国の記憶

個人の記憶は自然に残るが、国の記憶は、世代が変はると消えて仕舞ふ。この自然の流れに反して国の記憶を残すためには、意識的な努力を続けることが必要だ。教育が、その基本的な手段となる。

日本の場合、幾つかの理由でこの国の記憶を保つ仕組みが揺らいでゐる。

そもそも、日本人は「水に流す」のが好きだ。昔のことをいつまでも根に持つのは嫌がられる。村社会では、いろいろな出来事を乗り越えて、一緒に暮らし続けなければならない。「水に流す」のが生活の知恵だつたのだらう。しかし、日本人も、残すべき記憶は残す努力をして来た。伊勢神宮式年遷宮は、その一例だ。終戦記念日の式典も、何かを忘れないための仕組みなのに違ひない。

問題は、日本の歴史について次の世代に何を伝へるかといふ点で、意見がバラバラなことだ。特に、先の戦争をどう語るか、様々な議論がある。ABCD包囲網に絡め取られ、国が生き残るために仕方がない戦だつたのか、アジア諸国に甚大な被害を与へた侵略戦争だつたのか。

前者の意見の人達にとつては、終戦記念日は日本の為に戦つて命を落とした英霊を思ひ起こす日だ。後者の立場の人達には、二度と侵略戦争を起こさないやう反省する日になる。

中国、韓国などからあれこれと注文が付くので、話が余計にややこしくなつてゐる。自分の国の歴史をどう語らうが勝手だらう、と苛立つ気持ちも分からないではない。

かうした海外の意見をどう扱ふかはともかく、日本としての考へを整理することが不可欠だ。歴史を語る際には、取捨選択が避けられない。どうしても、ある視点から眺めた景色となり、一面的になる。さうした制約を意識しながら、何を後世に伝へるのかを考へなければいけない。

歴史を学ぶのは、過去の誤りを繰り返さないことが大きな目的だらう。先の戦争については様々な意見があるが、同様の戦争を起こしてはならない、といふ点では異論は少いと思ふ。さうであれば、戦争で何が起きたのかを、良く知るべきだ。嫌な事からも眼を背けてはならない。さうした事こそ、しつかりと見るべきだ。

日本の戦争が侵略戦争ではなかつた、といふ意見は、事実から眼を背けたものだと言はざるを得ない。朝鮮や満州での日本の行ひが侵略でないとすれば、この世に侵略など存在しなくなるのではないか。仮に中国や朝鮮が、日本国内の親中派などと組んで日本に軍隊を送り、日本の要人を暗殺し、教育を中国語で行ひ、名前を中国風に変へさせたとしたら、喜ぶ日本人がどれだけゐるだらうか。

東南アジアに侵攻した日本軍が、現地の住民に対して何をしたのかも忘れてはならない。沖縄に駐留する米国軍人が起こす暴行事件は、大きな問題だが、当時の日本軍人が関与した事件は、数の上でも悪質さといふ点でも、遥かに酷いものだつた。

日本国民は、多くの戦死者を出しただけでなく、非戦闘員も東京大空襲、広島、長崎の原爆などの大量殺戮の犠牲となつた。被害者としての気持ちが強いのは、当然だ。他方で、日本全体としては、加害者であつたことも否定できない事実だ。

だとすれば、終戦記念日には、先の戦争の犠牲となつた内外全ての霊を慰めるとともに、かうした戦争を起こしたことを反省し、二度と過ちを繰り返さない姿勢を明確にすることが大切だらう。

これは、ある意味で、中国、韓国などに謝り続ける、といふことだ。水に流すのを好む日本人には辛いかもしれないが、過去の過ちは事実なので、仕方が無い。その傍、これらの国々との協力関係を積み重ねて行けば、やがて謝ることが意味を失ふだらう。

だからと言つて、中国や韓国の言ふことを全て唯唯諾諾と聴くといふ訳ではない。逆に、日本が過去の過ちを認めれば、例へば中国のチベットでの行ひを批判することも可能になる。外交においては、武力だけでなく、理(すぢめ、ことわり)が重要な手段となる。慰安婦問題に関する日本の政治家の発言が米国から批判されたことからも分かるやうに、過去の過ちを否定しようとすることは、この重要な手段を自ら放棄することになる。

過去をしつかりと見ることは、日本の将来を拓く道でもあるのだ。