日本衰退の原因

<日本文化の構造問題>
最近は、日本の現状を憂ふ声が高く、戦後の教育に問題があつたといふ点を指摘する識者が多い。占領軍に押し付けられた憲法が悪い、日教組がいけない、戦後の親の家庭教育が酷すぎる等々と他人の悪口ばかり言つてゐても改善は望めまい。日本文化の構造的な問題点を分析して、対策を考へる必要がある。卑見では、以下の二点が大きな問題点だ。

1)指導者層の社会科学的な素養の中核を成してゐた漢籍についての知識が、明治維新と敗戦によつて失はれ、これに代はるものがないため、社会と個人の関係といつた基本的な問題について、社会的な合意が欠けてゐること。

2)日本の社会的な規律では、立居振舞のやうに、言葉ではなく身体の動きとして伝へられた部分が重要だが、生活様式の洋式化でその基盤が失はれたこと。

<政治とは何か>
第一の構造的な問題が顕在化してゐる例としては、政治や企業に対する見方がバラバラなことが挙げられる。「政治とは何ですか。政治家はどんな仕事をする人ですか。」といふ質問を日本の老若男女に尋ねたら、どんな答が返つてくるだらうか。

支持政党を尋ねたり、「総理になつて欲しい政治家は誰ですか」といふ類の質問をする調査は多いが、そもそも政治とは何かについて日本人がどう考へてゐるかの調査結果は余り見たことが無いので推測で述べるのだが、「政治とは、通常の道筋ではうまく解決できない問題を、裏に手を回すなどの普通の人には分り難い手を使つて何とか片付ける方法であり、一定の見返りを前提にそれを手助けする人が政治家だ」といふ見方をする人が多いのではないだらうか。「政治的解決」といふ日本語には、明らかにかうした含みがある。政治とは、何やら後ろ暗いところがある仕事なのだ。「清濁併せ飲む」といふ言葉も、さうした意味に解されることが多い。

しかし、本来、政治は社会に生きる人間にとつては欠くことのできない活動の一つで、難しいものではあつても後ろ暗いものではないはずだ。人はそれぞれがそれぞれの慾望や目標を持つてゐて、他人の慾望や目標と相入れないことも多い。その場合に、どうやつて一致点を見いだすか、広義の政治の仕事はこれだ。より具体的には、多様な利害を持つた人々が一緒に暮らせるやう、法律をはじめとする様々な社会制度を構築することが政治の基本的な目的である筈だ。

日本の社会科教育では、衆議院の定員などの現行の政治制度については教へるが、かうした政治の基本的な役割を教へることが少ないやうに思ふが如何だらうか。この基本的な役割が国民の常識になれば、政治についての関心は、先づ、今の諸制度が世の中の実情に合つたものになつてゐるか、政治家はそのために必要な努力をしてゐるか、といふ点に集まる筈だ。この条件が満たされてゐる限り、誰が総理になるかは二次的な問題であり、一政党内の内紛など些末な問題である。

<企業の役割は何か>
企業の役割についても、日本人の見方は分裂してゐる。「金儲け」は善か悪か、といふ言ひ方にすれば、それが一層はつきりするだらう。商売とは人を騙すことか。そんな商売は長続きしない。健全な商売は、世の中の役に立つことで自分も利潤を得るといふものであるはずだ。金儲けは善か悪か。良い金儲けと悪い金儲けがある、といふのが答だらう。良い金儲けとは、世の中の役に立つ金儲けであり、悪い金儲けは、他の人達を犠牲にする金儲けだ。良い社会とは、良い金儲けが認められ、悪い金儲けが排除される社会であるはずだ。

そんなのは綺麗事で、それでは会社が潰れてしまふ、といふ声が聞こえる気がする。しかし、さう言ふ人達でも、企業の存続や自分の昇進のためには、法律に違反しても構はない、とまで考へてゐる人は少ないだらう。認められる行動と認められない行動の間のどこに線を引くかは常に難しい問題だが、超えてはならない一線があることについては合意が必要だ。これがなければ社会の秩序は維持できまい。

さらに、法律に違反しなければ何をしても良いのか、といふ点についても一考が必要だらう。世の中は複雑で、新しい動きも出て来るので、法律に全てを定めることはできない。法律に違反しなければ構はない、といふ考へ方で皆が動けば、そしてその動きが社会の秩序を乱す結果となれば、早晩、新しい法律が導入されるだらう。その結果、企業の活動は制約される。それよりは、法律がなくても、産業界において望ましい慣行が広まる方が、社会全体としては不要な手間を省くことができる。さうした慣行を広めることができるかどうかが、その国の民度を量る尺度だと言ふこともできるだらう。

企業の社会的責任といふ言葉が一般的になつても、それが意味するところが必ずしも明確でないのは、企業のあるべき姿、望ましい金儲けについて、日本人の間に共通の理解が欠けてゐるからだと思はれる。

(続く)