軍と民主主義

アランの1923年4月10日付のプロポ。
ルイ十四世は組織や代表者による要求と見えるものを受け付けなかつた。しかし一人一人には好意的で、耳を傾けることもあつた。恩恵を求めてゐるのが明らかで、服従が問題にされない場合には、特にさうだつた。私は、部隊長達を観察して本物の権力を知つてから、かうした事柄がよく分かつた。どの部隊長も下位の者達を極めて厳しく支配し、責任を取らせ、何も渡さなかつた。不服を申し立てられることなく紙一枚で郵便担当下士官を砲手長に就かせ、ワインを計つてゐる人間を砲撃観測所に送ることができれば、難しい事ではない。部隊の人間は、個人の立場で話せば簡単に受け付けられ、何時でも話を聴いて貰へた。しかし、戦友を代弁してゐると見えれば、スープについての不平を述べるのでも、力づくや脅しで直ぐに追ひ返された。私達の政治で力を持つ人達は全くこの逆を行つてゐる。しかし、多少とも頭があれば、やがてこの体制そのものが革命的であることが判り、いつも上に述べたやうな軍隊の権力を羨むだらう。恩恵さへ与へれば人が思つてゐる以上に愛され、命令はどんなものでも即座にほぼ自動的に遂行されるのだから。
軍隊の権力は、大きな動きでは、文民の権力に従ふ。しかし、軍制と階級については、さうは行かない。大臣は、軍人でなければ、この大きな機構を前にして部外者だと感じ、秩序を乱しはせぬかと心配になるだらう。そこでは文民の制度を統べるのとは全く異なる原則により全てが統制されてゐるのだ。同時に、大臣はあの王達の恐怖を味はふ。摂政だつたと思ふが、ある王が述べてゐた、全てを容易にする部隊の服従が、突然失はれるかもしれないと考へると感じる恐怖を。かうして軍は服従すると見えるが、実際は支配してゐる。実際に服従はするが、組織としては、ルイ十四世時代のやうに当時と同じ手段で、全てに命令を下す。その性質に従つて自らの存続だけを考へてゐるのだが、それで事は足りる。この階層構造の組織は、養はれることを求める。もつと上手く言へば、待つことなく、待つことができずに、自らを養ふ。 補給用の車両、准尉の視察、営倉の監視、衛兵の交代、全てが揺るぐことなく進み、既成事実と同じやり方で自分に引き付ける。軍人は何も提案しないし、求めもしない。在るのだ。その力強い在り方で、全ての存在を方向付けるのだ。組織化や変更、政治組織のやうな計画に依るのではなく、シーザーやアレキサンダーの時代と同じく、組織として出来上がり動かせないものとして。また、政治的な軍人が政治を動かすのではない。彼は色々な考へを持ち雄弁な人間だが、そのため、政治的な条件に従ふことになる。支配する軍人は、政治を行ふのではなく、行ひたいとも思はず、政治に係はらないことを自慢する。彼は命令を待つ。しかし補給を待つことはない。切り離されてをり、大食ひなのだ。その力であらゆる場所を占領し、茂みの鹿のやうに、そのゐる場所の全てに自分の形を伝へる。かうした原因から、文民政権の従順さが理解できる。物を知らないか全てを混同してゐる時には無闇に言ひ争つてゐて、決意を固め先が見えるに従つて、直ぐに無言で従ふ。かうして、内政の問題は全く外政の問題に従属してをり、人々は平和を追ひ求めることで自由を見出し、他の道はないのだと分かる。
 
軍隊は物理的な力で国を守るための組織だ。その力は本来、外に向くものだが、国内の政治的腐敗などに我慢ができなくなると、内に向かつて使はれることがある。これが途上国で見られる軍事クーデターで、日本でも戦前には起こつた。国際的な平和が揺らいで来ると、軍隊は不可欠になる。しかし、アランが言ふやうに、軍隊は民主的な政治原理とは異なる原則で動き、その存在が大きくなると自由が抑制される。
 
北朝鮮のやうな国で生じてゐるのは、まさにさうした現象だ。現実のものであらうと為政者の宣伝に因るものであらうと、自ら招いたものであらうと外国の侵略的な動きに因るものであらうと、外の脅威が高まつたと感じられると、軍の力が強くなる。政治指導者は軍の反乱を何より恐れるので、外の脅威を強調して国内の反対意見を抑へようとする。国内の不満を抑へるため、宣伝で自らの正当性を印象付け、異論は力で抑へ込む。軍事的な原理の力が更に高まり、自由は遠くなる。

 

シリアの内戦の話を聞くと、秩序の安定が人々の幸せに如何に重要かが良く分かる。強圧的な政権でも、無くなつて秩序が維持できなくなると、人々にとつては更に酷い事態が生じる。悪法も法であり、従はねばならぬといふ考へ方は、秩序維持の大切さから出て来る。

 

民主的な政治が平和を保障するといふ意見がある。しかし、アランが言ふやうに、文民は従順で、国の危機を前にすると好戦的になる。戦前の日本では新聞の扇動もあり、世論は好戦的だつた。最近では9.11の後の米国の世論がその例だらう。

 

かくて、自由への道は険しい。アランが説いてゐるやうな軍と自由との関係を良く理解することが、第一歩になるだらう。歴史から学ぶことも欠かせない。今の日本の自由がどのやうな条件で成り立つてゐるのかを反省してみる事も無益ではあるまい。