量子力学の巨視的な効果

6月号の"Scientific American"誌に、Vlatko Vedral 氏の"Living in a Quantum World"といふ記事が出てゐる(p.20-25)。普通、量子力学は分子や原子レベルの微視的な現象にだけ有効なもので、巨視的な世界では、相対性理論も含めて、古典的な物理学が適用されると考へられてゐるが、最近の研究で、巨視的な現象にも量子的な効果が見られることが明かになりつつある、といふ話である。

 

量子力学の世界では、一つの電子が同時に二つの場所にあつたり、「量子もつれ」(entanglement)と呼ばれる状態にある二つの粒子は、離れた場所にあつても一つの物のやうな挙動を示すなど、巨視的な常識では理解できない現象が見られる。さうした現象が、巨視的な世界でも起つてをり、例へば、渡り鳥が地磁気を感じたり、植物が光合成により非常に高い効率で光のエネルギーを化学エネルギーに転換したりといつた生物の持つ不思議な性質も、量子力学で説明ができる可能性がある、といふのだ。

 

かうした動きについては、去年の1月に書いた自然の非局在性でも触れたが、非常に興味深い。Vedral 氏は、巨視的世界と量子的世界の間に境目がないとすれば、時間と空間といふ巨視的な枠組みは意味を失ひ、時間と空間が、根本的には時空のない世界からどのやうに出現するのかを説明しなければならない、と書いてゐる。Stephen Hawking 氏等の多くの物理学者は、相対性理論は、時間と空間を持たないより深い物理学に取つて代はられるべきで、古典的な時空は量子もつれの状態から decoherence の過程により出て来ると考へてゐるらしい。

 

Vedral 氏は、より面白い可能性として、重力はそれ自体が本物の力なのではなく、宇宙のその他の諸力の量子的な曖昧さから「余り」として出て来る「ノイズ」なのであり、量子的なレベルでは、重力は存在しないことも考へられる、と言ふ。この辺りまで来ると、なかなか話について行けなくなるが、仮に時間や空間といふ人間が世界を理解するための基本的な枠組みが、我々が「巨視的」と呼ぶ現象にだけ適用可能なものなのであるとすれば、重力が他の力の「余り」であるといふのも驚くには足りないだらう。

 

ともかく、かうした科学の発展は、人工的な光合成の実現などの実用的意味を持つだけに留まらず、時間、空間、因果律など、我々が世界を理解するために用ゐてゐる知的な道具では、世界の一面しか捉へられないことを示すといふ、哲学的にも大きな意義を持つものだと言へよう。