合成生物学

1月21日付けの Nature 誌に合成生物学が直面してゐる課題についての記事が出てゐた。("Five hard truths for synthetic biology", Roberta Kwok 2010 Jan. 21, Vol 463(288-290)) 先日出た日本語版で、その内容を見よう。

 

合成生物学とは、DNAやタンパク質などの生体構成物質を目的に応じて人工的に改変し、それらを組み合わせて疑似生体システムを構築することにより、生体システムを理解しようとする学問である。しかし、工学的な手法によって、複雑な生物学的システムを操作することは可能なのだろうか。合成生物学が抱える5つの課題と、それらの解決策について検証した。
バイオテクノロジーの急激な進歩を見れば、工学的に生命を操ろうとする合成生物学は、一見、非常にたやすく実用化できると思われがちである。実用化を阻むのは、もはや乏しい想像力のみとさえ思える。実際、近いうちに、細胞をプログラミングして、再生可能な資源から大量のバイオ燃料を生産したり、有毒物質を感知したり、必要なときに適正量のインスリンを生体内に放出したりできるようになると考えられている。こうした見通しはすべて、遺伝子工学の応用は機械を生産する製造工程のようになるだろうという考えから生まれてきた。その典型的な手法は、必要な機能を発揮するよう塩基配列を改変したDNA、つまり「パーツ」を組み合わせて、もっと複雑な機能を発揮する「デバイス」を作り、それを細胞に組み込むというものだ。全ての生物はほぼ同じ遺伝コードを使っていることを考えると、合成生物学とは、自由自在に回路に組み込めるトランジスタやスイッチのような再利用可能な遺伝的構成要素の入った道具箱だといえるだろう。

 

しかし、生物を機械のやうに扱ふことは可能なのだらうか。合成生物学が直面してゐる5つの課題は、この問題を具体的に考へるための良い材料を提供してゐる。

 

問題 1 「パーツ」の多くは特性が不確定

 

合成生物学のパーツは、タンパク質をコードするDNA塩基配列から、遺伝子の発現を促進するプロモーターとよばれるDNA塩基配列までさまざまな機能特性をもつものが存在する。問題は、多くのパーツの特性が確定していないことだ。パーツは、必ずしも実験で作用が検証されているわけではなく、たとえ検証されていても、その「性能」は細胞の種類や実験条件の違いによって変わってしまうのだ。

 

マサチューセッツ工科大学にある標準生物学的パーツ登録所(Registry of Standard Biological Parts)には、オーダー可能な5000種類以上のパーツが登録されてゐるが、これを大腸菌などに組み込んでも、うまく機能しない場合があるのだといふ。

 

一つには、組み立てる技術の未熟が原因だらう。「哺乳類細胞では、細胞に導入した遺伝子が細胞ゲノムのどの位置に組み込まれるのかは予測不能であり、組み込まれた位置の近隣領域の遺伝子発現に影響を及ぼすことがよくある」といふのが現状らしい。機械でも、パーツを無暗に組み込んでも動きはしない。

 

しかし、もつと基本的な問題があるかもしれない。それは、一つの「部品」の働きは一定であるといふ前提が、生物でも成り立つのか、といふ点だ。

 

問題 2 回路の動作は予測不可能

 

たとえ各パーツの機能がわかっても、それらを組み立てたものは予想どおりの作用をしない可能性があると、Keaslingはいう。現代の工業分野では、設計段階で、完成回路の動作をきちんと予測できるが、合成生物学では、試行錯誤を繰り返すめんどうな作業に時間や労力がかかる場合が多い。

 

対応策として、コンピュータ・モデルで組み立てられたものの作用を予測することで、試行錯誤の作業時間を短縮する、といふ試みがあるといふ。また、厳密な予測は諦めて、「DNA塩基配列を変異させ、その特性をスクリーニングして最良の候補塩基配列を選び出すという作業を、システムが最適化されるまで繰り返す」といふ、人工的な進化によつて、目的とする作用を実現する生物を作り出す研究も進められてゐる。

 

かうした方法で、作業の負担を軽減する事はできよう。しかし、動作が予測不可能なのであれば、「パーツ」や「デバイス」を定義する意味は、どれだけあるのだらうか。

 

同じやうな問題が電子回路の場合にもあるのは事実だ。回路と回路をつなぐと、それぞれの回路の動作は変化する。かうした変化を無視できる範囲に抑へるのが、うまい設計なのだ。だから、生物システムも、複雜なだけで、生物に特有の問題は無いのだ、といふ主張もできるだらう。しかし、生物の持つ複雑さは、それ自体が困難な課題を投げかける。

 

問題 3 複雑すぎて手に負えない

 

回路が大きくなるにつれて、それを構築して試験するプロセスは恐ろしくめんどうになる。Kesalingのチームが開発したシステムは、10個余りの遺伝子を使って抗マラリア化合物のアルテミシニンの前駆体を微生物内で生産するもので、おそらくこの分野で最も引用されている成功例である。Keaslingの推定では、この経路に関与する遺伝子の同定と、それらの発現を制御するためのパーツの開発や改良といった作業は、1人の人間が行ったらおよそ150年かかっただろうという。例えば、研究チームは、毒性のある中間体分子を減少させるのに必要な酵素量を十分に生産できるような立体構造を見つけ出すまで、さまざまな変異型のパーツを試さねばならなかった。

 

複雜であるのは、生物にとつて本質的なことである。単細胞生物は既に複雑だが、人間ではその細胞が60兆個あると言はれてゐる。一つ一つの細胞は、独立して生きてゐるのではなく、相互に様々な関係を持つてゐる。

 

問題 4 多くのパーツは不適格

 

また、パーツが予期せぬ悪影響をもたらす場合もある。

 

合成遺伝子回路は、いったん構築されて細胞内に置かれると、宿主に対して予期せぬ影響を及ぼすことがある。カリフォルニア大学サンフランシスコ校(米国)の合成生物学者Chris Voigtは、バークレー校のポスドクだった2003年、この問題にぶつかった。Voigtは、主に枯草菌(Bacillus subtilis)で作った遺伝子パーツを組み立て、化学的刺激に応答すると特定の遺伝子の発現スイッチが入るようなシステムを作った。彼は、このシステムを枯草菌内のほかの遺伝子ネットワークと切り離して調べたいと考え、この回路を大腸菌に組み込んだ。ところが、システムは機能しなかったのである。
「顕微鏡で観察したところ、細胞は病的な状態に陥っていました。毎日違う症状が現れるといった具合でした」とVoigtはいう。最終的には、この回路のパーツの1つにより大腸菌に自然に存在する遺伝子の発現が著しく損なわれてしまうことがわかった。「回路の設計が誤っていたのではなく、パーツの1個が適合しなかっただけなのです」と彼は話す。

 

かうした問題を避けるために、宿主細胞本来のシステムとは独立に作動する「直交(orthogonal)」システムを開発したり、合成ネットワークを細胞の他の部分から物理的に隔離したりする試みがなされてゐると言ふ。

 

問題 5 変動性がシステムを破壊

 

合成生物学者は、作製した回路が確実に機能することを保証する必要もある。細胞内部での分子の活動は、ランダムに揺らいだり、あるいはノイズを生じたりする傾向がある。増殖条件のばらつきも挙動に影響を及ぼす可能性がある。また、回路の活動が長期にわたれば、ランダムに生じる遺伝的変異が回路の機能を完全にとめてしまうこともありうる。

 

機械は、長く使ふうちに摩耗したり、絶縁が悪くなつたりすることはあるが、新しい機能を持つことはない。生物の場合には、幼虫が蛹になり成虫となるやうに、個体が変化を続けるし、種としても進化により変化する。かうした変化は、生物にとつて本質的なものだと思はれる。

 

「環境への適応論理と形づくりの論理」といふ文章で、倉谷滋といふ人が、こんなことを書いてゐる。

 

生きものごとに形や機能が変わっても、脊椎動物の骨格基本パターンのように、変わらない「ある」パターンがある。これを相同性という。遺伝子にも、祖先から受け継いだ変わらないものがあり、その意味で、相同性という言葉が使われる。しかし、遺伝子と形の間に1対1の関係は存在しない。遺伝子と表現型の間には実に込み入った複雑な関係があるのだ。
「1つの遺伝子は他の遺伝子と関わりを持っている。同じ形質には複数の遺伝子が階層的に関わっていて、しかもそれには時間的階層と、空間的な階層とがある(エピスタシス、あるいは遺伝子の上位下位関係という)。また、1つの遺伝子はしばしば複数の形質発現に関わっている(プライオトロピー、あるいは遺伝子の多面的発現という)。形質をどのように捉えるかという問題もあるが、形の相同性からみると、ここですでに形と遺伝子の1対1関係は崩れている。
「しかし、本当に深刻な問題はこういったことではない。上のような状況だけなら、遺伝子と形の間には、1対1ではないとはいえ、相変わらず進化する間も不変の写像関係が存在するからだ。問題は、進化的に新しい形のパターンがもたらされるというレベルでの新しい遺伝子ネットワークの振る舞いある。形態学的に相同ではなく、相似なものに過ぎない遠く隔たった形質に、相同遺伝子が働いていたり、相同的パターンと思われている形質が、まったく異なった遺伝子カスケードによって作られていたりするのだ。例えば、昆虫の背腹軸を決める遺伝子群の相同物が、ヒトの血球分化に関わっていたり、脊椎動物のなかで、形態形成に関わる遺伝子の相同性と発現パターンが一致しない例が数多く知られている。つまり、新しい遺伝子ネットワークの振る舞いが問題になる
生命誌ジャーナル 2002年冬号 http://www.brh.co.jp/seimeishi/journal/35/essay_21.html)

 

生物も物質である限りにおいて、それを構成する部分が集まつたものとして考へることができる。その一部を取り替へると、別の機能を持たせることができる。臓器が傷めば他人の臓器を移植することもできる。他方で、同じDNAの塩基配列でも、環境によつて発現形態が異なる。それは、性質が不変の物質といふより、文脈で意味が変化する言葉に似てゐるとも言へるだらう。

 

機械も、少し複雑なものになると、部品の集積として見ることはできなくなる。組合せることで、個々の部品には無い機能が生れるのでなければ、機械を作る意味がない。部品は、壊れれば交換できるが、少し込み入つた機械になると、部品の交換も単純には行かず、細かな調整が必要になる。さうした調整が不要な機械が、「良い機械」なのだが。

 

複雑な機械では、履歴も問題になる。それまでどのやうな動き方をして来たかで、一見同じに見える機械が、異なる動きをする。生物における記憶の働きは、さうした履歴現象がさらに進んだものと見ることもできる。

 

かう考へれば、機械と生物の違ひは程度の問題だ、といふ見方もできる。ただ、「生物はやはり機械だ」と言ふよりも、「機械は、我々が思つてゐたよりも、生物に似てゐる」と言つた方が相応しいかも知れないが。その差が、どのやうなものであるのかは、合成生物学のやうな試みが進められるにつれて、次第に明かになつて来るだらう。