正しい知識を得るための仕組み(II-2 枠組の構築:政治)

某国大統領が多用することで「フェイクニューズ」といふ言葉が流行つたが、フェイクではない本物のニュース、正しい知識*1を得るためには何が必要だらうか。

知識は空から降つては来ない

先づ「人の世の中に役立つもので、何もせずに手に入るものなど無い」といふ基本的な事実を忘れないことが大事だらう。空から降る雨も、それを蓄へ田畑に導くなどの仕組みがあつて、初めて役立つのだ。知識も例外ではない。誰かが働いて生み出してゐるものだ。

私達が学校で学ぶ知識は、すでに出来上がつたもの、不変なものとして教へられる。しかし、その知識も空から降つたものではない。誰かが思ひつき、確かめたのだ。さうした人々の作業がすべての知識の背後にあるのだ。

知識の正しさを確かめるには、それがどのやうな人々によつて、どのやうに作られたものかを知ることが大切だ。

知識の正しさを決める仕組み

知識の正しさは、どのやうにして決められるのだらうか。その仕組みはそれぞれの社会に組み込まれてゐる。

学問の世界では、専門家の集まりである学会といふ制度があり、新しい知識を載せた論文を発表するための学会誌や会合がある。学会誌に掲載される論文は、査読といふ仕組みによつて一定の品質が保たれる。発表内容については、疑問や質問が、学会誌上あるいは会合の場で出されて、議論が戦はされる。かうした一連の作業を経て、学界としての定説が決まつて行く。

議論の過程では、実証が重んじられる。正しいとは、現実に合つてゐるといふことなのだから、それを確かめようとするのだ。自然科学の場合には実験が重要な手段となる*2。人文社会科学の場合には、実験が難しいことが多いので、過去のデータを元に議論が行はれることが多くなる。

かうした作業を経ても、意見が一つに纏まらないこともある。その場合には、定説無しの状態が続く。また、一度定説が出来上がつても、その後に発見された事実によつて、これが覆されることもある。

いづれにしても、学問が、世の中に正しい知識を生み出すための基本的な活動なのだが、その活動は、税金や寄付によつて支へられてゐる場合が多い。学問は、すぐに収入に結びつくとは限らないからだ。どれだけの資金を学問に振り向けるかは、市場によつては決まらないので、それぞれの社会が社会の意思によつて決めるべき問題となる。

正しい知識を広めるには

正しい知識も、世の中に広まらなければ役に立たない。知識の普及には、最新の医学について現場の医師が学ぶやうに、或いは、最新の材料技術について現場のエンジニアが学ぶやうに、学問の成果が現場の専門家に伝へられる場合がある。最新の知識が現場の医療や製品の設計・製造に生かされることで、私達は正しい知識の恩恵に与かる。

他方で、ウイルスの伝染を防ぐために「密」を避けるといふやうに、学問の成果を私達が直に使ふ場合もある。専門的な知識が一般に伝へられる場合だが、この場合には、伝へるための媒体や、伝へる人が問題となる。専門的な知識を、一般にも分かるやうに、噛み砕いて、しかし正確さを失はない形で伝へる、といふのは難しい仕事だからだ。

 従来、この役割は新聞やテレビのやうなマスメディアが果たして来た。ところが、インターネットの登場によつて、知識の伝達の仕組みが大きく変はりつつある。個人でも「情報」を簡単に発信できるやうになり、出所のよく分からない「情報」が増えた。新聞やテレビは、職業として情報伝達をしてゐるので、情報の取捨選択をしてゐるのだが、インターネットを流れる「情報」は、さうとは限らない。

インターネットの問題は、出所不明の「情報」が流れるといふだけに留まらない。新聞やテレビなどの職業的なメディアが、広告収入の減少によつて、そのサービスの質を落としてゐることが大きな問題だ。広告は、グーグルなどのインターネット関連サービスに流れてゐるのだが、グーグル検索によつて得られる「情報」は、世の中で閲覧数が多い情報かも知れないが、それが正しいといふ保証は、どこにもない。

ここでも、正しい知識の普及をどのやうな仕組みで行ふか、そのために必要な費用を誰がどのやうに負担するか、といふ社会の仕組みの在り方が問はれてゐる。

健全な社会には正しい知識が欠かせない

健全な社会とは、正しい知識に基づいて動く社会だらう。事実を踏まへないで物事を決める社会は、長続きしないのだから。それほど正しい知識が社会に欠かせないのだとすれば、正しい知識を産み出すとともに、これを世に広めることが重要になる。 

正しい知識は健全な社会で育つ

そして、これらの活動に必要な費用を、誰かが何らかの形で負担することが求められる。正しい知識を「ただ」で得られるといふことは、あり得ないのだ。さうした費用の負担を厭はない社会こそが、健全な社会と言へるだらう。

*1:ここで「正しい」といふのは、事実に即してゐる、現実を反映してゐる、といふ意味である。人の倫、正義に適つてゐる、といふ意味ではない。

*2:自然科学の分野でも、宇宙の起源をめぐる議論の場合のやうに物理的制約によつて、或いは、人間の遺伝子組み換へのやうに倫理的な理由から、実際に試してみることができない問題もある。