加藤嘉一の「脱中国論」

日経ビジネスOnlineは、登録すれば無料で見られるサイトだが、良い記事を掲載してゐる。その一つが加藤嘉一の「脱中国論」だ。1月12日の記事は、「“優越感”から脱却しよう」と題されてゐる。その末尾の部分に、かうある。

 

筆者は2008年、日本の国会議事堂に当たる人民大会堂で開催された日中経済・金融関連のフォーラムで通訳を務めた。1990年当時のバブル崩壊を経験された日本の財界人たちが、中国の政策に影響力を誇るエコノミストや企業家たちに対して熱心に説いた。
「今、中国の経済は間違いなくバブルだ。このまま放っておけば、崩壊するのは目に見えている。わが国の二の舞になりますよ。だから、われわれはその経験をあなた方に伝達するために、こうして足を運んでいる。貴国の経済が崩壊することは、わが国にとっても望ましいことではないですから」。
 22時過ぎに閉幕式が終了し、中国側の何人かと飲みに行った。日付けが変わり、アルコールが回ってきたころ、経済政策ブレーンの一人が筆者に漏らした。
 「加藤さん、今日、君の先輩たちが教えてくれた内容は、わが国の政府系シンクタンクが『日本経済のバブル崩壊から学ぶべき教訓』というタイトルで10年前にまとめた内部報告書とほとんど同じだったよ」。

 

この逸話を読むと、日本の置かれた知的停滞を強く感じる。日本は背面教師なのだ。その張本人が、何を教へようといふのか。中国は10年前に、日本の状況についてしつかり勉強してゐた。その10年間に日本は何をして来たのか。加藤氏の指摘するとほり、そこには無意識の優越感がある。そして無気力がある。

 

日本が、今のままでは立ち行かないことははつきりしてゐる。財政赤字も、少子化も、若者の失業も。かうした問題の多くは、日本だけのものではなく、先進国に共通だ。その背景にはグローバル化によつて、新興国が急速に台頭し、これらの国々と先進国の生活水準が平準化するといふ長期的な大きな流れがある。その過程で、製造業が先進国から新興国へと工場を移し、先進国の工場労働者の職が失はれるなどの現象が出てゐる。若者の失業や貧富の格差拡大は、その結果だと言へる。

 

今こそ、新しい考へ方が求められてゐる。社会が高齢化し、成熟するのであれば、これまでのやうなGDPの増加は期待できない。経済成長に代はり「経済成熟」の時代になるわけだ。そのための経済理論はあるのか。少子化対策は、保育所を増やすことだけでは足りない。女性が働きながら子育てができるやうに、また、男性が子育てに積極的に参加できるやうに、企業における働き方を見直す必要がある。「そんなことをすれば、ますます労働コストがあがり、新興国との競争に勝てない」などといふ議論で、現状を放置すれば、国内市場はますます衰退するし、失業者が増大して社会不安が高まるだらう。

 

要するに、今は、大変革期なのだ。全てを根本から考へ直し、世界の動きに眼を凝らし、新しい道を探るべき時だ。

 

加藤氏は、1984年生まれで、高校卒業後、国費留学生として北京大学に留学したといふ経歴の持ち主。かうした若い人がゐるのだから、日本も捨てたものではない。中年以上の日本人も、もつとしつかりすべし。