アランのプロポから

顔を躾ける

アラン(1868-1951)の1922年3月4日付けのプロポ。 誰もの顔に飛んでくる類(たぐひ)の表情がある。話すのを止められないお喋りのやうに、露(あらは)にするのを止めることができない目、鼻、口がある。新聞を買ふ時にも、偉さうな人、脅すやうな人、決然と…

人類の進歩

1921年7月4日のアラン(1868-1951)のプロポ。 つづら折りに上つてゆく道。進歩の美しい絵姿で、ルナンが示したのをロマン・ロランが受け継いだ。しかし私には良いものだとは思はれない。知性が、考へ込み過ぎて、多くの事柄で、待つことを旨とした時代のもの…

物の世界と人の世界

アラン(1868-1951)の1913年1月10日付のプロポ。 人の性格は互ひに異なる二種類の経験によつて形作られる。物の世界と人の世界といふ二つの世界があるからだ。自分の持物を相手に働く農夫は、多くの物に頼り、人には殆ど頼らない。逆に、長官、副知事、ネクタ…

在るものと在るべきもの

アラン(1868-1951)が1912年12月2日に書いたプロポ。 最後には信仰といふものが分かるだらう。それで神学論争は終はる。この道を照らすのが偉大なカントの著作だ。しかし彼の著書に読者は尻込みする。それは無理もない所だ。仕事や趣味でカントを読む人達は、…

あるがままの自分とは

久しぶりにアラン(1868-1951)のプロポから(1912年11月18日付け)。 昨日、面白い理窟を読んだ。「率直でなければならない。これが最初の義務だ。誰でも自分のあるがままを見せねばならない。そして第一に、自分のあるがままを知らねばならぬ。一人の女に欲情…

正義と戦争

Yuval Noah Harari氏の"Sapiens: A Brief History of Humankind"(邦訳「サピエンス全史」)を読み始めた。ホモサピエンスがネアンデルタール人よりも優位に立てたのは大きな社会組織を作ることに成功したからであり、その基礎となったのは神話mythである、…

軍と民主主義

アランの1923年4月10日付のプロポ。 ルイ十四世は組織や代表者による要求と見えるものを受け付けなかつた。しかし一人一人には好意的で、耳を傾けることもあつた。恩恵を求めてゐるのが明らかで、服従が問題にされない場合には、特にさうだつた。私は、部隊…

三つの人種

アランが1921年9月19日に書いたプロポ。 オーギュスト・コントが人種について述べたことは、今も考へてみる価値がある。誰でも自分の周りの人間を、知性、活動、情感のどれが勝つてゐるかで三種に区別できるやうに、人種も活動的な黄色人種、知的な白色人種…

ピラミッドとギリシャ神殿

アランが1923年3月20日に書いたプロポ。 ピラミッドは死を表してゐる。山のやうなその形から明らかだ。重力の働きに任せると積まれた石はピラミッドの形になる。だからこの形はあらゆる建造物の墓なのだ。恐ろしいことに、建築家は意図的に死に従つて建て、…

幸せになる義務

アランが1923年3月16日に書いたプロポ。 不幸せになること、不機嫌になることは難しくない。人が楽しませて呉れるのを待つ王子のやうに座つてゐれば充分だ。幸せを狙ひ、品物のやうにその重さを計らうとする目付きは、全ての物に退屈の色を投げかける。威厳…

精神の型としての時間

アランが1923年3月12日の日付で書いたプロポ。 人の心の働きは、ちよつとしたものだ。誰でも話せるやうになると考へることを身につける。どの国の言葉にも、数、時、所、場合について同じつながりが現れる。これらは私達が物事を探るための型であり、全ての…

他人の痛み

アランの1923年2月20日のプロポ。 何か小さな事故の後で、医師が諸君の顔の皮膚を縫ふ時、小道具の中には消えさうな勇気を呼び起こすためのラム酒が一瓶ある。ところが、大抵、ラムを一杯飲むのは患者ではなく付き添ひの友人で、自分では気が付かないうちに…

厳しい友と優しい友

アランが1923年2月12日に書いたプロポ。 ジャンセニストは厳しい友で、情け容赦がない。諸君の弱さを見ないで、いつも強いところを打つからだ。これは敬意を表してゐるのだ。まさに諸君が拒否できないことを要求するので、恐ろしい。諸君に自由な人たれと求…

変化する自然と動かぬ理念

アランが1923年2月10日に書いたプロポ。 芸術は動かぬものによつて人間の力を表現する。そこにある心の働きに気付けば、動かぬものほど魂の力を示すものは無い。逆に、揺れ動くものはどれも曖昧だ。走る馬は、勇んでゐるのか怖ぢけてゐるのか、突撃か敗走か…

民主主義と戦争

1923年2月8日にアランが書いたプロポ。その一月ほど前の同年1月11日、ドイツの戦後賠償不払ひを理由に、フランス、ベルギーの部隊がルール地方を占領し、緊張が高まつてゐた。 「出来ることなら彼等を諭(さと)せ、諭せないのなら我慢せよ。」どんな事でも最…

集まつて議論することの価値

人が集まつて議論すれば良い考へが得られると思はれてゐるが、本当か。アランは悲観的な意見を述べてゐる。1923年1月19日に書いたプロポ。 人の集まりは私達に全てを求めて何も返さない。色々な団体が、どれも良い目的のものなのに、間も無く何も目指さず、…

人は頭で考へてゐるか

新年にあたり、アランの1923年1月17日のプロポを載せる。 ホメロスの英雄は頭では考へない。思ひを廻らせるのは何時でも胸と横隔膜の間だ。彼の身体の中では二つの力が働いてゐる。腹は飢ゑ、怖れる。飢ゑには勝てないが、飢ゑの力は予測できる。牛、羊、豚…

聖夜

クリスマスイブに、アランが1922年12月20日に書いた文章を載せて置く。 クリスマスの夜、私達は何かを乗り越えるやう促される。この祭は決して諦めの祭ではない。緑の樹の明かりはどれも地上を支配する夜への挑戦であり、揺籠の幼な子は私達の真新しい希望を…

意志

アランが書いた1922年5月20日のプロポを読んで、いろいろと考へる。 綱渡りが、張られた網に落ちて球のやうに弾む時には、もう人間でも綱渡りでもなくて、様々な物の一つとして外の力に委ねられてゐる。重力は、絶えず働いて倦むことなく彼を引き続け、技に…

政治を学ぶ

アランが1921年12月15日に以下の文章を書いてゐる。 誰も親を選んではゐないし、よく見れば友達さへも選んだのではない。選んで背が高く或いは低くなつたのではないし、金髪や茶色の髪になつたのでもない。事実を受け入れて、そこから活動しなければならない…

治められる者のずる賢さ

アラン(1868-1951)が市民の持つべきずる賢さについて書いてゐる(1928年9月8日のプロポ)。革命により得た市民といふ地位は、決して気楽なものではないのだ。革命によつて高まる愛国主義は、しばしば戦争につながる。それを如何に防ぐかといふのがアランの問…

市民の抵抗

アラン(1868-1951)が市民の抵抗について書いてゐる(1927年4月のプロポ)。これだからフランス人はうるさいのだ、と納得するとともに、民主主義のあり方やそれを維持するための手間について考へさせられる。 「法則(法律)とは、諸物の性質から派生する必然…

お伽話の意味

アラン(1868-1951)が1921年9月10日付けのプロポで、お伽話について書いてゐる。 お伽話が正しいのは、外部の秩序は人間の秩序に比べると無視できるものだと考へてゐるといふ点だ。距離は大したものではない。人間は夢の中でのやうに、魔法の絨緞に乗つて、ま…

自惚れと見栄

自分が成功者だとは思はないが、年の初めの自戒として、アラン(1868-1951)のプロポから(1921年9月9日)。 今は引退した、ある有名なバイオリン奏者で、多くの優れた点の中でも常に正確な音を出すといふ特質を持つてゐた人が、バカンスを過ごしたイタリアから…

組織にあつて正気を保つ方法

軍隊といふ組織の中の人間の生態について、アラン(1868-1951)がこんな文章を書いてゐる(1921年12月19日)。 軍の最高司令部の眼が曇つてゐることについては、法廷で驚くべき話が語られてゐる。自分が見たものを報告したことで指導部の構想を乱した部下が歓迎…

人間の囀り

アラン(1868-1951)は、人間の精神が身体に閉ぢ込められてゐるといふ考へを否定してゐた。さうした彼の意見が窺はれる1921年7月21日のプロポ。 人間の精神は、考へを入れた箱のやうなもので、そこから人は必要な考へを取り出す、と見るのは便利だ。しばしば他…

スピノザに倣つて

スピノザには、数は少いが、一流の愛読者がゐる。アランもさうした人達の一人である。スピノザに倣つて、彼が戦争について考へたプロポを読んでみよう。(1921年7月12日) 私は肩に小さな、鳥のやうに軽い手を感じた。スピノザの影が、私に囁(ささや)かうと…

組織の論理

軍隊といふ組織のもつ本質的な非論理性、非倫理性について、アラン(1868-1951)が書いたプロポを読んでみよう。(1921年5月14日) 戦争では、言はれること、書かれたことは、どれも本当ではない。私がまだ仕事に就いたばかりの時、遠くの隊長が電話で尋ねてき…

子供時代の意味

正月の番組で、宮崎駿、養老孟司両氏の対談「子どもが生き生きするために」といふのを放送してゐた。アラン(1868-1951)が1921年5月5日(こどもの日!)に書いたプロポを思ひだす。アランが語つてゐるのは、自然の中の人間ではなく、歴史の中の人間であるが。…

二種類の予言者

アラン(1868-1951)は、気分に任せれば人は悲観的になる、楽観的になるには意志が必要だ、と説いた(1923年9月29日のプロポ)。同じ趣旨の事を、1914年2月6日のプロポでは、予言者の二つの類型といふ形で述べてゐる。 人が既に知つてゐること、知りすぎてゐる…