疑ふことを知らぬ体制派と従ふことを知らぬ反対派

東電福島原発の事故に関する議論を見てゐて、推進派は疑ふことを知らず、反対派は従ふことを知らない、といふ印象を持つた。そして、アラン(1868-1951)が、権力者には従はなければならないが、心まで許す必要は無い、といふ趣旨の文章を書いてゐるのを思ひ出した(1923年12月5日のプロポ)。

 

権力はどれも絶対的なものだ。戦争は、かうした事を理解させる。作戦は、参加者の一致がなければ成功しない。一致するためには、参加者の意識がどんなに高い時でも、命令が直ちに実行されなければならない。部下の誰一人として、判断や議論に耽ることは許されない。これは、どういふことか。拒否にも単なる躊躇にも、隊長は服従を強制しなければならず、それはすぐに最後の警告と、その直後の処刑につながるといふことに他ならない。さうでなければ、警告は馬鹿にされるだらう。戦争はあり得ることだと簡単に受け入れる人達が、ここで人権や正義を持ち出すのを見て、私は呆れる。あたかも敵が迫つてゐる時に、人間的になり正義を重んじる暇があるかのやうだ。人は、自分が何を欲してゐるのかを知らねばならない。
 全ての権力は軍隊式だ。道が通行止になつてゐる。あなたは理由を尋ねる。しかし、警備員は何故かは知らない。そこで、場違ひな市民の権利を持ち出して、あなたは通らうとする。警備員は軍隊流にそれを妨げる。控への要員を呼ぶ。あなたが激しく抗議すると、すぐに殴られる。武器を見せると、警備員は先手を取つてあなたを殺す。もし権力が服従を強制する決意を持たなければ、もはや力は無い。もし市民が、この強力な仕組みを恐れる前に、それを理解し認めてゐなければ、秩序は無くなる。戦争は、どの街角にもあり、見物人は何発も喰らひ、正義は滅びる。
 良からう。ファシズムの持つ正しいものが、多くの人達が強く感じてゐるものが、ここにある。しかし、理解する事が必要だ。考へを明確にせねばならない。この恐るべき権力を制限し、監視し、制御し、判断する必要がある。だから、文明人のこの服従は、彼らが権力に対して絶えず頑固に抵抗すると心に決めてゐるのでなければ、恐れるべきものになる。しかし、どうやつて抵抗するのか。彼らに何が残されてゐるのか。意見が残されてゐる。
 私には、市民たる猟兵(良い市民、秩序の友、死に至るまで忠実な命令の執行者をかう呼ぶ)が、この命令に従ふといふ約束を検討した後で、さらにそれ以上のものを与へるのが理解できない。私が言ふのは、この無慈悲な隊長に喝采を送り、是認し、愛することだ。私としては、むしろ、市民の側も譲らないで、不屈の精神を持ち、警戒心で武装し、隊長の計画や理由については疑ひを感じることを望みたい。例へば、服従し過ぎて、戦争は不可避である、不可避であつたとは信じないこと。税金も歳出も一番正しく計算されてゐるとは信じないこと、といふ具合だ。つまり、最高責任者の行動やそれ以上に言説について、洞察力のある、決意を持つた、冷酷な管理を行ふことだ。自分の代表者達に対して、同じ抵抗と批判の精神を伝へ、権力が裁かれてゐると知るやうにすることだ。もし尊敬、友情、敬意がそこに入り込むと、正義や自由、そして安全そのものが失はれるのだから。これがラディカル(根源的・非妥協的)といふ適切な名で呼ばれる精神だ。しかし、愛することなく従ふことのできない弱い心の人達には、まだ良く理解されてゐない。

 

今の日本では、多くの事柄は多数決で決められる。一人ひとりの持つ権利が同じ重さを持つのだとすれば、それが自然な解決策だらう。多数決では反対者もゐるのが普通だが、一度決められたことには、その人達も従はなければならない。さうでなければ秩序が保たれない。

 

また、日本は間接民主制を採用してゐるので、法律などの制度的な枠組みを決めるのは、我々の代表者だ。彼らの立場は、常に我々の意見と同じだとは限らない。その場合でも、一度選んだ代表者を交代させるには、通常、次の選挙まで待たねばならない。

 

この結果、多数派や代議士は権力を持つのだが、その濫用をどう抑へれば良いのか。権力を行使する手続きを定めるといふのが、その一つだ。法治国家である。最近の某国の総理の言動を見てゐると、この基本的な原理が理解されてゐないやうだ。総理は、何でも思ふとほりに決められるのであり、それがうまく行かないのは官僚が邪魔をしてゐるからだ、とでも考へてゐるかの如くである。

 

情報の公開も、重要な手段である。ただ、情報が公開されるだけでは足りない。人々が、その情報を分析し、咀嚼する必要がある。今の日本に欠けてゐるのは、この働きではないだらうか。情報公開法の制定などで、その気になれば、政府から以前とは比較にならないほど大量の情報を入手することができるやうになつた。しかし、その可能性を生かして、政府を監視するための仕組みが作られたといふ話は余り聞かない。新聞、テレビなどのマスコミが、かうした情報を根気強く追ひ続けて記事や番組を作るといふのも、例外的だ。

 

この点でツイッターなどのインターネットを利用した新しい情報伝達手段が注目される。マスコミが大きな力を持つてゐるのは、ラジオやテレビを放送するための電波、新聞の流通網といふ伝達手段を独占してゐるからだ。かうした手段を新たに構築することは多額の投資を要するので、新規参入は困難である。インターネットは、この事情を大きく変へた。小川和久氏がメールマガジンを出し、東浩紀氏が雑誌を出すといふ動きは、新しい論壇の形成につながる可能性を持つものであり、成功を期待したい。

 

民主主義の基本的な仕組みが十分に理解されず、権力を監視する国民の力も弱いといふ状態では、恐ろしくて国に強い権限を持たせることができない。しかし、それでは国を守り、公の秩序を守ることは難しい。日本の政治が抱へる問題は、根の深いものであり、解決には国民の政治に関する理解力、監視力を高めることが欠かせないと思はれる。広い意味での教育の抜本的な強化が必要だ。