長いこと力を注いで来た古語辞典の世に出る日が近づいた。その仕上りの形を見ると、まことに小さい一冊である。しかし、このささやかな辞書にもそれなりにこれを世に送る志があり、成立の経過がある。今そのおよそのことを記しておこう。
だれしも、日本人であれば、知的世界に目覚めたとき、眼前にヨーロッパ・アメリカの学芸と技術とを見るであろう。それを学び取ることが日本の将来をきりひらくと多くの人は考える。しかし、ヨーロッパ・アメリカに学ぼうとする主体である日本とは一体何であろうか。
日本の思想や文化の源流を尋ねるには、さまざまの道がある。しかし、その中で私は、日本語を明らかにすることによって、日本を知るという行き方を選んだ。日本語の語源を明らかに知るために、私は古代日本語を学び、その展開として、日本語の系統あるいは成立を知ることを重要な課題と考えた。そこで私は日本語とアジアの言語との比較を試みたことがあったが、その際に、基礎語なるものが実に重要であることを身にしみて感じた。基礎語は、日本人の物の判断の仕方を根本的に規制している。また、それは長い年月にわたって使われ、変化することが少ない。日本を理解するために、基礎語の個々の意味を明確に把握することは、一つの大事な仕事である。
生命・活動の根源的な臓器と思われていた心臓。その鼓動の働きの意が原義。そこから、広く人間が意志的、気分・感情的、また知的に、外界に向かって働きかけて行く動きを、すべて包括して指す語。類義語オモヒが、じっと胸に秘め、とどめている気持をいうに対し、ココロは基本的には物事に向う活動的な気持を意味する。また状況を知的に判断し意味づける意から、わけ・事情などの意。歌論では、外的な表現の語句や、形式に対して、表現しようとする歌の発想、趣向、内容、情趣などをいう