大震災が露はにした日本の弱点

3月11日の大震災は、日本の抱へてゐた弱さを露はにした。原子力発電所の安全対策は、その悲しい例の一つだが、言論の貧しさも、今後の大きな課題だと感じた。

今回の大震災への政府の対応には、批判が多い。確かに拙さが目立つ。しかし、揚げ足取りしかしない一部の批判者の言動を見てゐると、「この国民にしてこの政府あり」といふ感を抱く。

批判ばかりで、要するに何でも政府が悪いといふ態度は、暗に、その気になれば政府は何でもできるのだといふ現実離れした前提に立つてゐはしないだらうか。それは、全て「お上」任せの姿勢と大差のない無責任な言動だと感じる。

勿論、政治家や役人の責任は大きい。日本のことを考へるのが彼等の仕事だ。しかし、彼等も人間であり、自分なりの夢や希望を持つてもゐれば、弱点も抱へてゐる。さうした現実の姿を見ないで、公務員であれば私利私欲は捨てて不眠不休で働くのが当たり前だ、とでも言ふやうな態度は、公務員の雇ひ主たる国民としては、いささかお粗末ではなからうか。

今回の震災での政府の対応のまづさを否定するつもりは全くない。むしろ、特に総理官邸の酷さについては、誰よりも大きな声で言ひたい位だ。

しかし、我等が日本国は民主主義国家である。主人は国民だ。家臣の不始末は主君の責任だ。だとすれば、政治家や役人を働かせるにはどうすべきかを、真剣に考へる必要がある。現状の不体裁は、さうした検討が行はれてゐなかつたことを示す。

要するに、文句ばかり言つて事足れりとするやうな国民は、その程度の政府しか持つことができず、そのツケは国民自身が払ふこととなるのだ。現に、払ひつつあるのだ。

日本の抱へる問題は、エリートの不甲斐無さといふ観点からも見ることができる。それは、別の機会に。