進化論の年

2009年は、ダーウィン(1809-1882)生誕200周年、『種の起源』出版150周年に当たり、科学雑誌などでも特集が組まれてゐる。進化論といふのは、非常に強力な理論で、その適用範囲も幅広い。例へば、アラン(1868-1951)は、1908年9月1日付のプロポで、伝統的な船の持つ合理的な構造は、沈まずに残つた船の形を忠実に真似て建造することを繰り返せば出来上がる、と述べてゐる。

しかし、「優生学」のやうに、進化論が誤つて適用された例も多い。選択されるのは遺伝子や個体に限られるのか、集団も選択の対象になるのか、といふ問題については、専門家の間で議論が続いてゐるらしい。個体間の協力といふ事実は、集団としての選択を考へないと説明が難しいと思はれるが。

そもそも、社会は、単なる個人の集合ではない。分業などの形で、1+1を3にも4にもできるから、社会的な生活には意味があるのだ。企業における成果主義の失敗も、この基本的な事実を見誤つたことから来てゐるのではないか。個人の成果を高める努力が、企業の業績向上につながるとは限らない。

広く、社会全体を考へても、構成員が、如何に社会全体の事を考へる仕組みを作るかが重要だ。フランスでは、自由、平等と並べて、博愛を基本的な原理として掲げてゐる。革命を繰り返しながら民主主義を作り上げてきた、フランス人の知恵の表れと言ふべきだらう。

日本は、集団の力が強すぎて、個人の主体性が埋もれてしまひ勝ちな社会なので、今日のやうな変革期においては、新しい考へや試みが出て来にくいといふ問題を抱へてゐる。規制の見直しなどによつて、個人の創意を刺激することが重要なのは、そのためだ。

とは言へ、個人にしても企業にしても、自らの社会的な価値を説明できなければ、生き残ることが出来ないし、実質的な貢献をしない企業ばかりが栄えるやうな社会は、早晩、崩壊する。

2009年は、ベルクソン(1859-1941)生誕150周年にも当たる。科学的な決定論と自由との関係から思索を始めて、心と身体との関係について考へ、進化論を取り上げた、この哲学者が、最後に心を砕いたのは、倫理の問題だつた。