民主主義についてのチャーチルの言葉

「民主主義は最悪の政治形態である。ただし、過去の他のすべての政治形態を除いては。」といふのは、ウィンストン・チャーチル(1874-1965)の言葉としてよく知られてゐる。しかし、調べて見ると、これは元々チャーチル自身の言葉ではないやうだ。

この言葉が出て来るのは、1947年の議会での演説だ。その原文はこのサイトで読むことができる。(かうした文章を簡単に見つけることができるのはWWWの素晴らしさだと改めて思ふ。)その部分は次のやうになつてゐる。

Many forms of Government have been tried, and will be tried in this world of sin and woe. No one pretends that democracy is perfect or all-wise. Indeed, it has been said that democracy is the worst form of Government except all those other forms that have been tried from time to time; but there is the broad feeling in our country that the people should rule, continuously rule, and that public opinion, expressed by all constitutional means, should shape, guide, and control the actions of Ministers who are their servants and not their masters.

拙いながら訳してみる。

数多くの政府の形が試されてきました。この罪と災ひの世界では、これからも試されるでせう。民主主義が完璧で全知全能だと言ひ張る者は一人もゐません。実際、「民主主義は政府の最悪の形だ、時折試された他の全ての形を除けば」と言はれて来ました。しかし、私達の国では、かういふ気持ちが一般的です。人々が統治すべきだ、継続的に統治すべきだ、そして、合憲的なあらゆる方法で表明された世論が、閣僚の行動を形作り、導き、監督すべきだ、閣僚は人々の使用人であり主人ではない、さういふ気持ちです。

これを読む限り、チャーチルは「最悪の形」の部分を、他の人の言葉として取り上げてゐる。この理解は、Richard Langworth氏の記事でも裏付けられる。元の言葉を誰が言つたかは不明のやうだ。チャーチルらしい皮肉な言ひ方で民主主義を擁護した言葉といふ理解が一般的だと思ふが、さうではなかつたのだ。

しかし、元々誰の言葉かといふ問題はさて置き、チャーチルが民主主義を肯定してゐることは確かだと見える。演説の引用した部分でも、人々が主で、閣僚は僕(しもべ)だといふ明確な立場が述べられてゐる。

ところが、この演説の背景を考へると、さう単純な話でもないらしい。Lobelogの記事に依れば、チャーチルの演説の目的は、民主主義についての理念を述べることではなく、当時の議会で懸案となつてゐた上院の権限を弱める法案に反対することが主な狙ひだつた、といふのだ。

歴史的な事実といふのは、名句の由来といふ比較的簡単なことでも、確かめるのが難しいのがよく分かる。世の中に流布してゐる話の多くは、誤りではないとしても、部分的であつたり、単純化されてゐたりするのが普通だ。さうした「情報」だけを信じてゐると、大きな誤りを犯すことになる。忙しい時代だからこそ、時には自ら原典にあたり、背景を調べ、簡単な要約を鵜吞みにしないといふ姿勢を大切にしたい。

 

 

議会制民主主義を守る

安倍元首相の暗殺事件を受けて、NHKが「安倍元首相 銃撃事件の衝撃」といふ特別番組を流してゐた。その中で、御厨貴氏が次のやうな発言をしてゐたのが印象的だつた。

先づ、現在の状況をどう見るか。

テロを呼び込むのではないか、といふことまで考へなければならなかつたのが戦前の政治だが、戦後はそれを考へずに済んだ。そこに自然災害、感染症、戦争までやつてきて仕舞つた。人心が相当惑つた。どうやつて生き抜けば良いか。これまでは国や会社の保障があり、不満はあつても、それなりにやつて行けた。今は、自暴自棄になる人が結構ゐて、問題を起こしたりするのだが、その果てに、テロといふものが起きた。ありとあらゆる国家を傷つけることが順番に起き、ついにテロが発生した。

次に、政治とはどのやうなものかについての意見。

皆んなが言ひたいことを言へる社会になつたものだから、分断がはっきりして来る。皆んな、賛成か反対かでしかものを言はないから、その中間領域がなくて、あつちかこつちか、Aを選ぶかBを選ぶか、二値論理的に単純になつていく。
しかしよく考へたら、我々の生活とか我々の政治はそんな単純なものぢやない。Aかも知れない、Bかも知れない。一番良いのはそれをうまくマリアージュして、ある程度不満を残しながらも、全体としてこれなら許せるねといふところまで持つていく。これは議論しなければできない。何でも言へる社会になつたが、だからといつて、自分の要求がそのまま通る訳ではない。通らないとき、気に入らないときに、暴力的な手段を使ふのではなくて、発言することの責任を引き受けねばならない。言論とはそういふものだ。言論による政治を復活させるためには、さういふところで我々が気を配らないといけない。

最後に、政治家に求められること。

政党政治家はここで右顧左眄してはいけない。暴力的な問題から目を背けようとか、すぐに力で抑へようとか、さういふ話ではなくて、自分たちの政治に何か足りなかつたのかを考へて、有権者と言葉でもつて結びついて行く、その契機をもう一度重要視して、議会制民主主義を守るといふ行動を取るべき。
有権者が本当に思つてゐること、して欲しいことをストレートに受け止めて、それを次の選挙に勝つためとか何とかいふのではなく、本当に国民のためになることをやれば選挙には勝てるので、もう一度国民本位に戻つて考へる、これが政治家にとつて喫緊の課題ではないか。それを有権者が監視する。「議会制民主主義を守らなければならない」といふことをスローガンのやうに言つても守られないので、実際に内容のある議論を尽くすことで、その実を取つていく、さういふことだと思ふ。

「実際に内容のある議論を尽くす」といふのは時間のかかる仕事だ。SNSがさうした議論の場として不適当なのは明らかだし、テレビの討論番組も詰まらない。どの党の人間も、聴衆を前に点数を稼ぐことしか考へてゐないのがあからさまに見えて白けるのだ。問題の複雑さや、利害の対立を認めながら、政策的な選択肢を議論できる場をどう築いて行けるかに、民主主義の将来がかかつてゐると言へるだらう。

顔を躾ける

アラン(1868-1951)の1922年3月4日付けのプロポ。

誰もの顔に飛んでくる類(たぐひ)の表情がある。話すのを止められないお喋りのやうに、露(あらは)にするのを止めることができない目、鼻、口がある。新聞を買ふ時にも、偉さうな人、脅すやうな人、決然とした人、あるいは陰気な人や、馬鹿にしたやうな人がゐるのが分かる。私の知合ひは、いつでも笑つてゐた。これは悲しい特権で、人を愚かにする。賢さうな風の人は気の毒だ。それは守れない約束だから。言つてみれば、顔が最初に考へて、実際の会話は、無言の返事といつまでも折り合ふことがない。ぎこちなさは、主として、自ら望んではゐないのに送り出してしまふこの伝言によつて生じると、私は考へてゐる。伝言の意味は、本人も知らないのだ。鼻や眉や口髭の具合で刺客の顔をした人に出会ふと、私には、臆病で、そのために凶暴にもなり得る人が見える。衣装を着けてはゐるが、役が何なのか知らない役者のやうだ。

この小さな禍(わざはひ)から、望まないことは何も表さないやうに顔を躾(しつ)けるべし、といふ昔ながらの礼儀の決りが出て来る。主(あるじ)である心は、先づ、避難所に隠れるやうに、中立的な見かけの後ろに引き下がらねばならない。この用心をしないと、見かけの虜(とりこ)になり、いつでも返事が間に合はないこととなる。心や感情は、そして美しさでさへ、先づ隠されるべきもの、取つて置くべきものなのだ。人の顔は、かうして表すのを拒むことで完成し、言つてみれば裏返しになる。これにより自身のなかに身を隠すのだ。他人の中のかうした逃走を一筆(ひとふで)で追ふことは、画家の仕事だ。写真家には出来ない。美しい顔の人がこの大きな秘密をよく知つてゐるとは言へない。かうしてその人物は物見高い人々の餌食となる。微笑みが価値を持つには、先づ鏡や家具に向かつて微笑まないことだ。『パルムの僧院』には、眼が見るものと会話してゐるかのやうなブルジョワ娘が出て来る。この馬鹿げた小娘を神のやうなクレリアと比べてみ給へ。クレリアの顔には、演技ではない無関心しか表れてゐなかつた。しかし、我々の文学陳列室で一番美しい肖像は、多分、『村の司祭』のヴェロニクだらう。驚くほど美しい娘で、その表情は痘瘡で暗く仮面を被つたやうになつてゐるが、深い感情の効果で元の美しさを取り戻す。女性の真の力とは、望むときに美しくなれるといふことだらう。全ての女性の本物の力とは、さういふものだ。美しさとは、多分、この美しさの巡りに他ならないだらう。心の豊かな女性は、絶えず新しい姿を見せる。画家にはやるべき事がたくさんある。この動く魔法を表現しなければならないからで、それが「絵を生かす」といふことだ。

それは効果によつて感じ取ることができる。また、本物の媚(こび)は、気に入られることを避けようとする。その最も正しい動きとは、美しくあるのを拒むことだ。知性にはいつでも、理解しすぎるのを拒むことが含まれてゐるやうに。それは結局、自然のものを低く見て、心を許すことの価値を高めることだ。ここで私は母から娘への教へを書いてゐるやうだが、私の意図は別にある。見る者への効果を考へてゐるのではない。関心があるのは、印が返つて来て送り手に強く働きかけるといふ点だ。美しさも、褒めそやしに応へると醜くなる。私が言ふことの証拠はすぐに見つかるだらう。包まれてゐない美しさは、やがて多少の気難しさ、不安、ある種の攻撃的な愚かさを示すやうになる。同様に、注意深さの印は、注意を殺す。観察者は、一番良い状態にあるときには、ぼんやりしてゐるやうに見える。

人の顔が、そのあらゆる面で私達を欺くことは、これで十分述べた。そして、私は悲劇の仮面といふものがよく分かるやうになる。それは変はらない形で、役を告げてゐる。貧しい人の顔では、大きな集まりを整へるには強さが足りなかつたのだ。

思ひついたことを何でも口にするのが不躾(ぶしつけ)なことは常識だらうが、美しさも隠すべきだといふのは、意外に思ふ人もゐるかも知れない。

この話を読んで、フランスの語学学校で見かけた米国人の女の子を思ひ出した。その娘は、いかにも米国人らしい明るい娘で、育ちも悪くない感じだつたが、「見て、私、綺麗でせう」と全身で叫んでゐるといふ印象を与へた。見てゐると、フロム(1900-1980)が『愛するといふこと』に書いてゐる、現代では人々は少しでも良い商品を探すやうに愛する相手を探してゐる、そこで誰もが自分を商品のやうに売り込まうとする、といふ話が思ひ浮かんだりした。他方で、フランス人の女の子の多くは、自尊心が高いと言ふか、自分を売り込まうといふ態度はあまり見せないやうな気がした。

 アランといふ人は女性にモテた人で、1943年9月18日の日記には、「いつでも新しい恋を受け入れ、ハーレムを支配してゐるなどと言はれたこともある」が、「私は浮気をしない放蕩者débauche fidèleだつたのだ」などと書いてゐる。

全てを知ることはできるか

人は何でも知りたいと思ふ。自分が生きてゐる「今、ここ」を超えて、その外側の世界を知らうとする。答へが得られるか否かに関はらず、自分が生まれ落ちたのはどのやうな世界なのかを考へずにはゐられない。世界の果てはどうなつてゐるのか、死んだらどうなるのか、そんな疑問を持つたことのない人は少ないだらう。

かうした人類を長く苦しめて来た問ひに、直接答へることは難しい。ただ、これまで生きて来た人達がどう考へたのかを調べてみることはできる。

プラトンの説

プラトン(BC427-BC347)の対話編には、魂の不死に関する対話が何度か出て来る。その「証明」は、その後の西洋哲学に繰り返し登場する神の存在証明などと同じで、言葉だけのもののやうに見える。そもそも、経験的な事実として証明できないのだから、言葉でしか扱ふことはできないのだ、とも言へるだらう。言葉だけなのだから、何とでも理屈はつけられるので、不毛な議論が繰り返される結果となる。

カントの立場
かうした言葉だけの議論に終止符を打たうとしたのがカント(1724-1804)だ。カントも『純粋理性批判』の導入部で、神、自由、不死は、純粋理性が避けられない問題だと言つてゐる(第二版7頁)。そして、そのどれについても正反対の二つの答があり、純粋理性では、どちらが正しいか決められないことを示さうとする。
カントは、人間はこれらの問ひに答へられない、と考へた訳ではない。第二版への前書きを読むと、理性の気ままな動きが、唯物論無神論などの有害な議論につながることを防ぐといふのが、この著作の目的であつたことが分かる。カントにとつては、神、自由、不死のいづれも、倫理といふ視点から欠かせないものだつた。純粋理性では、それを肯定も否定もできないことを示して、後で、実践理性の立場からこれらを認める余地を残さうとした訳だ。
ただ、神、自由、不死が経験により事実として確かめられる訳ではない。カントにとつて、これらの存在は、証明すべきものではなく、信ずべきものといふ位置づけだつたと言へるのではないだらうか。
孔子の考へ
かうした西洋での議論とは違ひ、東洋では、そもそもこの種の問ひを避けようとする傾向がある。孔子(BC551-BC479)は、「怪力乱心を語らず」と『論語』(述而第七)にあるやうに、この世を超えた問題については、語らうとしなかつた。『論語』先進第十一には次のやうな一節もある。
季路、鬼神に事(つか)えんことを問う。子曰わく、未まだ人に事うる能(あた)わず。焉(いずく)んぞ能(よ)く鬼に事えん。敢えて死を問う。未まだ生を知らず。焉んぞ死を知らん。(朝日文庫 中国古典選4『論語 中』31頁)

*1

中島敦(1909-1942)が書いた『弟子』といふ小説には、こんな話も出て来る。
子貢が孔子に奇妙な質問をしたことがある。「死者は知ることありや?はた知ることなきや?」死後の知覚の有無、あるいは霊魂の滅不滅についての疑問である。孔子がまた妙な返辞をした。「死者知るありと言わんとすれば、将(まさ)に孝子順孫、生を妨げて以て死を送らんとすることを恐る。死者知るなしと言わんとすれば、将に不孝の子のその親を棄てて葬らざらんとすることを恐る。」およそ見当違いの返辞なので子貢ははなはだ不服だった。もちろん子貢の質問の意味はよくわかっているが、あくまで現実主義者、日常生活中心主義者たる孔子は、このすぐれた弟子の関心の方向をかえようとしたのである。(角川文庫『李陵・弟子・名人伝』79-80頁)
この話は『孔子家語(こうしけご)』(致思第八)にある文章に基づいて書かれたやうだ。「生を妨げて以て死を送らんとする」といふのは、冨山房『漢文大系』第20巻の註に、「生キ殘レル人人ノ害ヲ顧ミズシテ葬ヲ厚クスルナリ」とある。
釈迦の姿勢
釈迦については生没年についても諸説あり、自身が残した書き物もないので、何が事実かよく分からないことが多い。仏教の宗派が説くところは、極めて多様で、相互に矛盾する部分も少なくない。その中で何を採るかによつて、釈迦の考へが何かも大きく変はる結果となる。
さうした前提の上での話だが、孔子と似た姿勢が見られる経典に『箭喩経』がある。「毒矢のたとへ」が出て来るお経で、パーリ語で書かれた『小マールキヤ経』(英訳はこちら)に当る。
このお経で釈迦は、摩羅鳩摩羅(まらくまら、マールキヤ)の「世界に果てはあるのか」「死後も存在するのか」といつた問ひには答へず、これらの問ひは悟りへの道とは無縁であることを、「毒矢のたとへ」を用ゐて説いてゐる。かうした釈迦の姿勢は「無記」と呼ばれる。*2
知るといふこと
東洋の哲人達が説いてゐるのは、人間には全てを知ることはできない、といふことだ。そもそも知るといふのは領(し)ることであり、相手(それは自分自身を含む)を自分の思ふとほりに動かすために、相手についての知識を得ることだ。人間の力には限りがある。自分が動かすことができる範囲を超えて何かを知らうとするのは、そもそも意味が無いのだ、さう彼らは考へたのではないだらうか。
 

*1:吉川幸次郎(1904-1980)は、この部分について、こんな解説を書いてゐる。

この条は、雍也第六の「鬼神を敬して之れを遠ざく」及び述而第七の「子は怪力乱心を語らず」とともに、公正では、宋儒の無神論の有力な証拠となる。また無神論的立場では、宋儒を継承したばかりか、一そう強化した仁斎は、この条の「古義」でも、かく鬼神と死について語らなかった点こそ、夫子が群聖に度越して、万世生民の宗師となる所以であるとする。また更に議論をすすめ、他の古典に、孔子の言葉として、鬼神や死にふれた言葉があるのは、信ずるに足らないと強調する。その説はすでに述而篇の「古義」に見えるが、ここでも同じことを再び強調する。それに対し、鬼神の存在を認める徂徠が、仁斎に反撥するのもまた、かしこと同じであって、仁斎の見解は、甚しい独断であると、徂徠は攻撃する。徂徠の鬼神存在説は、のちの宣長をみちびくものである。(朝日文庫 中国古典選4『論語 中』33-34頁)

*2:道元(1200-1253)が『辨道話』の中で、霊魂不滅説を厳しく批判してゐる(岩波文庫版『正法眼蔵』(一)31頁以降)が、それはこの釈迦の言葉を踏まへたものだつたのかとも思はれる。

宇宙「神々を作るための機械」

ベルクソン(1859-1941)の最後の著作『道徳と宗教のニ源泉』は、次のやうな言葉で締め括られてゐる。

Mais, qu'on opte pour les grands moyens ou pour les petits, une décision s'impose. L'humanité gémit, à demi écrasée sous le poids des progrès qu'elle a faits. Elle ne sait pas assez que son avenir dépend d'elle. À elle de voir d’abord si elle veut continuer à vivre. À elle de se demander ensuite si elle veut vivre seulement, ou fournir en outre l’effort nécessaire pour que s’accomplisse, jusque sur notre planète réfractaire, la fonction essentielle de l’univers, qui est une machine à faire des dieux.

小林秀雄(1902-1883)は、この部分を次のやうに訳して引用してゐる。

人々は、大きな手段、小さな手段、のいづれを選ばうとも、一つの決斷をすることを迫られてゐる。人類は、自分の手に成つた進歩の重みに、半ば壓し潰(つぶ)されて、呻(うめ)いてゐる。人類は、自分の未來は、自分次第のものだ、といふ事を、まだ十分承知してゐないのである。先づ、これ以上生存したいのかしたくないのかを知るべきである。次に、自ら問ふがよい、その外に、神々を作る機械に他ならぬ宇宙の本質的な機能が、反抗的なわれわれの地球に於いても亦、遂行されるのに必要な努力をしたいかどうかを」(小林秀雄全集(第五次)別巻Ⅰ18頁)

日本語とフランス語では語順が違ふので印象が異なるが、「神々を作るための機械」”une machine à faire des dieux”といふ言葉は、この本の一番最後に出て来る。QUADRIGE/PUF版の注釈にもあるやうに、『道徳と宗教のニ源泉』は『思想と動くもの』よりも前に出版されたが、執筆されたのは後なので、これがベルクソンが公のために書き残した最後の言葉だといふことになる。小林秀雄は、「かういふ一種豫言者めいた、一種身振のある樣な物の言ひ方は、これまでベルグソンの書いたもののうちには、絶えてなかつたものなのである。」「今、これが遺言だつたと知つて、不見識な話だが、成る程、さういふ次第であつたか、と思つてゐるのである。」と書いてゐる。*1

宇宙が神々を作る機械だといふ言葉は謎めいてゐるが、ここで「神々」といふのは人間を指すと考へて良いだらう。QUADRIGE/PUF版の注釈では、ジャック・シュヴァリエ(1882-1962)の『ベルクソンとの対話』に出て来るプジェ神父(1847-1933)の次のやうな言葉を引用してゐる。*2

確かに、ベルクソンは「人があるべき姿になつた時のやうな、神的な存在を作る機械」と言つても良かつただらう。しかし、詩篇の第八十二章には、「かみは神のつどひの中にたちたまふ 神はもろもろの神のなかに審判(さばき)をなしたまふ」と書かれてゐるではないか。もろもろの神といふのは、人間であり、裁く者達であり、「高き者」の子等なのだ。(QUADRIGE/PUF版 510頁、『ベルクソンとの対話』では1932年2月29日付けの部分。)

この言葉を書いた時にベルクソンがどのやうな宇宙を思ひ描いてゐたのかは分からないが、「私達は星屑から出来てゐる」といふカール・セーガン(1934-1996)の言葉が思ひ出される。1980年に米国で放送された『コスモス』といふ番組で述べた言葉だ。

The nitrogen in our DNA, the calcium in our teeth, the iron in our blood, the carbon in our apple pies were made in the interiors of collapsing stars. We are made of starstuff.

実際に、現在の科学によれば、私達の身体を構成する様々な元素は、星の内部で核融合により生じたとされてゐる。ヘモグロビンに含まれる鉄も、その一つだ。ネットで検索してみると、旧新日鉄が出してゐたNippon Steel Monthlyといふ雑誌に載つた「鉄の起源」といふ良い解説記事があつた。ご一読をお勧めする。また、「人間の材料はどこから来たのか?」といふ国立天文台が作つた図も、参考になる。

 セーガンは、同じ番組で、次のやうな言葉も残してゐる。
We are a way for the universe to know itself.
人間は宇宙が自らを知るための道だ、といふのはどういふ意味だらうか。そもそも何故、宇宙は自分を知る必要があるのか、などと考へ始めると訳が分からなくなるが、宇宙に生命が生まれ、人間が出現して、宇宙の姿を知るに至るといふのは、奇蹟的な出来事であることは確かだ。
童謡「ぞうさん」でも知られる、まどみちお(1909-2014)の詩を思ひ出す。
「きこえてくる」
 
土の中から きこえてくる
水の中から きこえてくる
風の中から きこえてくる
 
ここに 生まれ出ようとして
小さな 数かぎりない生命(いのち)たちが
めいめいの階段を のぼってくる足音が
 
ここに 生まれてきさえすれば
自分が 何であるのかを
自分の目で 見ることができるのだと
心はずませて のぼってくる足音が
 
いったい だれに きいたのか
どんな物をでも そのままにうつす
空のかがみと 水のかがみが
ここに たしかにあることを
ここが 宇宙の
「かがみの間」で あることを
 
土の中から きこえてくる
水の中から きこえてくる
風の中から きこえてくる
 
小さな 数かぎりない生命たちが
ここへ ここへ ここへと
いま ちかづいてくる足音が

 

*1:小林秀雄が、「遺言」だと書いてゐるのは、文字通りの意味ではなく、ベルクソンの遺書は別にある。小林もそこから、ベルクソンが自ら発表した著作以外の講義録、書簡等の公表を禁じた部分を引用し、「彼は、「道德と宗敎の二源泉」で、眞の遺書を書き終へた、と念を押したかつたのであらう。」と言つてゐる。(小林秀雄全集(第五次)別巻Ⅰ17頁)

*2:この注釈では、Edmond Rochedieuの論文についても取り上げ、同氏の「麗しい言葉だが、本の論旨とはうまく合はない」といふ主張に反論してゐる。

人類の進歩

1921年7月4日のアラン(1868-1951)のプロポ。

つづら折りに上つてゆく道。進歩の美しい絵姿で、ルナンが示したのをロマン・ロランが受け継いだ。しかし私には良いものだとは思はれない。知性が、考へ込み過ぎて、多くの事柄で、待つことを旨とした時代のものだ。私が、この絵姿で誤りだと見るのは、この道が予め引かれてゐて、いつでも上つてゐることだ。これでは愚か者や暴れ者の国でも、見かけはどのやうなものであらうと、私達を一層の完成へと押し上げることになる。要するに、人類はどんな手段によつても、鞭打たれ辱められることはあるにせよ、絶えず前進し、その運命の地へと歩むことになるのだ。善きも悪しきも、賢きも愚かなるも、望む望まないに係らず、知つてゐようとゐまいと、同じ向きに進む。私はここで、何があつてもその目論見が実現する、そんな上なる神々の手練手管を思ひ出す。しかし、私はご免だ。こんな機械仕掛は、私がそれを信じたとしても、好きにはなれなかつただらう。トルストイも、好んで、自分を大きな渦の中の一つの原子に過ぎないと考へた。彼らの前に、パングロス*1も、神の摂理が、数多くの悪から僅かの善を引き出すのを讃へた。私としては、進歩が定められたものだと信じることはできない。そんなものは頼りにならない。人間は旅する惑星の上に一人、裸で、一瞬毎にその行方を決めてゐる。身を任せれば悪い定めへと、自分を取り戻せば良い定めへと。私はさう見る。

コント*2に倣つて、私達の戦ひ、私達の過ち、私達の勝利について、もつと良い絵姿を探してみよう。もし諸君が帆かけの漁船、その風に向かつて進む時の回り道、巧みな技、折れ曲がつた道筋を見たことがあれば、欲するvouloir*3とはどういふことかが分かるだらう。この海は、私達をどうしようとも思はない。良いことも悪いこともしようとは考へない。敵でもなければ、助けても呉れない。人々が死に絶え、すべての生命が消えても、海は動き続けてゐるだらう。この風も、同じやうに、太陽に従つて吹くだらう。情けを持たず是非を超えた力だ。波は、水の重さや流動性により、風や月に従ふ。風は寒さ暑さを均(なら)す。不変の法則により踊り、走るのだ。同じ様に板は、水の一滴一滴が他の無数の滴に支へられてゐるといふ不変の法則により、密度に応じて浮き沈みする。私が風に帆を張れば、風は角度に応じて押し返す。流れに対して板を置けば、流れはこれも押す。竜骨の舳先で流れが開き、船端で抵抗するのと同じだ。これらを見届けた上で、人間は危険を冒して、帆柱と帆桁と綱を使つて帆の向きを変へ、舵を潮の流れに押し当て、斜めに進んで距離を稼ぎ、向きを変へ、これを繰り返す。風の力そのものにより、風に逆らつて進む。

私は幼い頃、海を見るまでは、船はいつでも風に押される方に進むと思つてゐた。舵取りが、不変の法則により風を抑へる様(さま)を見た際には、習慣を理性とは受け取らなかつた。理解することが必要だつた。本物の神が現れて、私はそれを意志volontéと呼んだ。同時に、これに従ふ知性の力とその本当の使ひ方が姿を見せた。櫂(かい)、水車、鶴嘴(つるはし)、梃子(てこ)、弓、投石器、全ての道具、全ての機械が私をそこに連れ戻した。私は考へidéeが働く様と、盲目な自然が馬の調教師により御されるのを見た。私が、私達の船がその上で踊るやうな大きな力には、それが人間のものであらうと、何も期待しないのは、かうした訳だ。先づは、諸力に逆らつて欲するvouloirことだ。次に、その力が、どんな不変の法則により、どんな具合に押すのかを見届けねばならない。諸力が盲目で何らの目論見も持たないと感じる程、私はより一層、それらを支へにする。法則は強く、疲れを知らず、私よりもはるかに大きな勢力を持つが、さうであればある程、私は望む場所に導かれる。向きを変へ損ねたら、それは私の過ちだ。小さな過ちでも報いがある。欲することを忘れただけで、しばらくは漂流物になる。しかし、少しの知識を不屈の粘り強さに結びつければ、すぐに力が得られる。この人殺しの怪物を、私は神とも悪魔とも呼ばない。ただ、それに轡(くつわ)を掛けたいのだ。

アランにとつて人類の進歩とは、盲目な諸力が支配する世界を相手に、一瞬一瞬に勝ち取るべきものであつたのだ。物の世界と心の世界をはつきりと分けて、判断や意志に私達の価値の源を見出すといふ姿勢は、デカルトやカントから学んだものだらう。知性は、意志に従ふべきものとして位置づけられてゐる。

しかし、ここには幾つかの残された問題がある。アランが説く折れ曲がりながらも風に逆らつて進む道は、どこに続くのか。アランにとつて進歩とはどのやうな方向に進むことなのか。

意志volontéは物の世界の力とどのやうな関係を持つのか。全く独立してゐると言へるのか。どのやうな仕組みで意志は世界を動かすことが出来るのか。(「心身問題」)

価値の源は、神などのやうに外にあるものではなく、私達の意志volontéにあるといふ主張は理解できるとしても、意志は誤ることはないのか、常に理に適つてゐるのか。(深層心理の問題)

また、人々が様々な異なる意志を持つときに、それをどう調整するのか。(個人と社会の関係)

かうした問題をアランがどのやうに考へたのか、必ずしも明確ではないが、その文章を読みながら探つてみたい。

*1:ヴォルテールの風刺小説『カンディード』の登場人物

*2:実証主義者として知られるオーギュスト・コント。アランはコントを高く評価してゐた。

*3:vouloirといふ言葉は、この文章からも分かるやうにアランにとつて大切な言葉なのだが、日本語には訳しにくい。名詞になるとvolonté。vouloirは単に望む、したいと思ふといふことではなく、はつきりとした意志を伴ふ。大修館書店の『スタンダード佛和辭典』では「決意する、肚(はら)をきめる」といふ意味が最初に掲げられてゐる。

本当の話はどこで聞けるのか

日本はなぜ戦争に敗けたのか

要らない書物を整理しようとして、『文藝春秋』2005年11月号の特集「日本敗れたり あの戦争になぜ負けたのか」を見つけ、捨てる前に読み返してみた。半藤一利、保坂正康、中西輝政福田和也加藤陽子、戸髙一成といふ面々の座談会である。*1

  1. 対米戦争の目的な何だったのか
  2. ヒトラーとの同盟は昭和史の謎
  3. 開明派・海軍が持つ致命的欠点
  4. 陸軍エリートはどこで間違えた
  5. 大元帥陛下・昭和天皇の孤独
  6. 新聞も国民も戦争に熱狂した
  7. 真珠湾の罠 大戦略なき戦い
  8. 特攻、玉砕、零戦戦艦大和

といふ9つのテーマについて語り合はれてゐるが、いろいろな観点からの指摘があつて興味深い。三国同盟にはドイツ側からの強い働き掛けがあつた、とか、日本陸軍には共産主義者がゐた、とか、西南の役で海軍の担ひ手であつた薩摩閥の力が弱まり「陸主海従」となつて海軍は陸軍に吸収されることを恐れてゐた、とか、昭和十年代の軍人は同時代の政治家に較べると識見が高かつた、とか、日本の潜水艦が活躍しなかつたのは海軍の人事の問題だ、とか、日本兵の大反乱が起きなかつたのは国民が対米英戦を「自存自衛」の戦ひだと理解してゐたからだ、とか。

かうした専門家の話し合ひを読んでゐると、現実は多様で、「あの戦争になぜ負けたのか」といふ表題で掲げられた問ひへの答へは何だか分からなくなる。加藤氏は「敗戦の理由ということでいいますと、まあ敗けるべき戦争を始めてしまったことに尽きますが、日本の場合は、日露戦争の影響が強すぎたんじゃないかと思います。」と言つてゐる。

歴史における「原因」とは

「敗けるべき戦争を始めてしまったこと」といふのでは、殆ど理由になつてゐないやうにも思はれるが、そもそも、「理由」とか「原因」とかいふ言葉が何を指してゐるのかを、きちんと考へて置くことが大切だらう。何か出来事があると、それには必ず原因があるはずだ、人はさう考へる。しかし、原因は本当にあるのか。どうすれば何が真の原因だと分かるのか。

「原因」は、山や川のやうに自然に在るものではない。人が行動の便宜のために考へ出したものだ。だから、誰が何をしようとして物事を見るかによつて、様々な「原因」があり得る。「原因」をさぐるのは、戦争の例で言へば、戦争を起こさないため、負けないためなどの目指すところがあるからで、その「原因」を消し去れば、戦争が起きない、戦争に負けないといふ結果が得られることが期待されてゐる。(敵対国の混乱を狙ふ人達にとつては、どうすれば戦争が起こせるかといふ問題意識から、戦争の原因を考へることもあるだらうが。)

この「原因」を探して望ましくない結果を招かないやうにするといふ作業が成り立つには、「原因」の数が余り多くなく、人の力で「原因」を無くせることが必要だ。例へば火事。火事の原因は一つではない。火の不始末が原因だとすれば、火の用心を呼びかける。漏電が原因だとすれば、漏電遮断器を付ける。落雷が原因だとすれば、避雷針を付ける。放火を防ぐには、厳しい刑罰を科して抑止したり見回りをしたりする。かうした作業を繰り返し行へば、火事は確かに減らすことが出来る。

ウイルスの変異を防ぐことはどうか。変異は遺伝子の一部が変はることで起きる。遺伝子の一部が変はるのは、ウイルス自体の内部的な理由によるウイルス複製の際の小さな失敗や放射線などの外部からの刺激が原因だらう。さうした様々な「原因」を人間が無くすことはできない。変異したウイルスに対応するワクチンや治療薬を作るといふ事後的な対応をするか、ウイルスを根絶して変異できなくするか、といふことになる。

戦争のやうな規模が大きく複雑な現象になると、その「原因」を絞り込むのは難しくなる。仮に「敗けるべき戦争を始めてしまったこと」が原因だとして、なぜそのやうな戦争を始めたのか、といふ「原因の原因」が問はれることになり、問題は広がつて行く。日露戦争による驕り、国内政治の腐敗による軍部の台頭、ABCD包囲網による経済的な困窮など、様々な要因を挙げることができるだらう。

かうした複雑な現象についての原因を考へることで、新たな戦争を防止できるかどうかは、分からない。原因は一つではないし、それが人の力で制御できるといふ保証もないのだから。また、時代が変はれば周囲の状況も異なる。

他方で、歴史を漫然と眺めてゐても、複雑な動きに目が眩むばかりで、その姿を捉へることはできない。何らかの問題意識を持ち、その観点から見ることで、歴史について語ることができるやうになる。歴史における「原因」とは、さうした一定の視点に基づく、頭の整理のための道具なのだと言ふべきだらう。

本当の原因を知るには

歴史における原因が上に書いたやうなものだとして、日本があの戦争に負けた本当の原因は何だらうか。その答へは一つではないし、観点によつて異なることは既に述べた。大切なのは、事実に即して、重要な原因と考へられるものを漏れなく数へあげることだ。そのためには、『文藝春秋』の座談会のやうに、異なる分野の専門家が集まつて意見を交はすことが欠かせない作業となる。さうした意見交換を行ふための場が必要になる。

「事実に即して」と書いたが、何が事実かを決めることも、必ずしも容易ではない。フェイクニュースの時代には、意図的に事実を歪めようとする人達が暗躍する。例外的な事実を強調して、全体の印象を変へるといふのも、よく見られる手法だ。

テレビの党首討論が詰まらない、見てゐても役に立たないのは、出席者が票を集めるといふ目的だけを考へてゐて、視聴者の印象を自分に有利なものにするために、断片的な「事実」を並べるからだ。上記の座談会で、戦争ほど新聞が儲かるときはないので、朝日新聞毎日新聞(当時は東京日日)が報道合戦をした、といふ事実が指摘されてゐるやうに、報道機関にも弱点がある。

何が重要な事実なのかを、バランスよく列挙するためには、票だとか視聴率だとかいつた目先の目的に囚はれないで語りあふ場が必要なのだ。時には自分の誤りも素直に認めながら、それぞれの専門的な知識に基づいて、意見を交はすことができる場だ。*2

新しい試みの例

さうした場を作る新しい試みも、出てきてゐる。東浩紀氏が創業したゲンロンが運営してゐるシラスもその一つだ。視聴回数に応じて宣伝費が手に入るYoutubeでは、どうしても数を稼ぐための内容になる。シラスは、有料にすることで、数はすくなくても質の高い視聴者を集めようとしてゐる。

トイ人も、興味深い試みだ。これは今のところ意見交換の場ではなく、学問の成果を普及させるための試みだが、クラウドファンディングによつて資金を集め、「アカデミックSNS」を作らうとしてゐる(詳細はこちら)。

インターネットといふ便利な道具で、情報の発信に必要なコストは殆どゼロになつたが、その結果、ネットを流れる「情報」の質は低下し、フェイクニュースのやうに、人を正しく導くのではなく道を誤らせるために流される「情報」まで出て来たのが現状だ。

この状況が、シラスやトイ人のやうな新しい試みによつて変へられ、インターネットが人々にとつて本当に有益な道具へと発展することを期待したい。

 

*1:この座談会は2006年に文春新書になつてゐる。第一部に座談会の記録が、第二部に出席者の「あの戦争に思うこと」が載せられてゐる。

*2:そもそも事実とか真実は、一人で決めるものではない。アインシュタイン相対性理論を考へ出したやうに、科学の世界では、一人の力で新しい真実が見いだされると見える。しかし、仮に、アインシュタインの主張を裏付ける実験ができなかつたとすれば、誰が彼の説を信じただらうか。たとへ信じる人があつたとしても、それで彼の説は真実になつたと言へるだらうか。

真実といふのは社会で共有されて初めて真実になると考へるべきだらう。一人だけの真実といふものもあり得るが、それはあくまでも個人的なものに過ぎない。社会的に意味を持つ真実は、共有されなければ成り立たない。それを裏付けるための作業がなければ、真実にはならない。仮に、たつた一人しか理解できない説が正しいものだとしても、それだけでは社会は動かせない。社会的には存在しないのと同じなのだ。