建前と理念

橋下徹大阪市長従軍慰安婦を巡る発言が話題になつてゐる。ツイッターで橋下氏の発言を読んでゐると、建前と理念との違ひが理解されてゐないことを痛感する。この点を明確にしない限り、日本が世界の一等国になることは無理だらう。また、自国の過去の行ひを正当化するといふ目的だけで、結果的に日本の好ましくない部分にだけ焦点を当ててゐるのも、稚拙だと言はざるを得ない。

1.建前と理念

(1)「理念」が見えない橋下市長の発言

「建前」といふ言葉は「本音」と対になつて使はれ、実態や本心である「本音」をそのまま言ふと差し障りがあるので、世間体を取り繕ふために前に出すのが「建前」だと理解されてゐる。「本音」は事実であり、人間の自然な気持ちの正直な表れであるのに対して、「建前」は、口先だけのことであり、嘘であるといふのが、一般的な受け取り方ではないだらうか。

他方、「理念」は、辞書に依れば「ある物事についての、こうあるべきだという根本の考え」で、「憲法の理念を尊重する」といふ例文が挙げられてゐる。

橋下市長の発言に典型的に見られる日本の基本的な問題は、「建前」はあるが「理念」が欠けてゐる、といふことだ。男が女を求めるのは事実だらう。特に戦場といふ特殊な状況に置かれると、さうした欲求が異常に高まる場合がある、といふ事も正しいだらう。問題は、それでは、どう対応するべきか、といふ点にある。橋下市長は、まさにこの問題を世間に問ひかけてをられるお積もりなのだらうが、ご自分の意見は明確にされない。ただ、発言からは、所詮、日本以外の国でも従軍慰安婦のやうなものを使つてゐるではないか、なぜ日本だけが非難されるのか、といふお考へが窺へる。必要なものは必要だ、といふことだらう。慰安婦の否定は「建前」に過ぎない、といふことだらう。

軍における性欲の処理についてどのやうな対応が正しいか、といふことについては様々が議論があり得る。ここでは、それを論じるのが目的ではない。重要なのは、国際社会で(あるいはどのやうな社会においても)尊敬されるためには「理念」を示すことが必要である、といふ点だ。

人間が集まつて平和に暮らすためには、「理念」が欠かせない。事実ではなく、当為だ。例へば、「盗むべからず」。かう言へば世の中から盗みが無くなる訳ではない。しかし、盗んではならないといふ理念がないと、そして大多数の人がそれに従はないと、社会の秩序は保てない。「理念」が現実から遊離すると、空論になる。誰も守らない決まりなど、決まりの価値を損ねるといふ否定的な意味しか持たない。現実を踏まへつつ、社会が追ひ求める「理念」を示すことは難しい。しかし、これこそ、政治家の役割ではないだらうか。

売春は日本では法律で禁じられてゐる。これは「建前」に過ぎず、法律は無意味なのだらうか。しかし、かうした法律が出来た背景には、身体を売らねばならないやうな状況に女性を追ひ込むべきではないといふ「理念」があつた筈だ。誘拐されて女郎屋に売られたり、貧しさから自ら身を売つたりすることがあつてはならない、といふ思ひがあつた筈だ。橋下市長の発言から感じられないのは、さうした「理念」だ。

(2)民主主義が根付いてゐない日本

なぜ日本では「建前」はあるのに「理念」はないのだらうか。それは、日本に民主主義が根付いてゐないからだと言へるだらう。

民主主義とは、有名なリンカーンの演説にもあるやうに、国民が自らの手で、自らのために、自らを治めることだ。君主から決まりを与へられるのではなく、国の基本的なあり方(憲法)から日々の暮らしの枠組みを定める規則まで、自分の手で、あるいは自分で選んだ自分たちの代表を通じて決めるのだ。

さうした決まりをつくるためには、基本的な考へ方、つまり「理念」が欠かせない。「理念」を持つてゐないといふのは、自分で決めてゐないからだ。決めるのは「お上」で、自分はそれに従ふ、あるいは従ふふりをするだけだからだ。学校でも、出来上がつてゐる社会の仕組みは教へても、何故そのやうな仕組みになつてゐるのかを教へることは少ないのではないだらうか。

日本が世界の一等国になるには、「理念」を示す力を鍛へることが不可欠だらう。それは、民主主義の勉強を一からやり直すことと同義なのだが。

2.世界に何を伝へるか

橋下市長の発言のもう一つの問題は、過去の日本の立場を正当化しようといふ思ひが強いばかりに、結果的に日本の否定的な部分に世界の注目を集めてゐる、といふ点だ。稚拙な戦術と言はざるを得ない。

その論拠も、上に述べたやうに、他の国でも似たやうなことをしてゐるぢやないか、といふものなのだから、悲しくなる。少し前に、日本男性のアジアにおける買春ツアーが顰蹙を買つたことは忘れたのだらうか。日本とは色と金だけの国なのか、といふ諸外国の見方を強める結果に終はるだけだ。

さうした話をするよりも、日本が過去にアジアの諸国の発展のために成した貢献や、アジアの将来像について語る方が、どれだけ有効だか知れない。

日本を愛する人達には、よくよく考へて頂きたい。