エリートの衰亡(経営者の場合)

日本のエリートの質が落ちてゐるのは、公務員に限らない。会社の経営者達も、かつての社会的な責任感を失つてゐるやうに思はれる。

少し前まで、日本の経営者の基本的な責任は、雇用を確保することであつた。景気が悪くても、コスト削減等あれこれと工夫して、社員の生活を守るため、首切りを避けてゐた。今日では、リストラできる経営者の方が高く評価されてゐる。

経済のグローバル化で、日本企業の経営環境が大きく変はつたことが、かうした変化の背景にある。低コストの新興国企業が競争相手では、正規雇用者の高い賃金では戦へないので、労働者の流動性を高める制度改革が行はれる。

米国流の企業経営は、株主の利益を重んじる。株価を上げた経営者には多額の報酬が支払はれる。日本もこの「グローバル・スタンダード」に習ふべきだといふことで、労働者の給与が伸び悩む一方で役員の報酬が上がる。

新企業の立上げが重要だとなつて、株式の新規公開市場の整備が進み、何人かの若手経営者が世間の注目を集める。

個々の動きにはそれなりの経済的な合理性があるのだが、肝腎の部分が抜けてゐるといふ感を否めない。日米のベンチャー企業を比べると、それが分かる。

シリコンバレーには、大成功したベンチャー企業が数多いが、どの企業も、ミッションを明らかにしてゐる。その企業が社会にどのやうな貢献をするのかが、資金集めの段階で明確だ。さうでなければ、投資して貰へない。日本のベンチャー企業の場合には、どうすれば金が儲かるかは説明できても、その企業の活動が社会的に有用なものであることが分かり難い場合が多いのではないだらうか。

例へば携帯用ゲームの企業がある。ゲームが全て悪いとは言はない。しかし、同じ金が儲かるのならば、少しでも子供が健やかで賢くなるやうな製品やサービスで儲ける方が良いだらう。中毒でゲーム無しではゐられなくなるやうなゲームではなく、新しい世界に気付き、行動や成長につながるゲームが出てきて欲しい。

また、金持になつた後の態度も大事だ。ビル・ゲイツは別格で例として不適当かもしれないが、彼がAIDS対策に巨額の資金を投じてゐるのは立派だ。その成果も挙がつてゐると、Economist 誌で評価されてゐる。HP社の創業者の一人、バッカード氏は、子供のための病院を建てた。社会が儲けさせて呉れた金だから、一部は社会に還元するといふ姿勢が明確だ。

要するに、欧米の立派な経営者たちは、社会のこと、世界のことを考へてゐる、或いは考へてゐる振りをしてゐる。かつての日本の立派な経営者たちもさうだつた。これは、自分の会社のことだけしか眼中にないのとは大きな違ひだ。企業は安定した秩序などの社会的な条件が整つて初めて、活動し、利潤をあげることができる。社会の安定のために、企業としても何らかの貢献をすることが、企業自らのためでもある。

単に社会の既存のルールに乗つかつて金儲けだけを考へる(「法律に違反してゐなければいいんでせう?」)のか、より広い視野から、自ら範を示すことで、社会を良くして行かうとするのか。前者の型の経営者しかゐない社会は、長続きしないのではないだらうか。