ベルクソン(1859-1941)は立派な哲学者だと思ふのだが、一時期はほぼ過去の哲学者として忘れ去られてゐた。その理由の一つは、彼の考へは生気論だとか、彼は心霊現象を信じてゐるとかいふ見方をされて、「怪しい」人だと思はれたからだらう。そして、かうした…
内村鑑三(1861-1930)の『代表的日本人』は、著者が34歳の1894年に書かれた"Japan and Japanese"の改訂版"Representative Men of Japan"(1908年)の翻訳だ。その序文は、次のやうなものだ。*1 此の小著は、今より十三年前、日清戦争の最中、『日本及び日本人』…
山本義隆氏の編訳によるニールス・ボーア(1885-1962)の論文集『因果性と相補性』を読む。 相補性とは 「相補性」はボーアの言葉。原子物理学の領域のやうに、プランク定数が無視できない状況では、「(従来の)因果的記述の枠組みに適合させられない新しい規則…
臨死体験と呼ばれる現象がある。三途の川が見えたり、横たはる自分の姿を空中から眺めたりといつたオカルト的な体験なのだが、さうした体験をする人がゐることは、事実として認められてゐる。 ネットでも、たとへば次のやうな真面目な研究の結果を見ることが…
「ハードプロブレム」 心を科学的に解き明かさうといふ試みは、現在でも熱心に続けられてゐるが、かうした試みに立ちふさがる「ハードプロブレム」がある。山本貴光、吉川浩満両氏の『心脳問題』では、「なぜ脳内活動の過程に内面的な経験、つまり心がともな…
米国の調査会社が発表した2024年の世界の十大リスクの一位は「米国の敵は米国」だつた。今年は大統領選挙の年だが、米国の政治的な分裂がさらに深刻になる恐れがあるといふ。トランプ氏のやうな人物が米国大統領に一度でも選ばれるだけで驚きだが、議会乱入…
アラン(1868-1951)が1928年2月18日に書いたプロポ。 怒りは思ひの最初の結果だ。この厳(いかめ)しさはあまりにも脆く、僅かな風にもなびく炎のやうに、身を屈め、変はるのが見える。だから人々はトランプ遊びをするのだ。それは偶然とルールの二つの重みで、…
東浩紀氏の『訂正可能性の哲学』を読んだ。東氏については、東日本大震災の際にTwitterで述べられた意見を見て以来、その活動に興味を持つてゐる。Twitterで何を語つてゐたのかは、すつかり忘れて仕舞つたが、氏が立ち上げたゲンロンの会員にもなり、送られ…
量子力学の解釈問題 量子力学は不思議な学問だ。その基本的な形は1920年代に確立されたが、量子力学の意味するところは何かについて、依然として議論が続いてゐる。Internet Encyclopedia of Philosophyといふサイトの記事は、議論の現状を知るために有用だ。…
久しぶりに音楽再生のタイムドメインの話題。 Kappa Infinito*1さんが開発されたタイムドメイン ウーファーzeppoを試聴して来た。雑司ヶ谷の試聴室。zeppoといふのはイタリア語で「満ち溢れる」といふ意味だとのこと。 インパルス特性を重視して波形の忠実な…
ユング(1875-1961)の『ヨブへの答へ』は、一神教の神について考へる機会を与へて呉れる本だ。 「ヨブ記」 扱はれてゐるのは、旧約聖書の「ヨブ記」である。ヨブは神がサタンに自慢するほど敬虔な人だつたが、挑発に乗つた神が、サタンに、命さへ取らなければ…
フランスのPodcastの番組Avec Philosophieで、「知るためには根源的な疑ひが必要か」といふ話を流してゐた。ラジカル radical といふ言葉は、ラテン語の「根」といふ言葉を語源に持ち、「根本的な」といふ意味を持つが、日常的なフランス語では、極端な思想…
今年のノーベル文学賞を受賞したアニー・エルノ(1940-)が、受賞講演で「私は自分の一族と自分の性の恨みを晴らすために書く」といふ趣旨の発言をしたと聞き、アラン(1868-1951)が1923年9月22日に書いたプロポを思ひ出した。 行ひは思ひに規律を与へるが、そ…
今年のノーベル物理学賞は、量子もつれに関する先駆的な実験を行つた3人の研究者に贈られた。「量子もつれ」とは、二つの物体が離れてゐても、あたかも一つであるかのやうに振る舞ふ現象で、アインシュタイン(1879-1955)は量子力学が予測するこの現象を、「…
「民主主義は最悪の政治形態である。ただし、過去の他のすべての政治形態を除いては。」といふのは、ウィンストン・チャーチル(1874-1965)の言葉としてよく知られてゐる。しかし、調べて見ると、これは元々チャーチル自身の言葉ではないやうだ。 この言葉が…
安倍元首相の暗殺事件を受けて、NHKが「安倍元首相 銃撃事件の衝撃」といふ特別番組を流してゐた。その中で、御厨貴氏が次のやうな発言をしてゐたのが印象的だつた。 先づ、現在の状況をどう見るか。 テロを呼び込むのではないか、といふことまで考へなけれ…
アラン(1868-1951)の1922年3月4日付けのプロポ。 誰もの顔に飛んでくる類(たぐひ)の表情がある。話すのを止められないお喋りのやうに、露(あらは)にするのを止めることができない目、鼻、口がある。新聞を買ふ時にも、偉さうな人、脅すやうな人、決然と…
人は何でも知りたいと思ふ。自分が生きてゐる「今、ここ」を超えて、その外側の世界を知らうとする。答へが得られるか否かに関はらず、自分が生まれ落ちたのはどのやうな世界なのかを考へずにはゐられない。世界の果てはどうなつてゐるのか、死んだらどうな…
ベルクソン(1859-1941)の最後の著作『道徳と宗教のニ源泉』は、次のやうな言葉で締め括られてゐる。 Mais, qu'on opte pour les grands moyens ou pour les petits, une décision s'impose. L'humanité gémit, à demi écrasée sous le poids des progrès qu'…
1921年7月4日のアラン(1868-1951)のプロポ。 つづら折りに上つてゆく道。進歩の美しい絵姿で、ルナンが示したのをロマン・ロランが受け継いだ。しかし私には良いものだとは思はれない。知性が、考へ込み過ぎて、多くの事柄で、待つことを旨とした時代のもの…
日本はなぜ戦争に敗けたのか 要らない書物を整理しようとして、『文藝春秋』2005年11月号の特集「日本敗れたり あの戦争になぜ負けたのか」を見つけ、捨てる前に読み返してみた。半藤一利、保坂正康、中西輝政、福田和也、加藤陽子、戸髙一成といふ面々の座…
コロナウイルスへの対応や、アフガニスタン撤退での米国の失態を、中国が民主主義の失敗と宣伝してゐる。確かに、どちらも余り褒められたものではない。民主主義がうまく動いてゐないと見えるのは何故だらうか。 東西冷戦の時代にも、民主主義の弱さが指摘さ…
アラン(1868-1951)の1913年1月10日付のプロポ。 人の性格は互ひに異なる二種類の経験によつて形作られる。物の世界と人の世界といふ二つの世界があるからだ。自分の持物を相手に働く農夫は、多くの物に頼り、人には殆ど頼らない。逆に、長官、副知事、ネクタ…
アラン(1868-1951)が1912年12月2日に書いたプロポ。 最後には信仰といふものが分かるだらう。それで神学論争は終はる。この道を照らすのが偉大なカントの著作だ。しかし彼の著書に読者は尻込みする。それは無理もない所だ。仕事や趣味でカントを読む人達は、…
久しぶりにアラン(1868-1951)のプロポから(1912年11月18日付け)。 昨日、面白い理窟を読んだ。「率直でなければならない。これが最初の義務だ。誰でも自分のあるがままを見せねばならない。そして第一に、自分のあるがままを知らねばならぬ。一人の女に欲情…
The Economist誌が、日本政府がオリンピック開催に固執する理由についての記事を出した。The impulse behind Japan’s decision to go on with the Olympic gamesといふ題で、2022年に冬季オリンピックを開催する中国には負けたくないといふ気持ちなどの「愛…
使ふ側から見た思想の体系について考へた際に、中心には私がゐて、その私は心と身体から成るとしたのだが、心とはどのやうなものなのか、その正体を知ることは容易ではない。心については、心理学者や哲学者が様々な説を述べてゐる。その一つとして井筒俊彦…
斎藤幸平氏の『人新世の「資本論」』を読んだ。いろいろな刺激に充ちてゐる本だ。 「人新世」といふのは、Anthropoceneの訳語で、人類が地球環境に大きな影響を与へてゐることを踏まへて、新しい地質時代の名称として提案されてゐる言葉だ*1。かうした言葉が…
「経済問題は解決する」との予想 ケインズ(1883-1946)が、1930年に『孫たちの経済的可能性』といふ文章を書いてゐる。元々はマドリッドで行はれた講演を文章化したもので、ネットで原文と、山形浩生氏による翻訳*1を見ることができる。 ケインズはこの中で、…
中江兆民は、「わが日本古より今に至るまで哲学なし」と嘆いたが、どのやうな哲学が必要なのかについては、詳しく述べる時間を持てなかつた。これからの日本に必要な哲学とはどのやうなものなのだらうか。 哲学とは 哲学とは、辞典によれば「統一的全体的な…