昨晩、NHKで日韓の若者を集めた討論会を放送してゐた。かうした番組が成立するやうになつたといふこと自体、大いに喜ぶべきことだらう。
番組では、依然として根深い両国の
歴史認識の差が浮き彫りになつた。一言で言へば、韓国の若者の見方は一面的であり、日本の若者は無知である、といふことにならう。
岡本行夫氏も指摘してゐたが、日本の若者が歴史を知らないのには呆れる。教育も悪いし、彼等の親である我々の世代も悪い。
戦後、我々の先輩の努力で日本は奇跡的な経済発展を遂げ、再び世界的に認められる国になつたが、政治的な問題は置き去りにされて来た。2年ほど前に
文藝春秋が戦争に至る戦前の歴史ついての特集を組んだり、最近
猪瀬直樹氏が盛んにツイットしてゐるなど、この問題について関心が高まつて来たのは、良い事だ。
韓国の側にしてみれば、一番頭にくるのは、あんなに酷い事をした張本人(の子孫)が、その事実を知らないといふことだらう。謝罪した、謝罪したといふが、何を謝つたのか解つてゐないのでは意味がない。これは韓国や他のアジアの国々に言はれるまでもなく、日本人自身にとつて非常に懸念すべき事態だ。
何故、これほど日本人は自分の国の歴史を知らないのか。敗戦による大きな歪みが残されてゐる一例だ。過去のことは水に流すのが得意な日本人は、思ひ出したくないことは忘れることにした。一種のヒステリーである。しかし、個人の人格が一貫した記憶の上に成り立つやうに、昔のこと(まだ65年前に過ぎぬ)を忘れるやうな国は、国としての格が低いと言はざるを得ない。
民主主義教育であるはずなのに、未だに知らしむべからす、依らしむべし、といふ考へ方での教育がなされてゐることも、見直すべき点だらう。さうした教育の結果、現在の政治の制度的な仕組みについての知識は暗記してゐるが、そもそも政治とは何か、選挙は何のためにあるか、といつた基本的な問題を考へたことがない若者が増える。
ちなみに「知らしむべからず」は
論語にある言葉だが、
吉川幸次郎氏はこんな解説をしてをられる。(
朝日文庫版「中国古典選3
論語上」266~7頁)
子曰、民可使由之、不可使知之
子曰く、民は之(こ)れを由(よ)らしむ可(べ)し。之(こ)れを知らしむ可(べ)からず。
人民というものは、政府の施政方針に、従わせるだけでよろしい。何ゆえにそうした施政方針をとるか、その理由を説明する必要はない、と普通に解されており、儒家の政治思想の封建性を示すとされる条である。事実また、漢の鄭玄の注などは、そのように解している。すなわち「可使由之」の由は、「従う也」であるとし、また「民」の字を、同じ子音で、暗を意味する「冥(めい)」の字に、おきかえさえもしている。そうして民は冥(くら)いものであるゆえに、「正道を以って之れに教うれば、必ず従わん。如(も)し其の本来を知らば、則ち暴なる者は或いは軽んじて行わず」。これが新出の写本によって読まれる鄭玄の説である。
しかし、他の注釈の説は、必ずしもそうではない。まず何晏の古注によれば、人間の法則というものに、人民は知らず識らずに従っている。だから、人民に、それに従わせることは可能であるが、知らず識らずにやっていることの理由を、はっきり自覚させることは、むつかしい。
また朱子の新注によれば、政府の施政方針は、人民の全部が、その理由を知ることが理想であるが、それはなかなかむつかしい。それに随順させることはできても、一一に説明することはむつかしいと、理想と現実の距離をなげいた語とし、鄭玄のような説は、「聖人の心」ではないとして、しりぞけている。
さらにまた仁斎には、君主は人民のために、その経由利用すべき文化施設を整備すべきだが、かくすることの恩恵を知れと、おしつけてはならぬとする説があることは、私の随筆集「雷峰塔」九十五頁を見られたい(全集十七巻「仁斎と徂徠」一四一頁)。
討論会では、韓国では50%が非
正規雇用である、といふ話にも興味を持つた。これは異常な数字だ。恐らく、長続きしない仕組みだらう。自殺者が急増し、
出生率が日本よりもさらに低い水準にあるといふ事実は、それを示してゐると思はれる。若者の生活がそれなりに安定し、安心して結婚し、子供を生むことができる社会でなければ、社会そのものが委縮し、衰退する。この問題は日本でも同じだが。
語学力、各種の資格などを示す「スペック」が高くなければ、大手企業の就職試験さへ受けることができない、といふ話も、耳新しいものだつた。これは、有名大学卒でなければ(事実上)門前払ひされる日本の事情と似てゐる面もあるが、違ひも非常に大きい。
就職後に有用となる能力が採用の基準になつてゐることが、その一つだ。かうした基準の出来不出来といふ問題はあるとしても、基本的には、語学力や、各種の資格は、就職後にも有用であるはずだ。求職者としても、採用されるためには何をすれば良いかが分る。(韓国の場合には、要求水準が高すぎることなど、いろいろと弊害もあるやうだが。)
日本の場合は、学歴といふ、仕事の中身とは無関係の基準で人が選ばれてゐる。あるいは、日本の企業においては、人脈が一番大切な資質だといふことかも知れない。しかし、これでは学生は何を勉強すればよいか分らない。有名大学に入れば、勉強しなくても良い。それ以外の大学では、勉強しても仕方がない。さうした状況にしておいて、日本の学生は勉強しない、と不満を述べるのは、大手企業側の怠慢だと言ふべきだらう。
ともかく、日本も韓国も大変な状況にあることは確かだ。お互ひに学ぶべき事も多いし、協力によつて力を高めることもできるだらう。