PCR検査を増やすべし!といふ議論の盲点

PCR検査を増やせ、といふ論が続いてゐる。この主張には尤もなところもあるのだが、盲点もある。少し整理してみよう。

情報は多いほど良いといふ信念

「もつと検査を」論の根本にあるのは、情報は多いほど良い、といふ信念だ。「情報至上主義」と名付けて置かう。しかし、美味しい食べ物でも食べ過ぎといふことはある。検査数をどれだけ増やしても、その結果が正しいのか、正しいとしても、その結果を受けた対応が現実に取れるのか、といふ点が明らかになつてゐないと、食べ過ぎてお腹を壊すだけに終はる。

検査が正確であるといふ誤解

PCR検査は正確で、これを使へば感染の有無が明確になると思ひ込んでゐる人が多い。残念ながら、実態は違ふ。これについては、下の忽那賢志氏の記事が分かり易い。

簡単に言へば、検査が陰性でも感染してゐること(偽陰性)があり、逆に陽性でも感染してゐないこと(偽陽性)がある、といふことだ。前者では、自分は大丈夫と誤解した人が感染を広げる恐れがあり、後者では感染してゐないのに入院や自宅待機を強ひられるといつた事態が生じる。それが、上の記事での事例にあるやうに、1000万人を検査すると1320人の真の患者が見逃され、その10倍の1万人の偽陽性が生じるといつた規模で起きるのだ。

検査にはリスクがないといふ誤解

また、検査にはリスクが伴ふといふ事実も十分に理解されてゐない。PCR検査のためには患者の喉からサンプルを採るのだが、その際に激しく咳き込むことが多く、採取する医療従事者のリスクが高まる。

患者側にとつても、病院は感染者が集まる場所で、感染リスクが最も高い場所の一つだ。そこに人が集まることは感染拡大の恐れを高める結果となる。

これに対して、PCR以外の検査技術が出てゐる、韓国のやうにドライブスルーで検査すれば良い、といつた反論もあるだらう。これらの方式にはそれなりの問題点もあるが、仮にこれらの方式を採用したとしても問題は残る。

行動に結びつかない情報は無意味

それは、検査の結果を受けてどのやうな対応を取るか、といふ点だ。

先づ、検査で陽性の場合に、どのやうな治療を行ふのか。現時点では、COVID-19の特効薬がある訳ではなく、対症療法しかない。その内容は検査の結果如何に依らないのだ。それに、PCR検査をしなくても重篤な肺炎であることは分かる。

次に、陽性の人は全員を入院させるのか。軽症者も含めて入院させたために重症患者が入院できなくなるといふ事態は、感染が急速に拡大した国々では実際に生じてゐるだらう。日本ではどうなるか。

「情報至上主義」の人達は、しばしば、病院が足らないのだから増やせばよいではないか、といつた理想論を主張する。そのための費用は誰が負担するか、といふ問題はしばらく置くとしても、たとへ中国のやうに一週間で新しい病院を建てても、医者や看護師を一週間で増やすことはできない。

軽症患者は自宅待機にすれば良い、との反論もある。実際、患者が増えてくれば、さうせざるを得なくなるだらう。政府もさうした方針を決めてゐる。しかし、少なくとも現時点では、入院することが原則になつてゐる。実際に自宅待機が必要になつた際に、それが円滑に行はれるのか、疑問は残る。家族への感染といつたリスクもある中で、軽症とされた人達が自宅待機で納得するだらうか。重症か軽症かの判断が公平に行はれるだらうか。*1

勿論、検査しなくても感染者は感染者であることに変はりはなく、知らないうちに感染を広げてゐるのかも知れない。しかし、現状で大きな問題がないのであれば、リスクを犯してまで新たな混乱の種を蒔くのが賢いやり方なのか、問ひ直すべきだらう。

要はバランスの問題

検査が悪いと言ふのではない。検査に伴ふリスクと、便益とを比較した上で、適切な検査のあり方を考へるべきだ、と言ふのだ。今の日本は、韓国に比べてPCR検査の能力が低く、その結果、検査数は少ないが、死者を見ると韓国の1/4だ。検査を増やせば良い、といふことではないのは、この数字で明かだらう。

現実の制約を踏まへた上で何が最適な対応かを議論する必要がある。責任のない立場の人達が自分の頭で考へただけの対策は、たとへどんなに良い頭の人が善意に基づいて考へたのだとしても、現実には害を及ぼすこともあるのだ。

なほ、このブログの管理者は歴史的仮名遣ひを用ゐてゐるので、安倍政権を擁護する右翼だと誤解される方もあるかも知れないが、事実は全く逆であることを念のため申し述べる。

*1:韓国には生活治療センターといふ仕組みもあるやうで、日本の参考になるかも知れない。

他方でこのセンターも運用に苦労してゐるとの報道もある。