権力はどれも絶対的なものだ。戦争は、かうした事を理解させる。作戦は、参加者の一致がなければ成功しない。一致するためには、参加者の意識がどんなに高い時でも、命令が直ちに実行されなければならない。部下の誰一人として、判断や議論に耽ることは許されない。これは、どういふことか。拒否にも単なる躊躇にも、隊長は服従を強制しなければならず、それはすぐに最後の警告と、その直後の処刑につながるといふことに他ならない。さうでなければ、警告は馬鹿にされるだらう。戦争はあり得ることだと簡単に受け入れる人達が、ここで人権や正義を持ち出すのを見て、私は呆れる。あたかも敵が迫つてゐる時に、人間的になり正義を重んじる暇があるかのやうだ。人は、自分が何を欲してゐるのかを知らねばならない。
全ての権力は軍隊式だ。道が通行止になつてゐる。あなたは理由を尋ねる。しかし、警備員は何故かは知らない。そこで、場違ひな市民の権利を持ち出して、あなたは通らうとする。警備員は軍隊流にそれを妨げる。控への要員を呼ぶ。あなたが激しく抗議すると、すぐに殴られる。武器を見せると、警備員は先手を取つてあなたを殺す。もし権力が服従を強制する決意を持たなければ、もはや力は無い。もし市民が、この強力な仕組みを恐れる前に、それを理解し認めてゐなければ、秩序は無くなる。戦争は、どの街角にもあり、見物人は何発も喰らひ、正義は滅びる。
良からう。ファシズムの持つ正しいものが、多くの人達が強く感じてゐるものが、ここにある。しかし、理解する事が必要だ。考へを明確にせねばならない。この恐るべき権力を制限し、監視し、制御し、判断する必要がある。だから、文明人のこの服従は、彼らが権力に対して絶えず頑固に抵抗すると心に決めてゐるのでなければ、恐れるべきものになる。しかし、どうやつて抵抗するのか。彼らに何が残されてゐるのか。意見が残されてゐる。
私には、市民たる猟兵(良い市民、秩序の友、死に至るまで忠実な命令の執行者をかう呼ぶ)が、この命令に従ふといふ約束を検討した後で、さらにそれ以上のものを与へるのが理解できない。私が言ふのは、この無慈悲な隊長に喝采を送り、是認し、愛することだ。私としては、むしろ、市民の側も譲らないで、不屈の精神を持ち、警戒心で武装し、隊長の計画や理由については疑ひを感じることを望みたい。例へば、服従し過ぎて、戦争は不可避である、不可避であつたとは信じないこと。税金も歳出も一番正しく計算されてゐるとは信じないこと、といふ具合だ。つまり、最高責任者の行動やそれ以上に言説について、洞察力のある、決意を持つた、冷酷な管理を行ふことだ。自分の代表者達に対して、同じ抵抗と批判の精神を伝へ、権力が裁かれてゐると知るやうにすることだ。もし尊敬、友情、敬意がそこに入り込むと、正義や自由、そして安全そのものが失はれるのだから。これがラディカル(根源的・非妥協的)といふ適切な名で呼ばれる精神だ。しかし、愛することなく従ふことのできない弱い心の人達には、まだ良く理解されてゐない。