『旧約聖書』の読み方(承前)

第3回は「雅歌は最初のエロティックな詩か」といふ題で、Olivier Abel氏が話をした。「雅歌」は旧約聖書の一章で、英訳聖書では Song of Solomon といふ題になつてゐる。文字通り読めば男女の愛の歌であり、「ねがはしきは彼その口の接吻をもて我にくちつけせんことなり 汝の愛は酒よりもまさりぬ なんぢの香膏(にほひあぶら)は其香味(かをり)たへに馨しく」といつた調子で始まる。様々な解釈がある章のやうだが、放送では、拒むことと受け入れることといふ自由の問題を扱つてゐる、とか、人は最初から二人である(あるいは神と向き合つてゐる)、とか、最初の言葉は感情を表現するものであつた、とかいふ話をしてゐた。伊邪那岐命伊邪那美命の話や『詩経』を思ひ出す。孔子は「詩三百、一言以て之を蔽へば、曰く、思ひ邪しま無し」(為政第二)と言つたが、放送では、最初にあつたのはイノセンスなのだ、と言つてゐた。他方で、契約といふ行為の基礎には結婚の契約があり、結びつきは自由なもので変はり得るのだ、といふ話は、西洋的な考へ方だと感じた。

第4回は「ヨセフとモーゼ、どう共存するか」といふ題で、Thomas Römerといふ人が話をした。聖書は旅立ちと亡命の物語であり、他者と共存するといふことが常に問題となる。住み続けるか旅立つかを問ひ続ける生き方でもある。ユダヤ人は長い間流離ふ民であつた。どこまで現地と同化するかといふのは、人々の動きが激しくなつた現代では大きな問題となつてゐるが、ユダヤ人にとつては歴史と共にある問題なのだと感じた。さうした歴史の中で、ユダヤ人が民族としての同一性を保ち得たといふのは(実際には様々なユダヤ人がゐるのであらうが)、驚くべきことだ。戒律を守ることが、その要となつてゐたのだらうと思はれる。

他方で、第1回では、聖書では解釈が重要であり、イサクの犠牲の話でも、文字通りに解釈すると神の為には我が子でも殺すといふ狂信的な話になるが、それを抑へるために様々な工夫が重ねられて来たといふ印象を持つた。さうした柔軟な解釈は、共存せざるを得ない状況に長く置かれてゐたことと無縁ではないといふ気がする。

さて、日本人はどうやつて同一性を保つのか。そもそも、日本人の同一性などあるのか。

『旧約聖書』の読み方

France Cultureのラジオ番組Chemin de la philosophie(哲学への道)で、先週は『旧約聖書』に関する4つのテーマを放送してゐた。『旧約聖書』についての知識を殆ど持たない身には興味深い話ばかりだつたので、メモして置く。

第1回は「アブラハムと犠牲、神と交渉できるか」といふ題で、Delphine Horvilleur氏が話をした。フランスで三番目?の女性ラビだといふ人。

神との交渉といふのは、「創世記」第十八章に出て来る話で、神がソドムの街を滅ぼさうとした時、アブラハムが「善人も悪人も一緒に滅ぼされるのか、もし街に五十人の善人がゐたとすれば、その五十人に免じて街を許されないのか」と問ふところから始まる。神は、五十人の善人がゐれば全て許さうと応へるのだが、アブラハムは更に、「もし五十人が五人欠けたら、五人が欠けたことで全ての街を滅ぼされるのか」といつた調子で神との交渉を続け、つひには十人の善人がゐれば街を許すところまで神に認めさせる。Horvilleur氏は、この交渉の際にアブラハムは立つてゐたことを指摘してゐた。神の前に立つてゐたアブラハムは、近寄つて上記の交渉を始めるのだ。ユダヤ教では神の前にひれ伏して祈るのではなく、立つて祈るのださうだ。

アブラハムはいつでも神に逆らつてゐるのではない。老いた妻(90歳!)との間にやつと生まれた子イサクを捧げよと言はれた際には、言葉の通りに祭壇で我が子を殺さうとする。「創世記」第二十二章のこの場面は、解釈が重要だと言ふ。Horvilleur氏によれば、ラビの学校では、先づ、聖書を文字通りに読むといふのは間違ひだと教へられるのださうだ。そもそも聖書は多様な解釈ができる言葉で書かれてゐる。イサクを犠牲に捧げよといふ神の言葉も、「高きに登らせよ」といふものであり、アブラハムのやうに犠牲に捧げるといふ意味に取れる言葉だが、イサクの独立を促すものとも取れるやうだ。これに関連して注目すべきなのは、イサクの代はりにアブラハムが捧げるのは、通常の子羊ではなく、藪に角をひつかけてゐた牡羊だといふ点だと言ふ。神の使ひがアブラハムの名を二度呼ぶのも重要で、二度目に呼ばれるアブラハムはそれまでとは違ふ新しいアブラハムであると解釈される。

聖書には様々な解釈が可能であることに関連して、ヘブライ語では「顔」といふ言葉は複数しかない、といふ話も面白かつた。表情は多様なものであることが前提となつてをり、一つの表情に固まつたのが偶像であり、仮面の神なのださうだ。

また、第十八章の冒頭で、アブラハムが三人の客を迎へる場面では、神が現れてゐるのだが、それを差し置いてアブラハムは客を迎へてゐる。これは三人が神の使ひだから、といふ解釈もできるが、砂漠のやうな厳しい環境では、客を歓待することが重要であることを示すとも言ふ。迎へてゐる場所がテントであることから分かるやうに、アブラハム自身も旅路にあるのだ。アブラハムは、ユダヤ教キリスト教イスラム教で父祖とされる人物だが、神のお告げに従つて、父親の家を出た人物である。ヘブライとは渡る人といふ意味でさうだ。アブラハムは、親の地を離れ約束の地を求めて、過去の自分を離れ新しい自分を求めて、常に途上にあるのだ。常に自分は異国にゐると感じる人だからこそ、客を迎へることができるのだ。

第2回の題は「アダムとイブは一人だつたのか」で、Catherine Chalierといふ人が話をしてゐる。よく分からないところが多かつたのだが、確かに「創世記」第1章では男と女は同時に作られたと書かれてゐる。よく知られたアダムの肋骨からイブが作られたといふ話は、第2章にある。両者の関係をどう解釈するか、といふ点はよく分からなかつたが、神による世界の創造は全て言葉による、創造は昼と夜、空と海のやうに世界を分けることから始まる、動物や植物は種として作られたが人は単一である、など興味深い指摘があつた。(続く)

 

山崎正和(1934-2020)

山崎正和氏が亡くなつた。

鼎談書評

山崎氏を知つたのは、1980年代前半に文藝春秋に連載されてゐた「鼎談書評」といふ記事だつた。丸谷才一(1925-2012)、木村尚三郎(1930-2006)、山崎正和の三人が、それぞれの推薦図書を持ち寄つて、意見を交はすといふ趣向の記事で、三人の機知に富むやり取りに感じ入りながら読んだ。紹介されてゐる本で、面白さうなのは何冊か買つて読んだりした。この鼎談は、後に出版されてゐて、山崎氏の前書きをネットで読むことができる。

この他にも、丸谷才一との対談が数多く本になつてゐる。『日本史を読む』といふ本では、名前に「仁」がつかない天皇は誰でその理由は何か、とか、フロイスキリスト教布教の一番の強敵は法華宗だと言つた、とか、本居宣長山東京伝を読んでゐたかもしれない、とか、津田梅子の伊藤博文について文章は面白い、とか、とにかく情報量が多い。クイズ番組に出さうな話題が並んでゐると見ることもできるが、それが単なる知識ではなく、大きな世界観の中で生かされてゐる点が立派だと思ふ。さうした知識は本から得たものなのだし、『電子立国 日本の自叙伝』のやうにこちらに多少の予備知識がある本だと、多少あやふやな部分が無くはないのが分かるのだが、知的な刺激に充ちてゐることは間違ひない。

 

『鷗外 闘う家長』

訃報を目にして、1972(昭和47)年に出版された鷗外論を読み返してみたが、いろいろと教へられることがあつた。鷗外は学生のころから好きな作家で、他方、漱石にはどうも馴染めなかつたのだが、その理由が分かつたやうな気がした。

いわば彼の生涯の文学的な主題は、あの「自我の陰画」すら成立しない、内面の完全な空白そのものを凝視することであったといえる。その不安が、あるときは彼を痙攣的な自己表現に駆り立て、またあるときは極端な自己抑制に誘うこともあったが、しかし結局はそのどちらにも安住できず、彼は最後まで自我の手ごたえを求めて終りのない彷徨をつづける作家となった。

そしてそのことによって、彼は日本の近代文学史のなかでは例外的な作家となり、令名のみ高くて真に理解されることの少ない文学者となった。けれども、眼を転じて広く日本人の精神史全体という枠組で考えると、鷗外はけっして異様な例外者でもなければ、少数者の代表ですらない。たしかに彼が生まれあわせた時代は歴史的に稀有の時代であり、そのことが彼の生き方をいやがうえにも特徴的なものにしたことは疑いない。しかし、さらに踏みこんで彼の家庭環境や生理的な体質にまで目を向けると、それを背負った鷗外の人生態度は、むしろ日本の近代人のもうひとつの典型であったことが理解されるはずである。それがのちの文学作品によって描かれることが少なかったということは、日本の近代文学そのものにとっての不幸であったかもしれないのである。

新潮文庫版 77-78頁。ゴチックは原文では傍点)

鷗外が視覚の人であつたとか、家族が彼をどのやうに見てゐたかなど、興味深い指摘は、挙げれば切りがない。

1980年代の転換期

 山崎氏は1980年代半ばに『柔らかい個人主義の誕生』といふ本を書いてゐる。今にして思へば、1980年代は日本の大きな転換期だつた。貿易黒字が国際的な問題となり、「ものづくり」の国から、どう転換するかが課題だつた。国際競争力の低下を甘受しても労働条件を改善し、労働分配率を上げて国内消費の拡大を図るといふのが、貿易黒字対策としても、少子化対策としても、正しい道であつたやうに思はれるのだが、現実には金融緩和がバブルを生む結果となつた。

企業を中心とした日本人の生活、企業に尽くす態度は、共同体としての村が崩壊し、敗戦で物資が不足してゐた時代には合理的なものであり、仕方ないものでもあつたが、長続きする体制ではなかつた。男は外に出て「企業戦士」として戦ひ、女は家庭を守るといふのは、戦時中の頭をそのまま戦後に持ち込んだ考へ方で、それが女性に大きな負担を強ひることとなり、その反動として少子化が出て来たのではないだらうか。

山崎氏の著書は、さうした転換の指導的な思想を示すものだつたのかも知れない。山崎氏は政府の審議会などにも数多く参加してゐたが、どのやうな意見を述べ、それが政策に反映されたのかどうかなどは、寡聞にして知らない。

いづれにしても、博識で洒落も分かる立派な大人がまた一人、旅立たれた。

ご冥福をお祈りする。

 

丸山眞男『福沢諭吉の哲学』

丸山眞男*1(1914-1996)は福沢諭吉(1835-1901)の哲学に関して、「福沢に於ける「実学」の転回」、「福沢諭吉の哲学」といふ二つの論文を書いてゐる。岩波文庫に収められたこれらの文章を読みながら、思ひついたことを書き留めておく。

「福沢に於ける「実学」の転回」 -福沢諭吉の哲学研究序説-

丸山眞男は「哲学」といふ言葉をどう捉へてゐたのか。

もとより福沢は狭義の哲学者ではないから、彼の認識論なり価値論なりをそれ自身としてはどこにも提示してはいない。しかし彼の諸著作を仔細に読むと、そこに一貫してある共通の物の見方、価値づけ方が感知されるのである。そうして、それは他の同時代の啓蒙思想家たちと決して単純に同視しえない、きわめて特徴のあるものである。...とくに強調したいのは、そうした福沢の「哲学」こそ、彼の掲げた独立自尊の精神を根底から基礎づけていることである。福沢の自由の精神をこの基礎まで掘り下げることによって、彼の問題意識が一般に考えられているよりはるかに深奥なものであった事が理解せられるし、同時に福沢の提出した問題の現代的意義が愈々切実に我々に迫って来るのである。(岩波文庫38-39頁)

哲学とは、物の見方である認識論と価値づけ方としての価値論が主なものであり、それが人の(この場合は福沢の)精神の基盤となつてゐる、と考へられてゐることが分かる。

丸山によれば、福沢は単に「実学」を尊重したのではない。実学を尊重し、実践的必要から切り離された理論的完結性に対して無関心なのは、むしろ伝統的な日本の特徴だとされるからだ。

福沢の実学に於ける真の革命的転回は、実は、学問と生活との結合、学問の実用性の主張自体にあるのではなく、むしろ学問と生活とがいかなる仕方で結びつけられるかという点に問題の核心が存する。そうしてその結びつきかたの根本的な転回は、そこでの「学問」の本質構造の変化に起因しているのである。(同44頁。ゴチックは原文では傍点で以下同じ)

福沢は「東洋になきものは、有形に於て数理学*2と、無形に於て独立心と此二点である」と言つたが、

物理学を学問の原型に置いたことは、「倫理」と「精神」の軽視ではなくして、逆に、新たなる倫理と精神の確立の前提なのである。彼の関心を惹いたのは、自然科学それ自体乃至その齎した諸結果よりもむしろ、根本的には近代的自然科学を産み出す様な人間精神の在り方であった。その同じ人間精神がまさに近代的な倫理なり政治なり経済なり芸術なりの基底に流れているのである。(同47頁)

丸山は、江戸時代まで*3の学問では、「自然が倫理価値と離れ難く結びついて居り、自然現象のなかに絶えず倫理的な価値判断が持ち込まれるという点」が問題であることを宋学などの例を挙げて示してから、次のやうに論を進める。

福沢が「物ありて然る後に倫あるなり、倫ありて然る後に物を生ずるに非ず。臆断を以て先づ物の倫を説き、其倫に由て物理を害する勿れ」文明論之概略、巻之一)と断じたとき、それが思想史的に如何に画期的な意味を持っていたかということは、以上の簡単な叙述からも理解されるであろう。彼は社会秩序の先天性を払拭し去ることによって「物理」の客観的独立性を確保したのであった。(同53頁)

ニュートン力学に結晶した近代自然科学のめざましい勃興は、デカルト以後の強烈な主体的理性の覚醒によって裏うちされていたのである。それはデューイがいう様に、理論的に自然に服従することによって実践的に自然を駆使するところの逞しい行動的精神であった。

この近代理性の行動的性格を端的に表現するのが、いわゆる実験精神である。近代的な「窮理」を中世的なそれから分つものはまさにこの実験である。理性は単に本質を観想するにとどまらずして、実験を通じて自然を主体的に再構成しつつ、無限に新領域へ前進していく。...福沢はこの実験的精神を単に自然科学の領域だけでなく、政治、社会、等の人文領域にまで徹底して適用したのである。(同54-55頁)

従って又福沢の実学は卑俗な日常生活のルーティンに固着する態度とは全く反対に、そうした日常性を克服して、知られざる未来をきり開いて行くところの想像力によってたえず培わるべきものであった。だから逆説的にいえば、アンシャン・レジームの学問がなにより斥けるところの「空理」への不断の前進こそが、生活の学問とのヨリ高度の結合を保証すると考えられたのである。(同58頁)

 近代理性の逞しい行動的精神、実験精神こそ、福沢が日本に欠けてゐると考へたものだといふ訳だ。

「福沢に於ける「実学」の転回」は、最後に興味深い論点を示して締めくくられてゐる。それは、西洋では「機械的自然は人間の主体性の象徴たることから転じてやがて人間を呑みつくすところの不気味なメカニズムとして映ずる様にな」り、堪えきれなくなつて人は「ラスキンの浪漫主義やトルストイの田園賛美の懐に逃げ込」むこととなつたが、福沢がかうした科学主義に内在する問題にどのやうに対したか、といふ問ひだ。

丸山は「凡そ人たるものは理と情との二つの働に支配せられて、然かも其情の力は至極強大にして理の働を自由ならしめざるの場合多く」「左れば斯る人情の世界に居ながら、唯一向に数理に依て身を立て世を渡らんとするは甚だ殺風景にして、迚(とて)も人間の実際に行はれ難」い、といつた福沢の言葉を引用しながら、福沢の一見妥協的とも見える態度の裏に、「原則」があることを示唆する。

ひたすら数理に依拠する生活態度に対し、「殺風景」という感覚を持つという事自体、既に彼が単純な抽象的合理主義の立場を超えている事を示していないだろうか。若しそうなら、上の様な現実的態度は決して単なる妥協ではなくして、彼の「原則」のなかに位置を占めねばならない。それでは非合理的現実の承認は、他方に於ける物理学主義とは一体どの様な牽連を持つのか。それは嘗ての心学的な現実主義といかに区別されるか。福沢が最後まで科学的決定論の陰惨な泥沼に陥らなかった事も、どうやらこの問題に関係がありそうである。ここに我々は漸く彼の「哲学」の内奥に足を踏み入れたわけである。本稿の目的はこの戸口にまで道をつける事にあった。問題の核心については、筆を改めて論じたいと思う。(同64頁)

福沢諭吉の哲学 -とくにその時事批判との関連-

この論文には「まえおき」があつて、その中にはかう書かれてゐる。

第一に、本稿の意図は福沢の多方面にわたる言論著作を通じてその基底に一貫して流れている思惟方法と価値意識を探り出し、それが彼の政治・経済・社会等各領域の具体的問題に対する態度と批判の方向をいかに決定しているかということを究明するにある。(同66頁)

 哲学とは、「基底に一貫して流れている思惟方法と価値意識」を指す訳だ。この哲学は、明示的に示されてゐるとは限らない。

とくに福沢の様にその方法論なり認識論なりを抽象的な形で提示することのきわめてまれな思想家の場合には、その意識的な主張だけでなく、しばしば彼の無意識の世界にまで踏み入って、暗々裡に彼が前提している価値構造を明るみに持ち来さねばならない。(同67頁)

かうした「哲学」は、学校で教へてゐるやうな類のものではないだらう。だとすれば、それをどのやうに身に付けるのか、といふ疑問が湧くが、先を読んでみよう。

丸山は先づ『文明論之概略』の冒頭の文章に注目し、次のやうに述べる。

まずこのテーゼの意味するところを最も広く解するならば価値判断の相対性の主張ということに帰するであろう。福沢によれば物事の善悪とか真偽とか美醜とか軽重とかいう価値判断はそれ自体孤立して絶対的に下しうるものではなく、必ずや他の物との関連において比較的にのみ決定される。我々の前に具体的に与えられているのは、決して究極的な真理や絶対的な善ではなく、ヨリ善きものとヨリ悪しきものとの間、ヨリ重要なるものと、ヨリ重要ならざるものとの間、ヨリ是なるものとヨリ非なるものとの間の選択であり、我々の行為はそうした不断の比較考量の上に成り立っている。従ってまた、そうした価値は何か事物に内在する固定的な性質として考えらるべきではなく、むしろ、事物の置かれた具体的環境に応じ、それがもたらす実践的な効果との関連においてはじめて確定されねばならぬ。(同71頁)

丸山は、『学問のすゝめ』からも「時代と場所という situation を離れて価値決定はなしえないとい命題に帰着する」と考へられる文章を引いて、これが福沢の考へ方の「根本主題」を成してゐることを示しながら、次のやうに指摘する

従って、目的が状況に応じて推移すれば同じ事物に対する彼の価値判断も当然変化せざるをえない。このことを無視して、背後の具体的状況から切断された言説のみを問題にするならば福沢のなかから幾多の奇怪な矛盾を拾い出して来ることはきわめて易々たることである。(同74頁)

この根本主題に基づけば、

福沢が一生その先達を以て自他ともに許したヨーロッパ近代文明は決してそれ自身絶対的な目的乃至理念ではなかった。近代文明の妥当性は福沢において上下二つの括弧によって相対化せられていた。まず第一にはヨーロッパ文明の採用はつねに日本の対外的独立の確保という当面の目標によって制約せられる。...しかし第二に、ヨーロッパ近代文明は、文明の現在までの最高の発展段階であるという歴史性によって限定せられる。...ヨーロッパ文明も半開に対して僅に文明というのであって、決して之を以て至善至美と看做すべきものではない、やがて文明の一層の進歩(それが具体的に何を意味するかは後に述べる)は現在の西欧文明を以て野蛮と看做す時期が来よう。(同76-77頁)

といふことになる。また、『文明論之概略』では日本の国家的独立が基本的な目標とされてゐたのだが、

ヨーロッパ文明論と並ぶもう一方のテーゼとしての日本の国家的独立という事もまた福沢にとっては、条件的な命題であることを看過してはならない。国の独立が目的で文明は手段だと福沢がいうとき、それはどこまでも当時の歴史的状況によって規定せられた当面の目標を出でないのであって、一般的抽象的に、文明はつねに国家的存立乃至発展のための手段的価値しかなく、国家を離れて独自の存在意義は持たぬという立場を取ったのでは決してない。(同79頁)

 かうした「事物の価値を事物に内在した性質とせずして、つねにその具体的環境への機能性によって決定して行く」福沢の態度は、プラグマティズムに近いとされる。

プラグマティズムはデュウィのいう様に、近代自然科学を産んだルネッサンスの実験的精神の直接的継承者であり、十九世紀中葉以降、機械的決定論の泥沼のなかに埋没した科学主義をばベーコンの伝統への復帰によって主体的行動的精神と再婚させようとする意味を持っている。(同82頁)

この「主体的行動精神」が、状況に応じて変はる価値判断を支へる力なのだ。

かくして福沢の場合、価値判断の相対性の強調は、人間精神の主体的能動性の尊重とコロラリーをなしている。いいかえれば価値をアプリオリに固定したものと考えずに、是を具体的状況に応じて絶えず流動化し、相対化するということは強靭な主体的精神にしてはじめてよくしうる所である。それは個別的状況に対して一々状況判断を行い、それに応じて一定の命題乃至行動基準を定立しつつ、しかもつねにその特殊的パースペクティヴに溺れることなく、一歩高所に立って新しき状況の形成にいつでも対応しうる精神的余裕を保留していなければならない。(同83-84頁)

この力を失ふと、福沢の言ふ「惑溺」の現象が現れる。この「人間精神の懶惰」は、杓子定規な対応を、あるいは逆に場当たり的な対応を生む。

従って公式主義と機会主義とは一見相反するごとくにして実は同じ「惑溺」の異った表現様式にほかならない。かくして、福沢をして「無理無則」の機会主義を斥けさせた精神態度が同時に、彼を、抽象的公式主義への挑戦に駆り立てるのである。(同84頁)

 かうした精神的な態度を決めるのは、個人の性格や国民性ではなく、社会の在り方だ。

この様に、固定的価値基準への依存が「惑溺」の深さに、之に対して、価値判断を不断に流動化する心構えが主体性の強さ(福沢はそれを「独立の気象」と呼んだ)に夫々比例するとしても、そうした人間精神の在り方は福沢において決して単に個人的な素質や、国民性の問題ではなくして、時代時代における社会的雰囲気(福沢の言葉でいえば「気風」)に帰せられるべき問題であった。換言すれば、固定した閉鎖的な社会関係に置かれた意識は自から「惑溺」に陥り、動態的な、また開放的な社会関係にはぐくまれた精神は自から捉われざる闊達さを帯びる。(同86頁)

この開放的な社会を築くことこそ、福沢にとつての文明であつた。

しかし福沢において人類の進歩とはまさしく前者の型より後者への無限の推移のうちに存する。いま一度いうならば、それは社会関係の固定性がますます破れ、人間の交渉様式がますます多様になり、状況の変化がますます速やかになり、それと同時に価値基準の固定性が失われてパースペクティヴがますます多元的となり、従ってそれら多元的価値の間に善悪軽重の判断を下すことがますます困難となり、知性の試行錯誤による活動がますます積極的に要求され、社会的価値の、権力による独占がますます分散して行く過程にほかならぬ。(同89-90頁)

この考へ方から、「単一の説を守れば、其説の性質は仮令ひ純精善良なるも、之に由て決して自由の気を生ず可らず。自由の気風は唯多事争論の間に在て存するものと知る可し」といふ自由観が出て来る。

丸山はこれまでの議論を下のやうな表に整理してゐる。

f:id:yoshiharajya:20200815112629g:plain


丸山は、さらに、歴史的発展を根本的に推進させる契機に関する福沢の考へについて述べる。

社会的交通(人間交際)の頻繁化こそが爾余の一切の変化の原動力にほかならない。かくて、近代西洋文明の優越の基礎も究極においては、この交通形態の発展に基くということになる。「西洋諸国の文明開化は徳教にも在らず、文学にも在らず、又理論にも在らざるなり。然ば即ち之を何処に求めて可ならん。余を以て之を見れば其人民交通の便に在りと云はざるを得ず」(民情一新)(同102-103頁)

最後に、丸山は福沢の「人生全体の意義に対する終局的な「問い」とそれへの「安心」観」について触れてゐる。それは次のやうなものである。

「既に世界に生れ出たる上は、蛆虫ながらも相応の覚悟なきを得ず。即ち其覚悟とは何ぞや。人生本来戯れと知りながら此一場の戯を戯とせずして恰も真面目に勤め...るこそ蛆虫の本分なれ。否な蛆虫の事に非ず、万物の霊として人間の独り誇る所のものなり」(福翁百話)(同110頁)

「浮世を軽く認めて人間万事を一時の戯と視做し、其戯を本気に勤めて怠らず、啻(ただ)に怠らざるのみか、真実熱心の極に達しながら、扨(さて)万一の時に臨んでは本来唯是れ浮世の戯なりと悟り、熱心忽ち冷却して方向を一転し、更に第二の戯を戯る可し。之を人生大自在の安心法と称す」(同上)

 かうした福沢の態度について、丸山は次のやうな判断を下して文章を締め括つてゐる。

遊戯とはジンメルも述べている様に人間活動からそのあらゆる実体性を捨象して之を形式化するところに成立つところの、最も純粋な意味でのフィクションである。そうしてフィクションこそは神も自然も借りない全く人間の産物である。福沢は人生の全体を「恰も」といふ括弧につつみ、是をフィクションに見立てたことによって自ら意識すると否とを問わずヒューマニズムの論理をぎりぎりの限界まで押しつめたのであった。(同112頁)

今日の問題との係り

上に幾つか抜き書きしたやうな丸山眞男福沢諭吉の哲学観は、基本的に正鵠を射てゐるやうに思はれるので、ここでは、その正否について論じるのではなく、上記のやうな福沢諭吉の考へ方が、今の日本や世界が抱へてゐる問題について、どのやうな観点を提供して呉れるか、といふ立場から思ひつくことを書き留めておく。

ちなみに、丸山が上の二つの論文を書いたのは1947年で、

 今次の惨憺たる敗戦によって、日本の維新以来歩み来ったいわゆる「近代化」の道程がいかに歪曲されたものであったかが白日の下に曝され、ひとびとが近代的自由を初歩から改めて学び取ることの必要を痛切に意識するに及んで、福沢諭吉はさきごろまでの汚名であった自由主義者乃至個人主義功利主義者という資格に於て、いままた舞台に呼び戻されようとするかの如くである。(同37頁)

といふ時代だつた。さうしたお手軽な福沢観に対する反発として書かれた文章だと言へるだらう。いづれにしても、背景にあるのは、「惨憺たる敗戦」といふ日本の状況だつた。

 日本の衰退の説明

敗戦から75年、現在の日本は新たな「敗戦」を迎へることとなつた。1980年代における日本の経済的な地位は、"Japan As Number One"などといふ題の本が出たり、日本の地価総額が米国のそれを上回つたり、などといふ今では考へられないほど高いものだつた。それが、バブル崩壊以降、30年もの間、低迷から抜け出せないでゐる。その大きな原因は、世の中が変化してゐるにも拘はらず、日本社会の仕組みが変はらなかつたことだ、と言へるだらう。高度成長の成功で「惑溺」に陥つてゐたのだ。

終身雇用制、年功序列などの仕組みや、自社内の技術で全てを賄はうとする姿勢は、国内需要を基盤として、人口が増え経済が拡大する局面には適したゐたのだが、経済がグローバル化し、人口が停滞する局面では、最適な戦略ではなくなつた。しかしながら、バブルの崩壊で莫大なキャピタルロスを生まれ、経営者が守りに入つたため、戦略の変更ができなかつた。

もし日本人が「惑溺」に陥りやすい傾向があるとすれば、村や会社などの組織への精神的な依存度が高く、「独立の気象」が乏しい点がその原因として挙げられるだらう。自分の判断よりも組織の判断を優先する。しかし、組織は判断などしない。新しい意見は常に個人から生まれるのだから。その結果、空気に流されて変革が遅れる。

福沢諭吉明治維新前後に見た「惑溺」といふ日本の病弊は、太平洋戦争、バブル敗戦といふ形で繰り返し姿を現してゐるやうに見える。

 インターネットとポピュリズム

しかし、問題は日本だけに限らない。最近の先進国におけるポピュリズムの台頭、フェイク・ニューズの氾濫を見てゐると、福沢が理想とする「人民交通の便」が極端に進んだことにより、多様な価値判断に耐え得る強靭な主体的精神が成り立たなくなつてゐるのではないか、といふ疑念が生ずる。世の中が複雑になり過ぎて、その構造が誰の眼にもはつきりとは見えなくなつてゐるのではないか。

さうした状況で、個人が「知性の試行錯誤」を繰り返しても、世界について何か整理された考へにたどり着くことは難しい。それにも関はらず、見たことのない国々での出来事が私達の生活に影響を与へる。世界に保護主義的な傾向が出てゐることも、かうした個人の知的能力を超えた世界の複雑化が一因ではないかと思はれる。

人民交通の便が発達することは良い事だらうが、同時に、丸山が整理した表の言葉で言へば社会の「対立による統一」といふ多元的な価値を容認する世界の在り方を示すことが急務になつてゐる。

 認識論として

その関連で、福沢諭吉プラグマティズム的な認識論を持つてゐた、といふのは興味深い。絶対的な真理の探究を目指す西洋流の哲学が政治的独裁や狂信的なテロリズムの源になつてゐると思はれるからだ。

そもそも、事物の本質とか内在的価値とかいつた考へ方は、プラトンイデア論や創造神といふ西洋の伝統的な物の見方から出てゐると言へるだらう。「◯◯とは何か」といふ問ひ方が、さうした物の見方の典型である。全知全能の神が全てを目的をもつて創つたのであれば、全ての物には本来の姿、あるべき姿としての本質が備はつてゐると考へることは自然だらう。しかし、さうした創造神がゐない、或いは、私達にはその意図を知ることができないのだとすれば、(人間が作り出したものを除いて)事物についてその本質を考へることは無意味だと言ふべきだらう。

かうした立場からすれば、全ての知識は暫定的であり、文脈に依存したものとなる。絶対的な真理の典型だと思はれてゐた自然科学分野でも、量子力学の登場によつて実験条件と実験結果とを分離して考へることができなくなつてゐる。この世界では、主体から完全に分離された「客観的」な事実は、存在しないのだ。

しかし、それは事実が存在しない、といふことではない。ただ、人が知り得た事実は、過去の人達が積み上げて来た努力の成果であり、さうした背景を無視して事実を語ることはできない、といふことだ。そして、事実を見極めるための社会的な仕組みの維持・強化が、今後の重要な課題であるといふことだ。

古典としての福沢諭吉

丸山眞男福沢諭吉を重んじてゐたことは良く知られてゐるが、丸山とは立場を異にする小林秀雄(1902-1983)も、芸術家をのぞけば、明治以降に活躍した日本人で最も詳しく論じてゐるのは福沢諭吉なのだ。ともかく、福沢諭吉は今読んでも、非常に面白い。まさに日本の古典だと言ふべきだらう。

 

*1:このブログでは「歴史的人物」と認められる人には敬称を付けないことを基本的な方針にしてゐる。

*2:丸山が文章の中で述べてゐるやうに、物理学を指す。

*3:丸山は「アンシャン・レジーム」と呼んでゐるが、大まかに江戸時代までを指すと考へて良いだらう。

科学者と哲学者

Jimena Canalesといふ人の書いた”The Physicist & the Philosopher: Einstein, Bergson, and the Debate That Changed Our Understanding of Time”といふ本を読んだ。1920年代にアインシュタイン(1879-1955)とベルクソン(1859-1941)との間に起きた時間をめぐる論争についての本だ。

アインシュタインノーベル賞

アインシュタインは当然、ノーベル物理学賞1921年のもの)を受賞してゐるのだが、受賞理由は"for his services to Theoretical Physics, and especially for his discovery of the law of the photoelectric effect"となつてゐて、相対性理論は明示されてゐない。1922年12月に行はれた授賞式での紹介スピーチには、次の文章がある。

It will be no secret that the famous philosopher Bergson in Paris has challenged this theory, while other philosophers have acclaimed it wholeheartedly. The theory in question also has astrophysical implications which are being rigorously examined at the present time.

 当時、大きな影響力を持つてゐたベルクソンの批判が、アインシュタインノーベル賞授賞理由に当然入るべき相対性理論が入らなかつた大きな理由であることは間違ひない。*1

Canales氏の本は、両者の論争について様々な文献を調べて書いてあり、当時の人間関係が分かつて興味深い。先日ここで書いたド・ブロイの論文も、この本で言及されてゐたものだ。歴史家の本なので、時間の本質について両者の主張を元に探求してゐる訳ではないが、二大戦間の欧米の知的な雰囲気が分かるのが良い。この時代の欧州は、最も洗練された文化を持つてゐて、数多くの知的巨人達が活躍してゐた。

論争の勝者は?

ところで両者の論争は、どちらが勝者なのか。アインシュタインは、ベルクソンの説を殆ど理解してゐなかつたし、理解する気も無かつたと思はれる。Canales氏によれば、アインシュタインは過去、現在、未来の区別は主観的な幻想だと考へ、かうした主観性を排除した客観的世界像の構築に貢献したことを誇りにしてゐた。

他方、ベルクソンアインシュタインの理論を理解しようと努め、『持続と同時性』といふ本まで書いてゐる。しかし、一般相対性理論についてはよく分かつてゐなかつたと思はれる。特殊相対性理論の枠内では、二つの慣性系の間には完全な対称性があり、どちらから見ても移動してゐる相手の系の時間はゆつくりと進むやうに見える。ベルクソンはこの現象を、遠くにゐる人が小さく見える現象と比較してゐるが、これは的外れではないと思ふ。しかし、一般相対性理論では、さう見えるだけではなく、重力の強い場所では実際に時間がゆつくりと進むことが確かめられてゐる。人間が普通に生活してゐる限りでは、全く感じられない程の差ではあるが、確かに時間の速度が異なるのだ。ベルクソンには、この点が納得できなかつたのではないだらうか。

それではアインシュタインが正しく、ベルクソンが間違つてゐたのか。Canales氏は、本の最後に年老いたアインシュタインを登場させて、自らの老いを認めながらも時間に向きがあるといふのは幻想だといふ考へを捨てなかつたことの矛盾を示唆してゐるのだが、物理学の世界に限つても、アインシュタイン自身が、古い価値観を持つてゐて、量子力学の確率的な解釈を受け入れられなかつたことはよく知られてゐる。この点では、先日のド・ブロイの論文についての記事にも書いた様に、ベルクソンの方にある種の先見の明があつたやうに見える。

二人にとつての神

アインシュタインベルクソンも神を信じてゐた。アインシュタイン量子力学を未完成だと考へたのは、「神がサイコロを振らない」と考へたからだ。彼にとつての神は、おそらく伝統的なキリスト教の神で、世界を創造し、(奇蹟は別にして)その後は積極的には介入しない神だつたのだらう。だからこそ不変の法則が世の中にはある。それを見出すのが科学者の仕事だ。

ベルクソンも神を信じてゐて、葬儀にはカトリックの司祭が祈りをささげる事を希望する旨、遺言に書いた。ただ、ベルクソンの信じた神は、アインシュタインの神とは別の世界を創造した。それは進化を続ける世界だつた。

二人の世界観に大きな違ひがあるのは、かうした宗教観に由来すると言へるかも知れない。

ちなみに、アインシュタイン一般相対性理論を基礎に発展した現代の宇宙論では、宇宙は「ビッグバン」で始まり、膨張を続けてゐるとされる。そこでは新しい星々が生まれ、はたまたブラックホールに呑み込まれる。それは静的な宇宙ではなく、むしろベルクソンの描いた宇宙の姿に近いやうに見える。

科学者と哲学者

一般的に自然科学の研究者と人文・社会科学の研究者は、どちらも自分の扱ふ世界がより広く、基本的、本質的なものだと考へてゐるやうに思はれるが、どうだらうか。

自然科学者にとつては、宇宙論などが一番分かり易いが、そもそも人間は広大な宇宙の塵のやうな存在に過ぎない。人間世界のことについてあれこれと議論するのが、細かな話だと見えても不思議ではない。また、自然科学は客観性を基盤にしてゐる。検証できない議論を重ねても自己満足に過ぎないのではないか、実際に世の中の役に立つやうな成果は出てゐないではないか、そんな眼で人文・社会科学者を見てゐるだらう。

人文・社会科学者の立場からすれば、自然科学も人間の営みの一つに過ぎない。自然科学者の幼さを見よ。彼等には世の中が分かつてゐない。そもそも、物理的に大きければ貴いといふものではない。パスカルも、人間の基盤はよく考へるといふことにあると言つたではないか。客観的だと自慢してゐるが、世の中全てがさう簡単に割り切れるのであれば、苦労はない。割り切れない部分にこそ、人間といふ存在の面白みがあるのだ。そんな風に考へてゐるのではないだらうか。

かうした両者の対立は解きがたいもののやうに見えるが、量子力学の解釈をめぐる最近の議論を見てゐると、両者の共通点、あるいは両者の共通の基盤といふものが見えて来たやうにも思はれる。例へば、量子力学の形式が人文社会科学にも応用できるといつた議論が出てゐる*2。他方で、量子力学を認識論の観点から見直さうといふQBismの動きもある。

今、一番興味深い動きだと思ふので、これからも時々、取り上げたい。

*1:アインシュタインノーベル賞に係る興味深い話を、佐藤文隆氏が書いてゐる。

*2:Quantum social scienceに関するWikipediaの記事参照。

7月27日のゲンロンカフェ

ゲンロンカフェは株式会社ゲンロンが運営してゐるイベントスペースで、様々な座談会などが企画されてゐる。7月27日に行はれた茂木健一郎氏と東浩紀氏の「日本のコロナと脳」と題された回を録画で視聴したので、感想を書いて置く。なほ、以下の文章は視聴した印象を元に書いたもので、お二人の発言の内容は文字どほりではないことを最初にお断りしておく。

「日本のコロナと脳」といふ題ではあるけれど、対談の中身は必ずしもそれに一致しない。何しろ、ワインを飲みながら5時間以上も話し続けるのだから、特定の話題についての纏まつた対談になるはずがない。しかし、内容は多岐にわたるとともに大変に興味深いものだつた。

お二人は現在の日本あるいは世界について多くの不満を共有してゐる。その不満をぶちまけるといふのが対談の基調だつたが、不満の矛先は例へばグーグル翻訳に向かふ。統語論や意味論も無くて、ただ統計的に関連性の高い言葉の並びを持つて来る。それが本当に翻訳と言へるのか。あるいは大学、マスコミに向けられる。意味のない査読論文の増産、上つ面だけの報道。

エリート教育と価値の源

かうした批判が出て来るのは、お二人には理想があるからだ。興味を引かれたのは、東氏が自分は神を信じてゐる、と言はれたことだ。この神がどのやうな神なのかは分からない。ただ、俗世を超えた価値の源といふ性格を持つものだらう。

東氏によれば、欧州では世俗社会と神学の社会との区別が残つてをり、欧州の知識人は神学の人である。日本にはかうした区別がないため、日本の知識人にとつての課題は、超越性をどう確保するかにある、といふお話だつた。

ここで俗世といふのは資本主義や市場が支配する世界だと考へて良いだらう。数や物理的な力が支配する世界だと言つても良い。「いいね」の数を競ふSNSからは、新しい価値は生まれない。東氏が目指すのは、1000人でも良いので、本当にものを考へる人達を育てること、本物のエリートの教育なのだ。

「神が死んだ」社会での価値体系をどのやうにして築くかは、西洋哲学の大きな課題だつた。パスカル(1623-1662)の『パンセ』では神のゐない人々の悲惨が語られてゐるし、ドストエフスキー(1821-1881)はイワンに「神がゐなければ全てが許される」と言はせてゐる。カント(1724-1804)は、神は理性では証明できないが、倫理のために必然的なものだと考へた。

日本には、キリスト教の神はゐなかつたが、俗世だけを信じてゐた訳ではない。仏教の影響もあつただらうし、子孫の繁栄を願ふといふ自然な心から、自分の死んだ後のことまで考へた生活をしてゐたのだらう。

今日では、宗教的なことは非科学的だとして、無知蒙昧の印だと考へられてゐる。教育水準の高い人ほど、さう考へる傾向が強いだらう。また、「家」といふ考へ方が衰へたので、自分の子孫の将来の事を真剣に考へてゐる人も少ないだらうと思はれる。「我が亡き後、洪水は来たれ」だ。世の中の指導者達が皆、かういふ考へ方の人達だとすれば、社会の永続は望めない。

お二人は、仕事が後世に残るといふことを何度か話題にされたが、後世に残るか否かを重視するといふのは、一つの価値観の表れだ。

生命に付随するものとしての意識

コンピュータは意識を持つか、といふのも対談の中で何度か取り上げられた話題だつた。茂木氏の新著『クオリアと人工意識』が、その中心になるのだが、東氏が「茂木さんが新しい本を書くとは思はなかつた」と言つてゐたのが印象的だつた。それを本人に面と向かつて言ふところが、ゲンロンカフェの(あるいは東浩紀氏の)面目躍如と言ふべきか。

お二人は、安易な人工知能に対する期待に批判的なところでも意見を共有してゐて、東氏は、本で書かれてゐる「生命に付随するものとしての意識」といふ考へ方に注目してゐた。西洋では人間の意識しか問題にされないが、上記の考へ方によれば、動物の意識の問題も自然に扱ふことができる点も指摘されてゐた。

これはベルクソン(1859-1941)が『創造的進化』で既に述べてゐる説でもある。やはりベルクソンは西洋の伝統的な思想の枠に収まらない人だと言ふべきか。

その他の話題

このほかにも、量子コンピュータ多世界解釈との関係、とか、ベイズ統計の隆盛についてのやや否定的な意見とか、左翼政党は国民からの寄付で運営できる仕組みを考へるべきだ、とか、全てエシカルな取引は現実的ではなく偽善だ、とか、知識の段階的な普及を無視したハッシュタグは機能しない、とか、英語の薬局pharmacyといふ言葉の語源であるファルマコンといふギリシャ語は、薬といふ意味と同時に毒や犠牲の羊も意味する等々、面白いネタが満載の対談だつた。

何年もゲンロン会員ではありながら初めてゲンロンカフェを視聴した者の意見を一つ述べれば、面白いけれど、もう少し手短にできないか、といふことになる。ワインを飲みながらだからこそ、飾らない議論もできるのは分かるのだが、5時間付き合ふのは辛い。

それも、面白いのは最初だけで後は雑談ばかりなのであれば最初だけ見れば済むのだが、酔つ払つたと見えても、突然、真面目な話、面白い話題が出て来るので最後まで見ざるを得ないのである。まあ、本当の知的なやり取りには時間が必要なのかも知れない。

ベルクソンと量子力学

ベルグソン(1859-1941)の哲学と量子力学との関係については、小林秀雄(1902-1983)が『感想』と題されたベルクソン論の中で取り上げてゐる。引用の多い『感想』の中で、これは独創的な部分ではないかといふことを他の場所に書いたことがあるが、調べて見ると、フランスでは終戦前からすでに話題になつてゐたやうだ。

特に、ド・ブロイ(1892-1987)によるLES CONCEPTIONS DE LA PHYSIQUE CONTEMPORAINE ET LES IDÉES DE BERGSON SUR LE TEMPS ET SUR LE MOUVEMENTといふ論文は興味深い。Revue de Métaphysique et de Morale誌の1941年10月号*1に掲載されたもので、上のJSTORのリンクから見る事ができる。(登録が必要だが、読むだけなら無料。)

言ふまでもなく、ド・ブロイはフランスの理論物理学者で、光が波と粒子の両方の性格を合はせ持つのであれば、物質にも波の性質があるのではないかといふ考へを提唱した。量子力学の基礎を築いた一人であり、1929年にノーベル物理学賞を受賞してゐる。

ド・ブロイは、若い頃からベルクソンの時間や持続(durée)、運動に関する独創的な意見に感銘を受けてゐたが、最近その著作を読み返してみると、"Essai sur les données immédiates de la conscience"(『意識に直接与へられてゐるものに関する試論』、英訳の題名『時間と自由』でも知られる)に、量子力学の考へ方に通じる見方が示されてゐて驚いた、と言ふ。"Essai"は1889年の論文で、ボーアやハイゼンベルグ量子力学(ド・ブロイは「波動力学」といふ言葉を使つてゐる)解釈が出される40年も前に書かれたものなのだ。

ド・ブロイの論文で興味深いのは、ベルクソンがしばしば論じた現実の持続と科学が扱ふ抽象的な時間との差ではなく、空間を取り上げてゐる点だ。『物質と記憶』の第4章や「要約と結論」から引用した後、次のやうに述べてゐる。

この文章は持続に関するものほど知られてゐないだらうが、これを引いたのは、ベルクソンの哲学が、次のやうな考へにつながるし、実際に彼はさう考へたことが何度かあつたことを示すためである。広がりを一様な幾何学的空間で表はすのは、少なくとも一部において、数学者や物理学者が持続を一様な時間で表はすのに似た、偽りの性格を持つといふ考へが、それだ。(244頁)

物質と記憶』の第4章は、二元論の立場から出発したベルクソンが、物質と精神の二つを結びつけるための哲学を模索した部分で、難解さで知られてゐるが、ド・ブロイの読みや引用は非常に的確で、感心する。

時間については、ベルクソンアインシュタインの間に論争があり、ベルクソンは『持続と同時性』といふ本を書いたが、ド・ブロイはベルクソンの書いた一番良くない本だと言つてゐる。ベルクソンアインシュタインの主張をよく分かつてゐなかつたやうで、批判されたのは当然だといふ意見だ。しかし、相対性理論は量子的な現象をうまく説明できない。ベルクソンの哲学は、時間を含めて全てを4次元空間の量に還元すると見える相対性理論とは相容れないが、量子力学とは親和性があるのではないか、さうド・ブロイは話を進める。

運動についてのベルクソンの見方を示すため、ド・ブロイは『創造的進化』の次の一節を引用してゐる。

つまるところ、錯覚はつぎのことに由来する。運動はひとたびおこなわれてしまえば自分の経過につれて不動の軌道曲線をのこしているもので、ひとはあとからその線上にいくらでも不動を数えることができる。そこからひとは結論して、運動はおこなわれているあいだ刻々と自分の足もとに自分が合致していた位置を落としてゆくのだ、というわけである。(真方敬道訳岩波文庫版362頁。傍点をゴチックに変へた。Edition du Centenaireでは756頁。)

このベルクソンの主張が誤つてゐるとすれば大胆さが足りないといふ点だ、とド・ブロイは言ふ。実際、ベルクソンは、軌道を想定してゐるため、実際の運動が軌道上の幾何学的な移動とは異なることを説明するのに苦労してゐる。しかし量子力学では動くものに軌道を当てはめることはできない。一連の観測で得られるのは瞬間瞬間の位置だけであり、同時に運動に関する情報を得ることは諦めねばならない。『時間と自由』の次の一節は、これを予見してゐたかの如くであると言つてゐる。

空間のなかには空間の諸部分しかないのであって、運動体を空間のどの地点に考えようと、ただ位置しか得られないだろう。(中村文郎訳岩波文庫版134頁。Edition du Centenaireでは74頁。ド・ブロイは、「ただ位置しか得られないだろう」の部分を斜体で強調して引用してゐる。)

続いてド・ブロイは同じ『時間と自由』の少し先にある文章を引用する。

要するに、運動のなかに二つの要素を、すなわち通過された空間と空間を通過する行為、継起的諸位置とそれらの位置の総合とを区別しなければならない。…しかし、ここで再び、内浸透の現象、つまり運動性の純粋に内包的な感覚と通過された空間の外延的表象との混合が生じる。(同135-136頁。Edition du Centenaireでは75頁。)

そして、次のやうにコメントする。

波動力学の観点からは、この言ひ方は完全に満足すべきものとは見えない。次のやうに言ふべきだらう。量子的な実体は、粒子といふ概念、つまり要するに幾何学的空間に位置づけられる点と、波といふ概念によつて、交互に表現することができる、と。波は波動力学では、空間的な位置づけを全く持たない、純粋な状態の運動を表現してゐる。かうして波動力学では、対立する二つのイメージを操つて、運動を空間的な位置決めから切り離すことに成功した。そして、この二つのイメージはその厳密な形では同時に用ゐることができないとされる。それがハイゼンベルグの不確定性の中身だからだ。(250頁)

また、量子論について、次のやうに述べて、ベルクソンの文章との類似を指摘する。

もし時刻t1よりも後の時刻t2において、実験や観察によつて粒子の位置を正確に知ることができるとすると、私達にとつて状況は完全に変はる。何故なら、実現するのは一つの可能性であり、他のどれでもないからだ。かうして、量子論においては古典理論をはるかに超えて、時間が経過することで、新しく予期できない要素がもたらされるやうに見える。これはベルクソンの筆になる言葉と同じだ。彼はかう書いてゐる。「この点を堀り下げるほど、私には次のやうに思はれてくる。もし未来が、現在に並んでゐるのではなく、その後に続くことを定められてゐるのであれば、未来は現在の時点で完全には決定されてゐない、と。そして、この継続が占める時間が(単なる)数量とは別物であるとすれば、そこでは絶えず予期できないもの、新しいものが創造されてゐる、と。」*2

この他に、『時間と自由』の「してみれば、物質の不可入性を立言することは、単に数の観念と空間の観念との連関を認めたというだけのことであり、物質の一特性より、むしろ数の一特性を言い表しているのである。」という文(中村文郎訳岩波文庫版109頁。Edition du Centenaireでは60頁)を引いて、量子力学では同じ場所に二つの粒子が存在することが可能となり、昔ながらの物体の不可入性といふ考へ方が崩れてゐる事実と対比してゐる。

上に述べたもの以外にも、ド・ブロイは量子力学ベルクソンの思想の類似が見られる例をいくつか挙げてゐるが、長くなるので省略する。

ベルクソン自身が量子力学に言及した例は少ないが、ド・ブロイは最後に、その一つとして『思想と動くもの』にベルクソンがつけた次の註を引用する。

そこで人は、きわめて最近の物理学に従って物理的事実を構成する要素的現象の不確定性の仮説をとる場合でも、やはり物理的確定性と言うことができるばかりでなく、そう言わなければならない。というのは、この物理的事実は、曲げることのできない確定性に従うものとしてわれわれに知覚される点では、われわれが自身を自由と感ずるときに果たす行為と根本的に区別されるからである。私が前に暗示したように、それぞれの視覚が要素的な現象の特殊な程度における凝集にとどまるのは、まさに物資をこの確定性の鋳型に流しこみ、われわれをとり巻く現象の中で、それに対する行動をわれわれに許す継起の規則性を得るためではないかと問うかもしれない。さらに普遍的に言うと、生物の活動は、その持続を凝集することによって、事物の支えとなる必然性に寄りかかり、それに自分の寸法を合わせることになる。(河野与一訳岩波文庫版403頁。Edition du Centenaireでは1301頁。)

そして次のやうに締めくくつてゐる。

興味深い示唆だ。これに従へば、生物は必然的に「巨視的」な知覚を持つだらう。何故なら、巨視的なものにおいて初めて明確な決定論が支配し、生物の諸物に対する活動が可能になるからだ*3。この孤立した文を読むと、この偉大な哲学者がその透徹した眼で、新しい物理学の予期されなかつた地平を見渡すことができなかつたことを、どれほど残念に思ふやうになることか。

ベルクソンの基本的な問題意識は、科学の説く必然性から人間の自由を守ることだつた。量子力学の登場により、科学自体が、ある種の確率を含むものとなつた。これは自由の余地を意味するのだらうか。観測による「波束の収束」が、どのやうな物理現象に対応してゐるのかなど、量子力学の解釈については、今だに議論が続いてゐる。それがどのやうな結論に落ち着くにせよ、科学と自由が両立するものであることは議論の余地がないと思はれる。科学は確かに自然の法則性を捉へるが、それは自然をある視点から、つまり一面的に捉へるからだ。科学が描く自然が私達に与へられた自然の全てではない。

この事実は、常識の立場からすれば当たり前だと思ふのだが、科学者の中には、人間には自由など無いと真顔で主張する人が今でもゐる。しかし、全てが決定されてゐるのであれば、「新しさ」とは何だらう。科学は新発見を誇りにし、新しい技術を応用して新製品が世に出されるが、もし古典力学から推測されるように全てが決まつてをり、時間を逆にしても同じやうに世界が成り立つのであれば、そんな世界に「新しさ」などあり得ないのではないだらうか。

量子力学が、人間の自由の問題についてどのやうな回答を出すかはまだ分からないが、ベルクソンの著作は、さうした問題を考へるためにも、様々な示唆を与へて呉れる。

ベルクソンの主な著作には、翻訳が出てゐる。一般的に言へば、若い人には新しい翻訳の方が読みやすいだらう。岩波文庫は、品切れになつてゐるものもあるやうで、Amazonで検索すると、中古品が出て来る場合がある。

ベルグソンには、このほかに『道徳と宗教の二源泉』があるが、ド・ブロイの話には出て来ないので、省略した。

ド・ブロイ自身の著作は、現在は手に入りにくいようだ。以前、『物質と光』といふ本が岩波文庫から出てゐた。中には「量子力学に関する哲学的研究」と題された文章も含まれてゐるが、連続性と個別性など、物理学で用ゐられる概念の検討を行つたもので、ベルクソンについての言及は無い。科学史に関心がある人以外には、あまりお勧めではない。

*1:この号は、同じ年の1月にナチス占領下のパリで死んだベルクソンの追悼号である。

*2:真方敬道訳岩波文庫版『創造的進化』では396頁にあたる部分。但し、文章は少し異なる。この部分に限らず、ド・ブロイが引用する文章や示されてゐる頁はEdition du Centenaireとは少し異なる場合が多い。参照してゐる版の違ひか。

*3:量子力学の生みの親の一人であるシュレディンガーが書いた『生命とは何か』といふ本にも、同様の説が述べられてゐる。