アメリカとロシアの接近

Economist誌のネット版に"The American and Russian right are aligning"といふ記事が載つてゐる。ロシアのプーチン大統領支持者と米国のトランプ大統領の支持者の間には、深い哲学的な一致(a serious, philosophical concordance)がある、といふのだ。

ウクライナは地域の大国であるロシアに従ふべきだ、といふのは、カナダやパナマは米国の言ふことを聞くべきだ、といふのと同じ型の理屈だ。個人主義基本的人権を重んじるリベラリズムを否定するといふ点でも共通してゐる。国家の位置付けなどの相違点もあるが、EUのグローバル主義者は、共通の敵だ。かうEconomist誌は述べてゐる。

記事に何度も出て来る「プーチンラスプーチン」アレクサンドル・ドゥーキン氏(1962-)については、東浩紀氏の『ゲンロン』第6号(2017年9月)のロシア現代思想特集に「第四の政治理論の構築にむけて」といふ文章が載せられてゐる。ざつと読み返してみたが、私には理解できない内容だつた。

訳者の乗松亨平氏の解題によれば、この文章が載せられてゐる本は、「リベラリズムと資本主義(第一の政治理論)の超克を目指したコミュニズム(第二)とファシズム(第三)が潰え、新たな「第四の政治理論」が求められている」といふ立場から書かれた本で、「さまざまな思想家が融通無碍に駆り出されるさまは、ポストモダニズムの折衷主義を地でいくもの」であり、「それらの名前を多少とも知る読者からすれば、ドゥーギンによる参照はほとんど戯画的に映るだらう」が、「信じるものを失ったポストモダンの時代には、しばしば冷笑が共感へと裏返る。ドゥーギンはそのような反転を狙うのである」といふことらしい。

ポストモダニズムの折衷主義といふのはよく分からないが、あちこちの有名な思想家から自分に都合の良い部分だけを切り取つて繋ぎ合はせるのだとすれば、元々の思想に通つてゐたであらう一本の筋は消えて、引用者の勝手な議論に根拠のない「箔」をつけるだけのことになる。そのやうなものが思想の名に値するのだらうか。

変転する世界の中で、何を信じれば良いのかが分からなくなつてゐる、といふのは現代人の置かれた共通の状況だらう。そのなかで、何かを信じたい、何処かに自分の居場所を見つけたい、といふ欲求を満たすものとして、ドゥーギン氏の「思想」や米国のMAGA運動が出て来てゐることは確かだ。

グローバル主義が目の敵にされるのは、グローバル化が社会をより複雑にし、自分たちの生活基盤を脅かすものと捉へられてゐるからだらう。リベラリズム基本的人権の尊重とか美辞麗句を並べてゐるが、自分達は逆差別されてゐるといつた不満もあるに違ひない。

かうした反グローバリズム、反「悪平等」の動きは欧州や日本でも見られるが、歴史の浅いロシアや米国では、より顕著に現れてゐると思はれる。この観点でも、『ゲンロン』第6号の冒頭の座談会は、ロシアには方言がない、など教へられる所が多い。尤もこちらには全く予備知識がないので、全て鵜呑みにしてゐるのだが。

アメリカとロシアがかういふ形で接近するのだとすれば、両国が目の敵にしてゐる欧州は厳しい立場に追ひ込まれるが、日本の立場も欧州に近いものだと言へるだらう。その上、日本には近くに仲間になるやうな国が殆ど見当たらないのだ。

 

トランプ大統領の米国

米国のトランプ大統領ウクライナのゼレンスキー大統領との会談は、記者会見での口論といふ前代未聞の形で決裂した。Economist誌も言ふやうに、ウクライナには大きな痛手であり、一番喜んでゐるのはロシアのプーチン大統領だらう。

判官贔屓の身としてはゼレンスキー大統領を応援したいし、この三年間の苦労を想へば、同情を禁じ得ないが、今回は大きな失態だつた。トランプ大統領から多くを望み過ぎたといふことだらう。将来の安全保障が不可欠だといふのは理解できるが、現状では、NATOへの加盟、米国の直接的な関与といつた形でそれを実現することは不可能に近い。取り敢へず、資源の共同開発といふ形ででも米国の関与を維持することが得策だつたと思はれる。

今回の事件で、トランプ大統領といふ人の考へ方が少し分かつた気がした。戦争は嫌ひだといふのは本心のやうに見える。一つ、これまでの米国大統領と決定的に違ふのは、トランプ氏には指導的理念が無い、といふ点だ。

米国の外交は、欧州の現実主義的な外交とは異なり、理念性が強い、といふのが以前の見方だつた。キッシンジャー氏の登場でそれが変はつたと言へるが、自由主義陣営の盟主として自らを位置付けるといふ姿勢は不変だつた。トランプ氏には、かうした面が全く無い。ただただ「ディール」を目指してゐる。それで、いぢめられてゐるウクライナを脅して資源を取り上げようとしたり、武器供与を止めてウクライナをロシアに売り渡さうとしたり、といつた言語道断な行ひに走つてゐるやうに映る。ただ、本人は公約どほり早期に戦争を止めたい、と考へてゐるだけだらう。そのためには、弱い立場のウクライナが譲歩するしかない、さう思つてゐるに違ひない。

理念に縛られないといふのは、必ずしも悪いことではない。宗教戦争に典型的に見られるやうに、何かを信じ込んだ者同士の戦争ほど悲惨なのものはない。妥協できないから、どちらかが打ちのめされるまで戦ひは終はらない。

他方で、妥協すれば全て済む訳では無いところが難しい。欧州の人達は、ヒトラーに妥協して後に悔いることとなつた1938年のミュンヘン会議を思ひ浮べるだらう。

また、この世界で最低限の秩序を保つには、一定の決まり事が欠かせない。「約束は守る」といつた基礎的なことから、今回の戦争に絡む「武力により現状変更を目指さない」といつたものまで、様々だが、かうした決まり事がどれだけ守られるかで、私達の暮しぶりは大きく変はる。これらの決まり事を守らせるのが、世界の警察官たる米国の役割だつたのだが、今や、米国はこの重荷を背負ふ気が無くなつてゐるのだ。警察官がゐないとなれば、それぞれが自分を守るしかない。弱い者は弱い者同士で力を合はせるか、強い者に頼るか、といつた選択を迫られる。

かうした米国の在り方の何処がgreatなのか、よく分からないが、ともかく、それがトランプ大統領の米国だ、といふことは心得て置くべきだらう。

この件に関するSNSでの反応を見ると、日本国内でもプーチン大統領を支援する意見も少なからずある。ウクライナ国内の腐敗を指摘したり、西側に「約束違反」がありプーチン氏は被害者だと言つてみたり。しかし、プーチン氏の行ひは、国際的な指名手配を受けてゐることからも分かるが、明らかに非難すべきものだ。彼を擁護する意見の大半は、ロシアの工作によるものだと考へるべきだと思ふ。

ベルクソンの「怪しさ」

ベルクソン(1859-1941)は立派な哲学者だと思ふのだが、一時期はほぼ過去の哲学者として忘れ去られてゐた。その理由の一つは、彼の考へは生気論だとか、彼は心霊現象を信じてゐるとかいふ見方をされて、「怪しい」人だと思はれたからだらう。そして、かうした意見は全くの誤りだとは言へない部分もあるので、話はややこしい。

France CultureのPodCast番組"Avec philosophie"で、「生命のエネルギーは神秘か神話か」L'énergie vitale, mystère ou mythe ?と題して、ベルクソンの話をしてゐた。この話のウェブページには、「ベルクソンにとつては、生き物はエネルギーの継続によつて特徴づけられる。生の飛躍は物質を励起し生気を与へるとされるが、これは霊的な原理か、あるいは哲学の道具なのか。」といふ文章が掲げられてゐる。

Pour Bergson, le vivant se caractérise par une continuité d'énergie. L'élan vital, qui soulève et anime la matière, est-il un principe spirituel ou bien un instrument philosophique ?

話者の一人はFrédéric Worms氏(1964-)で、現代のベルクソンの専門家として屈指の人だ。話の内容を要約するのは難しいが、氏がベルクソンは経験主義者empiristeだと繰り返し述べてゐたことは重要だらう。「生の跳躍」といつた言葉がもてはやされ、生気論の親玉のやうに見られてゐるのだが、自らの夢想を述べたのではなく、当時の自然科学の知見も踏まへて、何が真実であるかを真面目に探らうとした人なのだ。

この番組で、Worms氏がベルクソンの一つの言葉を紹介してゐた。

Dès qu’on aime ce qu’il y a de meilleur dans la vie, on devient indifférent à la mort.

拙い訳を示せば、「人生で一番良いものを愛すれば、死はどうでもよくなる。」といつた具合だらう。これはベルクソンが何かの機会に紙に書いて誰かに与へたものらしい。ネットには、そのメモの写真も載つてゐた。

ベルクソンのメモ

この言葉の真意は計り知れないが、孔子の言葉を思はせる。「朝(あした)に道を聞かば、夕(ゆうべ)に死すとも可なり。」(『論語』里仁第四)この部分に、吉川幸次郎(1904-1980)は次のやうな解説を付してゐる。

これも宋の朱子の新注に従って、その日の朝、正しい道を聞き得たならば、その日の晩に死んでもよろしい、と読むのが、むしろ普通の読み方であり、またそれでよろしいであろう。

古注では、道とは、世に道あること、つまり道徳的な世界の出現を意味するとし、そうした世界の出現を聞いたが最後、自分はすぐ死んでもいいとさえ思うが、そうしたよい便りを聞かずに、自分は死ぬであろう、という孔子の悲観の言葉として読むが、何となくそぐわない。もっとも陶淵明が、「貧士を詠ず」と題する詩に、「朝に仁義と与(とも)に生くれば、夕に死すとも復た何をか求めん」とうたっているのは、古注の意味でこの句をふまえているようである。(朝日文庫論語 上』114頁)

 

 

 

内村鑑三『代表的日本人』

内村鑑三(1861-1930)の『代表的日本人』は、著者が34歳の1894年に書かれた"Japan and Japanese"の改訂版"Representative Men of Japan"(1908年)の翻訳だ。その序文は、次のやうなものだ。*1

此の小著は、今より十三年前、日清戦争の最中、『日本及び日本人』(Japan and Japanese)なる表題をもつて刊行せられたるもののうち、其の主要部分の再版にして、一友人の手により多くの訂正を加へられたるものである。我が國に對する余の青年時代の愛の全く冷却したるに拘らず、余は我が國民の有する多くの美しき性質に盲目たり能はざるのみならず、彼女こそは今なほ『我が祈り、我が望み、我が勤めを、自由に』與ふべき國土、然り、唯一の國土である。余が今なほ我が國人の善き諸性質ー普通に我が國民の性質と考へられてゐる盲目なる忠誠心と血腥い愛國心を除いた其以外の諸性質ーを外なる世界に知らしむる一助となさんことが、おそらくは外國語をもつてする余の最後の試みなりと思はるる本書の、目的とするところである。(5頁、ゴチック部分は原文では傍点。以下同様。)

岩波文庫版には「獨逸語版 跋」も載せられてゐて、興味深い。例へば、こんな文章も見つかる。

余は、基督教外國宣教師より、何が宗教なりやを學ばなかつた。すでに、日蓮法然蓮如、其他敬虔なる尊敬すべき人人が、余の先輩と余とに宗教の本質を知らしめたのである。(11頁)

代表的日本人として取り上げられてゐるのは、以下の五人である。

西郷隆盛 ー新日本の建設者ー

上杉鷹山 ー封建領主ー

二宮尊徳 ー農民聖人ー

中江藤樹 ー村落教師ー

日蓮上人 ー佛教僧侶ー

内村は、これらの人物の何が世界に誇るに足ると考へたのだらうか。

西郷隆盛

西郷隆盛(1828-1877)は、日本の開国といふ困難な課題に立ち向かつた「敬天愛人」の人として描かれてゐる。そして、西郷が「天」といふ言葉を数多く用ゐたことについて、次のやうな意見が述べられてゐる。

彼はその心のなかに自己と全宇宙とより更に偉大なる「者」を見出し、彼と秘密の會話を交はしつゝあつたと余輩は信ずる。『道を行ふ者は、天下擧(こぞつ)て毀(そし)るも足らざるとせず、天下擧(こぞつ)て譽むるも足れりとせず。』(中略)西郷は、右の如き、またそれに類する、他の多くの事を語つた。彼は、すべてこれらの事を、直接、「天」より聞いたのであると余は信ずる。(26頁)

天の声を聞く人は、正義の人である。

『敬天』の人は、正義の崇敬者遵奉者たらざるを得ない。『道(正義)の普く行はるること』が、彼の「文明」の定義であつた。彼にとり、天下に正義ほど貴重なるはなかつた。彼の生命は言ふ迄もなく、彼の國さへも、正義にまさりて貴重ではなかつた。」彼は曰うた、『正道を踏み(正義のために)国家を以て斃るゝの精神無くば、外國交際は全かる可からず。彼の強大に委縮し、圓滑を主として、曲げて彼の意に順從する時は、輕侮を招き、好親却つて破れ、終に彼の制を受くるに至らん』と。(49頁)

政治の基盤として道徳的な基礎を築かうとした点が、西郷の偉さだと考へてゐた訳だ。

上杉鷹山

内村は、五人を紹介する各文章の始めに、西洋の読者のためであらう、時代背景などについての説明を置いてゐる。上杉鷹山(1751-1822)の場合には、「封建制政体」についての説明があるのだが、今日の読者が驚くやうな意見も述べられてゐて、面白い。例へば、

『進歩した機構』は、盗人を縛る役にこそ立て、聖人の助けにはならない。余輩は、代議政治の制度は、一種の進歩した警察制度であると考へてゐる。詐欺師と悪黨は、それによつて十分に抑へられる。併し如何に大群の警官も、一人の聖人又は英雄の代用を爲すことはできないのである。(中略)封建制度とともに其に結附いてゐた忠義、武勇、多量の雄雄しさや人情味が我我より喪はれはしなかつたかを、我我は惧れるのである。(55頁)

鷹山は、地上に神の国の似姿を実現させた政治家として描かれてゐる。ここでも、道徳の重要性が強調されてゐる。

東洋の學問の一つの美しい特徴は、道德から離れて經濟を取扱はなかつたことである。富は、東洋の哲學者にとりては、必ず德の結果である。そして富と德との二つは、果(み)が木に對して有つと同じ關係を、相互に對して有つてゐるのである。(69-70頁)

彼は、時代の諸〃の慣行に驚くべきほど捉はれずして、彼が天から託された民を、大名と百姓とが等しく踏み行かなければならぬ『人の道』に、導き行かんことを志した。(70頁)

上杉鷹山の事業については無知だつたが、「ペリイの艦隊が江戸灣に現れたるより五十年前、北日本の山嶽地方の一角に、西洋醫術が一般公衆に用ひられてゐた」といふ話を読むと、その先見性、開明性がよく分かる。

二宮尊徳

二宮尊徳(1787-1856)といふ名前や薪を背負つて読書する姿は知つてゐても、具体的にどのやうな事を成したのかは知らない人が多いのではないだらうか。内村は、道徳の力で農業改革を実現した人物として描いてゐる。

内村は十九世紀初頭の日本の農業についての解説から始めるのだが、その中では、次の一節が眼を引く。

余輩は日本農業は農業として世界に於て最も注目すべきものであると思つてゐる。一塊一塊の土が思慮深き取扱を受け、地より生ずる一草一草に殆ど親の愛に近い配慮と注意が與へられてゐる。(81頁)

次に、孤児になり伯父に引き取られた、『大学』を夜中に読んで、貴重な油を使ふと怒られた、自分で油菜を育て得た油で本を読んでも、「自分は家の者には誰も読書といふやうな斯様な儲けにならない仕事をさせて置くことはできない」と言はれ、乾草や薪を取りに山に行く途すがら勉強した、といつた幼少期の逸話が語られる。そして、ここでも道徳は有用な位置づけを与へられてゐる。
道德力を經濟問題の諸改革に於ける主要な要素とする斯くの如き農村復興計畫は、これまで殆ど提案せられたことはない。それは「信仰」の經濟的適用であつた。この人には清教徒(ピュウリタン)の血の通つてゐる所があつた。或はむしろ、この人は未だ西洋直輸入の「最大幸福哲學」に汚されざる純粹の日本人であつたと言ふべきである。(89頁)

國家老たちを前にして『年饑ゑて民を救ふの途を得ざる時に當り、何を以て饑渇の民を救ひ之を安んぜん乎』といふ有名な説話を述べた、などといふ話を読んで、ネット上で読むことのできる尊徳の著作に少し目を通したが、非常に立派な思想家でもあることが窺はれた。

中江藤樹
中江藤樹(1608-1648)は近江聖人として知られる。小林秀雄(1902-1983)は『本居宣長』のなかで藤樹に触れ、次のやうに書いてゐる。
中江藤樹が生まれたのは、秀吉が死んで十年後である。藤樹は、近江の貧農の倅(せがれ)に生れ、獨學し、獨創し、ついに一村人として終りながら、誰もが是認する近江聖人の實名を得た。勿論、これは學問の世界で、前代未聞の話であつて、彼を學問上の天下人と言つても、言葉を弄する事にはなるまい。(第五次全集第十四巻86頁)
内村は、旧日本の教育についての解説から話を始めるのだが、そこには、次のやうな文が見つかる。
我我は歴史、詩歌、行儀作法を少なからず教へられた。併し主たるものは道德、しかも實踐的な道德であつた。(112頁)
我が國の教師たちは、人は級に分つべからざるもの、人は一個の人間として、すなはち面と面、靈魂と靈魂と相對して、取扱はれねばならぬものと信じてゐた(と余は直觀的に考へる)。それ故に彼等は我我を一人づつ、各自その肉體的心的精神的の特質に応じて、薫陶した。(113頁)
現代のごとき適者生存の原則にもとづく教育制度は、寛仁愛人の君子(ジェントルマン)をつくるに、最も適當であると考へられた。それゆゑ、この點に於ては、我が國の舊時代の教師たちは、その教育理論に於てソクラテスプラトーと一致してゐたのである。(113頁)

内村は、熊澤蕃山の弟子入りや岡山侯の訪問(これについては史実かどうか疑問があるらしい)などの逸話を紹介した後、藤樹が『論語は聖賢の言行を記したるものなれば、無用の事はなけれども、今日の上に合はざる事あり。』といふ説を述べたことについて、かう書いてゐる。

彼が人爲の「律法」(法、ノモス)と、永遠に存在する「眞理」(道、ロゴス)とを、明確に區別したことは、左の如き注目すべき言葉によつて示されてゐる、ーー
 道ト法トハ別ナル者ナリ。心得違ヒテ法ヲ道ト覺リタル誤、多シ。法ハ、中國聖人ト雖、代々替レリ、況ヤ吾國ヘ移シテ行ヒ難キコト多シ。(中略)...法ハ、聖人、時所位ニ應ジテ事ノ宜シキヲ制作シ玉ヒ、其代ニ在リテ道ニ配ス。時ナリ所位、替リヌレバ、聖法ト雖、用ヒ難キ者アリ、不合ヲ行フトキハ却テ道ニ害アリ。
而して此は、聖書が今日極端な靈感主義者によりて無謬と考へられてゐると同じだけ、所謂「經書」が無謬と考へられてゐた時代に、語られたのである。(132頁)
そして、恐らく羨望の心をもつて、一村人として生涯を終へた藤樹につき、次のやうな感想を述べてゐる。

しかも彼は全く樂しくその生涯を送つたと思はれる。彼の文章の何處にも一抹の落膽の調子を捉へることはできない。實際に、如何して此の人がその陽明學型の儒教をもつて斯くの如くに幸福であり得たかは、我我自身の神觀と宇宙觀をもつてしては殆んど想像することができないのである。(135頁)

日蓮上人

仏教の僧侶である日蓮(1222-1282)をキリスト教徒の内村が褒めるといふのは、一見、奇異に感じられる。しかし、内村を惹きつけたのは、日蓮の教義ではなく、その宗教に対する姿勢だつた。

彼は倣ふべき何らの先例なく、一つの「經」と一つの「法」とのために生命を投げ出して敢然と立つたのである。彼の生涯の興味あるは、彼が主張し弘布した教義的見解よりも、寧ろ彼がそれを主張した勇敢なる行爲にある。眞の意味に於ての宗教的迫害は、日本に於ては、日蓮を以て始まつたのである。(156頁)

偉大なる事業は常に斯くのごとくにして生れる。一個の不屈なる靈魂と、それに對立する世界と、ーー永遠に偉大なるものの現るべき希望は其處に存する。二十世紀は當に此の人より、彼の教義にあらずとも、彼の信仰と勇氣とを學ぶべきである。基督教はそもそも日本に於て斯くの如き起源を有したか。(159-160頁)

キリスト教徒が仏教の僧侶を称へることの問題は、内村自身、よく理解してゐる。

實際、日本に於ける基督信徒にとりては、此の人に稱讚の辭を呈することは、イスカリオテのユダに好意ある言葉を語るだけ不敬虔に響くのである。
 併し余としては、もし必要とあらば、此の人のために我が名譽を賭する。彼の教義は概ね今日の批評學の試驗に堪へ得ないことは余も認める。彼の論爭は上品でない、全體の調子は狂氣の如くである。彼は確かに不均衡の性格であつた、たゞ一方向にのみ餘りに尖鋭であつた。併し乍ら彼よりその知識上の誤謬、遺傳されし氣質、時代と環境が彼の上に印したる多くのものを剥ぎ取れば、然らば諸君はその骨髓まで眞實なる一個の靈魂、人間として最も正直なる人間、日本人として最も勇敢なる日本人を有するのである。僞善者は二十五年以上もその僞善を保つことはできない。また僞善者は彼のために何時でも生命を投出さんとする幾千の隨身者を有つこともできない。(168頁)
もし彼にして狂せしならば、彼の狂氣は高貴なる狂氣であつた、それはかの最も高貴な形態の自尊心と區別し難きものであつた、即ち果すべく遣された使命の價値によつて己自身の價値を知るといふ自尊心である。自己自身について斯かる評價をいだきたる者は、「歴史」上、日蓮がたゞ一人ではなかつたのである。(169-170頁)
これ以上に獨立なる人を、余は我が國人の間に考へることはできない。實際、彼は彼の獨創と獨立によつて、佛教を日本の宗教たらしめたのである。彼の宗派のみ獨り純粹に日本的である、しかし他の凡てはその起源を或は印度、或は支那、或は朝鮮の人人に有つたのである。彼の大望もまた、彼の時代の全世界を抱容せるものであつた。彼は彼の時までは佛教は印度から日本まで東方に向つて進み、彼の時よりは日本から印度へ改善されたる佛教西方に向つて進むべきであると語つてゐる。それゆゑ彼は受動的受容的な日本人の間にあつて一つの例外であつた。(172-173頁)
争闘性を差引きし日蓮、我等の理想的宗教家である。」これが内村の結論だ。

 

この本についての書評は、ネット上でもいくつか読むことができる。若松英輔氏による

NHK 100分de名著 げすとこらむ

同氏のインタビューもある。

『内村鑑三 悲しみの使徒』インタビュー

松岡正剛の千夜千冊でも取り上げられてゐる。

内村鑑三の著作は、青空文庫で読むことができる。国会図書館のデジタルコレクションでは、画像で送られてくるので面倒な部分もあるが、『求安録』のやうな、青空文庫ではまだ読めない本も閲覧できる。

*1:手元にあるのは1941年に初版が出た鈴木俊郎氏の訳による岩波文庫で、現在、同文庫で流通してゐる鈴木範久氏訳のものよりも古い。以下の引用は、全て1941年版による。

因果性と相補性

山本義隆氏の編訳によるニールス・ボーア(1885-1962)の論文集『因果性と相補性』を読む。

相補性とは

「相補性」はボーアの言葉。原子物理学の領域のやうに、プランク定数が無視できない状況では、「(従来の)因果的記述の枠組みに適合させられない新しい規則性が登場」する。かうした新しい状況を表現する言葉が「相補性」だ。

考察している対象の振る舞いにかんして異なる設定の実験によって私たちが手に入れる、見かけ上はたがいに相容れない情報は、あきらかに従来のやり方では相互に関連づけることはできないけれども、(経験全体の包括的な説明にとっては同様に欠かすことのできないものであって、)それらはたがいに相補的であると見なしうるのです。(岩波文庫124頁)

「たがいに相容れない情報」の典型例としては、電子や光が、実験の設定によつて、一点に存在する粒子のやうにも、広がりを持つ波のやうにも見えるといふことが挙げられる。粒子の姿も波の姿も、どちらも電子や光の姿だが、これらの姿を現すのは、特定の実験設定がある場合で、一つの設定で二つの姿を同時に見せることはない。二つの姿は、電子や光といふものが示す相補的な姿なのだ。

「どちらの姿が本当の姿なのか」といふのが普通に浮かぶ疑問で、だからこそ、光については粒子説と波動説が何世紀もの間、対立して来た。しかし、実は状況に応じてどちらの姿も現すといふのが真相だつた。

どう見るかによつて物事が異なつて見える、といふのは普通の経験だが、その奥には見方に依らない本当の姿がある、私達はさう考へる。歴史的な出来事は、史料が十分でないことも多く、見方次第で様々な説明が可能で、真相は藪の中といふこともあるが、物の世界では私達がどう見るかに関はらず決まつた物の姿がある、それが量子力学以前の常識だつた。相補性は、さうした常識を覆す考へ方なのだ。

物理現象の客観的な記述は不可能なのか

それでは、物理現象を客観的に記述することは不可能なのか。ボーア自身の言ふところを聞かう。

私は、このような所見の表明により、原子物理学では因果的記述を放棄すると言うとき、私たちは、豊富な現象を理解することが不可能であるというような浅薄なことを主張しているのではなく、ここで直面している新しいタイプの法則を、分析と総合のあいだの必要なバランスにかんして哲学が一般的に指示するところにしたがって説明しようとする真剣な努力にかかわっているのだということをお伝えしたかったのです。まさにこの点で、人間の知識の他の領域においてもまた、私たちは、相補性の観点によってのみ回避しうるように思われる見かけ上の矛盾に直面しているということを指摘するのは、私には興味深いことです。しかしながら、原子物理学の分野における最近の発展が、「機械論か生気論か」あるいは「自由意志か因果的必然性が」というような問題のいずれか一方の立場を選ぶことの助けになるというような、ひろく語られている見解に与することは、私には到底できません。まさに原子物理学のパラドックスが解決されたのが、決定論か非決定論かという旧来の問題にたいしていずれか一方の側に立つということによってではなく、ただもっぱら観測の可能性と定義の可能性を吟味することによってのみであったという事実は、むしろ、生物学や心理学の件の問題にかんしていかなる態度をとればよいのかということについて、再検討を促しているでしょう。(同131頁)

この文章を含む論文が掲載されたのは、Philosophy of Science誌の1937年7月号だが、この時期から、ボーアは相補性の概念が生物学や心理学の態度を改める可能性を考へてゐたことが分かる。電子のやうな基本的な粒子でさへ、見方によつて粒子にも波にも見えるといふ多様性を持つてゐるのだとすれば、生物のやうな複雑なものが「機械論か生気論か」といつた単純な二分法で片づけられるはずがないのは、明らかだと言ふべきだらう。ボーアは、生物学や心理学も、古典物理学的な世界像に縛られてゐたことを指摘してゐるのだ。

ボーアといふ人

ニールス・ボーアといふ人は、普通の日本人には余り馴染みのない人だと思ふが、「訳者序文」には、次のやうに書かれてゐる。

20世紀前半を代表する物理学者がアインシュタイン(1879-1955)とボーア(1885-1972)であることは、誰もが認めるであろう。しかし、タイプは相当異なる。かたやアインシュタインが20世紀物理学のスーパー・スターであるとするならば、ボーアはさしずめ20世紀物理学のゴッド・ファーザーにあたる。実際、アインシュタイン孤高の人であったとすれば、ボーアは理論物理学における最大でほとんど唯一の学派を築きあげ、アインシュタインがどちらかというと異端であったのにひきかえて、ボーアはメイン・ストリートを歩み続けた。(同3頁)

かうしたボーアの姿とは大きく異なるボーア像を描いたのが、アダム・ベッカー『実在とは何か』だ。「量子力学に残された究極の問い」といふ副題がついたこの本は、量子力学の解釈問題を扱つた本だが、それぞれの解釈を物理学的に論じるといふよりも、主な解釈を提唱した人物の評伝を並べたやうな本だ。

この本の著者は、ボーアの提唱したコペンハーゲン解釈には問題があるといふ立場で、ボーア自身も曖昧で冗長な話しぶりで、何を言ひたいのか分からない人物として描かれてゐる。これに反して、量子力学についての独自の解釈を打ち出すなど多くの業績を残したものの政治的立場から不遇だつたデヴィッド・ボーム(1917-1992)や、学者の枠をはみ出した生活を送り多世界解釈といふ突飛な理論を提唱したヒュー・エヴェレット(1930-1982)については、親近感を込めた筆で書いてゐる。

ベッカーの本は、人物評伝としては面白いが、量子力学の解釈問題自身が、過去の問題と見える現在の状況では、物理学の本としての中身は古いものだと言ふべきだらう。

量子力学の考へ方が、他分野にどのやうに波及してゐるのかは興味深い問題なので、引き続き勉強してみたい。

 

臨死体験の科学的な研究

臨死体験と呼ばれる現象がある。三途の川が見えたり、横たはる自分の姿を空中から眺めたりといつたオカルト的な体験なのだが、さうした体験をする人がゐることは、事実として認められてゐる。

ネットでも、たとへば次のやうな真面目な研究の結果を見ることができる。

しかし、不思議な体験であることは間違ひなく、本人にしか分からないので、どこまで確実な事実と言へるのだらうか。この体験を外から確かめることはできないのか。

AWARE

さうした研究の一つにAWARE (AWAreness during REsuscitation) がある。Sam Parnia氏を中心に、複数の病院の救急救命センターが協力して、心肺蘇生により回復した心停止の患者からデータを集めることにより、瀕死状態の患者の意識を探る研究で、最初の結果は2014年に発表された。研究手法に改善を加へて二度目の研究AWARE IIが行はれ、その結果は2023年10月に公表された。

今回の研究で私が注目してゐたのは、寝てゐる患者からは見えない場所に画像を出して、蘇生時にそれを覚えてゐるかを調べるといふ調査だ。もし、画像を覚えてゐる人がゐれば、寝てゐる場所からは見えないものを見たのだから、精神の体外離脱が起きたことが示されることになる。もしさうした実例が見つかれば、心と身体との関係を根本から考へ直さねばならないやうな、非常に興味深い研究なのだ。前回も一部の病院で行はれたのだが、データ数が少なかつたこともあり、画像を見たといふ人はゐなかつた。今回は全ての病院でこの手法を導入して、より多くのデータを集めるといふので、期待は高まつた。
結論から言へば、今回も画像を覚えてゐる人はゐなかつた。そもそも心停止といふ危機的な状況にある患者が対象なので、567人の対象者のうち生還できたのは10%弱の53人、インタビューができたのは28人だつた。そのうち11人が心停止中でも意識があつたことを示唆する経験を語つた。
今回の研究結果の評価
といふ訳で、体外離脱の証明には至らなかつた訳だが、医学的には興味深い結果も得られたやうだ。メディカルオンラインの医学文献検索サービスに掲げられたこの論文についてのページを見ると、次のやうな評価がなされてゐる。
知覚刺激の想起はほとんど生じなかったものの、脳波モニタリングの結果は、臨死体験の一部に現実的基盤が存在している可能性を示唆するもので、PNAS誌の論文とともに大きな注目を集めている
臨死体験の一部に現実的基盤が存在する可能性」といふのは、心肺蘇生に35分~60分といふ長時間を要した患者の一部で、脳にデルタ活動・シータ活動・アルファ活動などが出現したことを指すのだらう。同じく注目を集めてゐるといふPNAS誌の論文では、昏睡状態の患者の人工呼吸器をはずす際に脳波を調べたところ、4名のうち2名でガンマ活動が観察されたことが報告されてゐる。

この点については、Parnia氏もインタビューで言及してゐる。そこでは、臨死体験は、脳が酸欠状態に置かれることにより、その抑制機能が働かなくなり、心の中の記憶などが溢れ出して来るのではないか、といふ仮説も述べてゐる*1

今回の結果を踏まへて、今後、どのやうな研究が行はれるのかは分からないが、私達の心がどのやうなものなのかについて、科学的な知見が積み上げられることを期待したい。

 

*1:この説はベルクソンの説とよく似てゐて興味深い。ベルクソンは、精神は脳の活動を大きくはみ出してゐるもので、脳は記憶を蓄へる場所ではなく、精神の注意を生きることに向けさせるための器官であり、私達の身体は精神の言はば錘(おもり)であるといふ意見を述べてゐる。

科学は心を解き明かすことができるか

「ハードプロブレム」

心を科学的に解き明かさうといふ試みは、現在でも熱心に続けられてゐるが、かうした試みに立ちふさがる「ハードプロブレム」がある。山本貴光吉川浩満両氏の『心脳問題』では、「なぜ脳内活動の過程に内面的な経験、つまり心がともなうのか、という疑問」だと説明されてゐる。

同書では、この問題がいつまでも解決されないのは、カント(1724-1804)のアンチノミーが示すやうに人間理性の限界によるのであり、この病には大森荘蔵(1921-1997)の「重ね描き」といふ考へ方が解毒剤として効くが、疑問は消えず、「ハードプロブレム」は「回帰する疑似問題」になる、むしろさうした問題だからこそ取り組み価値がある、といつた説明がなされてゐる。

Bitbol氏の説

この問題に関して、最近、Michel Bitbol氏のThe Tangled Dialectic of Body and Consciousness: A Metaphysical Counterpart of Radical Neurophenomenologyを読んだ。「ハードプロブレム」が解消され得る、或いは「ハードプロブレム」は「疑似問題」であると考へる点では、『心脳問題』と同じだが、Bitbol氏は大森荘蔵が批判してゐるといふフッサール(1859-1938)の考へなどに基づいて、意識を科学に先立つものとして位置づけてゐる。

Bitbol氏の問題意識は、氏の支持するFrancisco Varela(1946-2001)が提唱した「神経現象学」が、「ハードプロブレム」を解消して新しい方法論を提示するにも拘らず、哲学的な検討を放棄するやうに見え、同時に科学者のあり方を根本的に改めることを求めるために、十分に理解されなかつたり無視されたりしてゐる現状を改めたい、といふ点にある。

そのために、氏はこの論文で「知る」とはどういふことかを再検討して、量子力学を参照しながら、「知る」には知る者の参加が欠かせないことを確認する。そして、特に「自らを知る」といふことは、普遍的な法則を探すといふ態度では実現できないことを示す。さらに、神経系と経験との関係を「説明する」とは、独立した法則により表現することではなく、この関係を研究することで知覚や行動の新しい可能性が拓かれるといふことを指すのだ、とする。(76節)

「何か」問題への答へ

Bitbol氏は上記のやうな次第で、ある種の知行合一のやうな立場にたどり着くのだが、そもそも「心とは何か」といふ問ひにはどのやうな答へがあり得るのだらうか。「〇〇とは何か」といふ問ひは、対象となるものの本質を尋ねるものだとされるが、そもそも全てのものに本質が備はつてゐるのだらうか。

この形の問ひがうまい答へを見つけることができるのは、制作者の意図が分かつてゐる場合と、他のもので代替できる場合の二つではないかと思はれる。前者は、制作者がゐる場合に限られる。すでに出来上がつたものでなく、そのあるべき姿を示す場合にも、「〇〇とは何か」といふ形で議論されるが、これも制作者の意図に似たものを前提としてゐる。

後者は、例へば「光とは電磁波だ」といふ説明がこれに当る。この説明がうまく行くのは、光も電磁波も、私達が世界から切り出した「物」或いは「事象」だからだ。私達が光といふ名前で呼んでゐたものは、電磁波といふより広いものの一部として捉へ直すことができる。この新しい理解により、私達の世界の見方が整理され、より合理的な係り方ができるやうになる。だから「光とは電磁波だ」といふ説明には有難味や説得力がある。

心は、このどちらの場合にも当てはまらない。心は神が創造したとしても、人間にはその意図を知ることは適はない。また、心は私達が世界から切り出したものではない。むしろ、現象学的に言へば、世界の前提だ。それを世界から切り出したもので置き換へようとする試みがうまく行くはずがない。

科学者の仕事は無くなるのか

「ハードプロブレム」が疑似問題だとすると、科学者の心を解明しようといふ努力は無駄になるのだらうか。確かに心とは何か、といふ問ひに答へが出ることはないだらう。しかし、Bitbol氏が言ふやうに、心と身体との関係を研究することで、両者についての新しい見方をすることができるやうになり、実用的な応用にもつながることは期待できる。

そのためには、言葉の上で意識と神経系との関係を議論したり、過去の哲学者の説の解釈を云々したりするのではなく、新しい経験が必要だ。例へばBrain Machine Interfaceの研究などは、麻痺した腕や足を動かすといつた実用的な目的だけでなく、私達の心といふものについての新たな知見を提供するものとして期待できる。

この種の新しい経験によつて「心とは何か」といふ問ひへの答へが出ることは期待できないが、心とはどのやうなものなのかを、より詳しく知ることができるやうになるだらう。

謎は残る

心をより詳しく知ることができたとしても、心の謎が解けたことにはならない、さう思ふ人もゐるだらう。しかし、全ての謎が解ける訳ではない。滝浦静雄(1927-2011)の『時間』は、次のやうに結ばれてゐた。

ビーリは、彼の時間論の結論に近い言葉として、次のように述べていた。

「時間的生成の一方向性と不可逆性と同様、そのつどの現在の時点には、説明が拒まれている......」。

しかし、実を言えば、「説明が拒まれている」のは、この世に変化があることと、その変化を身に蒙りつつそれを知っている身体的主観の一人が、まさしくこの私だということなのではないだろうか。少なくとも、私なしでは「特定の現在」はないし、したがって本当に現在である限りでの「そのつどの現在の時点」も存在せず、また不可逆な「今の系列」というものもないのである。(岩波新書『時間』202-203頁)