2009-01-01から1年間の記事一覧
Florence Caeymaex の "Sartre, Merleau-Ponty, Bergson : Les Phénoménologies existentialistes et leur héritage bergsonien" を読んでゐる。ベルクソンの哲学は立派なのに、何故、メルロ・ポンティはフッサールの方を重んじたのか、不思議だつたので、買…
小林秀雄(1902-1983)が、フランスの思想家について、こんなことを書いてゐる。(『アラン「大戰の思ひ出」』 昭和15(1940)年) ジイドにしても、アランやヴァレリイにしても、その分析や類推には、いかにもフランス人らしい鮮やかさや纖細さがあつて、先…
Economist 誌が、発展途上国における携帯電話の利用拡大についての特集を組んでゐる(Sept.26-Oct.2,2009)。携帯電話の加入者数は、2008年には40億人に達してゐるが、そのうち30億人は途上国だといふ。アフリカでも、2009年3月までの1年間に、1億件近い新規加…
アラン(1868-1951)は、気分に任せれば人は悲観的になる、楽観的になるには意志が必要だ、と説いた(1923年9月29日のプロポ)。同じ趣旨の事を、1914年2月6日のプロポでは、予言者の二つの類型といふ形で述べてゐる。 人が既に知つてゐること、知りすぎてゐる…
野中広務氏(1925-)、辛淑玉氏(1959-)の『差別と日本人』を読む。差別といふ難しい問題を扱つた本だが、よく売れてゐるらしい。何に関心を持つて、この本を手に取るのだらうか。読み終はつて、どのやうな感想を持つたのだらうか。Amazon.com のカスタマーレビ…
アラン(1868-1951)は、既存の宗教を信じてはゐなかつたが、その効用は認めてゐた。さうした考へが現れてゐる文章の一例。1914年1月31日のプロポ。 これは、白髪の友達から聞いた話で、彼女は田舎に引つ込んで、汚れた子供たちに教理問答書を習はせてゐた。こ…
NHKの番組、『追跡!A to Z「ニッポンは勝ち残れるか 激突 国際標準戦争」』を見る。日本の超高圧送電技術を世界標準にするための、関係者の努力には頭が下がるが、世界を相手にした日本の交渉術について、非常に心許ない思ひがしたのも事実である。…
河上徹太郎『吉田松陰 武と儒による人間像』に眼を通す。幾つか、興味深い部分を引いて置かう。講談社文芸文庫から引用するので、「現代仮名づかい」。 これらの明治大正の文化的エリート(*)の著作を見ていると、わが文学の本質的な在り方が旧幕以来のそれと…
6月26日付の Science 誌に、"Antibiotics in Nature: Beyond Biological Warfare" といふ記事が出てゐる。抗生物質は、カビや放線菌などが作る物質で、他の微生物を抑制する作用を持つものを指し、ペニシリン、ストレプトマイシンなどが有名だが、最近1…
昨日の朝日新聞朝刊で印象に残つた記事。 ひとつは、コラム「被爆国からのメッセージ」3に載せられた、被爆医師の肥田舜太郎(ひだしゅんたろう)さん、92歳のお話。軍医として広島陸軍病院に赴任中に被爆。今年3月に医師を引退するまで6千人超の被爆者…
6月5日付の Science 誌に、"Did Warfare Among Ancestral Hunter-Gatherers Affect the Evolution of Human Social Behaviors?" 「先祖の狩猟採集民の間の戦ひは、人間の社会的行動の進化に影響を与へるか」といふ Samuel Bowles 氏の論文が載つてゐる(Vol…
2009年5月14日号の"Nature"誌に、Martin Heisenberg といふ生物学者が、「自由意思は幻か」といふ題のエセーを書いてゐる(p.164-165)。最近の神経科学の成果を元に、自由意思に否定的な議論が出てゐるが、かうした議論を否定した文章だ。 その論拠と…
最近は余り聞かなくなつたが、「自分に素直に」といふ言葉が流行つたことがある。若い人達は、この言葉で、何を考へてゐたのか。アラン(1868-1951)が、1913年11月17日に書いたプロポを読んでみよう。 もし、蓄音器が、突然、諸君に罵詈雑言を浴びせ始めたら…
2008年11月20日号の"Nature"誌に、「海生動物プランクトンの走光性の仕組み」(Mechanism of phototaxis in marine zooplankton)といふ論文が載つてゐる(p.395)。動物の眼で最も単純な「眼点」は、1個の光受容体細胞と1個の遮光性色素細胞といふ2個の細胞から…
アラン(1868-1951)が1913年9月10日に書いたプロポを読んでみよう。 ブリュイエールだつたと思ふが、良い結婚といふものはあるが、甘く美(うるは)しい結婚などない、と言つた。私達人間は、これらの偽モラリスト達の沼から抜け出さねばならないだらう。彼ら…
アラン(1868-1951)が言葉の魔力について書いたプロポを読んでみよう。(1913年8月19日) 呪(まじな)ひは、言葉から来る。言葉には、仕草や顔の動きが伴ふのが常で、言葉の表現する力を増す。呪ひは表現することから来るのだ、とも言へよう。物につ…
アラン(1868-1951)が第一次世界大戦の前に書いたプロポを読んでみよう。(1912年11月8日) 大半の人々は、平和を愛する。恐れからといふよりも、秩序と平静を好むからだ。この好みが自然なものでなかつたとしたら、人間が動物や諸物に君臨することは…
今年はダーウィン(1809-1882)生誕200年だ。アラン(1868-1951)も、ダーウィンの熱心な読者だつたやうで、こんな文章を書いてゐる。(1912年5月15日付のプロポ) このところ、ダーウィンを読みながら、この豊かな哲学者の美しさに捉へられてゐた。こ…
Nature 誌2008年11月20日号に、"Beneath the surface" といふ記事が出てゐる。日本語の抄訳版から、興味深い点を引用しよう。 多くの生物学者は、意識的かどうかはさておき、生体システムを最適状態に調整されたものとして考える傾向がある。ある種…
アラン(1868-1951)が、1910年12月4日付のプロポで、こんなことを書いてゐる。 何かの事故で少しばかり皮や肉を取られると、この私のかけらは、すぐに死んでしまふが、だからと言つて、このかけらが、分けることのできない生命の一部なのだと考へては…
1月9日付の Science 誌(Vol. 323. no. 5911, p. 195)に、fMRI画像が、裁判の証拠として使はれようとした話が載つてゐる。工場の事故で化学的な火傷を負つた人が、その結果、慢性的な痛みを感じるやうになり、補償を要求した事案で、その弁護士が、痛みを感…
讀賣新聞のコラム「時代の証言者」に元野球選手の張本勲氏の話が連載されてゐる。先日の第2回では、4歳の時に右手に負つた火傷の話だつた。有名な逸話のやうだが、感じた所を記す。 話は、かうだ。戦時中の食糧難の時代に、山で掘つた芋を焼いて飢えを凌い…
小泉信三(1888-1966)の『海軍主計大尉小泉信吉』を読む。戦争で亡くした一人息子を悼んで書かれたもので、当初は、三百部限定の私家版で出されたもののやうである。末尾に、昭和十八年春-同十九年四月二日とあり、戦死の報が届いたのは、昭和十七年十二月四…
アラン(1868-1951)が、1910年4月4日付のプロポで、プラトンの『国家』について書いてゐる。("Propos I" Biblioteque de Pleiade, p.72-73) プラトンは自己抑制について、素晴らしいことを言ひ、内面の統制は貴族的でなければならないことを示してゐる…
Milic Capek(1909-1997) の"The Philisophical Impact of Contemporary Physics"(1961)を読む。大変におもしろい本だ。日本語の翻訳は出てゐないやうだが、日本でももつと知られてよい本だと思ふ。一言で言へば、相対性理論と量子力学によつて、古典力学の基…
アラン(1868-1951)が、1909年11月13日付のプロポで、慈善家が極貧の人達に向つてするお説教が大嫌ひだと書いてゐる。貧しい人達は、目の前の出来事で精一杯なのだ。ある種の良い行ひは、既に強ひられてをり、その他の良い行ひは、不可能なのだ。 余…
2009年は、ダーウィン(1809-1882)生誕200周年、『種の起源』出版150周年に当たり、科学雑誌などでも特集が組まれてゐる。進化論といふのは、非常に強力な理論で、その適用範囲も幅広い。例へば、アラン(1868-1951)は、1908年9月1日付のプロ…