。

競争による刺激は、文明の発達に欠かせない要素ではあるが、この地球といふ限られた場所で人々が共存して行くためには、共通的な制約を課すことが必要だ。かうした認識が広まり、国際的な合意が生まれるやう働きかけることが、日本の重要な役割ではないかと思ふ。

 

*1:このケインズの文章の翻訳は、ケインズ全集などの形で出版されてゐるが、翻訳家の山岡洋一(1949-2011)が厳しい評価を下してゐる。

*2:生産性の向上で価格が下がれば、需要も少しは増える。しかし、先進国においては基本的な需要はほぼ満たされてゐると考へて良いだらう。また、生産性の向上で、新たな需要が喚起されることもあり得る。しかし、現代人が一番足らないと感じてゐるものは、(お金を除けば)「時間」ではないだらうか。労働時間が短くならなければ、新たな需要を生むことは難しいだらう。

これからの日本に必要な哲学とは(II-2 政治:枠組を築く)

中江兆民は、「わが日本古より今に至るまで哲学なし」と嘆いたが、どのやうな哲学が必要なのかについては、詳しく述べる時間を持てなかつた。これからの日本に必要な哲学とはどのやうなものなのだらうか。

哲学とは

哲学とは、辞典によれば「統一的全体的な人生観・世界観の<理論的基礎>を提供」*1するものだ。フランス語の辞書では、「そもそもの原因、絶対的な事実、人間の価値の基礎に関する研究の総体で、問題を最も普遍的な段階から見ようとするもの」といふのが、現代的な「哲学」philosophieの意味だとされてゐる*2。ものごとの基本のところに戻つて考へる、より普遍的な見方を探る、といふのが哲学の方法だと言へるだらう。

なぜ今の日本に哲学が必要か

なぜ、今の日本に哲学が必要なのか。それは、日本が大きな変革期にあるからだ。どうすれば幸せになれるのか。何のために働くのか。なぜ経済成長は必要なのか。国の役割とは何か。変革期には、かうした問ひについて、国民が共通の理解を持つことが欠かせない。大きな目標のために、小さな目標を諦めることが避けられないからだ。変化に必要となる「小さな」費用を避けようとすると、現状維持しかない。或いは、声の大きな者が勝つ。残念なことに、今の日本で「声が大きい」のは、金持ち*3大衆迎合政治家、所謂ポピュリストだ。しかし、私達が目指すべきなのは、正しい社会、自由で、公平で、思ひやりのある社会ではないだらうか。さうした社会を実現するためには、私達にとつて何が大切で、そのためには何を諦めるかを考へ直す必要がある。哲学の仕事は、この見直しを支へることだらう。

なぜ日本で哲学が育たないのか
日本でかうした哲学が育たないのは、何故だらうか。この問題も、専門家の間には様々な議論があるに違ひないが、日本人が回りくどいことが嫌ひで、理屈に不信感を持つてゐるからではないだらうか。また、和を以て貴しと為す国柄のために、原理原則を振り回すことが嫌はれるのだと思ふ。
哲学は、ものごとの「理論的基礎」を考へるものなので、目の前の問題の役には立たない。また、普遍性を目指すので、話が理屈ぽくなる。しかし、理屈はどうにでも付けられる、といふことを日本人はよく知つてゐる。理屈を並べる人間は、何か怪しい。騙さうとしてゐるのではないか。これが普通の日本人の感じ方だ。
また、哲学は今ある秩序を疑ふものだから、和を以て貴しと為す国柄では、徒らに異論を述べて、落ち着いてゐる世の中を乱すものと見えることも、好まれない一因だらう。
他方で、哲学を提供する側にも大きな問題がある。
哲学といふ言葉そのものが明治時代に作られたことから分かるやうに、哲学は、日本人が自分達の中から生み出したものではなく、外から来たものだ。明治の人達が一所懸命に勉強したのだが、勘違ひも少なくなかつた。また、持ち込まれた哲学は、中でも難しいドイツ観念論が中心で、それが分かりにくい日本語に訳されたといふ歴史的な事情も、哲学の取つつきにくさを増しただらう。
その上、最近の哲学は、多岐にわたり、どれも面倒な理屈に充ちてゐる。相対主義懐疑主義に陥つてゐて、何を言はうとしてゐるのか、皆目、見当がつかないものが多い。分かりにくいことが高尚だといふ勘違ひは、どの国にもあるのかも知れないが、日本では、特に目立つやうな気がする。これでは、哲学が見放されるのも、無理はない。
竹田青嗣『哲学とは何か』
そんな思ひでモヤモヤしてゐた或る日、竹田青嗣氏の『哲学とは何か』を見付けた。これは、画期的な本だ。懐疑主義を拭ひ去り、新しい合意を生み出すための道筋を示すといふ、今の日本に一番必要とされる哲学の本だと言へるだらう。
竹田氏は、認識、存在、言語に係る三つの謎を中心に哲学の歴史を振り返り、ニーチェフッサールが、これらの謎を解明したことを示す。そして、私達が持ち得る世界についての確信を、以下の3つに整理する。
  • 個的な確信 個人的
  • 共同的な確信 二人以上に共有されるが範囲に限界あり 例:宗教
  • 普遍的な確信 誰もが共有し得る 例:数学、自然科学
さらに、氏が「本質領域」と呼ぶ本質・意味・価値の領域において、いかにして普遍的確信が可能となるかを、フッサールの「本質観取」といふ手法や、氏が「条件法」と呼ぶ議論の手法を挙げて、説明する。「条件法」といふのは、多様な価値を認める社会において、価値観の対立を超えた合意を得るための手法だ。
普遍戦争を抑止しかつ人々の自由を可能にするために、どんな社会が必要なのか、と問えば、その答えには理想理念や相対主義的主張が入り込む余地がなくなる。すなわち、哲学の歴史が示唆しているように、「誰にとってもこう考えるほかはない」答えとして、「自由な市民社会」という原理が提示されるのだ。
竹田青嗣氏の『哲学とは何か』については、いろいろと批判もあるだらう。フッサールの解釈が正しいかどうか、ポストモダン思想に対する厳しい批判は的を射てゐるか、等々。しかし、今の時代に哲学が何を目指すべきか、哲学を学ぶことで何が得られるかについて、大きな方向を示す本は、それだけで貴重だ。揚げ足取りをするのではなく、建設的な議論が生まれることを期待したい。
この本の刊行記念セミナーをYoutubeで見ることができる。最初の20分くらいで、竹田氏ご本人による本の内容の簡単な紹介があるので、これだけでもご覧になることをお勧めする。
 

 

*1:岩波哲学・思想辞典の「哲学」から。その抜粋を下に載せる。

哲学 1.西洋 哲学の語は、明治7年(1874)に著された『百一新論』のなかで、西周が西洋語のフィロソフィの訳語として新たに造語した言葉である。······幕末から明治維新にかけての日本の近代化の過程のなかで、コントの<実証主義>の考え方に依拠しながら、西は、百の教えを一つに統合し、一つの原理にもとづいて諸学の全体化を目指すような根本知としての哲学が、文化百般の中核を成さねばならないと考えた。それ以来、文化・社会全般にわたり、人間の歴史形成の営みの根本を成すものとして、統一的全体的な人生観・世界観の<理論的基礎>を提供すべき哲学的知が、近代日本においても、東洋思想の伝統にもとづきつつ、西洋哲学の盛んな摂取を介して、自覚的に探究されるようになり、現在に至っている。
······その本来の語義が確立されたのは、なによりもソクラテスプラトンにおいてであった。ソクラテスは<不知の知>の自覚を強調し、それを受けてプラトンは事物の真理にほかならぬ<イデア>の探究を<愛知>の目標とした。ここにおいて哲学は<真理への愛>として確立された。
······その結果、現代においては、科学知のほかに特有の哲学知を認めず、哲学は科学知の整理の役しか担わないとする極端な見解すら現れた。けれども今日においては、科学知のみならず、人間の行為や実践、さらには文化・歴史・社会のあらゆる現象の根本をその本質において問い直す哲学的洞察がいたるところで要請されていると言わねばならない。〔渡邊二郎〕

*2:Le Petit Robertによる。原文は、Ensemble des études, des recherches visant à saisir les causes premières, la réalité absolue ainsi que les fondements des valeurs humaines, et envisageant les problèmes à leur plus haut degré de généralité.

*3:金持ちが悪い、と言ふのではない。まともな方法で金持ちになつた人達は、世の中が求める物や仕組みを考へ出し提供することでお金を手にした人達なのだから、むしろ、世の中の役に立つてゐるはずだ。とは言へ、世の中は金持ちだけで成り立つてゐるわけではない。貧乏人がゐるからこそ、金儲けもできる。そして、貧富の差が広がり過ぎると社会が壊れ、金儲けも出来なくなる。今日の社会では、この点を忘れてゐる金持ちが少なくないことも否めない。

『歴史とは何か』(II-3 歴史:過去を伝へる)

歴史教育の問題は、近隣諸国との関係もあつて、なかなか難しい。最近では、「自虐史観」に反発して、日本人が自分の国を誇りに思へるやうな歴史を書かうといふ動きもあり、『日本国紀』はよく売れたらしい。他方で、この本には様々な批判も出てゐるやうだ。何が正しい歴史なのか。日本人が学ぶべきなのは、どのやうな歴史なのだらうか。

E.H.カー『歴史とは何か』

そこで、E.H.カー(1892-1982)の『歴史とは何か』によつて、考へを整理してみよう。

 カーは先づ、歴史哲学に大きな貢献をしたイギリスの思想家コリングウッド(1889-1943)の歴史観を次のやうに要約する。

歴史哲学は「過去そのもの」を取扱うものでもなければ、「過去そのものに関する歴史家の思想」を取扱うものでもなく、「相互関係における両者」を取扱うものである。(この言葉は、現に行われている「歴史」という言葉の二つの意味――歴史家の行なう研究と、歴史家が研究する過去の幾つかの出来事――を反映しているものです。)「或る歴史家が研究する過去は死んだ過去ではなくて、何らかの意味でなお現在に生きているところの過去である。」しかし、過去は、歴史家がその背後に横たわる思想を理解することが出来るまでは、歴史家にとっては死んだもの、つまり、意味のないものです。ですから、「すべての歴史は思想の歴史である」ということになり、「歴史というのは、歴史家がその歴史を研究しているところの思想が歴史家の心のうちに再現したものである」ということになるのです。歴史家の心のうちにおける過去の再構成は経験的な証拠をたよりとして行われます。しかし、この再構成自体は経験的過程ではありませんし、事実の単なる列挙で済むものではありません。むしろ、再構成の過程が事実の選択と解釈とを支配するのです。すなわち、正に、これこそが事実を歴史的事実たらしめるものなのです。(26-27頁)

これを元に、カーは「いくつかの忘れられた真実」を導き出す。

第一に、歴史上の事実は純粋な形式で存在するものでなく、また、存在し得ないものでありますから、決して「純粋」に私たちへ現われて来るものではないということ、つまり、いつも記録者の心を通して屈折して来るものだということです。したがって、私たちが歴史の書物を読みます場合、私たちの最初の関心事は、この書物が含んでいる事実ではなく、この書物を書いた歴史家であるべきであります。(岩波新書 27頁)

コリングウッドの主張の第二点は、もっと判り易いことで、歴史家は、自分が研究している人々の心を、この人々の行為の背後にある思想を想像的に理解する必要がある、ということであります。·····この十年間*1に英語使用諸国が生んだソヴィエト連邦関係の文書の大部分、また、ソヴィエト連邦が生んだ英語使用諸国関係の文書の大部分が無価値なのは、相手方の心の動きを想像的に理解するということのイロハにも達し得ず、その結果、相手方の言葉や行動がいつでも悪意に満ちた、非常識な、偽善的なものに見えるようになっているからです。(30-31頁)

第三の点は、現在の眼を通してでなければ、私たちは過去を眺めることも出来ず、過去の理解に成功することも出来ない、ということであります。歴史家は彼自身の時代の人間なのであって、人間存在というものの条件によってその時代に縛りつけられているのです。·····歴史家の機能は、過去を愛することでもなく、自分を過去から解放することでもなく、現在を理解する鍵として過去を征服し理解することであります。(31-33頁)

これに続いて、カーはコリングウッド歴史観が招く恐れのある危険として、懐疑主義と「プラグマティズム*2を挙げる。歴史はどこから誰が見るかによつて見え方が違ふことは確かだが、懐疑主義に陥つてはならない。

見る角度が違うと山の形が違って見えるからといって、もともと、山は客観的に形のないものであるとか、無限の形があるものであるとかいうことにはなりません。歴史上の事実を決定する際に必然的に解釈が働くからといって、また、現存のどの解釈も完全に客観的ではないからといって、どの解釈も甲乙がないとか、歴史上の事実はそもそも客観的解釈の手に負えるものではないとかいうことにはなりません。(34-35頁)

しかし、より大きな危険は、「プラグマティックな」歴史観だ。

過去の問題を研究するのは現代の問題の鍵として研究するのだということになりましたら、歴史家は全くプラグマティックな事実観に陥り、正しい解釈の規準は現在のある目的にとっての適合性であるという主張になってしまうのではないでしょうか。夙にニーチェはこの原則を言明いたしました。「われわれの考えでは、ある意見が間違っているというのは、何もこの意見に対する反駁にはならない。······問題は、それがいかに生命を励まし、生命を保存し、種族を保存し、更に種族を創造するかということである。」(35頁)

それでは、あるべき歴史家の仕事とはどのやうなものか。

事実を尊重せねばならぬという歴史家の義務は、その事実が正確であることを確かめるという義務に尽きるものではありません。彼は、自分が研究しているテーマや企てている解釈に何らかの意味で関係のある一切の事実――知られているものであろうと、知られ得るものであろうと――を描き出す努力をせねばならないのです。······私の確信するところですが、歴史家という名に値いする歴史家にとっては、経済学者が「インプット」および「アウトプット」と呼ぶような二つの過程が同時に進行するもので、これらは実際は一つの過程の二つの部分だと思うのです。みなさんが両者を切り離そうとし、一方を他方の上に置こうとなさったら、みなさんは二つの異端説のいずれかに陥ることになりましょう。意味も重要性もない糊と鋏の歴史をお書きになるか、それとも、宣伝小説や歴史小説をお書きになって、歴史とは縁もゆかりもないある種の文書を飾るためにただ過去の事実を利用なさるか、二つのうちの一つであります。(36-38頁)

かうしたカーの意見は、中庸を得た、良いものだと思ふ。

ゲンロンカフェのイベント「平成の鬱と新しい知性の実践」で、與那覇潤氏が、ポストモダンで主体性と客観性といふ言葉が言へなくなつた、といふ趣旨の発言をしてゐた。ポストモダンを経た眼からすれば、カーの発言は古き良き時代のものと見えるのかも知れない。しかし、主体性とか客観性とかを考へない思想など、あり得るだらうか。ポストモダンの思想については良く分からないが、客観性を語ることができないといふのは、ゲーテの言葉が応用できる状況ではないだらうか。

後退と解体の過程にある時代というものはすべていつも主観的なものだ。が、逆に、前進しつつある時代は常に客観的な方向を目指している。現代はどう見ても後退の時代だ。というのも、現代は主観的だからさ。(エッカーマン『ゲーテとの対話』1826年1月29日)

「 国民を鼓舞する歴史」についての懸念

最近インターネットを見てゐると、太平洋戦争は日本の侵略戦争ではなく、蒋介石(1887-1975)に騙されたのだとか、ABCD包囲網により孤立し生き延びるために已む無く立ち上がつたのだとか、アジアの植民地を解放するための戦ひだつたのだ、とかいつた類の本の宣伝を見かけることが多い。かうした本を書く人達は、ニーチェ*3に、事実かどうかではなく、「いかに生命を励ま」すか「種族を保存」するかが大切だと考へてゐるのだらうか。

しかし、仮に、何よりも生命を励まし、種族を保存することを目指すとしても、蒋介石に騙された、といふ類の主張が、日本人に自信を持たせたり、日本といふ国がこれからの国際社会の中で生き延びるために役に立つたりするのだらうか。とても、そうは思へない。

国際社会には、中央政府はないので、国と国の間の問題を解決するには、当事国の間で話合ふか、第三国や国際機関に調停を頼むか、それで解決しなければ、実力で勝負するかしか手段はない。実力は、禁輸などの経済的な措置の場合もあれば、武力に訴へる場合もある。いづれにしても、自国に有利な結果を得るべく、あらゆる手段を尽くすといふのは、国としては当然のことだ。その中には、国際世論を味方につける、といふ手段もあり、重要なものの一つだ。

蒋介石にしてみれば、日本の中国における行動が不当なものだと米国等の第三国に宣伝するといふのは、当然の行動であり、何も狡猾なものではない。むしろ、かうした視点を持たず、国際的に孤立する日本の方が愚かだ、といふのが国際的には常識的な見方と言ふべきだらう。それを喧伝することが日本人に自信を持たせたり、日本の国際的な地位を高めたりすることになるのだらうか。

また、かうした「国民鼓舞型」の歴史を学ぶ日本人は、どのやうな意見を持つやうになるだらうか。蒋介石は狡い奴だ、米国は力任せで怪しからん、最初に植民地を作つたのは欧米諸国ではないか等々、日本と(蒋介石が落ち着いた)台湾や米国等の同盟国との関係を悪くするやうな意見ではないか。さう考へると、この種の歴史を広めようとしてゐるのは、日本民族の存続を目指すどころか、日本と台湾や米国との関係悪化といふ日本の国益に反する動きを狙つてゐる勢力ではないか、といふ気さへして来る。

鏡としての歴史

歴史を学ぶのは何の為か。他国への宣伝も一つの目的かも知れないが、基本は、自分の国を知るといふことだらう。自分の生まれ育つた国がどのやうな国なのかを知ることは、人の義務だと言つても良い。国の歴史を学ぶのは、そのために欠かせない手段の一つだ。カーは『歴史とは何か』のなかで、次のやうに述べてゐる。

歴史から学ぶというのは、決してただ一方的な過程ではありません。過去の光に照らして現在を学ぶというのは、また、現在の光に照らして過去を学ぶということも意味しています。歴史の機能は、過去と現在との相互関係を通して両者を更に深く理解させようとする点にあるのです。(97頁)

人には誰でも長所、短所があるやうに、国にも美点と欠点がある。その両方を知るといふことが、自分を知り、国を知るといふことだ。良いところだけを見る、嫌な部分からは目を背けるといふのは、子供染みた行ひだ。さうした姿勢からは本物の自信は生まれないし、他国からの信頼も得られないだらう。

 

*1:この本の原本は1961年に出版されてゐる

*2:本来のプラグマティズムは、カーが考へてゐるやうな、役に立てば真実だらうと虚偽だらうと何でも良い、或いは、役に立つものこそが真実だ、といつたご都合主義の主張ではないと思ふ。

*3:カーが引用してゐるニーチェの言葉は、『善悪の彼岸』の第一章三節に出て来るものだが、カーが解釈してゐるやうに、目的のためには真偽を問はない、といふ単純な話ではないと思ふ。しかし、ニーチェは取扱ひに注意を要する思想家なので、カーのような解釈が出て来ることは不思議ではない。

與那覇潤『中国化する日本』(II-3 歴史:過去を伝へる)

與那覇潤氏の『中国化する日本』を読んだ。2011年に出され、評判になつた本で、10年近く遅れての読書となり、今更の感はあるが、非常に面白かつたので、感想を書いて置く。宋の時代に封建制から郡県制に移行し、皇帝独裁政治と経済社会の自由化を実現した中国、その意味で、近代化、グローバル化の先駆者となつた中国に対して、これに習はうとした平氏が源氏に敗れ、独自の道を歩むこととなつた日本、といふ対比は、新鮮かつ説得的だ。

何故「失はれた20年」か

那覇氏の説は、日本経済の現状を考へる際にも、参考になる。

1980年代に「ナンバーワン」と持て囃された日本経済が、何故、20年あるいは30年に及ぶ長い低迷の時代を経験することになつたのか。私は、組織を越えた人の移動が少ないといふことが主因だ考へて来た。それは終身雇用といふ慣行によく現れてゐるのだが、終身雇用は大正末期から昭和初期に成立したと言はれてをり、これが多少とも変はれば日本経済も元気を出すかも知れない、といふ漠然とした期待を持つてゐた。それが、この本では、日本のグローバル化(與那覇氏は「中国化」といふ言葉でこれを指してゐるのだが)の道を閉ざしたのは鎌倉幕府だとされてゐる。問題の発端は遥か遠くに遡るもので、それだけ根が深いといふことになる。

当時は優れてゐるものとされた日本の仕組みが変はつた訳ではない。むしろ、変はらないことが問題だつた。自らは変はつてゐないのに、かつての勢ひを失つたのは、(バブル崩壊負の遺産を背負つた、高齢化により人口ボーナスが失はれた、といつた内在的な要因はあるとしても)日本経済を取り巻く環境の方が大きく変はつたことが主因だらう。具体的には、冷戦の終結によつて中国が世界市場に参入し、グローバルな市場が形成されたこと、インターネットに代表される情報通信技術の進歩によつて、国際的な通信のコストが急激に低下したこと、がその主な変化だ。

この新しい世界で勝負するには、国際的な調達によりコストを下げ、世界市場を相手にしたマーケティングで規模の経済を実現する必要がある。国内の下請け企業とすり合はせながら部材を調達し、終身雇用の人材を抱へ、国内市場を基盤として海外に展開するといふ戦略を基本としてきた日本企業は、かうした変化への対応が大きく遅れた。日本企業のビジネスモデル自体がガラパゴス化したのだ。

日本の特殊性

日本といふ国は、確かに変はり者だ。以前に「日本人の腦、日本の言葉」といふ記事で書いたが、日本語を母国語とする人は、その他の大多数の人々とは異なり、母音を言語処理の優位半球(多くの場合左脳)で処理してゐる。これは一つのやや特殊な例に過ぎないが、與那覇氏は、中国と比較する形で、日本の特殊性を示してゐる。氏によれば、中国は「可能な限り固定した集団を作らず、資本や人員の流動性を最大限に高める一方で、普遍主義的な理念に則った政治の道徳化と、行政権力の一元化によって、システムの暴走をコントロールしようとする社会」なのだが、その特徴は次のやうに整理される。

  1. 権威と権力の一致
  2. 政治と道徳の一体化
  3. 地位の一貫性の上昇
  4. 市場ベースの秩序の流動化
  5. 人間関係のネットワーク化

これに対して、日本は、次のやうな特徴を持つてゐる。

  1. 権威と権力の分離:名目上のトップはおほむね「箔付け」のための「お飾り」であり、運営の実権は組織内の複数の有力者に分掌されてゐる。
  2. 政治と道徳の分別:政治とはその複数の有力者のあひだでの利益分配だと見なされ、統治体制の外部にまで訴へかけるやうな高邁な政治理念や、抽象的なイデオロギーの出番はあまりない。
  3. 地位の一貫性の低下:たとへ「能力」があつても、それ以外の資産(権力や富)が得られるとは限らず、むしろそのやうな欲求を表明することは忌避される。
  4. 農村モデルの秩序の静態化:前近代には世襲の農業世帯が支へる「地域社会」の結束力がきはめて高く、今日に至つても、規制緩和や自由競争による社会の流動化を「地方の疲弊」として批判する声が絶えない。
  5. 人間関係のコミュニティ化:ある時点で同じ「イエ」に属してゐることが、他の地域に残してきた実家や親戚への帰属意識より優先され、同様にある会社の「社員」であるといふ意識が、他社における同業者とのつがなりよりも優越する。

那覇氏は、本の中で、かうした日本の特徴が現代の政治に及ぼす影響について詳しく述べてゐるのだが、経済面の影響も大きい。次のやうな事態が生じるからだ。

  • 変化の時代にはトップの決断が重要なのだが、サラリーマン社長には、大きな変革を指導する見識も実力も無い。
  • 大きな変革のためには、今後の方向を示す指導的な理念が欠かせないが、さうした理念を示すといふ訓練ができてゐない。
  • 能力と待遇が一致しないので、特に仕事の割に給与が安い若手や中堅については、優秀な人材を外から採用するのが難しい。年功序列などの能力とは異なる指標で待遇を決めて来たので、そもそも能力を評価するといふ経験が乏しい。
  • 自社内の雇用のみならず、下請け企業のことも考へなければならないので、思ひ切つた策が講じられない。
  • 同業他社への転職は裏切りと見做されるので、経験を生かした転職が難しい。会社側としても、即戦力の中途採用が困難になる。

かうした日本経済の問題は、未だに解決したとは言へない状況だ。規制緩和で企業の負担を軽減する方向の施策が講じられてきたが、コスト削減のために非正規雇用者を増やしたり、資産を売却したりといつた縮み指向の経営が目立ち、現金をため込む結果となつてゐる企業が目立つ。そもそも、企業とは株式等によつて資金を調達し、事業によつて収益を上げて、社会のニーズに応へるとともに投資家に還元するための組織のはずだ。それが現金をため込んで、どう使へば良いのかが分からなくなつてゐるとも見える状況は、本末転倒としか言ひ様が無い。

GDPでは世界第3位の地位を保つてゐるとは言へ、2位の中国とは3倍近い差がある。一人当たりGDPでは、シンガポールの3分の2の水準に落ち込んだ。韓国にも追ひ上げられてゐる。

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資料:GLOBAL NOTE 出典:IMF
日本の未来

それでは、この国には衰退の道しかないのか。與那覇氏は、三段階の「中国化」、最悪の場合には北朝鮮化といふあり得るシナリオを示しながら、「人口開国」により世界中から来た人がお年寄りを支へる仕組みを作る、世界に示すべき理念を持たない中国に憲法九条を押し付ける、などの道を探るべきだと述べてゐる。

かうした意見には、反論もあるだらう。ただ、はつきりしてゐるのは、日本の進むべき道は日本人が自分で考へるしかない、といふことだ。日本といふ国は、他にはない特徴を持つた国であり、世界の発展に独自の貢献ができる力を持つてゐる。グローバル化といふ条件を前提としながらも、その中で自らの特徴を生かす道を探ることが重要だらう。

人文社会科学の社会への還元

那覇氏の本は、最近の歴史学の成果を踏まへて、「日本の中国化」といふ大きな物語を作り上げたものだ。人文社会科学の成果が生かされるのは、人々の理解を通じてである。自然科学の成果が、人々の理解の有無に関らず、物を通して人々の生活を改善するのとは異なる。従つて、研究成果の普及啓発が欠かせないと言ふべきだらう。専門家は、それぞれの研究成果を分かり易い形で、社会に示す義務がある。與那覇氏の本は、さうした役割を果たすといふ意味でも、有意義なものだ。様々な反論もあるだらうが、さうした反論によつて議論が盛んになることが大切なのだ。

那覇氏はこの本の執筆後、鬱病を患ひ、大学を辞めるといふことにもなつたが、最近ではさうした経験を生かした本『心を病んだらいけないの?―うつ病社会の処方箋―』で小林秀雄賞を受賞してゐる。今後の活躍を期待したい。

なほ、『中国化する日本』については、ネット上にも様々な書評が載つてゐるが、その中では、季刊政策・経営研究2012.Vol.4中谷巌氏の評が良いものだと思つた。佐藤優氏の評も興味深い。

アスクレピオスに雄鶏を

11月30日のFrance Cultureの番組「哲学への道」Chemin de la Philosophieでプラトン(427-347BC)の『パイドン』が取り上げられてゐた。「古代の哲学者と閉ぢこもる」といふテーマの第1回で、新型コロナ対策としての外出制限を背景とした企画だと思はれる。この日は、Dimitri El Murrといふ人がゲストで、ソクラテス(C.470-399BC)の最後の言葉とされる「クリトン、アスクレピオスに雄鶏一羽の借りがある。忘れずに、きっと返してくれるように」*1についても、意見を述べてゐた。それは、概ね、次のやうな意見だつた。

ソクラテスの最後の言葉に関する解釈

この言葉には古来、様々な解釈があるが、大まかに言へば二つに分けられる。第一は、死とは魂を肉体といふ牢獄から解放するものであり、人生といふ病から癒されることなので、医術の神であるアスクレピオスに感謝するのだ、といふ解釈。第二は、実際に病から癒された者がゐて、その治癒をアスクレピオスに感謝するのだ、といふ解釈。その癒された者とは、『パイドン』の冒頭で、病気のためにソクラテスの死には立ち会はなかつたと述べられてゐるプラトンを指す。後者の解釈は少数派だが、Murr氏はこちらに魅力を感じると述べてゐた。ソクラテスの最後の言葉について、様々な解釈があることは何となく知つてゐたが*2プラトンの快復を感謝するためだといふのは初めて聞いた説だつたので、少し調べてみた。

人生といふ病からの解放を感謝するため、との説

岩波文庫の翻訳者、岩田氏は、この言葉の解釈として

  1. ソクラテスは今や、この世の生という病から解放されて神々の国に癒されて目覚めることを、癒しの神アスクレピオスに感謝しているのだ、というもの
  2. ソクラテスは自分自身をアポロンの奴隷と称し、生涯を通じてアポロンに特別な献身をしめしているが、アスクレピオスアポロンの息子とみなされていた、という点でのつながりを見るもの。ここでアスクレピオスに献げられている雄鶏は、東方ゾロアスター教の信仰によれば、死をも超えて悪を打ち払う力をもっていたので、ソクラテスは死後の旅路の導き手として自分の守り神アポロンの息子にこの鶏の奉献を願った、といふもの。
  3. どういう連関で言われているにもせよ、ソクラテスは実際にこの神に雄鶏一羽の借りがあった、というもの

の三つを挙げた上で、「結局、最初の理解がもっとも単純でソクラテスらしい」といふ意見を述べてゐる。因みに、ニーチェ(1844-1900)もこの解釈をしてゐた。ニーチェは、元々、古典文献学が専門で、彼の意見は軽視できないところだ。生とは魂の病である、といふこの解釈が、一般的なもののやうだ。

プラトンの快癒を感謝するため、との説

番組で、Murr氏は、プラトンの快癒を感謝するためだといふ説を採る理由を詳しく説明してゐないが、齊藤安潔といふ人の博士論文「プラトン宗教思想研究 : 哲学的神学の誕生」には、この説を主張したGlenn W. Mostといふ人の論文が詳しく紹介されてゐる。大まかに言へば、その主な論点は、以下のものだ。

  • 死を「癒し」と見る従来の解釈は、死を避けるために病を癒すといふアスクレピオスの基本的な役割と矛盾する。
  • パイドン』の中で、ケベスが「人間の肉体の中に入ったこと自体が魂にとっては病気のようなものだ」といふ論を展開するが、それはソクラテスによつて否定されてゐる。
  • ソクラテスの遺言に用ゐられてゐる動詞は、過去の恩恵に感謝するといふ意味であり、まだ生きてゐるソクラテスが、魂の肉体からの解放をすでに起きたこととしてアスクレピオスに感謝するのは、その意味に合はない。
  • パイドン』の中で、唯一、病気だと書かれてゐるのはプラトンである。
  • ソクラテスは、プラトンが癒されたことを、死の前に生ずる霊力によつて知つた。
  • ソクラテスの最後の言葉は、プラトンソクラテスの後継者であり、ソクラテスの死後も、プラトンによつて、その教へが守られることを意味する。
その他の説

ちなみに、論文の著者である齊藤氏自身は、Glenn W. Mostの説を批判したJ. Crooks といふ人の論文を紹介しながら、「ソクラテスアスクレピオスに対する借りとは悪徳や無知という魂の病それも死についての恐怖や悲しみを引き起こすような無知の癒しだと考えられる。」といふ意見を述べてゐる。

この他に、Sandra Petersonといふ人の論文では、”Socrates expresses gratitude to Asclepius because Socrates was able to act virtuously in dying.”といふ説が主張されてゐる。

これらの意見も説得的だが、プラトンは自らの治癒を感謝するといふ意味も込めてゐたと考へるのが良いと思はれる。

 西洋の古典の代表:プラトンの対話

上に挙げた幾つかの論文は、1990年代以降に書かれたものだ。プラトンが生きたのは約2400年前だが、著作が現代に至るまで読み継がれ、その解釈について議論が続いてゐることには、改めて驚きを感じる。プラトンの対話編は西洋の古典の代表だと言へるだらう。

プラトンのテキストの伝承

そもそも、2000年以上も前の文章が残されてゐる、といふことが驚くべき事だ。 内山勝利氏の論文を読むと、今日、私達が見るプラトン全集がどのやうにしてできたかが分かり、とても興味深い。ギリシャの哲学者で本人の著作がきちんと残されてゐるのは、プラトンただ一人のやうだ。「『アリストテレス全集』とは、実際には、複雑な経路を辿って伝わった彼の「講義ノート集」のようなものだけ」なのださうだ。パピルスや羊皮紙に書かれた著作は、繰り返し筆写されなければ、残ることはなかつたのだ。今日流布してゐるプラトンの著作には、「標準版」の頁や行数が付されてゐるが、その「標準版」とされるステファヌス版は三巻本だつたので、同じページや行数が三つの作品に出て来ることもある、といふ話も参考になる。

 アランのプラトン

フランスの哲学教師アラン(1868-1951)は、プラトンの熱心な読者だつたが、自伝『わが思索のあと』で、次のやうに書いてゐる。

私は、極めて自由にかつ極めて正しく、プラトンを敎へてゐた。この著者は、殆ど讀まれずに誤解され、しかも非常に祭り上げられてゐるといふ特權を持つてゐる。このことが正に平凡な讀者と平凡な生徒とに自慢の種になるのである。何となればかれらはこの無比の詩に心奪はれ、つひに大して勞せずに、かれらが拂はない努力を拂はなければならぬ煉獄の門、あるひは道程の如き、諸部分を認識してしまふからである。それは多く知つてゐることである。かつ行つては戻り、迷ひ、突然*3飛翔し、ついで群を待つプラトンのやり方は、疑ひもなく人間に寸法が合つてゐる。人間は、私が發見したところでは、橫目で、かつ小ざかしい休息をした後でなければ、決してものをみないものである。(森有正訳、175頁)

プラトンは、実際に読まれることは少なく、入り口で分かつたと誤解する人が多い、といふのだ。実際、『テアイテトス』を読んでみると、話がなかなか進まないし、結論も出てゐないのに終はつてしまふやうに感じる。アランは、それがプラトンの意図したところだ、と言ふのだ。『わが思索のあと』には、生徒たちに語つた次のやうな言葉が見られる。

「私が諸君を注意深く、利口に、つひには他の凡ての人々に對する勝利者となす秘訣を握つてゐるとしよう。私はかゝる武器を諸君にむざ/\渡すまい。たゞ手を、諸君を助けるために、手をさし出すだけでもするであらうか。それは正しいことではあるまい。幸ひにしてかかる手段は存在しない。諸君に探求する何ものも殘さないほど完全な證明があるとしよう。もしかゝる證明を私がもつてゐるとしたら、それを極めて注意深く諸君に對して隱さなければなるまい。ラニヨォは時々、嚴密な證明は精神をものに變へるであらう、と言つてゐた…」(同176-177頁)

ラニヨォといふのは、アランの師であるジュール・ラニョ(1851-1894)である。

日本の古典

日本にはプラトンのやうに学び継がれて来た古典はあるだらうか。あるとすれば、『論語』などの漢籍だらう。仏典は、僧侶以外には分かつて読んでゐる人が殆どゐないので、当てはまらないやうな気がする。長くなつたので、この話は改めて。 

   

*1:岩田靖夫訳 岩波文庫版『パイドン』178頁。ちなみに、この訳文では分からないが、英訳では"Crito, we owe a cock to Asclepius"となつてをり、「借りがある」の主語はソクラテス個人ではなく、彼を含む「私達」である。

*2:庄司薫は若い頃に書いた『封印は花やかに』といふ小説で、この言葉をエピグラムとして使つてをり、『狼なんかこわくない』(若々しさのまっただ中で犬死しないための方法序説!)に、その理由を、例の饒舌な文体で説明してゐる。

*3:原文ではprend soudain son volとあるので、「空然」を誤植と見て「突然」に改めた。

正しい知識を得るための仕組み(II-2 枠組の構築:政治)

某国大統領が多用することで「フェイクニューズ」といふ言葉が流行つたが、フェイクではない本物のニュース、正しい知識*1を得るためには何が必要だらうか。

知識は空から降つては来ない

先づ「人の世の中に役立つもので、何もせずに手に入るものなど無い」といふ基本的な事実を忘れないことが大事だらう。空から降る雨も、それを蓄へ田畑に導くなどの仕組みがあつて、初めて役立つのだ。知識も例外ではない。誰かが働いて生み出してゐるものだ。

私達が学校で学ぶ知識は、すでに出来上がつたもの、不変なものとして教へられる。しかし、その知識も空から降つたものではない。誰かが思ひつき、確かめたのだ。さうした人々の作業がすべての知識の背後にあるのだ。

知識の正しさを確かめるには、それがどのやうな人々によつて、どのやうに作られたものかを知ることが大切だ。

知識の正しさを決める仕組み

知識の正しさは、どのやうにして決められるのだらうか。その仕組みはそれぞれの社会に組み込まれてゐる。

学問の世界では、専門家の集まりである学会といふ制度があり、新しい知識を載せた論文を発表するための学会誌や会合がある。学会誌に掲載される論文は、査読といふ仕組みによつて一定の品質が保たれる。発表内容については、疑問や質問が、学会誌上あるいは会合の場で出されて、議論が戦はされる。かうした一連の作業を経て、学界としての定説が決まつて行く。

議論の過程では、実証が重んじられる。正しいとは、現実に合つてゐるといふことなのだから、それを確かめようとするのだ。自然科学の場合には実験が重要な手段となる*2。人文社会科学の場合には、実験が難しいことが多いので、過去のデータを元に議論が行はれることが多くなる。

かうした作業を経ても、意見が一つに纏まらないこともある。その場合には、定説無しの状態が続く。また、一度定説が出来上がつても、その後に発見された事実によつて、これが覆されることもある。

いづれにしても、学問が、世の中に正しい知識を生み出すための基本的な活動なのだが、その活動は、税金や寄付によつて支へられてゐる場合が多い。学問は、すぐに収入に結びつくとは限らないからだ。どれだけの資金を学問に振り向けるかは、市場によつては決まらないので、それぞれの社会が社会の意思によつて決めるべき問題となる。

正しい知識を広めるには

正しい知識も、世の中に広まらなければ役に立たない。知識の普及には、最新の医学について現場の医師が学ぶやうに、或いは、最新の材料技術について現場のエンジニアが学ぶやうに、学問の成果が現場の専門家に伝へられる場合がある。最新の知識が現場の医療や製品の設計・製造に生かされることで、私達は正しい知識の恩恵に与かる。

他方で、ウイルスの伝染を防ぐために「密」を避けるといふやうに、学問の成果を私達が直に使ふ場合もある。専門的な知識が一般に伝へられる場合だが、この場合には、伝へるための媒体や、伝へる人が問題となる。専門的な知識を、一般にも分かるやうに、噛み砕いて、しかし正確さを失はない形で伝へる、といふのは難しい仕事だからだ。

 従来、この役割は新聞やテレビのやうなマスメディアが果たして来た。ところが、インターネットの登場によつて、知識の伝達の仕組みが大きく変はりつつある。個人でも「情報」を簡単に発信できるやうになり、出所のよく分からない「情報」が増えた。新聞やテレビは、職業として情報伝達をしてゐるので、情報の取捨選択をしてゐるのだが、インターネットを流れる「情報」は、さうとは限らない。

インターネットの問題は、出所不明の「情報」が流れるといふだけに留まらない。新聞やテレビなどの職業的なメディアが、広告収入の減少によつて、そのサービスの質を落としてゐることが大きな問題だ。広告は、グーグルなどのインターネット関連サービスに流れてゐるのだが、グーグル検索によつて得られる「情報」は、世の中で閲覧数が多い情報かも知れないが、それが正しいといふ保証は、どこにもない。

ここでも、正しい知識の普及をどのやうな仕組みで行ふか、そのために必要な費用を誰がどのやうに負担するか、といふ社会の仕組みの在り方が問はれてゐる。

健全な社会には正しい知識が欠かせない

健全な社会とは、正しい知識に基づいて動く社会だらう。事実を踏まへないで物事を決める社会は、長続きしないのだから。それほど正しい知識が社会に欠かせないのだとすれば、正しい知識を産み出すとともに、これを世に広めることが重要になる。 

正しい知識は健全な社会で育つ

そして、これらの活動に必要な費用を、誰かが何らかの形で負担することが求められる。正しい知識を「ただ」で得られるといふことは、あり得ないのだ。さうした費用の負担を厭はない社会こそが、健全な社会と言へるだらう。

*1:ここで「正しい」といふのは、事実に即してゐる、現実を反映してゐる、といふ意味である。人の倫、正義に適つてゐる、といふ意味ではない。

*2:自然科学の分野でも、宇宙の起源をめぐる議論の場合のやうに物理的制約によつて、或いは、人間の遺伝子組み換へのやうに倫理的な理由から、実際に試してみることができない問題もある。

デカルトとパスカル(I-1 前向きな心)

デカルトパスカルの一致点

思想の体系化の最初に「前向きな心」といふ区分けを設けたが、全ての中心に私がゐて、その私とは私の心だ、といふものの見方は正しいものなのか。科学者の一部には、心は脳の働きに過ぎず、意識は幻に過ぎない、といつた主張も見られる。数値化、客観化できないものは存在しない、といふ考へ方だ。この立場に立てば、私の心が世界の中心だといふのは、戯言に過ぎないだらう。

数値化によつて物事を正確に把握しようといふのは、近代科学の基本的な姿勢で、それを主唱したのがデカルト(1596-1650)だつた。他方で、デカルトは全てを疑ふことから始めて、「我思ふ、故に我あり」といふ疑ふことができない命題にたどり着いた人でもある。デカルトにとつて最も確かなのは自分の考へるといふ力であり、身体ではなく心だつたのだ。

デカルトを「役に立たず不確かだ」と批判したパスカル(1623-1662)も、「人間は考へる葦だ」と述べて、考へることの重要性を認めてゐる。基本的な立場を異にする二人が、考へるといふ心の働きを重んじてゐるのだから、私とは私の心だ、といふ前提で話を進めることも許されるだらう。

小林秀雄デカルト

小林秀雄(1902-1983)の文章にはデカルトの名が何度も出て来るが、デカルトについて詳しく述べてゐるのは、「「テスト氏」の方法」(1939年)と「常識について」(1964年)の二つだ。

「「テスト氏」の方法」は、ポール・ヴァレリー(1871-1945)の「テスト氏」について書かれた文章だが、「多くの批評家が、ヴァレリイをデカルトに比べてゐる。哲學者に對する無關心或は不信用は、ヴァレリイが機會ある毎に示してゐる處だが、デカルトだけは例外である。」といふことで、デカルトにも触れてゐる。

世人の信ずる生活とか生命とかいふ何か意味ありげなものは、ことごとデカルトの精神によつて疑はれ、意味ありげな意味をがれて、物と形と動きとの中に投げ返された。併し彼は動物機械から人間機械に決して移らうとはしなかつた。彼は踏み止まつた。彼の耐へた地點といふものを心に描かうとすると、一本の縄の上で、極度の心の緊張に頼つて身體の平衡を保つてゐる人間の姿の樣なものが眼に浮かぶ。

彼が自分のCogitoをétendueの世界から、驚くべき果斷で引きちぎり、兩者の裸な痛烈な對決に、恐らくほんたうの生活の極意を見たといふ事、兩者の曖昧な妥協や混同を監視する爲に、絶え間なく疑ひの火を燃やしてゐなければならなかつたといふ事、兩者を隔てる淵が深まれば深まるほど、精神は勇氣を得、決意に充ちて、自在に淵の上に架橋したといふ事、これらデカルトの徹底した二元論のはらんでゐた難題は、悉くヴァレリイの方法に承け繼がれた樣に思はれる。(第五次全集 第六巻 544-545頁)

「常識について」は、講演を元にして書かれた文章だが、「「コンモン・センスの哲學」の元祖と言ふ事になると、これは、どうしても百年ばかりさか上つて、デカルトといふ大人物に行き當らねばならぬ。」といふ訳で、文章の半ば以上がデカルトに割かれてゐる。

デカルトは、常識について反省して、常識の定義を見付けたわけでもなければ、この言葉を、哲學の中心部に導入して、常識に關する學説を作り上げたのでもない。常識とは何かと問ふ事は、彼には、常識をどういふ風に働かすのが正しく又有效であるかと問ふ事であつた。たゞ、それだけであつたといふ事、これは餘程大事な事であつた。デカルトは、先づ、常識といふ人間だけに屬する基本的な精神の能力をいつたん信じた以上、私達に與へられる諸事實に對して、この能力を、生活の爲にどう働かせるのが正しいかだけがたゞ一つの重要な問題である、とはつきり考へた。これを離れて、常識の力とは本來何を意味するかとか、事實自體とは何かとか、さういふ問ひ方、言はば質問の爲の質問といふやうなものは、彼の哲學には、絶えて見られない。神の存在といふ形而上學的問題にしても、窮極の問題として、これに迫られてゐるのが明らかである限り、彼はこれを避けはしなかつた。例へば心臟の構造の問題とともに、平氣で、これに取組む。しかし、問題の解決は、問題に對して、自分が自由に使用し得る常識といふ道具の、出來る限り吟味された使用法に、ひとへにかゝつてゐる、と確信してゐたやうに、私には思へます。この常識の使用法、働かせ方が、彼が"méthode"と呼ぶものであり、彼の哲學とは、この使用法メトードそのものである。といふ事は、彼の著作に、仕上げられた知識を讀むより、いやでも生きた人間を感ぜざるを得ないといふ意味でもある。 (第五次全集 第十三巻 82-83頁)

 學業を終へたデカルトが、書物を捨て、世間といふ大きな書物だけを讀まうと決心し、今こそ自分一人で判斷し考へる自由を得たと言ふ時、彼の自己發見は、絶對的な完全なものであつたと考へていけない理由はないでせう。判斷し考へる自己の自由とは、これを完全に知るか、全く知らないか、どちらか一つのものだらう。三分の一ほど知つたといふやうな言葉は、意味を成すまい。そこから「方法的懷疑」と言はれてゐる彼の讀みが始まるのだが、この疑ひは、自分の發見したところを一層明瞭化し、信じたところをいよいよはつきり信ずるといふ目的しか持つてゐない。デカルトは、「方法の話」で、さういふ自分の讀みによる、意識の發展と發明以外の事は、何一つ語つてゐないのだが、自分を主張しようとか、他人を説得しようとかいふ感情の動きは、少しも現れてゐません。この本は、著者が「身の上話イストワール」だと言つてゐるやうに、まさしく自傳なのだが、後世現れたローマン主義文學の發明した自傳的意匠などは、一とかけらも見られない。彼の晩年の努力は、身體の動きに固く結ばれた情念パツシオンの動きを、精神が、どう觀察し、どう監視するかといふ問題に集中されたが、その種子は、既にこゝに見られると言つてよい。自ら現れて來るのは自分一人で考へる人の、男らしい明るい歡びの感情だけだ。 (同 90頁)

近代的自我の發見者デカルトといふやうな、解つたやうな解らないやうな言葉を弄してゐるよりも、この自我發見者には、自我といふやうな言葉につまづいたことはいつぺんもなかつた、彼が、實際に行使したものは、今日では、もう大變わかりにくゝなつて了つた、非凡な無私といふものであつた事を、とくと考へる方が有益であると私は思ふのです。 (同108頁)

「方法の話」といふのは、『方法序説』のことで、小林秀雄が言つてゐるやうに自伝的な書物なので、哲学的な議論に関心の無い人でも、興味を持つて読めるのではないだらうか。

岩波文庫版は、電子書籍(Kindle)も出てゐる。

山田弘明といふ人の、日本におけるデカルト哲学の受容 1836-1950といふ論文は、題名のとほり、日本でデカルト哲学がどのやうに受け入れられたかを詳しく調べたものだが、「歴史的に見れば日本人の好みはスピノザ、カント、ヘーゲルに集中しており、とくにデカルトを受容しなくても不都合はなかったようにも見える。」と書かれてゐる。デカルトの哲学は、「常識的」なものなので、研究材料とするには面白みに欠けるのかも知れない。

小林秀雄パスカル

小林秀雄パスカルにもしばしば言及してゐるが、パスカルについて書かれた一番長い文章は、「パスカルの「パンセ」について」(1941年)である。短い断章を連ねたやうな文章だが、その最初に、次のやうな一節がある。

人間は考へる葦だ、といふ言葉は、あまり有名になり過ぎた。氣の利いた洒落だと思つたからである。或る者は、人間は考へるが、自然の力の前では葦の樣に弱いものだ、といふ意味にとつた。或る者は、人間は、自然の威力には葦の樣に一とたまりもないものだが、考へる力がある、と受取つた。どちらにしても洒落を出ない。

パスカルは、人間はあたか脆弱ぜいじやくな葦が考へる樣に考へねばならぬと言つたのである。人間に考へるといふ能力があるお蔭で、人間が葦でなくなる筈はない。從つて、考へを進めて行くにつれて、人間がだんだん葦でなくなつて來る樣な氣がしてくる、さういふ考へ方は、全く不正であり、愚鈍である、パスカルはさう言つたのだ。さう受取られてゐさへすれば、あんなに有名な言葉となるのは難しかつたであらう。 (第五次全集 第七巻 265-266頁)

小林秀雄一流の語り口だが、ともかく、パスカルの言葉をもう一度読んでみることは、無駄ではないだらう。

人間は一茎の葦に過ぎない。自然の中で最も弱いものだ。しかし、それは考へる葦だ。これを押しつぶすのに宇宙は全身で武装するまでもない。殺すには、一吹きの蒸気、一滴の水で足りる。だが、宇宙が人間を押しつぶしたとしても、人間は彼を殺すものよりもなほ気高いだらう。何故なら、彼は自分が死ぬことを、そして宇宙の持つ優位を知つてゐるからだ。他方、宇宙は、これらについて何ら知ることがない。従つて私達の尊さの全ては考へることにある。立ち上がるべきなのは、そこからだ。私達が満たすことのできない空間や時間からではない。だから、よく考へるやうに努めよう。それが人のみちの原理だ。 (Branschvicg版 347節 拙訳)

人間の尊さは考へることにある、といふことがはつきりと述べられてゐる。しかし、小林秀雄が言ふやうに、考へることで人間を葦でなくなる訳ではない。

「無限に比べれば虚無、虚無に比べれば一切、無と一切との中間物」、「僕等は何も確實には知り得ないが、又、全く無智でもあり得ない。僕等は、渺茫べうばうたる中間に漂つてゐる」。これが、パスカルの見た疑ひ樣のない「人間の眞實な状態」であり、人生はさういふシステムとして理解されなければ、それは誤解であり、さういふ實在として知覺されなければ、錯覺である。僕は、パスカルを獨斷家とも懷疑派とも思はない。彼は、及び難く正直であり大膽であるに過ぎない。 (第五次全集 第七巻 271頁)

『パンセ』には、「自分とは何か」といふ文章があり、小林秀雄は「僕は、「パンセ」の中でも名文だと思つてゐる。あゝいふ單純で深い味ひを持つた文章は、僕を本當に驚かす。」と書いてゐる。

パスカルは、「自分」といふ樣なものは、人間の美貌にも才能にもない、肉體のなかにも魂のなかにもない所以ゆゑんを簡明直截ちよくせつに分析して見せて、突然、次の樣な結論に飛び移る。

「だから、たゞ官位や職務の故に尊敬されてゐる人々も輕蔑してはいけない。總て人が他人を愛するのは、相手にいろいろ借り物の性質があればこそだ」。結論まで來たら讀者は冒頭の文句に戻るがよい。「或る人が窓にもたれて通行人を眺めてゐる。私がそこを通りかゝる。彼は私を見るために、其處にゐるのだと言へるだらうか。否。」 (同 268頁)

自分といふやうなものが魂のなかにもない、といふのは、魂の性質である判断力や記憶力が失はれると、私の判断力を愛してゐた人は、愛さなくなるだらうからだ。しかし、私が私でなくなる訳ではない。

パスカルの「パンセ」について」は、次のやうな文章で締めくくられてゐる。

神が現れた。こゝで、僕は「パンセ」の中で一番奥の方にある思想に出會ふ。

「人は、神が或る人々は盲にし、或る人々の眼は開けたといふ事を、原則として認めない限り、神の業について何事も解らぬ」

その通りである。僕等は、さういふ神しか信ずる事が出來ないからだ。盲であらうが、目明きであらうが、努力しようが、努力しまいが、嚴然として、僕等に君臨する樣な眞理を、僕等は理解する事は出來るが、信ずる事は出來ないからだ。何故なら、それは半眞理に過ぎないとパスカルは考へたからである。 (同 274頁)

 『パンセ』は『方法序説』ほど一般に薦められる本ではないかも知れない。

岩波文庫の『パンセ』は詳しい注釈も付いた三冊の大作になつてゐる。簡単に読みたい人には、中公文庫プレミアム版が便利だらう。