軍と民主主義

アランの1923年4月10日付のプロポ。
ルイ十四世は組織や代表者による要求と見えるものを受け付けなかつた。しかし一人一人には好意的で、耳を傾けることもあつた。恩恵を求めてゐるのが明らかで、服従が問題にされない場合には、特にさうだつた。私は、部隊長達を観察して本物の権力を知つてから、かうした事柄がよく分かつた。どの部隊長も下位の者達を極めて厳しく支配し、責任を取らせ、何も渡さなかつた。不服を申し立てられることなく紙一枚で郵便担当下士官を砲手長に就かせ、ワインを計つてゐる人間を砲撃観測所に送ることができれば、難しい事ではない。部隊の人間は、個人の立場で話せば簡単に受け付けられ、何時でも話を聴いて貰へた。しかし、戦友を代弁してゐると見えれば、スープについての不平を述べるのでも、力づくや脅しで直ぐに追ひ返された。私達の政治で力を持つ人達は全くこの逆を行つてゐる。しかし、多少とも頭があれば、やがてこの体制そのものが革命的であることが判り、いつも上に述べたやうな軍隊の権力を羨むだらう。恩恵さへ与へれば人が思つてゐる以上に愛され、命令はどんなものでも即座にほぼ自動的に遂行されるのだから。
軍隊の権力は、大きな動きでは、文民の権力に従ふ。しかし、軍制と階級については、さうは行かない。大臣は、軍人でなければ、この大きな機構を前にして部外者だと感じ、秩序を乱しはせぬかと心配になるだらう。そこでは文民の制度を統べるのとは全く異なる原則により全てが統制されてゐるのだ。同時に、大臣はあの王達の恐怖を味はふ。摂政だつたと思ふが、ある王が述べてゐた、全てを容易にする部隊の服従が、突然失はれるかもしれないと考へると感じる恐怖を。かうして軍は服従すると見えるが、実際は支配してゐる。実際に服従はするが、組織としては、ルイ十四世時代のやうに当時と同じ手段で、全てに命令を下す。その性質に従つて自らの存続だけを考へてゐるのだが、それで事は足りる。この階層構造の組織は、養はれることを求める。もつと上手く言へば、待つことなく、待つことができずに、自らを養ふ。 補給用の車両、准尉の視察、営倉の監視、衛兵の交代、全てが揺るぐことなく進み、既成事実と同じやり方で自分に引き付ける。軍人は何も提案しないし、求めもしない。在るのだ。その力強い在り方で、全ての存在を方向付けるのだ。組織化や変更、政治組織のやうな計画に依るのではなく、シーザーやアレキサンダーの時代と同じく、組織として出来上がり動かせないものとして。また、政治的な軍人が政治を動かすのではない。彼は色々な考へを持ち雄弁な人間だが、そのため、政治的な条件に従ふことになる。支配する軍人は、政治を行ふのではなく、行ひたいとも思はず、政治に係はらないことを自慢する。彼は命令を待つ。しかし補給を待つことはない。切り離されてをり、大食ひなのだ。その力であらゆる場所を占領し、茂みの鹿のやうに、そのゐる場所の全てに自分の形を伝へる。かうした原因から、文民政権の従順さが理解できる。物を知らないか全てを混同してゐる時には無闇に言ひ争つてゐて、決意を固め先が見えるに従つて、直ぐに無言で従ふ。かうして、内政の問題は全く外政の問題に従属してをり、人々は平和を追ひ求めることで自由を見出し、他の道はないのだと分かる。
 
軍隊は物理的な力で国を守るための組織だ。その力は本来、外に向くものだが、国内の政治的腐敗などに我慢ができなくなると、内に向かつて使はれることがある。これが途上国で見られる軍事クーデターで、日本でも戦前には起こつた。国際的な平和が揺らいで来ると、軍隊は不可欠になる。しかし、アランが言ふやうに、軍隊は民主的な政治原理とは異なる原則で動き、その存在が大きくなると自由が抑制される。
 
北朝鮮のやうな国で生じてゐるのは、まさにさうした現象だ。現実のものであらうと為政者の宣伝に因るものであらうと、自ら招いたものであらうと外国の侵略的な動きに因るものであらうと、外の脅威が高まつたと感じられると、軍の力が強くなる。政治指導者は軍の反乱を何より恐れるので、外の脅威を強調して国内の反対意見を抑へようとする。国内の不満を抑へるため、宣伝で自らの正当性を印象付け、異論は力で抑へ込む。軍事的な原理の力が更に高まり、自由は遠くなる。

 

シリアの内戦の話を聞くと、秩序の安定が人々の幸せに如何に重要かが良く分かる。強圧的な政権でも、無くなつて秩序が維持できなくなると、人々にとつては更に酷い事態が生じる。悪法も法であり、従はねばならぬといふ考へ方は、秩序維持の大切さから出て来る。

 

民主的な政治が平和を保障するといふ意見がある。しかし、アランが言ふやうに、文民は従順で、国の危機を前にすると好戦的になる。戦前の日本では新聞の扇動もあり、世論は好戦的だつた。最近では9.11の後の米国の世論がその例だらう。

 

かくて、自由への道は険しい。アランが説いてゐるやうな軍と自由との関係を良く理解することが、第一歩になるだらう。歴史から学ぶことも欠かせない。今の日本の自由がどのやうな条件で成り立つてゐるのかを反省してみる事も無益ではあるまい。

USBと電源(iFI iUSB3.0賛)

現在のシステムはMacBookAirからaudirvana+で出したデジタル信号をiFIオーディオ社のmicro iDSDでDA変換し、タイムドメイン社のYoshii9で聴くといふもので、Yoshii9の電源にはsamizuacoustics社のパワーラインフィルタを繋いである(初期の製品だけど)。従来、DACにはDevilsoundを使つてゐて、これは素晴らしい製品なのだが、生産中止になつたし最近話題のハイレゾが聴けない。T-Loopさんの試聴会で聴いたDSDの音が気に入つたので、自分でも試してみたいと思ひmicro iDSDに切り替へた。ハイレゾの音源は高価なので、無料や特価のお試し音源などを少し聴いてゐた。

 

そんな折、iFI社がnano iUSB3.0といふ製品を出した。ノイズキャンセルの技術を使ひUSBの電源ノイズを極めて低く保つと共に、USBの信号をリクロックして信号の形を整へジッターを抑へるといふ製品だ。タイムドメインの熱心なユーザーにはDACなどを自作する方々もをられるが、さうしたユーザーのブログで勉強させて貰つた印象では、ジッターの影響は大きいらしい。しかし、自作は無理だ。nano iUSBは、兄貴分のmicro iUSBと比べると出口が1組しかなく、電源ノイズレベルが高く(それでも0.5μVだ!)、アース分離の機能は持たない。しかし値段は半分の3万円程度だ。これならダメでも諦められる額だからと、早速購入。その効果は素晴らしい、の一言。

 

低音のレンジが延びる。しかもタイムドメイン特有のキレがあり弾むやうな低音だ。低音だけでなく、全ての音の鮮度、存在感が一段上がつたと感じる。拙宅のYoshii9は居間のテレビの両側に置いてあるため、両スピーカーの間隔が1.8メートル程あり、その上、横長の部屋の中心から外れてゐるので、これまでは音が広がり過ぎたり、音源によつてはスピーカーの中央から外れたとんでもない所から音がしたり、といつた問題を抱へてゐた。さうした問題も、かなり改善された。

 

嬉しくなつて調子に乗り、iUSB3.0と一緒に使ふと良いといふGEMINIデュアルヘッドUSBケーブルまで買つて仕舞つた。電源と信号を分離して送るといふケーブルだが、決して安くはない代物。だが、付けてみると確かに効果が感じられ後悔はしないのだから、大したものだ。

 

ノイズキャンセルなどの技術を過渡的な信号に適用することには疑問があるが、考へてみると電源はそもそも信号ではなく一定の方が良いのだから、効果があつて当然だ。USBの信号も、一定間隔で0か1が来るのだから、今の技術を以つてすれば整形できても不思議ではない。ともかく、パソコンからUSB経由で音楽を聴いてゐる人には強くお勧めする。タイムドメインMINIやLightより高価だが、タイムドメインからの音が何倍も良くなるのだから、余裕がある人は是非どうぞ。

 

それにつけてもタイムドメインの素晴らしさよ。入力する音が良くなれば良くなるだけ音が良くなる。アンプもスピーカーも、雑音を抑へ色づけしない素直なものだからこそ、信号の良し悪しがそのまま分かるのだ。

三つの人種

アランが1921年9月19日に書いたプロポ。

 

オーギュスト・コントが人種について述べたことは、今も考へてみる価値がある。誰でも自分の周りの人間を、知性、活動、情感のどれが勝つてゐるかで三種に区別できるやうに、人種も活動的な黄色人種、知的な白色人種、感情的な或いは愛情深い黒色人種に分けることができる。しかし、この差は従属的なものと理解すべきだ。愛、憎しみ、嫉妬、熱狂、希望、後悔、喜びや悲しみの感情が、肌の色に係らず、その原因から経過まで全ての人で同じであるやうに、また、仕来り、習慣、手法、労働、粘り強さといふ活動についての決まりが、肌の色に係らず誰についても同じであるやうに、知性は誰でも同じだ。幾何学は誰にとつても同じであり、天文学は誰にとつても同じで、最初の印でそれと分かる。私はといふと、様々な肌の色の下に兄弟である人間を認めるのに何の苦労も要らなかつた。気付けば私達の周りにゐる人々も様々なのだ。外に獲物を探す黄色人種的と言へる注意力は白い肌の顔にも見られるし、美しい眼の黒色人種の忠誠心も同様だ。誰でも、行動を企てる時も情念を反芻する時も、知性が優位にある。知的なタイプは白人では普通だが、これが他のよりも優れてゐると決めつけてはならない。かうした議論は、栗毛と金髪とどちらが良いか、農民と都会の人では、詩人と打算的な人ではどうか、と問ふのと同様に無意味だ。それぞれに自ら実現すべきそれなりの理想像がある。専制君主的な精神は、自分の反映を探し求め、ドイツ人も黒人も拒む。人種を発明し、軽蔑しながら生きる。私にはさうした病は無い。違ひや多様性が好きだ。
まだ若い黒人達に驚くやうな暴力と怒りの激しさを見たことがある。しかし長くは続かないで、信頼、愛情、感謝が子供のやうな微笑とともに戻つて来たものだつた。彼等は、理解し忘れない十分な能力を持つてゐたが、知性の強さは無かつた。これはどの人種にも稀なものではあるが。私にはその訳がよく分かつた。彼等は何でも構はず理解しようと狙ふ好奇心を持つてゐないのだ。しかし、愛するよりも考へることを好む私達の人間の型にも、他の型と同様に調和のある文化が必要であり、野蛮なままでは別種の怪物になると、私には思はれる。私達が全世界に数学を教へ、黄色人種が私達に行動を教へ、黒色人種が私達に忠誠を教へたとすれば、この取引で誰が一番得をするだらうか。皆が得をする。人類を形作るには、三つの人種の協力が必要なのだらう。
黒人の召使を知つてゐる人々は、素晴らしい事実を語る。黒人の乳母が乳飲児を自分の子供のやうに愛し、不運な時にも迷はず後悔せず幸せにさへ感じて忠誠を尽くすのは、決して稀ではない。かうした広い心の人達が肖像画などの手放すことの出来ない思ひ出の品を大切にし、金銭を軽蔑するのは普通のことだ。どんな茶番を演じても、何時でも用心が気持ちに勝つ私達の所では殆ど信じられないが。この単純過ぎる定式化に拠つても、両者のどちらが主人となりどちらが奴隷となるかが決められるだらう。怒りが愛情に近いことや、復讐にある忠誠心を考へれば、結局冷たい白色人種が最初に世界を統べるのが分かるだらう。知性はある意味で価値の小さなものだ。しかし全ての価値から王と崇められる。朽ちることのない知性によつて全ての価値が認められるからだ。

 

アランが言及してゐるコントの人種に関する説は『実証政治体系』Système de politique positiveや『実証主義の教理問答』Catéchisme positiviste に見られる。前者の該当部分には、かう書かれてゐる。

 

私達が通常の状態で私達の性質の基本的な三つの側面を合はせ持つやうになるまでの間、教育の三段階は人類の三つの種によつて体現されるだらう。実際に、黒色人種、黄色人種、白色人種は、それぞれ感情、活動、知性に優れることで特徴づけられる。この多様性はそれぞれの人種の呪物崇拝、多神教一神教に対する目立ち長続きする傾向に合ふもので、一族の結束、市民の集団行動、宗教的調和を促進する。

 

アランはコントを高く評価してゐた。社会学の祖としての部分だけではなく、一般には否定的な意見の多い「人類教」に係る晩年の思想も重んじてゐた。アラン自身もHumanitéを価値の中心に置いてゐて、上の文章にある感情と行動と知性の均衡が必要だといふ考へ方も、コントの主張に極めて近い。

 

かうしたコントの晩年の思想については、伊達聖伸氏の下記の論文が参考になる。
「死者をいかに生かし続けるか オーギュストコントにおける死者崇拝の構造」

 

「冷たい白色人種が最初に世界を統べる」のは、三人種の特徴からして必然的な結果だとアランは書いたが、最近の中国の台頭を見たら何と言つただらうか。それはともかく、中国が世界の真の指導者となるためには、行動だけではなく、知性と情愛とを合はせ持つことが不可欠だらう。

ピラミッドとギリシャ神殿

アランが1923年3月20日に書いたプロポ。

 

ピラミッドは死を表してゐる。山のやうなその形から明らかだ。重力の働きに任せると積まれた石はピラミッドの形になる。だからこの形はあらゆる建造物の墓なのだ。恐ろしいことに、建築家は意図的に死に従つて建て、永く続くことを狙つた。まるで生きるのが束の間の乱れであるかのやうに。鎖に繋がれた様々な像もそれを示してゐるが、ピラミッドの方が永遠の不動のさらに完成した姿だ。そして、見る者に、感じることも見つけることも出来ないミイラを知らせる。想ひと姿が一致してゐて、一目見たら、人はあらゆる部分を一度に打たれ震はされる。ピラミッドは見て最も美しいものだと聞くが、確かにさうだらう。
ギリシャの神殿は生を表してゐる。全てが重力に逆らつて企てられ建てられてゐる。柱の縦横の比や各部分が、支へであることを語る。ここでは石工の印である直角が支配的だ。何も崩れない。重さのあるもの全てが、地面に落ちて盲目的な力により山形になることを拒んでゐる。神殿を廻る心躍る柱廊、壁が抜かれ風が通ふ命の道であるポルティコが、それを示してゐる。大胆に持ち上げ支へられた屋根は、鋭い先端で空中に留まり、屋根の傾斜は、服従を代償とした永続を拒んでゐるかのやうだ。人間に相応しい均整の取れた努力、活発な思考だ。人知を超えた、計り知れないものを求めてはゐないのだから。ソクラテスプラトンは、この人間の家に微笑んでゐた。測量士の印、幾何学者の印だが、人間から離れ、別の印、逞(たくま)しい神が自由に動くに任せる。生命と融和した思考の完璧な絵姿だ。高い場所で神殿は人間のやうに呼吸してゐる。円柱の間に、地上の道と海上の道が、切れ切れに動くのが見える。清々しい空気と眺めで群衆が活気づく。法則が発明を支へる。ここでは列を成す者達が思ひを巡らせるので、フリーズは小さな衣紋からも感じらるやうに多様で優美だ。全ては幸せな自由、忘却と再生を歌つてゐる。何もかもが若々しく冒険心に富む。全てが「異教的」だ。この言葉は一度しか意味を持たなかつた。この美しさは今日でも語りかける。空になつた神殿は今だにその円柱の辺りや階段の上に競技者の叫びとオリンピックの活気を放つ。謎に満ちた墓ではないのだから、決して外から内ではなく、内から外だ。精神の墓ではなく、むしろ精神はそこで一瞬一瞬に再生し、飛び去る。何時でも馬を馬車に繋ぎ鞭を執る活動的なアテネ神のやうに。見張る精神の四方に開けた棲家だ。屈せず微笑む形。世界にただ一つの法則による自由の姿だ。

 

小林秀雄が昭和36(1961)年の「ピラミッド」といふ文章に、「エヂプトとギリシアの美の姿の相違について、非常に激しい感覺を經驗した」が、その後で読んだヴォリンゲルの『抽象と感情移入』に「當時の言ひやうのない自分の感覺が、巧みに分析されてゐるやうな氣がして、面白く思つた。」と書いてゐる。

 

ヴォリンゲルは、この本の中で、かう述べてゐる。

 

 ピラミッドの生命のない形や或はビザンチンのモザイクなどに現われているような生命抑壓を想い浮かべるならば、ここでは感情移入の要求が藝術意欲を規定しえた筈はないということは直に判明する。というのは、感情移入の要求というものは常に有機的なものに向うものであるということは解りきったことだからである。そればかりではない、ここでは、感情移入の衝動に全く正反對な、むしろ、この衝動を滿足させるようなものはこれを遠慮なく抑壓しようとするような一種の衝動が現われていると考えざるをえないのである。
 この感情移入に對する反對極として現われるものが抽象衝動なのである。
岩波文庫版 31~32頁)

 

 ところでこの抽象衝動の心理的前提とはいかなるものであろうか。それはさきの諸民族が有する世界感情のうちに、即ち宇宙に對する彼らの心理的態度のうちに求められる。感情移入衝動が人間と外界の現象との間の幸福な汎神論的な親和關係を條件としているに反して、抽象衝動は外界の現象によって惹起される人間の大きな内的不安から生まれた結果である。またそれは宗教的な關係においては、あらゆる觀念の強い超越的な調子に一致するものである。吾々はこのような状態を異常な精神的空間恐怖と呼びたい。
(同33ページ)

 

 抽象衝動においては、自己抛棄の強さは比較にならないほど大きな、そして徹底的なものである。この場合それは感情移入の欲求におけるように、個人的存在を抛棄しようという衝動によって特徴づけられるのではなくして、必然的なもの、確固不動のものを觀照することによって、人間存在一般における偶然的なもの、即ち一般の有機的存在に現われる恣意を抛棄しようという衝動によって特徴づけられている。即ち生命そのものが美的享受の障碍と感ぜられるのである。
(同43ページ)

 

抽象衝動は人間の無力さの表れだと言へるが、人間を重んじるアランは、法則による自由を形にしたギリシャを一つの理想として見てゐる。

幸せになる義務

アランが1923年3月16日に書いたプロポ。

 

不幸せになること、不機嫌になることは難しくない。人が楽しませて呉れるのを待つ王子のやうに座つてゐれば充分だ。幸せを狙ひ、品物のやうにその重さを計らうとする目付きは、全ての物に退屈の色を投げかける。威厳はあるのだ。どんな捧げ物も歯牙にかけない力があるのだから。だが私には、庭の子供達のやうに僅かな物で巧みに幸せを作り出す民草への苛立ちや怒りもそこに見える。私は逃げ出す。自分自身に退屈してゐる人の気を晴らすことはできないと経験が教へてくれたから。
逆に、幸せは見てゐて気持ちが良い。一番美しい眺めだ。子供よりも美しいものが何かあらうか。ただ、子供は丸ごと遊びに入り込み、人が遊んで呉れるのを待つてはゐない。確かに、膨れ面(つら)の子供は他の一面を見せて、どんな楽しみも受け付けない。だが、幸ひ子供は直ぐに忘れる。他方で、誰でも、膨れ面を止めない大きな子供達を見たことがあるだらう。 彼等にちやんとした訳があるのは分かる。いつでも、幸せになるのは容易ではない。それは多くの出来事、多くの人々と戦ふことなので、負ける事もあるだらう。確かに、乗り越え難い出来事があり、見習ひストア主義者の手に余る不幸がある。しかし、全ての力を尽して戦ふ前に負けたと言ふべきではないのは、明らかだらう。何よりも、私には疑ふ余地がないと思はれるが、人は幸せにならうとしなければ、さうなることは有り得ない。だから、自分の幸せを目指し、作り出さねばならない。
もつと言ふべきなのは、幸せになるのは他の人達に対する義務でもあることだ。人はよく、幸せな人だけが愛される、と言ふが、このご褒美は正しくそれに値するものなのだ。私達の誰もが吸ふ空気には、不幸、退屈、絶望が漂つてゐる。だから、毒気に負けないで、その力強い模範で共同生活を清めて呉れるやうな人達には、感謝し桂冠を捧げるべきだ。また、幸せになるといふ誓ひは、愛の最も深いところにある。愛する人の退屈、悲しみ、不幸せほど耐へ難いものがあらうか。幸せは、自ら手に入れる幸せのことだが、何よりも美しく豊かな贈り物だといふことを、男も女も誰もがいつも思ひ起こさなければならない。
私は、幸せになると決めた人達に報いる市民褒賞を提案したいとさへ思ふ。私の意見では、昨今の死者、廃墟、馬鹿げた浪費、予防策としての攻撃は、全て、自分は幸せになる術を知らず、幸せにならうとする他の人達が我慢ならない者等の仕業なのだから。私は子供の頃、身体が大きく、負かしたり突きとばしたりするのが難しく、なかなか動じない類の一人だつた。悲しみや退屈のため痩せた身体の小さな子が、私の髪を引つ張つたり抓(つね)つたりして馬鹿にすることがよくあつた。結局、その子は容赦ない一発を喰らひ、全ては止んだ。今、戦争を予言し準備する小人等に気づくと、私は彼等の言ひ分を吟味したりはしない。人々が平穏無事なのが我慢できない意地悪な霊について良く知つてゐるから。また、穏かなフランス、穏やかなドイツは、私の眼には、一握りの意地悪な子に悩まされ、遂にかつとなつた頑丈な子だと映る。

 

この文章でアランは、幸せになることは他人に対する義務だといふ論を展開してゐます。アランの『幸福論』にも納められてゐるので、読まれた方もあるでせう。

 

文中で、「昨今の死者、廃墟、馬鹿げた浪費、予防策としての攻撃」と訳した部分は、広くは第一次大戦について述べてゐると思はれますが、このプロポが書かれた年の1月に起きたフランスによるルール地方の占領を念頭に置いてゐたのかも知れません。

 

ルール地方占領は、ドイツの賠償不払ひに対する策としてフランスがイギリスの反対を押し切つて実行したものですが、ドイツ側はストライキなどで抵抗し、ドイツ経済は混乱の度を深め、フランス側も得るところ無く2年後に撤退しました。

 

当時の日本の新聞は、以下のやうに報じてゐます。(大阪時事新報 1924年1月15日。神戸大学附属図書館の新聞記事文庫に拠る。)

死者百三十二名、獄に投ぜられたるもの二千名、追放されたるもの十萬人、總損害額四十億金馬克(マーク)、之が佛國のルール占領一年間に獨逸の被つた純損害高である、之に加ふるに獨逸の産業及び財政は依然として混亂の狀態を呈して居る

 

精神の型としての時間

アランが1923年3月12日の日付で書いたプロポ。

 

人の心の働きは、ちよつとしたものだ。誰でも話せるやうになると考へることを身につける。どの国の言葉にも、数、時、所、場合について同じつながりが現れる。これらは私達が物事を探るための型であり、全ての経験、あらゆる考へごとの型なのだ。知るとは、私達それぞれの印象を分かち持つた言葉に合はせるといふことだ。伝へられない事は未だ何にも成つてゐない。たつた一人で考へる人でも、全ての人と共に全ての人の為に考へてゐるのだ。疑ふ人も、全ての人と共に全ての人の為に疑はうとする。分かち持たれた考へを否定するのは、どんな否定でもそれ自体が分かち持たれる考へであり、伝へられるものだ。さうでなければ、何物でもない。
物事を数へ挙げて何が分かち持たれてゐるのかを言はうとすると、拠り所がなくて議論が尽きないことは、よく知られてゐる。ここは注意が必要な所だ。幾何学者の証明は、或いは物理学者のでも、弁護士のでも、全ての人が同じ心の働きを持つことを前提としてゐる。しかしここでは証明の証明を目指してゐる。恐らく高望み過ぎるだらう。問題はおほよそ次のやうなものだ。一人の心と他の人の心には分かち持たれたものが何も無いと仮定して、つまりこの世に可能な証明など無いとして、この仮定を守りながら、一つの証明を見い出せ。この弁証法の段は辛抱して頂きたい。数行に収まるし、それで十分なので。ここにぶつかると、判断力により心を決めて障碍を跳び越すことになる。つまり、敢へて何かを考へるかどうかで迷ふよりも、信頼できる模範に従つて人間的に考へ、どう考へたかを述べる方が良い。教養といふ全ての時代の思想家との対話だけが其処に導く。哲学者に限らない。そこでは仕事が全て済まされてゐるが。物識りとも限らない。出来事による証明は乱暴なもので、思想といふただ美しいものを掴むことを妨げることが多いからだ。人間の心の働きは詩人にも、小説家にも、政治家にも、声を出さない文化財にさへ現れる。ホメロスに証明は無い。タキトゥスにも、バルザックにも証明は無い。しかし、誰もがそこに自分の姿を見るので、疑ひは晴れる。何でも証明しようといふ強迫症が癒える。偉大な作者を読む者は人の心の働きを見つける。それも讃嘆者、注釈者、文法学者の長い列による保証付きだ。文法学者が一番劣るのではない。
かうした考へに立ち戻つたのは、最近、アインシュタインに対する物理学者のかなり激しい攻撃文を読んだからだ。そこには、彼の有名な相対性の理論は馬鹿げてゐると書かれてゐた。私はさう言ふのは早すぎると思つた。しかし普通の言葉でなされた説明には、弟子のものでも考案者自身によるものでも、馬鹿げた所があるのは認めねばならない。時間がここでは早く進み、あちらでは遅く進むといふ考へにいつでも出喰はすからだ。時計については良く分かる。しかし時間に早さがあるといふのは受け入れられない。この言ひ方は拙い。二頭の馬が異なる速度で走るといふのは、それぞれの動きと共通の時間との関係を含んでゐる。例へば、二頭は同時に走り出し、一方が他方よりも早く馬場を走り切る。従つて共通の時間が速度の証人なのだ。共通の時間を取り去れば、速度は無くなる。ここで人は私に共通の時間が存在することを証明せよと求める。だが、私は時間が対象物のやうに存在するのだとは思はない。むしろ、唯一の時間はどんな人の心にもある型なのだと言はう。もし人がこれを否定するなら、試みとして先づ、唯一の時間に関係づけることなく二つの異なる速度を考へてみるやう提案する。しかし、かうした簡単な意見は相手にされないだらう。

 

ここでアランは、物事の正しさはどのやうにして証明されるかといふ話をしてゐる。また、時間が精神の型であるといふカント流の議論を持ち出してゐる。

 

前者については、論理の世界だけで正しさを決めることは不可能であり、美しさのやうな人間に共通に与へられたものと、言葉を含めた文化的遺産を基礎にすべきだと述べる。小林秀雄にも見られる考へ方だ。ゲーデル不完全性定理などを持ち出すまでもなく、理屈は何とでもつけられる。どこに拠り所を求めるか。人間に共通に与へられたものと、人間が長く大切にして来たものしかあるまい。共通に与へられたものとは、何よりも身体である。美しさの基準は文化によつて異なる部分があるものの、世界一の美男美女を選ぶコンテストが成り立つてゐることからも、共通の祖先を持つ人類が分かち持つてゐるものがあるのが分かる。

 

最近の人工知能の研究の話を聞くと、見る、聞くなどの知覚的な働きについては、Deep Learning などの手法が有効で、人間を上回るやうな「認識」力を持つに至つたが、話の文脈を理解するといつた知識が係る部分では、進歩が遅いらしい。身体が支へる暗黙知の部分が欠けてゐるのも一因だらう。多くのデータを解析することで自動翻訳なども精度が上がつてゐるが、話題を変へたり、二重の意味を持たせたり、自分の置かれた状況を外から見たり、といふ「超越的」な部分は、まだ機械では難しいやうだ。

 

アランの言ふ教養 culture は、この「超越的」な部分を担ふものだ。人間の人間たる所以だとも言へるだらう。これは長い歴史の中で人々が築いてきたものだ。言葉が、その基礎であり、成果でもある。グローバル化やインターネットの普及で世の中の「情報」が膨れ上がり、教養の中身も混乱してゐるが、その必要性は変はらない。これを失ふと獣に堕することとなるのだから。

 

後者の主張と相対性理論との関係は難しい問題だが、「精神の型」は人間の経験の中で出来てきたものなので、人間の経験が及ばない世界では適用可能とは限らないとは言へるだらう。ベルクソンの言ふやうに homo faber である人間にとつては、固体の論理が基本だが、これは量子力学的な世界では通用しない。絶対的な時間といふ考へ方も、地球の上で普段の生活をしてゐる分には大きな問題はないし、唯一の時間を考へないと時計の合はせやうも無い。しかし、相対性理論が扱ふやうな非常に高速な運動体や大きな重力の世界では、この常識が通用しないことはあり得る。さうした世界の有様を分かち持たれた言葉に移す仕事は、未だ十分になされてゐないが。

他人の痛み

アランの1923年2月20日のプロポ。

何か小さな事故の後で、医師が諸君の顔の皮膚を縫ふ時、小道具の中には消えさうな勇気を呼び起こすためのラム酒が一瓶ある。ところが、大抵、ラムを一杯飲むのは患者ではなく付き添ひの友人で、自分では気が付かないうちに青白くなり感覚を失ふのだ。あのモラリストの説とは異なり、私達は他人の痛みに耐へる力を何時でも持つてゐる訳ではないのが分かる。
これは考へるのに良い例だ。私達の意見とは無関係なある種の同情心を示してゐるからだ。数滴の血、湾曲した針に抵抗する皮膚を見ただけで、漠然とした恐怖が生まれる。まるで私達自身が自分の血を留めようとし、自分の皮膚を固くしてゐるかのやうに。この想像力の効果は考へを受け付けない。ここでは想像力に考へなど無いからだ。知恵の説くところは明確で従ふのは簡単なはずだ。傷ついてゐるのは見てゐる人の皮膚ではないのだから。しかしこの理屈は実際の出来事には効かない。ラム酒の方が説得力がある。
かうしたことから、同類はゐるだけで、心が動き昂(たかぶ)るのを見せるだけで、私達に大きな影響を与へることが分かる。憐み、恐れ、怒り、涙は、私が見えるものに関心を持つのを待つてはゐない。酷い傷を見るだけで人の顔色は変はるし、その顔色が今度は恐ろしい何かを告げて、何が見えてゐるのか分からないでも、見る者を見る者の横隔膜を打つ。どんなに上手に描写しても、この動揺した顔ほどの力で心を動かすことはできない。表情が心を打つのは直かで媒ち無しだ。また、憐みを感じる人は自分がこの人の立場だつたらと考へてゐるのだと言ふのは正しくない。かうした反省は、出て来る時でも、憐みの後にしか来ない。同類を真似て身体は直ちに苦しみに備へ、直ぐには名付けやうもない不安を生む。病のやうにやつて来るこの胸の動きはどうした事かと人は自らに問ふ。
目まひを理屈で説明しようとしたらどうだらうか。深い穴を前にすると人は落ちさうだと考へるだらう。しかし手すりを持てば落ちることはないと考へる。目まひはそれでも踵から首筋まで走る。想像の効果が最初に出るのはいつでも身体だ。一つの夢の話を聞いたことがある。夢を見た人は間近に迫つた死刑執行の場にゐるのだが、自分のだか他人のだか分からない。それがどちらなのかはつきりとした考へを持つにも至らない。ただ頸椎に痛みを感じてゐたのだ。純粋な想像とはかうしたものだ。切り離された魂は、寛大で感受性豊かだと人は考へたがるが、逆にいつでも自分の関心を出し惜しむのではないかと私には思はれる。生きてゐる身体はもつと美しく、想念に苦しみ行動で癒される。混乱がない訳ではない。しかし本物の思想には、論理的な難しさ以外にも乗り越えねばならぬものがある。そして混乱の名残りが思想を美しくする。比喩は、この英雄的な仕事で人間の身体が与(あづか)る部分だ。

 

あのモラリストといふのはロシュフコーを指す。彼の『箴言集』に、かういふ文がある。アランは単語までほぼ同じものを使つてゐる。

私達の誰もが他人の痛みに耐へる力を持つてゐる。

 

アランはデカルトを尊敬して「思ふ」といふ意思の働きに重きを置いた。同時に、これもデカルトの「情念論」などに学んで、精神と身体の結び付きについても思索を重ねてゐた。精神分析には批判的だつたが、私達が意識の外にある力で動かされるといふ事実を否定してゐた訳ではない。上の文章では、身体と切り離された魂は貧しいものだとまで言つてゐる。しかし、身体の赴くままに任せるべきだといふのではない。自然の諸力の為すがままでは動物と選ぶところがないと考へてゐただらう。思ふやうにならない身体と如何に付き合ふかで思想の美しさが決まると言ふのだ。

 

最近、ウェブで見かける論者の中では、甲野善紀内田樹といつた武道家や武道の心得がある人達が面白い。その主張には必ずしも賛成ではない場合も多いのだが、何かしつかりとした土台の上に立つて議論をしてゐると感じる。欧米の論者の論の受け売りや言葉の上だけの論理的な操作は、話を追ふだけで大変だし、結局、何を言ひたいのか分からない場合が多い。