Edward N. Lorenz (1917-2008)

Science 誌に、カオス理論の先駆者として知られる Lorenz の追悼記事が出てゐる。(23 May 2008: Vol. 320. no. 5879, p. 1025)

 

記事には、かうある。
デカルト流の決定論的な世界観には、20世紀の初頭、最初のひびが入つた。アンリ・ポアンカレが三体問題を解くことができなかつたことから、ある種のシステムは、初期条件に非常に敏感で、予測が事実上不可能になる、との予想を発表したのだ。20年後、ハイゼンベルクが、原子以下の世界は、確率的にしか記述できないことを示す。しかしながら、巨視的な物理現象は、厳密な決定論といふお題目を前提に議論され続けた。一般相対論の成功は、さうした傾向を強めた。デカルト的な宇宙観の棺桶に釘を打つ役目は、物腰の柔らかいMITの数学者に委ねられた。

 

カオスについては、かう書かれてゐる。

カオスは、予測に関する単なる実用的な問題ではない。ローレンツ等は、ある種の数学的な(そしてほぼ確実に物理的な)システムでは、予測の地平--その間は予測が可能な時間の限界--が、初期値の誤差がゼロに近づくにつれて、有限の値に近づくことを示した。これらのシステムでは、どれほど正確に計算し、初期値を具体的に決めても、この有限な地平を超えて予測することは、不可能である。摩擦のないビリヤードの球でさへ、その初期状態の記述に関する不確定性原理による制約のために、わづか11回の衝突の後では、全く予測不可能になる。

 

このとほりだとすれば、カオス系では、決定論が成り立つか否かを厳密に実証することはできない。従つて、決定論は一つの作業仮説でしかないことが明確になる。さうした状況にあるにも拘らず、心や脳の働きを論ずるのに、決定論を当然の前提であると考へてゐるやうな人達が多いのは、不思議としか言へない。

 

ローレンツの著書には、こんな言葉があるさうだ。

We must wholeheartedly believe in free will. If free will is a reality, we shall have made the correct choice. If it is not, we shall still not have made an incorrect choice, because we shall not have made any choice at all, not having a free will to do so.
(The Essence of Chaos (Univ. of Washington Press, WA, 1993), p. 160)
私たちは、心から、自由な意思を信じなければならない。もし自由意思が現実だとすれば、私たちは正しい選択をしたことになる。もしさうでなくても、私たちは誤つた選択をしたことにはならない。何故なら、自由な意思を持たないのだから、私たちは何ら選択をしなかつたからだ。