ケインズ『孫たちの経済的可能性』(II-1 経済:生活を支へる)

「経済問題は解決する」との予想

ケインズ(1883-1946)が、1930年に『孫たちの経済的可能性』といふ文章を書いてゐる。元々はマドリッドで行はれた講演を文章化したもので、ネットで原文と、山形浩生氏による翻訳*1を見ることができる。

ケインズはこの中で、講演の100年後の2030年には、生産性の向上により、人々は週に15時間、1日に3時間働けば生活できるやうになるだらうと述べてゐる。生活に必要なものをどのやうにして手に入れるかといふ経済の問題は、大きな戦争や人口の大幅な増加が無ければ、100年で解決される、あるいは解決の見通しができる、と言ふのである。2030年まであと10年足らずだが、とても3時間労働の社会は実現しさうもない。ケインズは何を間違へたのだらうか。

なぜ予想は外れたか

櫨浩一氏による東洋経済ONLINEの記事では、以下のやうな理由が挙げられてゐる。

  1. 所得の上昇に伴って、われわれが考える「生活に必要なもの」の水準も高まったこと
  2. 「最低限の生活」をしようと思ったとしても、「高級なもの」を購入せざるをえず、最低限度の生活をするコストが上昇してしまっていること
  3. 基本的な生活の改善速度が低下している一方で、人間の高度な欲求の充足度は急速に高まっていること
  4. 所得や富の分配に偏りがあること

櫨氏はあまり強調してをられないが、四番目に挙げられてゐる所得の分配が、そして、所得が労働の対価であるといふ状態(「働かざる者喰ふべからず」)が基本だとすれば、労働の分配がうまく行はれてゐないことが、根本的な原因ではないだらうか。生産性の向上が、労働時間の短縮ではなく、減少した仕事の奪ひ合ひといふ結果を生んでゐるのだ。仕事の奪ひ合ひは、国家間でも、企業間でも、個人間でも起きてゐる。

なぜ労働の分配が進まないか

本来であれば、生産性の向上によつて、世界の人々が必要とする財・サービスの生産のために必要な労働量が減つてゐるのだとすれば、その分だけ、皆が働く時間を減らして、余暇を楽しめば良いはずだ。

しかし、企業間の競争が前提となつてゐる社会において、実際に、生産性の向上が、労働者の削減(それに伴ふ失業の増加)ではなく、労働時間の短縮につながるためには、労働時間、賃金、労働環境などに関する社会的な規制が必要である*2。先進国では、かうした制度により企業間の競争に一定の枠組を設けることで、生産性向上の恩恵が広く行き渡る工夫がなされて来た。

また、働くことが好きな人は、好きなだけ働けば良いが、所得はある程度を超えると働いても増えないやうにして、その分を他の人達に配分することにすれば、好きで働く人によつて他の人達の仕事=所得が「奪はれる」ことはない。先進国では普通になつてゐる所得税累進課税は、さうした仕組みだと見ることができる。

しかし、この種の仕組みがうまく働くためには、経済圏全体でこれを採用する必要がある。貿易や投資の自由化によつて世界全体が一つの経済圏になると、世界のすべての国々が、協調して採用しなければならない。

ところが、実際に起きてゐるのは、主要国間の「経済戦争」だ。主要国が直接、物理的に争ふ戦争は、幸ひにして第二次大戦後には起きてゐないが、大国間の主導権争ひは経済の分野で続いてゐる。現在では、米国と中国との関係が典型的だらう。生産性の向上を労働者の待遇改善につなげるために必要な制度の導入について、現状では、主要国間で何らかの合意が成り立つ見込みは小さいと言はざるを得ない。

世界的な合意は欠かせない

しかし、現状では多くの困難があるとしても、経済活動の在り方について、世界的な合意がなされることは、私達の幸せのためには不可欠だ。何の制約もない国家間の経済競争が続けば、過剰生産、独占、失業といつた様々な問題が避けられないのだから。

また、資源制約の観点からも、経済的な「軍拡」を放置することはできなくなつてゐる。漁業資源の枯渇は、すでに大きな問題になつてゐる。地球環境維持の観点から、エネルギーの開発や利用についても、国際的な合意が求められるやうになつて来た。

競争による刺激は、文明の発達に欠かせない要素ではあるが、この地球といふ限られた場所で人々が共存して行くためには、共通的な制約を課すことが必要だ。かうした認識が広まり、国際的な合意が生まれるやう働きかけることが、日本の重要な役割ではないかと思ふ。

 

*1:このケインズの文章の翻訳は、ケインズ全集などの形で出版されてゐるが、翻訳家の山岡洋一(1949-2011)が厳しい評価を下してゐる。

*2:生産性の向上で価格が下がれば、需要も少しは増える。しかし、先進国においては基本的な需要はほぼ満たされてゐると考へて良いだらう。また、生産性の向上で、新たな需要が喚起されることもあり得る。しかし、現代人が一番足らないと感じてゐるものは、(お金を除けば)「時間」ではないだらうか。労働時間が短くならなければ、新たな需要を生むことは難しいだらう。