民主主義の衰退

コロナウイルスへの対応や、アフガニスタン撤退での米国の失態を、中国が民主主義の失敗と宣伝してゐる。確かに、どちらも余り褒められたものではない。民主主義がうまく動いてゐないと見えるのは何故だらうか。

東西冷戦の時代にも、民主主義の弱さが指摘されることはあつた。民主主義では異論が許されるので挙国一致にはなり難い、選挙があつて国民に不人気な政策は長く続けられない、といつた点だ。持久戦となる厳しい戦ひでは、国民の我慢が続かない。

しかし、最近の民主主義諸国の政治の劣化には、さうした民主主義の基本的な問題点を更に悪化させる要因があるやうに思はれる。指導者層の劣化とSNSによる流言飛語がそれではないだらうか。

指導者層の劣化

リーマンショックは、指導者層の劣化を痛感する事件だつた。米国の金融界は、establishmentそのもので、好き嫌ひは別として、単なる政治力、経済力だけではなく、しつかりとした見識を持つてゐる、さう私は思つてゐた。自分達の利益を守るためであるにせよ、世界的な視野で長期的な戦略を持つてゐると信じてゐた。それが世界の秩序を保つのに役立つと考へてゐた。その米国金融界が、サブプライムローンといふ、殆ど詐欺のやうな仕組みのために、大きな打撃を受けたのだ。旧来の指導層が、数学を駆使する新しい金融商品を理解できなかつたといふ面もあるだらうが、とにかく売上を伸ばしたいといふ欲のために、金を返す力が無い人達に貸し込むと何が起きるかといふ単純な事実が見えなくなつてゐたとしか思へない。自分の事、目先の事しか考へられなくなつてゐたのだ。

政治も、子供の方のブッシュ氏が大統領になつた頃から、怪しくなつた。それ以前も、米国の政治が完璧であつたのではない。マッカーシズムベトナム戦争ウォーターゲート事件などの出来事に見られるやうに、多くの問題を抱へてゐた。それでも、(好き嫌ひは別として)西側の指導者としての自覚と責任感があつたのではないだらうか。それが、冷戦に勝ち、一強となつたことによつて、驕(おご)りや緩みが出て来た。人種間の格差が根強く残る一方で、Affirmative Actionに対する貧しい白人層の反発が強まるなど、内政の問題もあつて、内向きになつた。

アフガニスタンへの介入も、長期的な見通しや冷静な分析があつて行はれたものとは見えない。軍事力、経済力で抑へ込める、といふ驕り、長い歴史を持つ地域についての無理解など、要するに真面目に考へてゐないやうに見える。自分の事しか考へてゐない。トランプ氏の「米国第一」といふ宣伝文句は、さうした米国の「本音」をあからさまに口に出したに過ぎない。

以上、米国の例を述べたが、日本でも指導者の劣化は明白だ。これについては、以前にも少し書いたことがあるので、省略。米国にしても、日本にしても、指導者としての責任とか歴史的な評価といつた大きな問題は気に掛けず、目の前の自分の欲求を満たせば良いといふ虚無主義が背景にあるのではないかと思はれる。

SNSの流言飛語

他方で、民衆の知恵も高まることはなかつた。民主主義の弱点は「衆愚政治」に陥り易いといふ点にあるが、SNSの影響で、人々が物事をしつかりと考へず、短絡的に反応する傾向が強くなつたと思はれる。

歴史を顧みると、ナチズムや戦前日本の軍国主義が台頭したのは、ラジオや映画などの手段によつて大衆を動かせるやうになつた時代だつた。宣伝は全体主義の大きな武器だつた。SNSといふ新たな宣伝手段の出現は、民主主義にとつて新たな脅威となると見るべきだらう。

SNSが、特定の主体によつて宣伝の道具として使はれてゐることは疑ひない。ロシアが米国の大統領選挙に影響を及ぼさうとしたといふのは、その一例だ。しかし、SNSを使つた宣伝は、主体が表に出て来ないことが多い。ロシア政府は、介入の事実を否定してゐる。インターネットの匿名性が、悪用されてゐるのだ。

SNSを流れる情報は、品質管理がなされてゐないといふ問題もある。自称専門家が発信した情報も多いが、どこまで信用できるものか、判断は難しい。情報発信が限られた人達にしかできなかつた時代には、情報の中身について、ある程度の品質管理が行はれてゐた。情報発信の費用をコマーシャルのスポンサーが負担するにせよ、公共放送のやうに税金などで賄ふにせよ、費用負担者の立場から、一定の信用を保つことが必要だつたからだ。SNSで流される「情報」には、かうした品質管理は行はれてゐない。

それだけでなく、発信者の特定が難しいといふ事情を利用して、匿名サイトから偽の情報を意図的に流すなどの、新しい詐欺が次々に出現してゐる。AI技術などを悪用して、偽のアカウントを大量に作り、情報操作のためのコメントを流すことも可能になつた。

さらに、人々が眼にする「情報」が溢れることで、物を考へることができなくなるといふ事態も生じてゐる。報道機関によるニュースを転送してゐるものでも、元の記事を読む人は多くないだらう。記事につけられた見出しから、偏つた印象を持つこともある。何しろ、流れて来る情報は増えるばかりなのに時間は限られてゐるので、取り敢へず、自分なりに整理して行くしかないのが実情だ。

 民主主義の良さ

それでも、中国やロシアの体制の方が望ましいと考へる日本人は少ないだらう。民主主義には、自分たちのことは自分で決める自由があり、異なる意見の尊重による多様性がある。中国の共産党一党支配やロシアのプーチン氏による独裁は、人権を無視するだけでなく、事実を消し、歪めるといふ悪を内蔵してゐる。支配者の行ひを検証する仕組みを持たず、異論を認めない。

民主主義の衰退を防ぐためには、かうした民主主義の良さを再確認するとともに、それを守るための努力が必要になるだらう。特に、事実をつかむといふ作業を怠らないことが大切だと思はれる。

報道機関の責任は大きい。政府の発表やSNSで流れてゐる「情報」を右から左に流すだけでは、その責任を果たしたことにはならない。批判的に評価し、検証すること。長期的な視点から見ること。個々の国民では難しいさうした作業を行ひ、その成果を共有することこそ、報道機関の役割だ。

大学などの研究機関の役割も重要になるだらう。知識の多様化、専門化が進んでゐるので、報道機関がすべての検証作業を行ふことは現実的ではない。学界などの仲間内での発表だけでなく、社会的に影響が大きいと思はれる事柄については、積極的に一般向けの広報を行ふべきだらう。

「事実」はあるのか

世の中には、事実といふものは存在せず、全ては権力を握つた者とこれに対抗する者による宣伝であるといふ考へ方もある。「勝てば官軍」、歴史は勝者の創つたお話だ、といふ見方だ。

事実が空から降つて来るものではないことは、間違ひない。現実の世界は限りなく複雑で、事実として何かを語ることは、特定の視点から語ること、語られるのは一面的な事実であることを意味する。しかし、さうした一面的な事実を集めることで、「語り」をより確かなものにすることはできる。

この観点からすれば、気に入らない学者は学術会議から締め出すとか、都合の悪い文書は存在しないことにするといつた今の政権の姿勢は、民主主義の根幹を自ら腐らせるものだと言へるだらう。事実を曲げ、都合の良い事しか示さないといふのでは、中国やロシアと選ぶところがないではないか。選挙に勝たなければ自らの政策を実現できないのは事実だとしても、政権を維持するためには手段を択ばない、選挙に勝ちさへすれば良い、といふのは民主主義ではない。

現実の世界といふものは確かにあり、そこには私達の好むと好まざるとに関はらず、曲げられない法則がある。コロナウイルスに感染すれば一定の死者が出るし、ウイルスは変異を止めない。さうした事実をfake newsだと無視すれば、何が起きるかは、米国が高い代償を払つて見せて呉れたところだ。