スピーカーの周波数特性

スピーカーの周波数特性については、ツイッターなどでも議論が繰り返されてゐるので、一度、自分なりに整理して見た。周波数特性は、スピーカーの性能を判断する際に有効なのか否かが問ひである。

 

=本論の目的=

 

最初に、タイムドメイン(以下、TDと略す。)が目指すところを再確認して置かう。それは、原音の忠実な再生である。原音に何も足さず、何も引かないのだ。原音の波形の乱れを極力少なくする、エントロピーの増加を防ぐ、といふ言ひ方もできる。TD製品は、本当にこの目標を実現できてゐるのか。その理論的な根拠はどうか。
 
「何も足さない」点の分析は、タイムドメイン社のホームページに詳しい説明が出てゐる(「技術と理論」のページにある「高忠実度再生への新しいアプローチ」)。足すといふのは、意図的か否かに係はらず、原音には無い音が装置から出ることを指す。非常に説得的な説明だし、TDの一般的な音質の高さについては、あまり異論はないと思はれる。

 

他方で、「引く」といふのは、元々出てゐる音が出ない状態を指すが、TD製品は、本当に何も引いてゐないのかについては、特に低音について様々な議論がある。TDライセンス製品の富士通テン社のEclipse TD712 の Audiophile 誌の評価でも、"The Eclipse TD712z wouldn't play very loud and didn't go very low."と書かれてゐる。周波数特性の問題も、この低音再生の関連で持ち出されることが多い。
 
そこで、以下の文章では、スピーカーの周波数特性は重要か、といふ問題を、特に低音に注目して論じ、「振幅の周波数特性のフラットさは、良い音の再生のためには、十分条件ではないし、絶対的な必要条件でもない。」といふことを主張する。
 
=主観的な現象としての良い音=

 

先づ、基本的な問題として、音の良し悪しは人間が聴いたときの話であることを確認して置かう。良い音とは、単なる物理的な現象ではなく、物理学と生理学とが係はる問題なのだ。我々が見てゐる世界の姿が、左右の眼の網膜に映つた逆さまの像と深い関係があるとしても、それと同じものではないのと同様に、我々に聞こえる音は、鼓膜の振動と同じものではない。それは、聞いてゐる本人にしか分からないといふ意味で、主観的なものである。鼓膜の振動が我々が聞く音像になるまでに、どのやうな処理が行はれてゐるのかについては、科学的に必ずしも明らかではないが、幾つかの興味深い指摘がなされてゐる。
 
=科学的な事実=

 

以下の記述は、偶々手元にある John Powell 氏の"How Music Works"に拠る。

 

先づ、人間が音色を判断する際には、音の立ち上がりの部分が重要であること(p.43)。
馬鹿げた話に聞こえるかも知れませんが、私達はどの楽器が演奏されてゐるかについての多くの情報を、楽音そのものではなく、楽音が始まる直前に出る非音楽的な雑音から得てゐます。ゆつくりした音楽の録音を、各楽音の最初の部分を取り除いて再生するといつた、多くの実験でこれは証明されてゐます。さうすると、録音された楽音の大部分が残つてゐるにも係らず、どの楽器が演奏されてゐるかを判断するのが難しいのです。
 
次に、倍音を再生すれば、基音も聞こえること。これについては、前回書いたので、繰返さない。
 
=他のスピーカーとの比較=

 

この二つの事実を踏まへて、他のスピーカーと比較したTD製品の低音の特徴は、「情報量の多い音」であると言ふことができるだらう。

 

先づ、人間が楽器の音色を判断するためには、音が出始める時の、繰返されない「雑音」が重要な役割を果してゐる。振幅の周波数特性だけを見てゐると、位相のズレが無視され、過渡的な信号の歪みが分からない。波形の保存を重視するTD製品は、より正しく音色を伝へると言へる。

 

次に、低音の質だが、大型のスピーカーの場合、慣性力が大きいので反応が遅れる、複雑な振動モードで雑音が出る、といふ問題が生じる。TDの場合には、小型のフルレンジなので、かうした問題は無いが、低音の音圧が低くなる。倍音を再生すれば基音も再生されるといふ仕組みは、音圧の問題を軽減する方向に働く。この結果、演奏者がどのやうな音を出そうとしてゐるかについての情報量は、TDスピーカーの方が多くなる。

 

また、再生する音楽の種類や性質も、スピーカーの性能に影響する。生楽器(=倍音の豊かな音)の場合には、TDが有利だが、仮に15Hzの正弦波の強弱とリズムだけで作つた音楽があれば、それはTDでは再生できない。
 
以上見たやうに、TDの特徴は情報量の多さにあるが、低音の迫力を重視した「豊かな音」とTD流の「情報量の多い音」とのどちらが良いかは、結局、好みの問題だと言はざるを得ない。
 
=由井氏の意見=
 
実は、スピーカーの周波数特性の問題については、TDの開発者の由井啓之氏ご自身が、次のやうに書いてをられる(高忠実度再生への新しいアプローチ(4)「ラジオ技術」 83年10月号より)。

 従来の物理特性を頼りにつくられた、音楽に弱い物理特性スピーカ、反対に、物理特性に頼らず耳でつくられた音楽的スピーカ、どちらをも不満とし、ほんとうの音楽再生を目指して音楽を聴くことから始めて、音楽再生の必要条件、オーディオ理論と技術の見直しへと進んで来ました。
 従来とはずいぶん異なったコースをたどってしまったようですが、これが本来通るべきコースだったのだ、と思えます。正弦波によるf特、ひずみは間違った道とはいえませんが、音楽再生の必要条件ではあっても、十分条件ではなかったのです。
 f特、ひずみも究極の理想特性、すなわち、振幅・位相完全フラット、高調波ひずみゼロなら、時間領域特性も理想になります。
 辿る道は異っても、至る頂上は同じ、ということです。だが、理想に至ることはありません。もう十分と思っていたことや、何の問題もないとされていたものが、後にそうでなかったということは、オーディオの歴史において枚挙にいとまありません。われわれは常にオーディオの求道者です。どの道にいるか、どの道を進むかは重要な問題です。
=あるブログ管理人の評=

 

上記の文書で、由井氏は、「正弦波によるf特は、・・・音楽再生の必要条件」だと言つてをられる。ただ、これは、究極的な理想特性を考へた場合のことで、実際のスピーカーを作る時には、トレードオフが避けられず、設計の思想が意味を持つこととなる。Yoshii9 や Mini、Light のやうに、できるだけ多くの人に良い音を、といふ目標を実現するために、シングルユニットのフルレンジスピーカーを採用したTD製品の方式は、唯一ではないかも知れないが、一つの非常に正しい選択だと筆者には思はれる。最初に、「良い音の再生のためには、・・・絶対的な必要条件でもない。」と書いたのは、さういふ意味である。

 

ツイッターでも紹介されてゐたが、同様の意見を述べたブログがある。この「ブログ管理人」 の意見には、同感するところが多い。文章も気が利いてゐる。お時間のある方は、第11話から第20話あたりを、是非、読んで頂きたい。
 
=結論=
従来型の高級オーディを楽しむためには、百万円単位の金と、広い設置場所と、大電力が必要となる。TDは、その十分の一から百分の一の価格で入手でき、どこにでも置け、電池でも動くのだ。殆ど奇跡である。筆者は、その音を聞くたびに、由井氏に対する深甚なる敬意と感謝の念を新たにする。是非、なるべく多くの人に、TDで音楽を楽しんで頂きたいと思ふ。以上の雑文も、さうした気持から書いた。
 
なほ、筆者が持つてゐるTD製品は、自分で改造したMini、T-Loop 社のチューンした Mini E type、Light の三種である。Miniは、チューンアップすると格段に音が良くなるといふ印象を持つてゐる。これから買はれる方には、チューンアップ版をお勧めする。