内村鑑三『代表的日本人』

内村鑑三(1861-1930)の『代表的日本人』は、著者が34歳の1894年に書かれた"Japan and Japanese"の改訂版"Representative Men of Japan"(1908年)の翻訳だ。その序文は、次のやうなものだ。*1

此の小著は、今より十三年前、日清戦争の最中、『日本及び日本人』(Japan and Japanese)なる表題をもつて刊行せられたるもののうち、其の主要部分の再版にして、一友人の手により多くの訂正を加へられたるものである。我が國に對する余の青年時代の愛の全く冷却したるに拘らず、余は我が國民の有する多くの美しき性質に盲目たり能はざるのみならず、彼女こそは今なほ『我が祈り、我が望み、我が勤めを、自由に』與ふべき國土、然り、唯一の國土である。余が今なほ我が國人の善き諸性質ー普通に我が國民の性質と考へられてゐる盲目なる忠誠心と血腥い愛國心を除いた其以外の諸性質ーを外なる世界に知らしむる一助となさんことが、おそらくは外國語をもつてする余の最後の試みなりと思はるる本書の、目的とするところである。(5頁、ゴチック部分は原文では傍点。以下同様。)

岩波文庫版には「獨逸語版 跋」も載せられてゐて、興味深い。例へば、こんな文章も見つかる。

余は、基督教外國宣教師より、何が宗教なりやを學ばなかつた。すでに、日蓮法然蓮如、其他敬虔なる尊敬すべき人人が、余の先輩と余とに宗教の本質を知らしめたのである。(11頁)

代表的日本人として取り上げられてゐるのは、以下の五人である。

西郷隆盛 ー新日本の建設者ー

上杉鷹山 ー封建領主ー

二宮尊徳 ー農民聖人ー

中江藤樹 ー村落教師ー

日蓮上人 ー佛教僧侶ー

内村は、これらの人物の何が世界に誇るに足ると考へたのだらうか。

西郷隆盛

西郷隆盛(1828-1877)は、日本の開国といふ困難な課題に立ち向かつた「敬天愛人」の人として描かれてゐる。そして、西郷が「天」といふ言葉を数多く用ゐたことについて、次のやうな意見が述べられてゐる。

彼はその心のなかに自己と全宇宙とより更に偉大なる「者」を見出し、彼と秘密の會話を交はしつゝあつたと余輩は信ずる。『道を行ふ者は、天下擧(こぞつ)て毀(そし)るも足らざるとせず、天下擧(こぞつ)て譽むるも足れりとせず。』(中略)西郷は、右の如き、またそれに類する、他の多くの事を語つた。彼は、すべてこれらの事を、直接、「天」より聞いたのであると余は信ずる。(26頁)

天の声を聞く人は、正義の人である。

『敬天』の人は、正義の崇敬者遵奉者たらざるを得ない。『道(正義)の普く行はるること』が、彼の「文明」の定義であつた。彼にとり、天下に正義ほど貴重なるはなかつた。彼の生命は言ふ迄もなく、彼の國さへも、正義にまさりて貴重ではなかつた。」彼は曰うた、『正道を踏み(正義のために)国家を以て斃るゝの精神無くば、外國交際は全かる可からず。彼の強大に委縮し、圓滑を主として、曲げて彼の意に順從する時は、輕侮を招き、好親却つて破れ、終に彼の制を受くるに至らん』と。(49頁)

政治の基盤として道徳的な基礎を築かうとした点が、西郷の偉さだと考へてゐた訳だ。

上杉鷹山

内村は、五人を紹介する各文章の始めに、西洋の読者のためであらう、時代背景などについての説明を置いてゐる。上杉鷹山(1751-1822)の場合には、「封建制政体」についての説明があるのだが、今日の読者が驚くやうな意見も述べられてゐて、面白い。例へば、

『進歩した機構』は、盗人を縛る役にこそ立て、聖人の助けにはならない。余輩は、代議政治の制度は、一種の進歩した警察制度であると考へてゐる。詐欺師と悪黨は、それによつて十分に抑へられる。併し如何に大群の警官も、一人の聖人又は英雄の代用を爲すことはできないのである。(中略)封建制度とともに其に結附いてゐた忠義、武勇、多量の雄雄しさや人情味が我我より喪はれはしなかつたかを、我我は惧れるのである。(55頁)

鷹山は、地上に神の国の似姿を実現させた政治家として描かれてゐる。ここでも、道徳の重要性が強調されてゐる。

東洋の學問の一つの美しい特徴は、道德から離れて經濟を取扱はなかつたことである。富は、東洋の哲學者にとりては、必ず德の結果である。そして富と德との二つは、果(み)が木に對して有つと同じ關係を、相互に對して有つてゐるのである。(69-70頁)

彼は、時代の諸〃の慣行に驚くべきほど捉はれずして、彼が天から託された民を、大名と百姓とが等しく踏み行かなければならぬ『人の道』に、導き行かんことを志した。(70頁)

上杉鷹山の事業については無知だつたが、「ペリイの艦隊が江戸灣に現れたるより五十年前、北日本の山嶽地方の一角に、西洋醫術が一般公衆に用ひられてゐた」といふ話を読むと、その先見性、開明性がよく分かる。

二宮尊徳

二宮尊徳(1787-1856)といふ名前や薪を背負つて読書する姿は知つてゐても、具体的にどのやうな事を成したのかは知らない人が多いのではないだらうか。内村は、道徳の力で農業改革を実現した人物として描いてゐる。

内村は十九世紀初頭の日本の農業についての解説から始めるのだが、その中では、次の一節が眼を引く。

余輩は日本農業は農業として世界に於て最も注目すべきものであると思つてゐる。一塊一塊の土が思慮深き取扱を受け、地より生ずる一草一草に殆ど親の愛に近い配慮と注意が與へられてゐる。(81頁)

次に、孤児になり伯父に引き取られた、『大学』を夜中に読んで、貴重な油を使ふと怒られた、自分で油菜を育て得た油で本を読んでも、「自分は家の者には誰も読書といふやうな斯様な儲けにならない仕事をさせて置くことはできない」と言はれ、乾草や薪を取りに山に行く途すがら勉強した、といつた幼少期の逸話が語られる。そして、ここでも道徳は有用な位置づけを与へられてゐる。
道德力を經濟問題の諸改革に於ける主要な要素とする斯くの如き農村復興計畫は、これまで殆ど提案せられたことはない。それは「信仰」の經濟的適用であつた。この人には清教徒(ピュウリタン)の血の通つてゐる所があつた。或はむしろ、この人は未だ西洋直輸入の「最大幸福哲學」に汚されざる純粹の日本人であつたと言ふべきである。(89頁)

國家老たちを前にして『年饑ゑて民を救ふの途を得ざる時に當り、何を以て饑渇の民を救ひ之を安んぜん乎』といふ有名な説話を述べた、などといふ話を読んで、ネット上で読むことのできる尊徳の著作に少し目を通したが、非常に立派な思想家でもあることが窺はれた。

中江藤樹
中江藤樹(1608-1648)は近江聖人として知られる。小林秀雄(1902-1983)は『本居宣長』のなかで藤樹に触れ、次のやうに書いてゐる。
中江藤樹が生まれたのは、秀吉が死んで十年後である。藤樹は、近江の貧農の倅(せがれ)に生れ、獨學し、獨創し、ついに一村人として終りながら、誰もが是認する近江聖人の實名を得た。勿論、これは學問の世界で、前代未聞の話であつて、彼を學問上の天下人と言つても、言葉を弄する事にはなるまい。(第五次全集第十四巻86頁)
内村は、旧日本の教育についての解説から話を始めるのだが、そこには、次のやうな文が見つかる。
我我は歴史、詩歌、行儀作法を少なからず教へられた。併し主たるものは道德、しかも實踐的な道德であつた。(112頁)
我が國の教師たちは、人は級に分つべからざるもの、人は一個の人間として、すなはち面と面、靈魂と靈魂と相對して、取扱はれねばならぬものと信じてゐた(と余は直觀的に考へる)。それ故に彼等は我我を一人づつ、各自その肉體的心的精神的の特質に応じて、薫陶した。(113頁)
現代のごとき適者生存の原則にもとづく教育制度は、寛仁愛人の君子(ジェントルマン)をつくるに、最も適當であると考へられた。それゆゑ、この點に於ては、我が國の舊時代の教師たちは、その教育理論に於てソクラテスプラトーと一致してゐたのである。(113頁)

内村は、熊澤蕃山の弟子入りや岡山侯の訪問(これについては史実かどうか疑問があるらしい)などの逸話を紹介した後、藤樹が『論語は聖賢の言行を記したるものなれば、無用の事はなけれども、今日の上に合はざる事あり。』といふ説を述べたことについて、かう書いてゐる。

彼が人爲の「律法」(法、ノモス)と、永遠に存在する「眞理」(道、ロゴス)とを、明確に區別したことは、左の如き注目すべき言葉によつて示されてゐる、ーー
 道ト法トハ別ナル者ナリ。心得違ヒテ法ヲ道ト覺リタル誤、多シ。法ハ、中國聖人ト雖、代々替レリ、況ヤ吾國ヘ移シテ行ヒ難キコト多シ。(中略)...法ハ、聖人、時所位ニ應ジテ事ノ宜シキヲ制作シ玉ヒ、其代ニ在リテ道ニ配ス。時ナリ所位、替リヌレバ、聖法ト雖、用ヒ難キ者アリ、不合ヲ行フトキハ却テ道ニ害アリ。
而して此は、聖書が今日極端な靈感主義者によりて無謬と考へられてゐると同じだけ、所謂「經書」が無謬と考へられてゐた時代に、語られたのである。(132頁)
そして、恐らく羨望の心をもつて、一村人として生涯を終へた藤樹につき、次のやうな感想を述べてゐる。

しかも彼は全く樂しくその生涯を送つたと思はれる。彼の文章の何處にも一抹の落膽の調子を捉へることはできない。實際に、如何して此の人がその陽明學型の儒教をもつて斯くの如くに幸福であり得たかは、我我自身の神觀と宇宙觀をもつてしては殆んど想像することができないのである。(135頁)

日蓮上人

仏教の僧侶である日蓮(1222-1282)をキリスト教徒の内村が褒めるといふのは、一見、奇異に感じられる。しかし、内村を惹きつけたのは、日蓮の教義ではなく、その宗教に対する姿勢だつた。

彼は倣ふべき何らの先例なく、一つの「經」と一つの「法」とのために生命を投げ出して敢然と立つたのである。彼の生涯の興味あるは、彼が主張し弘布した教義的見解よりも、寧ろ彼がそれを主張した勇敢なる行爲にある。眞の意味に於ての宗教的迫害は、日本に於ては、日蓮を以て始まつたのである。(156頁)

偉大なる事業は常に斯くのごとくにして生れる。一個の不屈なる靈魂と、それに對立する世界と、ーー永遠に偉大なるものの現るべき希望は其處に存する。二十世紀は當に此の人より、彼の教義にあらずとも、彼の信仰と勇氣とを學ぶべきである。基督教はそもそも日本に於て斯くの如き起源を有したか。(159-160頁)

キリスト教徒が仏教の僧侶を称へることの問題は、内村自身、よく理解してゐる。

實際、日本に於ける基督信徒にとりては、此の人に稱讚の辭を呈することは、イスカリオテのユダに好意ある言葉を語るだけ不敬虔に響くのである。
 併し余としては、もし必要とあらば、此の人のために我が名譽を賭する。彼の教義は概ね今日の批評學の試驗に堪へ得ないことは余も認める。彼の論爭は上品でない、全體の調子は狂氣の如くである。彼は確かに不均衡の性格であつた、たゞ一方向にのみ餘りに尖鋭であつた。併し乍ら彼よりその知識上の誤謬、遺傳されし氣質、時代と環境が彼の上に印したる多くのものを剥ぎ取れば、然らば諸君はその骨髓まで眞實なる一個の靈魂、人間として最も正直なる人間、日本人として最も勇敢なる日本人を有するのである。僞善者は二十五年以上もその僞善を保つことはできない。また僞善者は彼のために何時でも生命を投出さんとする幾千の隨身者を有つこともできない。(168頁)
もし彼にして狂せしならば、彼の狂氣は高貴なる狂氣であつた、それはかの最も高貴な形態の自尊心と區別し難きものであつた、即ち果すべく遣された使命の價値によつて己自身の價値を知るといふ自尊心である。自己自身について斯かる評價をいだきたる者は、「歴史」上、日蓮がたゞ一人ではなかつたのである。(169-170頁)
これ以上に獨立なる人を、余は我が國人の間に考へることはできない。實際、彼は彼の獨創と獨立によつて、佛教を日本の宗教たらしめたのである。彼の宗派のみ獨り純粹に日本的である、しかし他の凡てはその起源を或は印度、或は支那、或は朝鮮の人人に有つたのである。彼の大望もまた、彼の時代の全世界を抱容せるものであつた。彼は彼の時までは佛教は印度から日本まで東方に向つて進み、彼の時よりは日本から印度へ改善されたる佛教西方に向つて進むべきであると語つてゐる。それゆゑ彼は受動的受容的な日本人の間にあつて一つの例外であつた。(172-173頁)
争闘性を差引きし日蓮、我等の理想的宗教家である。」これが内村の結論だ。

 

この本についての書評は、ネット上でもいくつか読むことができる。若松英輔氏による

NHK 100分de名著 げすとこらむ

同氏のインタビューもある。

『内村鑑三 悲しみの使徒』インタビュー

松岡正剛の千夜千冊でも取り上げられてゐる。

内村鑑三の著作は、青空文庫で読むことができる。国会図書館のデジタルコレクションでは、画像で送られてくるので面倒な部分もあるが、『求安録』のやうな、青空文庫ではまだ読めない本も閲覧できる。

*1:手元にあるのは1941年に初版が出た鈴木俊郎氏の訳による岩波文庫で、現在、同文庫で流通してゐる鈴木範久氏訳のものよりも古い。以下の引用は、全て1941年版による。

因果性と相補性

山本義隆氏の編訳によるニールス・ボーア(1885-1962)の論文集『因果性と相補性』を読む。

相補性とは

「相補性」はボーアの言葉。原子物理学の領域のやうに、プランク定数が無視できない状況では、「(従来の)因果的記述の枠組みに適合させられない新しい規則性が登場」する。かうした新しい状況を表現する言葉が「相補性」だ。

考察している対象の振る舞いにかんして異なる設定の実験によって私たちが手に入れる、見かけ上はたがいに相容れない情報は、あきらかに従来のやり方では相互に関連づけることはできないけれども、(経験全体の包括的な説明にとっては同様に欠かすことのできないものであって、)それらはたがいに相補的であると見なしうるのです。(岩波文庫124頁)

「たがいに相容れない情報」の典型例としては、電子や光が、実験の設定によつて、一点に存在する粒子のやうにも、広がりを持つ波のやうにも見えるといふことが挙げられる。粒子の姿も波の姿も、どちらも電子や光の姿だが、これらの姿を現すのは、特定の実験設定がある場合で、一つの設定で二つの姿を同時に見せることはない。二つの姿は、電子や光といふものが示す相補的な姿なのだ。

「どちらの姿が本当の姿なのか」といふのが普通に浮かぶ疑問で、だからこそ、光については粒子説と波動説が何世紀もの間、対立して来た。しかし、実は状況に応じてどちらの姿も現すといふのが真相だつた。

どう見るかによつて物事が異なつて見える、といふのは普通の経験だが、その奥には見方に依らない本当の姿がある、私達はさう考へる。歴史的な出来事は、史料が十分でないことも多く、見方次第で様々な説明が可能で、真相は藪の中といふこともあるが、物の世界では私達がどう見るかに関はらず決まつた物の姿がある、それが量子力学以前の常識だつた。相補性は、さうした常識を覆す考へ方なのだ。

物理現象の客観的な記述は不可能なのか

それでは、物理現象を客観的に記述することは不可能なのか。ボーア自身の言ふところを聞かう。

私は、このような所見の表明により、原子物理学では因果的記述を放棄すると言うとき、私たちは、豊富な現象を理解することが不可能であるというような浅薄なことを主張しているのではなく、ここで直面している新しいタイプの法則を、分析と総合のあいだの必要なバランスにかんして哲学が一般的に指示するところにしたがって説明しようとする真剣な努力にかかわっているのだということをお伝えしたかったのです。まさにこの点で、人間の知識の他の領域においてもまた、私たちは、相補性の観点によってのみ回避しうるように思われる見かけ上の矛盾に直面しているということを指摘するのは、私には興味深いことです。しかしながら、原子物理学の分野における最近の発展が、「機械論か生気論か」あるいは「自由意志か因果的必然性が」というような問題のいずれか一方の立場を選ぶことの助けになるというような、ひろく語られている見解に与することは、私には到底できません。まさに原子物理学のパラドックスが解決されたのが、決定論か非決定論かという旧来の問題にたいしていずれか一方の側に立つということによってではなく、ただもっぱら観測の可能性と定義の可能性を吟味することによってのみであったという事実は、むしろ、生物学や心理学の件の問題にかんしていかなる態度をとればよいのかということについて、再検討を促しているでしょう。(同131頁)

この文章を含む論文が掲載されたのは、Philosophy of Science誌の1937年7月号だが、この時期から、ボーアは相補性の概念が生物学や心理学の態度を改める可能性を考へてゐたことが分かる。電子のやうな基本的な粒子でさへ、見方によつて粒子にも波にも見えるといふ多様性を持つてゐるのだとすれば、生物のやうな複雑なものが「機械論か生気論か」といつた単純な二分法で片づけられるはずがないのは、明らかだと言ふべきだらう。ボーアは、生物学や心理学も、古典物理学的な世界像に縛られてゐたことを指摘してゐるのだ。

ボーアといふ人

ニールス・ボーアといふ人は、普通の日本人には余り馴染みのない人だと思ふが、「訳者序文」には、次のやうに書かれてゐる。

20世紀前半を代表する物理学者がアインシュタイン(1879-1955)とボーア(1885-1972)であることは、誰もが認めるであろう。しかし、タイプは相当異なる。かたやアインシュタインが20世紀物理学のスーパー・スターであるとするならば、ボーアはさしずめ20世紀物理学のゴッド・ファーザーにあたる。実際、アインシュタイン孤高の人であったとすれば、ボーアは理論物理学における最大でほとんど唯一の学派を築きあげ、アインシュタインがどちらかというと異端であったのにひきかえて、ボーアはメイン・ストリートを歩み続けた。(同3頁)

かうしたボーアの姿とは大きく異なるボーア像を描いたのが、アダム・ベッカー『実在とは何か』だ。「量子力学に残された究極の問い」といふ副題がついたこの本は、量子力学の解釈問題を扱つた本だが、それぞれの解釈を物理学的に論じるといふよりも、主な解釈を提唱した人物の評伝を並べたやうな本だ。

この本の著者は、ボーアの提唱したコペンハーゲン解釈には問題があるといふ立場で、ボーア自身も曖昧で冗長な話しぶりで、何を言ひたいのか分からない人物として描かれてゐる。これに反して、量子力学についての独自の解釈を打ち出すなど多くの業績を残したものの政治的立場から不遇だつたデヴィッド・ボーム(1917-1992)や、学者の枠をはみ出した生活を送り多世界解釈といふ突飛な理論を提唱したヒュー・エヴェレット(1930-1982)については、親近感を込めた筆で書いてゐる。

ベッカーの本は、人物評伝としては面白いが、量子力学の解釈問題自身が、過去の問題と見える現在の状況では、物理学の本としての中身は古いものだと言ふべきだらう。

量子力学の考へ方が、他分野にどのやうに波及してゐるのかは興味深い問題なので、引き続き勉強してみたい。

 

臨死体験の科学的な研究

臨死体験と呼ばれる現象がある。三途の川が見えたり、横たはる自分の姿を空中から眺めたりといつたオカルト的な体験なのだが、さうした体験をする人がゐることは、事実として認められてゐる。

ネットでも、たとへば次のやうな真面目な研究の結果を見ることができる。

しかし、不思議な体験であることは間違ひなく、本人にしか分からないので、どこまで確実な事実と言へるのだらうか。この体験を外から確かめることはできないのか。

AWARE

さうした研究の一つにAWARE (AWAreness during REsuscitation) がある。Sam Parnia氏を中心に、複数の病院の救急救命センターが協力して、心肺蘇生により回復した心停止の患者からデータを集めることにより、瀕死状態の患者の意識を探る研究で、最初の結果は2014年に発表された。研究手法に改善を加へて二度目の研究AWARE IIが行はれ、その結果は2023年10月に公表された。

今回の研究で私が注目してゐたのは、寝てゐる患者からは見えない場所に画像を出して、蘇生時にそれを覚えてゐるかを調べるといふ調査だ。もし、画像を覚えてゐる人がゐれば、寝てゐる場所からは見えないものを見たのだから、精神の体外離脱が起きたことが示されることになる。もしさうした実例が見つかれば、心と身体との関係を根本から考へ直さねばならないやうな、非常に興味深い研究なのだ。前回も一部の病院で行はれたのだが、データ数が少なかつたこともあり、画像を見たといふ人はゐなかつた。今回は全ての病院でこの手法を導入して、より多くのデータを集めるといふので、期待は高まつた。
結論から言へば、今回も画像を覚えてゐる人はゐなかつた。そもそも心停止といふ危機的な状況にある患者が対象なので、567人の対象者のうち生還できたのは10%弱の53人、インタビューができたのは28人だつた。そのうち11人が心停止中でも意識があつたことを示唆する経験を語つた。
今回の研究結果の評価
といふ訳で、体外離脱の証明には至らなかつた訳だが、医学的には興味深い結果も得られたやうだ。メディカルオンラインの医学文献検索サービスに掲げられたこの論文についてのページを見ると、次のやうな評価がなされてゐる。
知覚刺激の想起はほとんど生じなかったものの、脳波モニタリングの結果は、臨死体験の一部に現実的基盤が存在している可能性を示唆するもので、PNAS誌の論文とともに大きな注目を集めている
臨死体験の一部に現実的基盤が存在する可能性」といふのは、心肺蘇生に35分~60分といふ長時間を要した患者の一部で、脳にデルタ活動・シータ活動・アルファ活動などが出現したことを指すのだらう。同じく注目を集めてゐるといふPNAS誌の論文では、昏睡状態の患者の人工呼吸器をはずす際に脳波を調べたところ、4名のうち2名でガンマ活動が観察されたことが報告されてゐる。

この点については、Parnia氏もインタビューで言及してゐる。そこでは、臨死体験は、脳が酸欠状態に置かれることにより、その抑制機能が働かなくなり、心の中の記憶などが溢れ出して来るのではないか、といふ仮説も述べてゐる*1

今回の結果を踏まへて、今後、どのやうな研究が行はれるのかは分からないが、私達の心がどのやうなものなのかについて、科学的な知見が積み上げられることを期待したい。

 

*1:この説はベルクソンの説とよく似てゐて興味深い。ベルクソンは、精神は脳の活動を大きくはみ出してゐるもので、脳は記憶を蓄へる場所ではなく、精神の注意を生きることに向けさせるための器官であり、私達の身体は精神の言はば錘(おもり)であるといふ意見を述べてゐる。

科学は心を解き明かすことができるか

「ハードプロブレム」

心を科学的に解き明かさうといふ試みは、現在でも熱心に続けられてゐるが、かうした試みに立ちふさがる「ハードプロブレム」がある。山本貴光吉川浩満両氏の『心脳問題』では、「なぜ脳内活動の過程に内面的な経験、つまり心がともなうのか、という疑問」だと説明されてゐる。

同書では、この問題がいつまでも解決されないのは、カント(1724-1804)のアンチノミーが示すやうに人間理性の限界によるのであり、この病には大森荘蔵(1921-1997)の「重ね描き」といふ考へ方が解毒剤として効くが、疑問は消えず、「ハードプロブレム」は「回帰する疑似問題」になる、むしろさうした問題だからこそ取り組み価値がある、といつた説明がなされてゐる。

Bitbol氏の説

この問題に関して、最近、Michel Bitbol氏のThe Tangled Dialectic of Body and Consciousness: A Metaphysical Counterpart of Radical Neurophenomenologyを読んだ。「ハードプロブレム」が解消され得る、或いは「ハードプロブレム」は「疑似問題」であると考へる点では、『心脳問題』と同じだが、Bitbol氏は大森荘蔵が批判してゐるといふフッサール(1859-1938)の考へなどに基づいて、意識を科学に先立つものとして位置づけてゐる。

Bitbol氏の問題意識は、氏の支持するFrancisco Varela(1946-2001)が提唱した「神経現象学」が、「ハードプロブレム」を解消して新しい方法論を提示するにも拘らず、哲学的な検討を放棄するやうに見え、同時に科学者のあり方を根本的に改めることを求めるために、十分に理解されなかつたり無視されたりしてゐる現状を改めたい、といふ点にある。

そのために、氏はこの論文で「知る」とはどういふことかを再検討して、量子力学を参照しながら、「知る」には知る者の参加が欠かせないことを確認する。そして、特に「自らを知る」といふことは、普遍的な法則を探すといふ態度では実現できないことを示す。さらに、神経系と経験との関係を「説明する」とは、独立した法則により表現することではなく、この関係を研究することで知覚や行動の新しい可能性が拓かれるといふことを指すのだ、とする。(76節)

「何か」問題への答へ

Bitbol氏は上記のやうな次第で、ある種の知行合一のやうな立場にたどり着くのだが、そもそも「心とは何か」といふ問ひにはどのやうな答へがあり得るのだらうか。「〇〇とは何か」といふ問ひは、対象となるものの本質を尋ねるものだとされるが、そもそも全てのものに本質が備はつてゐるのだらうか。

この形の問ひがうまい答へを見つけることができるのは、制作者の意図が分かつてゐる場合と、他のもので代替できる場合の二つではないかと思はれる。前者は、制作者がゐる場合に限られる。すでに出来上がつたものでなく、そのあるべき姿を示す場合にも、「〇〇とは何か」といふ形で議論されるが、これも制作者の意図に似たものを前提としてゐる。

後者は、例へば「光とは電磁波だ」といふ説明がこれに当る。この説明がうまく行くのは、光も電磁波も、私達が世界から切り出した「物」或いは「事象」だからだ。私達が光といふ名前で呼んでゐたものは、電磁波といふより広いものの一部として捉へ直すことができる。この新しい理解により、私達の世界の見方が整理され、より合理的な係り方ができるやうになる。だから「光とは電磁波だ」といふ説明には有難味や説得力がある。

心は、このどちらの場合にも当てはまらない。心は神が創造したとしても、人間にはその意図を知ることは適はない。また、心は私達が世界から切り出したものではない。むしろ、現象学的に言へば、世界の前提だ。それを世界から切り出したもので置き換へようとする試みがうまく行くはずがない。

科学者の仕事は無くなるのか

「ハードプロブレム」が疑似問題だとすると、科学者の心を解明しようといふ努力は無駄になるのだらうか。確かに心とは何か、といふ問ひに答へが出ることはないだらう。しかし、Bitbol氏が言ふやうに、心と身体との関係を研究することで、両者についての新しい見方をすることができるやうになり、実用的な応用にもつながることは期待できる。

そのためには、言葉の上で意識と神経系との関係を議論したり、過去の哲学者の説の解釈を云々したりするのではなく、新しい経験が必要だ。例へばBrain Machine Interfaceの研究などは、麻痺した腕や足を動かすといつた実用的な目的だけでなく、私達の心といふものについての新たな知見を提供するものとして期待できる。

この種の新しい経験によつて「心とは何か」といふ問ひへの答へが出ることは期待できないが、心とはどのやうなものなのかを、より詳しく知ることができるやうになるだらう。

謎は残る

心をより詳しく知ることができたとしても、心の謎が解けたことにはならない、さう思ふ人もゐるだらう。しかし、全ての謎が解ける訳ではない。滝浦静雄(1927-2011)の『時間』は、次のやうに結ばれてゐた。

ビーリは、彼の時間論の結論に近い言葉として、次のように述べていた。

「時間的生成の一方向性と不可逆性と同様、そのつどの現在の時点には、説明が拒まれている......」。

しかし、実を言えば、「説明が拒まれている」のは、この世に変化があることと、その変化を身に蒙りつつそれを知っている身体的主観の一人が、まさしくこの私だということなのではないだろうか。少なくとも、私なしでは「特定の現在」はないし、したがって本当に現在である限りでの「そのつどの現在の時点」も存在せず、また不可逆な「今の系列」というものもないのである。(岩波新書『時間』202-203頁)

「米国の敵は米国」

米国の調査会社が発表した2024年の世界の十大リスクの一位は「米国の敵は米国」だつた。今年は大統領選挙の年だが、米国の政治的な分裂がさらに深刻になる恐れがあるといふ。トランプ氏のやうな人物が米国大統領に一度でも選ばれるだけで驚きだが、議会乱入事件などを惹き起こした後でも支持は衰へず、再選される可能性が高いといふのだから、信じられない。どうして人々はあのやうな人物を信用するのだらうか。

年末に、こんなアランの話を読んだ。(1928年3月3日のプロポ)
いつでも二つの宗教があつた。一つは私達を外へ、現実的なものへと引つ張り、もう一つは逆に私達の中にある何か手懐(てなづ)けられないものへと連れ戻す。ソクラテスは神々が不当な場合をよく分かつてゐて、さう言つてゐた。彼はもつと酷いこと、或はもつと上手いことを言つた。「正しいものが正しいのは神々が望むからではなく、正しいものは正しいから神々がそれを望むのだ。」それは神々を、考へるソクラテスに従はせることだつた。或は、むしろ、神々を「神」に従はせることだつた。しかし、この動きには終はりが無い。思ひを巡らせる人は、今よりも更に清らかな自分、より自由な自分を追ひ求めることを止めないからだ。人は、精神を信じるならば、他のものは余り当てにしない。宗教的な信念が、軽々とは信じないことの核なのだ。
私が信じないのは、いつでも信じてゐるからだ。弱腰の懐疑主義者が何も信じないと言つても虚しい。彼が自分を信じないのであれば、自分が解きほぐし、批判し、判断できると思はないのであれば、仕来りや習はしに、そして身体の皺や傷跡に支配されてゐるのであれば、何も信じないと言つても実に虚しい。逆に、全てを信じてゐるのだから。何かが他より正しいことなどない、と言ふ人には、目に映るもの全てが同じ影響力を持つ。最後には、欲と利害に引きずられる。全く気まぐれな大きな子供になるだらう。しかし、社会は報酬と無視の見事な体系だ。儀式と制度がこれらの軽い人達を集めて導く。流れとともに浮かんで海へと下つてゐるのが分かつてゐるコルク栓のやうに、軽い人達はどこかに向かつてゐるのに気づく。彼等はこの浮かぶコルク栓の旅を本にしさへする。私にはこの人達が独断的だと見え、言葉の上辺の意味で宗教的だとも見える。彼等は、ソクラテスとは全く逆に、正しいこととは神々が望むものだと考へる。例へば戦争は神々が望むのが明らかなら正しいものとなる。彼等自身の財産も、神々が望むのが明らかなら正しい。これがイエズス会士の諦めであり宗教だ。かうした宗教は人の中で完全に消えることはない。人は全てを判断することはできないが、立場を決めないではゐられない出来事や状況、流れもあるからだ。それは適応するといふことだ。それは結局、うまく行くことは真実であり正しいと考へることだ。これに対して永遠なるソクラテスは、多分完全には死んでゐないのだが、内なる神託、秘密の神託により、国務院の高官の中でも、身を擡(もた)げ続ける。揺らめく光であることが多いが、時には輝きを放つ。例へば、明らかに悪質な行ひを前にすると、何も信じない振りをしてゐる人でも立ち止まり、かう言ふ。「あんなことは私はしない。」天と地が讃へようとも、しない。スパイも多分、友情を裏切りはしないだらう。大稼ぎする海賊でも、ゲームでいかさまはしない。
このやりとりで最も驚くべきところに辿り着いた。実用主義者、即ち流れに従ふ者でも、決して自分がさうだとは言はない。プロタゴラスソクラテスに裸にされ、意見にはより得になるか余り得にならないかしかないと口に出すが、同時に、それを言ふことはできないことを認める。それでは得になる意見が得にならなくなるからだ。だから国のための嘘は、得になると言つてはならない。それは真実なのだ。そして、この考へ方の精妙さそのものが、非人間的なものだ。一番得になるのは、得なものが正しいと信じることだからだ。かうして、一番いい加減な人達が、熱狂的信者の姿を取る。そして、逆に、自らの自由な判断に隠れ家を求める人は、ある証明が便利や好都合により少しでも汚されてゐないかどうか、そこまで確信を持てない。自分に気に入ることを真実だとか正しいと受け取るのを恐れるので、相手が正しいと言ひ、さう信じようとすることを、好都合なだけだと暴(あば)く。かうして、イエズス会士はその話が合理主義的となり、ヤンセン主義者の話は懐疑主義的になる。パスカルは、ある種の信じる信じないのやり方により、自由な精神に好まれ続けるだらう。「人民に、法律は正しくない、と言つてはならない。」しかし、結局、彼はさう言つた。さう言つてはならないと言つたのだから。自分のために、私的な覚書で、帽子に。しかし、それでも言ひ過ぎだつた。

ここでアランはイエズス会士(jésuite。偽善者といふ意味にもなる。)とヤンセン主義者(janséniste )とを対比してゐる。両者については、以前読んだプロポにも出てきた。難しい宗教的な議論は置くとして、外見的な事実を重視するのが前者で、後者は内面的な真実を追ひ求めると考へれば良いだらう。ここでは、役に立てばそれで良いといふ現実主義と利害を離れた正義を信じる理想主義との代表として登場してゐる。
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民主主義における「正しさ」
アランが引いてゐる「正しいものが正しいのは神々が望むからではなく、正しいものは正しいから神々がそれを望むのだ。」といふソクラテスの言葉は、プラトンの対話篇の一つ『エウテゥプロン』に基づくものだらう。ただ、この対話篇で論じられてゐるのは、正しいものとは何かといふ問題ではなく、敬虔とは何かといふ問題だが。
この中で、ソクラテスは、「神々に愛されるものが敬虔だ」といふエウテゥプロンが最初に示す定義に対して、神々の間には争ひがあり、それでは同じことが敬虔にも不敬虔にもなつてしまふ、と反論してゐる。
プロタゴラスが、「意見に(正しい、正しくないといふ差はなく、)あるのは有利かどうかだが、それを言ふことはできないと認めた」といふ話の出典はよく分からない。プラトンの『プロタゴラス』には、かうしたやり取りは見当たらなかつた。
ともかく、争ひごとでは、多くの場合、双方が自分が正しいと主張する。一方が自分の非を認めてしまへば、それで争ひは終はる。(もつとも、自分の非を認めながら、改めようとしないといふ開き直りの場合もあるが。)それぞれが信じる神が正しいとすることが異なるといふ状況では、その上にゐる唯一神に頼るか、力づくで解決するかしかない。
法治国家の場合には、憲法をはじめとする法制度によつて、争ひをどのやうに解決するかが決められることになつてゐる。その法制度が「正しくない」となると、世の中が治まらなくなる。
民主主義の場合、法制度そのものも国民が決めることになつてゐるので、「正しくない」こともあり得ることは、前提になつてゐる。少なくとも、時代の変化に応じて、変へるべき部分が出てくることは誰もが認める。ただ、その際の制度の変更についても、予め定められてゐて、これに従ふことが求められる。民主主義では手続きが正統性を保証してゐるのだ。選挙といふのは、かうした民主主義の手続きのうちで一番大切なものの一つだが、トランプ氏はその選挙の結果を覆さうとした。これだけでも、氏が要注意人物であることは明白だ。
何故トランプ氏が支持を得るのか
そんなトランプ氏の人気の理由については、様々な分析があるのだらうが、今回のアランの話では、軽々と信じてしまふ人達には本当の信念が欠けてゐる、といふことが述べられてゐる。これが正しいとすれば、トランプ氏が支持されるのは、本当に信じるべきことが何かが分からなくなつた人々が数多くゐる、といふことだらう。実際、世の中が複雑になると、自分では理解できない事が増える。ネットにはフェイクニュースが溢れ、何を信じれば良いのか分からない。かうした状況では、何かに縋(すが)らうとするのは自然だと言へるかも知れない。そこに、自分の利害だけを考へ、平気で大衆が好みさうな法螺を吹く人間が出て来ると、それが信頼すべき人物に見えて仕舞ふ、さういふこともあるのだらう。勿論、かうした事情は米国だけには限らない。
それでも、指導者を選ぶには、話に一貫性がある、嘘をつかない、決りは守る、といつた、社会で生きる人間としての基本的な資質を充たしてゐることが重要な判断基準になると思はれるのだが。

利か理か

アラン(1868-1951)が1928年2月18日に書いたプロポ。

怒りは思ひの最初の結果だ。この厳(いかめ)しさはあまりにも脆く、僅かな風にもなびく炎のやうに、身を屈め、変はるのが見える。だから人々はトランプ遊びをするのだ。それは偶然とルールの二つの重みで、思ひを短く切る。それでも、ゲームが終はるや否や、カードを混ぜてゐる時に、激しい言ひ争ひが起こるのを見るだらう。いつでも、あり得ただらうことに係るものだ。声は脅す調子で大きくなり、各々の中の暴君が唸り声を上げる。幸ひにも、救ひの手は近くにある。カードを配る人ははつきりとした運命を割り当て、各々は、この紛(まが)ふことない印を並び変へて、そこに起きて了つた現実を見る。この俄(にはか)雨で、雲や蒸気はすぐに凝縮される。誰もが自分の手札と思ひを隠す。かうして、敵意のあるものでも、思ひが隠されれば、ある種の平和が成る。
戦ひになるのは、決して儲かるからではなく、理が有ると言ひ張るからだ。理が有るといふのは、自らの中に、全ての人に当てはまる規則を見い出すことだ。それは自分の中で独(ひと)りで、世界の全ての人々を回心させることだ。人々が皆、賛同するのを、心から賛同するのを望むことだ。それは、しかし、人々が賛同を拒むとは考へてもみない、といふことだ。理は私に有るのではないか。あらゆる権力、あらゆる野心がここでその本当の顔を見せる。理が有ると言ひ張る者ほど弱く備へを持たぬ者はゐない。私が言ひたいのは、自分の中で震へてゐる者だ。ゲームをする人は現実により負ける。現実は誰の心も傷つけない。心を傷つけるのは、相手の理を認めるのを拒むことだ。
全ての思ひでは、平等が前提になつてゐる。私が思ふとは、私にとつて有利な意見を示すことではなく、正しい明らかな意見を、知られれば直ぐに皆のものになる思ひを示すことだ。私は世界のコンサートの中にゐるかのやうに思ひを巡らせる。私には、もう拍手喝采が聞こえる。だから、誰にも疑ひ、否定し、非難する権利がある。私はそれを恐れない。私が思ひ巡らしてゐたときにしてゐたのは、自分の思ひに対して可能なあらゆる非難を投げてみることでなくて何だらう。しかし、だからこそ、どんな細かな批判も、拒否の小さな印も、耳に障(さは)る。ここでは最善の議論が一番悪い。示された思ひに遠慮なく踏み込み、変へ始めるからだ。かうして世界の立法者、精神の王は、すぐに脅かされ、王座を追はれる。立ち直り、苛立つが、笑はれる。かうした失望は人を凶暴にする。
実際に、人が命を懸けるのは、思ひがあるからだ。思ひの持つ威厳に比べれば、他はものの数ではない。本当の戦ひは意見の戦ひだ。宗教の戦ひだとさへ言へよう。最大の冷酷さが、最大の慈愛と混ざり合つてゐる。説得したいと思ふ相手を私は高く評価し、深く愛してゐるからだ。私はその相手を裁き手とする。だが、彼が逆らへば、私は侮辱された、王座を奪はれたと感じる。すぐに、彼の中には何か悪魔的な強情さがあると考へる。狂信は、様々な心の乱れの中でも一番恐るべきものだが、他方で、全ての心の乱れには狂信が含まれると言ふべきだらう。誰もが相手の内に心を探し、同意を求める。かうして裁き手へと昇進した相手は、この王権を濫用する。二人の王、対等な二つの主張、これでは血が流される。政治的な激憤は損得の上に成るものではない。逆に、損得の駆け引きは、カードの駆け引きのやうに、さわぐ心を静める。だが、各々が自分が正しいと判断する意見を示す。さうして自分の王座を賭ける。痛い点、争ひと苛立ちの焦点は、思ひだ。それが最も高位の主張だからだ。いや、ただ一つの主張なのだ。不正は、財布ではなく理を傷つける。誰もがそれを否定しようとするが、それは、傷つけられた者が傷ついてなどゐないと思はせようとするからだ。抑へられた怒りは尚更激しい。

ロシアとウクライナの思ひ

アランは、自らに理が有るといふ思ひが戦ひの源だと言ふ。このアランの考へをロシアとウクライナの戦争に適用してみよう。

ロシアの思ひは、統一ドイツがNATOに残るのを認める代はりに、NATOを東側に拡大することはしない、といふ約束*1を西側が破つたではないか、といふものだらう。それがかつてのソ連領のウクライナにまで及ぶとなれば、我慢も限界だ、といふことになる*2

他方でウクライナにしてみれば、クリミア半島だけでは飽き足らず、ウクライナ全土を属国化しようとするロシアは、絶対に許せない、となるのは当然のことだ。この二つの思ひは両立しない。戦争は避けられない。

ところで、ロシアとウクライナのどちらに理が有るのだらうか。

ロシアの言ひ分は、約束は守るべきだ、といふ理に基づく。Pacta sunt servanda.合意は守らねばならない、といふのは法に基づいた世の中が成り立つための最も基本的な原理だとされる。

しかし、NATOの東方不拡大の約束は、国家間の正式な約束だと言へるだらうか。条約といふ形式は備へてゐないし、行政府間の文書の交換もしてはゐないと思はれる。単なる政治的な約束で、国際法上の拘束力は持たないのではないだらうか。

また、約束の中身が問題にされることもあるだらう。国内法では、公序良俗に反する約束は無効とされるが、国際法では強行規範jus cogensに反する協定は無効だといふ理論がある。もつとも、何がjus cogensに当るか、といふ点についての合意が出来てゐないので、実効性はまだ無い、といふのが実情のようだが*3

他方で、ウクライナの言ひ分には、国際法上、立派な根拠がある。ロシアによる侵攻が、いかなる国の領土保全又は政治的独立に対する武力による威嚇又は武力の行使を禁止する国連憲章第2条4項に違反することは明らかだ。

理はウクライナの側にある。

戦争は防げなかつたのか

国際法上、ロシアに非があることは確かだとしても、これで問題が解決するわけではない。戦争の行方はまだ分からないが、膠着状態になりつつのではないかと見える。どこかの時点で、例へばウクライナがロシアによるクリミア併合を認める代はりに、ロシアはウクライナNATO加盟を容認する、といつた妥協が図られることになるだらう。どちらの思ひも遂げられずに終はる、といふことになるのではないか。

さうした中途半端な結果のために、両国とも既に数多くの人命を犠牲にしてゐる。このやうな愚かな戦争を防ぐことはできなかつたのか。どの時点で誰がどのやうな決断をしてゐれば、この戦争は起こらなかつたのか。

この問ひに対する答へは、将来の歴史家が出すのだらうが、冷戦後の西側の対応について、反省すべき点があるやうに思はれる。NATOの東方不拡大は、確かに口約束に過ぎないものだつたかも知れない。しかし、冷戦の勝利に酔つて、ロシアへの配慮が欠けた部分もあつたのではないか。勝ち過ぎは良くないのだ。東欧諸国にも民主主義を広めるといふ大義名分は立派なもので、賛同すべきものだが、もつと時間をかけて関係者の合意を得ながら進めるべきではなかつたか。

当事国にも誤算があつたに違ひない。プーチン大統領は、ウクライナがすぐに降伏すると踏んでゐたのだらう。他方で、ウクライナもロシアの切迫した思ひを十分に理解してゐなかつたのではないか。また、西側諸国の支援があるにしても、ロシアとの直接対決につながるやうな軍事介入は、最初から期待できなかつた。軍事力の差が大きい中で、どのやうな出口を見出すか、といふ難しい問題は残されたままだ。

イスラエルの勝ち過ぎ

勝ち過ぎといふ点では、ガザ地区でのイスラエルの軍事行動も、将来に禍根を残すのではないかと懸念される。ハマスによる攻撃や人質拉致は非難されるべき行為だし、ある程度の対抗措置は許されるとしても、一般住民に一万人以上の犠牲者をだすやうな軍事活動は、明らかにやり過ぎだ。

ハマスの行動の狙ひはよく分からないが、ヨルダン川西岸地区でのイスラエルによる入植は、パレスチナ独立国家とイスラエルが共存するといふ1993年のオスロ合意による二国家解決案を、事実上反故にするものだ。さうしたイスラエルの姿勢に対して積り積もつた不満が噴出したものであることは確かだらう。

今回の軍事行動がどのやうな形で終結するかは分からないが、イスラエルは、アラブ諸国は言ふまでもなく、国際世論までも敵に回して仕舞つた。長い目で見れば、米国の支援も、いつまでも期待できるとは限らない。さうなつた時に、イスラエルはどのやうにして自らを守るのだらうか。

アランは、自らに理があるといふ思ひと乱れる心とが結びついた時の危ふさを語つてゐたが、ウクライナやガザで起きてゐることを見てゐると、先日亡くなつたキッシンジャー氏(1923-2023)の現実主義を思ひ起こさずにはゐられない。理念を無視した外交だとして批判を受けることも多かつたのだが。

 

 

*1:この約束については、ジョージワシントン大学National Security Archiveの記事が参考になる。

*2:ソ連支配下にあつたバルト三国は2004年にNATOに加盟してゐるが、これらの国々とウクライナでは、ロシアにとつての重みが違ふと言へるだらう。

*3:国連の国際法委員会の報告書が現状を知る参考になる。

東浩紀『訂正可能性の哲学』

東浩紀氏の『訂正可能性の哲学』を読んだ。東氏については、東日本大震災の際にTwitterで述べられた意見を見て以来、その活動に興味を持つてゐる。Twitterで何を語つてゐたのかは、すつかり忘れて仕舞つたが、氏が立ち上げたゲンロンの会員にもなり、送られてくる来る本にも目を通すやうにしてゐる。

この本の前に出された『一般意志2.0』と『観光客の哲学』は、怠惰な読者である私には、何が言ひたいのか良く分からないといふ印象の本だつたが、この『訂正可能性の哲学』を読んで、東氏が何を目指してゐたのかが理解できたやうな気がした。

この本が目指すもの

最近発表された「『観光客の哲学』中国語簡体字版四冊刊行に寄せて」といふ文章からも読み取ることができるが、東氏の基本的な問題意識は、友と敵を峻別する政治的な論理を超えた新しい共同体の理念をどう築くか、衰退してゐる民主主義を如何にして活性化するか、といふ点にあると言へるだらう。

この本の結論は、著者自身が「おわりに」に書いてゐる。

哲学とはなにか、と問いながらこの本を書いた。本書の主題である「訂正可能性」は、その問いに対する現時点での回答である。哲学とは、過去の哲学を「訂正」する営みの連鎖であり、ぼくたちはそのようにしてしか「正義」や「真理」や「愛」といった超越的な概念を生きることができない。それが本書の結論だ。

また、この本を書いたのには別の意図もあつたことについて、いくつかの箇所に書かれてゐる。人文学を擁護することがその一つだ。

ニ〇ニ三年のいま、日本では人文学の評判は落ちるところまで落ちている。言論人や批評家にかつての存在感はない。(中略)

人文学は信頼を回復しなければならない。人文学には自然科学や社会科学とは異なった役割があることを、きちんと論理的に伝えなければならない。じつは本論はそのような意図でも書かれている。(134頁)

中でも、哲学を擁護することにある。

けれどもいくら成り立ちが解明されても、人間が人間であるかぎり、ぼくたちは結局同じ幻想を抱いて生きることしかできない。正義や愛を信じることしかできない。だとすれば、ぼくたちに必要なのは、ルールを解明する力ではなく、まずはそのルールを変える力、ルールがいかに変わりうるかを示す力ではないか。

哲学はまさにその変革可能性を示す営みであり、だから生きることにとって必要なのだというのが、ぼくがみなさんに伝えたかったことである。(346頁)

印象に残つたこと

この本で印象的だつたのは、先づ、東氏が自分の著作について、非常に意識的であることだ。

第一部ではポパー、トッド、ウィトゲンシュタインクリプキ、ローティ、アーレントといつた多様な人達の説が参照されるのだが、それらを結びつけてゐるのは、「結局のところはぼくの直感である」であると述べる。これが「専門家からすれば根拠のないアクロバット」、「一般の読者からすれば不必要に哲学者の名前を並べた迂遠なもの」に見えることを、承知の上で、さうしてゐるのだ。その理由についても第一部の末尾で説明されてゐる。

かうした自省的な姿勢は、上の中国語版に寄せた文章にもあるやうに、「大学と出版の葛藤」「学問と非学問の葛藤」を抱へながら「大学教員ではなく中小企業経営者」をしてゐるといふ東氏の生き方と不可分なものだと言へるだらう。

次に印象的だつたのは、第二部でのルソーの著作の深い読みだ。『社会契約論』のやうな社会科学の著作だけではなく、小説である『新エロイーズ』も取り上げて、一般意志についてのルソーの考へを解き明かさうとする、その手際は見事と言ふしかない。小説も書いてゐる東氏の面目躍如だ。

本の最後の方に、大好きなトクヴィルが引用されてゐたのは、驚きでもあり、嬉しくもあつた。

何の為に本を読むのか

ここからは、東氏の説とは外れるかも知れないが、この本を読んで考へたことを書いてみる。先づ、人はなぜ本を読むのか、といふこと。

東氏はクリプキ懐疑論者についての説などを援用して、かう書いてゐる。

それゆえ人文学は、すべての重要な概念について、歴史や固有名なしの定義など最初から諦めて、先行するテクストの読み替えによって、すなわち「訂正」によって、再定義を繰り返して進むことを選んでいるのである。

先行する学者の業績を元にして議論を進めるのは、単なる衒学趣味でも、無批判な尊重でもないと言ふのだ。

しかし、当たり前のことだから言ふまでもないのかも知れないが、古典とされるやうな昔の本を読むのは、何よりも先づ、過去の偉人から学ぶためだ。人間は神様ではないので、どんなに立派な人物の説でも、進んだ現代の知識を踏まへれば、誤りもあるだらう。しかし、今でも通用する知恵も含まれてゐるはずだ。だからこそ古典なのであり、人はさうした本を読むのだ。

思想家にとつては、過去の思想は批判の対象であり、整理し分析すべきものなのかも知れない。しかし、一般の読者にとつては、それが面白いか、役に立つか、といふ点こそが大切なのだ。専門家の間でどんなに高く評価されてゐるものでも、チンプンカンプンで何の役に立つのか分からないやうな本は、社会的には無用の長物に過ぎない。

思想は役に立てば良いのか

しかし、面白ければ良い、役に立てば良い、といふ訳でもない。過去の偉人たちの考へを正しく知らなければ、古典を読んでも駄文を読んでも同じことになるだらう。小林秀雄(1902-1983)は、若い頃にこんなことを書いてゐる。

 大衆はその感情の要求に從つて、その棲む時代の優秀な思想家の思想を讀みとる。だから彼等はこれに動かされるといふより寧ろ自ら動く爲に、これを狡猾に利用するのだ。だから思想史とは實は大衆の手によつて變形された思想史に過ぎぬ。そこに麗々しく陳列されてゐるすべての傑物の名は、單なる惡い洒落に過ぎぬのだ。この大衆の狡猾を援助する爲に生まれた一種不埒ふらちな職業を批評家といふのなら、彼らがいつも假面的であるのは又已むを得ない。

 逆に、どんな個人でも、この世にその足跡を殘さうと思へば、何等かの意味で自分の生きてゐる社會の協贊を經なければならない。言ひ代へれば社會に負けなければならぬ。社會は常に個人に勝つ。思想史とは社會の個人に對する戰勝史に他ならぬ。こゝには多勢に無勢的問題以上別に困難な問題は存しない。「犬は何故しつぽを振るのかね」「しつぽは犬を振れないからさ」。この一笑話は深刻である。

 ある時代のある支配的な思想と、これに初動を與へたある獨創的個人とはまさしく緊密につながり合つてゐる。今日人々は何故にこのつながりだけを語つて、この間に越え難いひらきが又同時に在る處を語らないか。流行に過ぎない。(「✕への手紙」第五次全集第二巻277頁*1

偉大な思想家の説くところは、単純ではない。複雑な現実を前にして、これを正確に描かうとする思想家は、「言語表現の危機に面接する」からだ。そこで「卓抜な思想程消え易い」といふ逆説が生まれる。

それでは、思想を正しく理解するにはどうすれば良いか。そもそも、正しい読み方を一つに決めることができるのか。

「訂正」とは

残念ながら、簡単な回答は無い。思想家が残した文章を読み返し、有力な解釈だとされるものを参照して、自分なりに正解だと思はれるものを探すしかない。「訂正」といふのは、過去の思想家の誤りを正すといふことではなく、新しい読み方を探す作業だと考へることもできるだらう。

思想といふのは生き物だと見るのが良いのではないだらうか。生きてゐるので、その姿を固定することはできない。別の記事に書いたことがあるが、アラン(1986-1951)の師のラニョ(1851-1894)は、「厳密な証明は精神を物に変へる」と言つてゐた。

 『訂正可能性の哲学』で示された東氏のルソーに関する意見は、さうした新しい読みを提供したものだと言へるだらう。

かうした「訂正」の作業は、一人だけで済ませられるものではないことも、忘れてはならない。思想が社会的な力を持つためには、なるべく多くの人に共有される必要がある。大衆に迎合することでルソーの名前を単なる「悪い洒落」で終はらせてはならないが、「社会の協賛」は必要だ。そこでは、議論のための議論ではなく、ともに「訂正」を行ふ仲間を集めることが、重要な戦略になるだらう。ゲンロンといふ会社は、さうした仲間づくりの場所としての狙ひも持つてゐるの違ひない。

*1:「✕への手紙」は小説といふことになつてゐるが、この部分は小林秀雄の考へを示したものと読んで良いだらう。