精神医学研究の新しい手法

昨年3月の"Science"誌に、精神医学研究の新しい手段についての記事が出てゐた("The future of psychiatric research: genomes and neural circuits" 26 march 2010 Vol 327 pp 1580-1581)。ゲノム解析と神経回路の分析の二つがそれだ。

ゲノム解析
解析が高速化し、費用が下がるにつれて、多くの患者の完全なゲノムを解析する事が現実的な方法となつて来た。統合失調症鬱病自閉症などの精神疾患をもたらすゲノムの変異は、少なくとも数百あると考へられてゐる。様々な原因が、一つの病名で診断される症状を生む。全ての患者に共通する異変を探すといふ方法では、成果が期待できない。多数の患者のゲノムを解析し、統計的な手法により、どのやうなゲノム変異の組合せにより発病するのかを調べるといふ方法が有効である。

神経回路の分析:
鬱病では前頭葉の subgenual cingulate(ブロードマンの25域)が、不安状態では扁桃体が、それぞれ過敏となり、強迫性障害では線条体に異常があることが知られてゐる。最近の技術進歩で、神経回路を選択的に分析する手法が出てきて、正常な神経回路と病的な神經回路の接続状態を比較することが可能になりつつある。例へば、光を使つて、実験動物のニューロンをオン・オフするといふ方法が開発されてゐる。拡散テンソル画像法(Diffusion Tensor Imaging)など、人間にも適用可能な手法も出て来た。

かうした技術の進歩は、脳の状態と精神疾患との関係をより具体的に明かにし、治療法の開発にも役立つだらう。

コメントを二つ。

第一、双方とも、コンピュータによる解析が基礎となつてゐる技術だといふ点。脳のやうな複雑なシステムを解析するためには、コンピュータの利用が欠かせない。専門分野に係はらず、科学者にとつて、コンピュータ応用についての基礎知識が不可欠になつてゐる。

第二、かうした研究により、脳と心との関係がより詳細に分つて来るだらうが、それは脳によつて心が生れることを必ずしも意味しない。心といふ言葉で表現されてゐる現象と、脳の活動と、どちらが大きく、複雑な現象だらうか。例へば、赤い色を見てゐる人の、赤い色を見てゐるといふ感覚と、その脳の活動とを比較するとどうか。赤い色はこの人の外にある。赤い色の感覚は、赤い対象と人間との相互作用の結果と言ふべきだらう。そして、脳の活動は人間の一部に過ぎない。だとすれば、脳の活動から赤色の感覚を引き出すことは無理ではないか。