脳は偉くない?

8月11日付の朝日新聞朝刊に、「夏の基礎講座」といふコラムがあり、分子生物学者の福岡伸一氏の話が載つてゐる。「動的平衡」といふ言葉を流行らせた人だ。こんなことを言つてゐる。

 

脳が生命を支配しているという唯脳論的立場から見ると社長や部長は脳で、社員は末梢器官。上意下達の関係です。でも、脳が命令して心臓が動いているわけでもインスリンを出しているわけでもない。体の代謝はそれぞれが自立的にやっているのです。一方、脳を移植すると体の免疫系は一斉にその脳を攻撃し始めます。その脳を他者として排除しようとするんです。脳が人間の体や心をすべて支配しているというのは、生命観の大きな錯誤だと言いたい

 

なかなか興味深い指摘だが、だから脳が重要ではない、といふことにはなるまい。特に、精神的な活動において脳が中核的な役割を果たしてゐることは、脳の損傷によつて人格が変はつて了つた症例などから、明かになつてゐる。他の動物と比較して、人間の脳が大きく、酸素の20%を消費してゐるといふ点からも、その大切さが分る。

 

とは言へ、逆に、何でも脳の話にするのが誤りであることも確かだ。人間も動物の一種なのであり、考へる前に、先づ生きてゐなければならないので、脳以外の部分の身体の状態に大きな影響を受ける。アランは、相手が眉を顰(ひそ)めてゐるのは、君が嫌ひだからではなく、太陽がまぶしいからだ、といふ言ひ方で、それを指摘してゐる。人間は、自分の意識してゐない仕組みによつて生かされてゐる。全てを意識的な行為として受取ることは誤りだ。しかし、他人は理解しない。無意識の仕草も、警戒心や不信感を生む。さうした意図しない合図を出さないことが礼儀の目的なのだとアランは言ふ。

 

動的平衡については、こんな説明がされてゐる。

 

60兆の細胞から成り立っている人間の体は、せせらぎによってできたよどみのようなもの。水は絶え間なく流れ込み、いったんよどみを形成しまた流れ出る。私たちの生命は受精卵が成立した瞬間から始まり、脳細胞や心像の細胞は分裂せずずっと存在しているように見えますが、その中身が入れ替わっているのです。他の細胞は細胞ごと入れ替わっています。つまり今日と明日の自分は全く違う存在なのです。行く川の流れは絶えずしてしかももとの水にあらず、です

 

そのとほりなのだらう。が、問題は、それでは何が同じなのか、何故、我々は同じだと感じるのか、といふことだ。人間はホモ・ファベールなので、外部の現象を、それ自体は変はらない物の動きとして捉へる傾向があるのだ、といふのも一つの回答かもしれない。社会生活上の必要性も一つの要素だらう。共同作業のためには、似たやうなものごとを同じ言葉で指し示すのが便利である。指すものごとは変化してゐても、言葉は変はらない。しかし、より基本的には、人間の記憶の役割が問題になるだらう。変はるといふのは、ある視点から継続的に見てゐて初めて言へることなのだから。