老後の過ごし方

老後の生活に関する渡部昇一(1930-2017)の本を二冊読んだ。義弟が貸してくれたのである。渡部昇一については、やや極端に右寄りの論客といふ印象を持つてゐて、何となく毛嫌ひしてゐた人なのだが、読んでみると同感するところが多かつた。

『知的余生の方法』新潮新書(2010)と『実践・快老生活』PHP新書(2016)の二冊。前者は著者80歳、後者は86歳の時に出された本だ。書かれてゐる内容は、あまり違ひはないのだが、『知的余生の方法』といふ題を付けられると、整理された方法論を期待して読む。しかし中身は自身の経験談が中心で、改めてあれこれ調べて書かれた本ではないので、少し肩透かしを喰つた感じになる。『実践・快老生活』は、最初から「教訓の書ではなく、思うままの一つのレポートなのである」と書かれてゐて、体験談として読むので、同じ中身でもすつと入つて来る気がする。

『知的余生の方法』の目次は以下のとほり。

 はじめに

 第一章 年齢を重ねて学ぶことについて

 第二章 健康と知恵について

 第三章 余生を過ごす場所について

 第四章 時間と財産について

 第五章 読書法と英語力について

 第六章 恋愛と人間関係について

 第七章 余生を極める

 あとがき

『実践・快老生活』では、かうなつてゐる。

 第一章 「歳をとる」とはどういうことか

 第二章 凡人にとって本当の幸福は「家族」である

 第三章 「お金」の賢い殖(ふ)やし方、使い方

 第四章 健康のために大切なこと

 第五章 不滅の「修養」を身につけるために

 第六章 次なる世界を覗(のぞ)く

 あとがき

書かれた時期は6年違つてゐても、老年をどう過ごすかといふ同じ問題を扱つてゐるので、両方に出て来ることも多い。例へば、本多静六(1866-1952)の説いた天引き貯金。また、パスカル(1623-1662)やアレクシス・カレル(1873-1944)を引用しながらの「オカルト」の話、佐藤一斎(1772-1859)の『言志晩録』など。英語学の先生なので、語源から説き起こす話が多いのも共通してゐる。

なるほど、と感心したり、さうなのか、と気づかされた点も多い。例へば

  • 若く死んだ漱石(1867-1916)の小説は詰まらないが漢詩は楽しめること
  • 歳をとっても記憶力は衰えない、といふ渡部氏自身の体験談
  • 高橋是清(1854-1936)が奴隷に売られた話
  • 文法抜きで英語を教えると、少し長い文章や、複雑な文章は絶対に読めるようにはならないこと など。

凡人にとって本当の幸福は「家族」である、といふのも、その通りだと思ふ。「時を失することなく結婚を奨めよ」といふお話は、わが身に切実である。

他方で、相続税廃止の主張とか、キャリア女性への冷たい視線など、自分とは意見が違ふな、と思ふところもある。地方の名家が文化を支へる大きな力であるのは事実だし、子供を産むのが女性にしかできないのも確かだけれど。

年金を貰へる歳になつて読む立場からすれば、渡部氏が老後に大切だとしてゐるお金にしても家族しても、「一日にして成らず」で、今更言はれても困る、といふ気がしないでもない。著者自身が「若い人、あるいは壮年期の人がご自分の老後の生活をイメージするときには何らかのヒントを提供しているかもしれない」(『実践・快老生活』あとがき)と言つてゐるやうに、「若い」人こそ読むべき本だと言ふべきか。

アレクシス・カレルといふ人は知らなかつたけれど、ノーベル生理学・医学賞を受賞した科学者でありながら、渡部氏の言ふ「オカルト」的な主張をしてをり、優生学を主張して物議を醸してもゐる、なかなか興味深い人物である。その本も読んでみようかと思つてゐる。

 

 

時代劇

NHK大河ドラマ麒麟がくる」に帰蝶役で出演してゐる川口春奈さんは、よく知られてゐる経緯で急遽代役になつたのだが、好評のやうだ。同じNHKの「鶴瓶の家族に乾杯」で岐阜県を訪れるのを見た。ご本人は言ふまでもなく大変チャーミングな女性なのだが、帰蝶の方が更に魅力的な気がした。これは、役者の方には誉め言葉だと思つて書いてゐる。

アラン(1868-1951)の『芸術の体系』の一節を思ひ出す。長谷川宏さんの翻訳で引用する。

 多くの人が、自分はありのままに判断してはもらえないと思っている。そんな思いにかられるのは、動物的本性の示すしるしやごまかしが、自他のあいだに入りこむからだ。考えていることを言いたいと思ったら、思いうかぶすべてを口にしてはいけない。同様に、自分がそのままおもてに出ることを望むなら、すべてをおもてに出すのではなく、習慣と均衡とをともども考慮して外見を作り直さねばならない。そうして初めて、猿ではなく人間がおもてに出てくるのだ。

 さて、女性の自然な姿は、男性のすがたよりも弱く、落ち着きがなく、不安定なものだから、違和感が大きいはずだ。だから、まわりがその人らしさをつかむには、装飾が欠かせない。装飾が少なく、安定性に欠け、着衣の部分が少なくなると、まわりの違和感がそれだけ増すし、当人も同じ違和感を感じる。

(光文社古典新約文庫「芸術の体系」100頁)

 アランはここで「ありのままの自分」とは何だ、と問ひかけてゐるのだとも言へる。「自分がそのまま表に出る」ことを望むのに、「すべてをおもてに出す」のではダメだ、と言つてゐるのだから。

上に引いた部分の後段は、原文ではかう書かれてゐる。

Et l'image naturelle de la femme lui est peut-être plus étrangère encore, parce qu'elle est moins forte, moins assise, moins soutenue. Il faut donc que cette femme soit parée, pour que vous saisissiez les vrais signes. A mesure qu'elle est moins parée, moins soutenue, moins vêtue, elle vous est plus étrangère, et à elle-même aussi.

 "étrangère"といふ言葉を長谷川さんは「違和感」と訳してをられて、これは良く考へられた訳語だと思ふのだが、直訳すれば「余所者(よそもの)」、「異邦人」といふ意味だ。「まわりがその人らしさをつかむ」とある部分は、「(相手となる)君が本当のしるし*1をつかむためには」となる。知らず知らずにするしぐさが意図しない意味を持つて相手に伝はるのを避けることが大切で、そのためには衣装や化粧が役立つ、と言つてゐるのだ。

「家族に乾杯」の川口さんは一人の若い女性だが、その年齢なりの不安定さを感じる。台本が無いぶつつけ本番が売りの番組なのだから、戸惑ふのは当然ではあるが、そこに川口さんの一番良いところが出てゐるとは言へない。寧ろ、作り物、お話であるテレビドラマの中で、それが出る。

それが時代劇だ、といふのも面白い。小林秀雄(1902-1983)に「故郷を失つた文學」といふ文章がある。1933(昭和8)年に「文藝春秋」に載つたものだ。その中に、なぜ時代劇が人気なのかについて書いてゐる。(文章中の括弧内の文字は原文ではルビ)

自分の生活を省みて、そこに何かしら具體性といふものが大變缺如してゐる事に氣づく。しつかりと足を地につけた人間、社會人の面貌を見つける事が容易ではない。一と口に言へば東京に生まれた東京人といふものを見附けるよりも、實際何處に生まれたのでもない都會人といふ抽象人の顔の方が 見附けやすい。この抽象人に就いてあれこれと思案するのは確かに一種の文學には違ひなからうが、さういふ文學には實質ある裏づけがない。(第5次全集 第二巻 370頁)

チャンバラ映畫や髷物小説に現れる風俗習慣は、西洋映畫に現れる風俗習慣と同じくらゐ既に私達から遠いものだ。併しさういふ社會的書割にしつくりあて嵌(はま)つた人間の感情や心理の動きがある。さういふ齟齬(そご)のない人間生活の動きが何んとはしれぬ強い魅力となつて現れる。この魅力が銀座風景よりも、見た事もないモロッコの砂漠の方に親しみを起させるものだ。(同 374頁)

 現代社会では変化が激しく、何が約束事なのか分からなくなつてゐる。それだけ、意味がうまく伝へられない、意味が分からないといふ状況になつてゐる。時代劇では、そこに描かれてゐるものが史実にどれだけ忠実なのかは議論があるにしても、ああいふ時代だといふ共有されたものの見方がある。それで落ち着いて見てゐることができる。

本当の自分つて何だらう。あらかじめ定義された自分といふものがある訳ではない。それは社会との係りの中で見つけ出していくもの、作り上げていくものだ。社会と切り離された自分など無い。そもそも人間は一人では文字通り生きて行けないのだから。その社会とうまく付き合ふには、一種の礼儀作法が欠かせない。かうした礼儀作法を身につける事を大人になると言ふ。社会の規範が乱れると、礼儀作法とは何かが分からなくなり、誰も大人になれなくなる。

*1:「しるし」"signe"といふ言葉はアランの文章ではよく出て来る重要単語だが、一つの日本語にはうまく当たらない。手元の辞書(Petit Robert)では、大きく二つの意味が挙げられてゐる。一部を訳してみる。

  1. (それが結びついてゐる他の物の)存在や正しさを結論させる感じ取られる物
  2. 1)誰かと意思疎通したり、何かを知らせるための意図的、習慣的な動き。2)一つの社会で自然の関係や慣習により複雑な現実の代はりになるとされる単純な物体。

前者の例文としては「涙が悲しみの徴候であるやうに、笑ひが喜びのしるしであることは、笑つたことがある人ならば誰も疑はない。」といふものが挙げられてゐる。「しるし」といふ日本語がほぼ当たる。後者の1)は日本語の「しぐさ」に対応する。2)は「しるし」でも良いだらう。

COVID-19の不思議

COVID-19については未解明の問題が多い。といふより、殆ど、何も分かつてゐない。

事実として確認できることで、不思議な事の一つは、「先進国」で蔓延し、死者も多く出てゐることだ。中心国や発展途上国での感染はこれから拡大するといふことも十分に予想されるので、現時点での判断ではあるけれど、それにしても先進国が軒並みやられてゐるといふのは、考へさせられる。

ちなみに所謂先進国の中に、厳しい閉鎖などのしつかりした対策も取らないのにそれほど感染が広がつてゐない、をかしな国が一つある。我らが日本だ。これは「やつぱり日本は先進国ぢやなかつたんだ」といふことなのだらうか。

先進国で流行した理由の一つとしては、交流の密度が高いことが考へらえる。新型コロナウイルスは症状が出ないうちから強い感染力を持つことが分かつて来てゐる。知らず知らずに感染を広げて仕舞ふのだから、人々が多く集まり、交流が盛んな場所ほど、感染が拡大するのは不思議ではない。

しかし、巨大都市は中進国や発展途上国にもあるが、これらの場所での感染拡大は、今のところ、それほどでもない。気候の違ひも一つの説明要因かも知れない。もう一つの仮説として、病院の普及といふことがあるのではないだらうか。先進国には病院が多く、日常的に人々が通つてゐる。体調が悪いと検査に行く。さうした場所でウイルスが広がるのだとすれば、先進国で感染が拡大したことも理解できる。

日本の場合、PCR検査の能力が低く、感染病棟も少なく、感染者は全て入院といふ当初の硬直的な運用のために、PCR検査→「感染」確認者増大→病棟満杯といふ医療崩壊の道筋がはつきりと見えてゐたので、医療関係者は声を揃へてPCR検査拡大に反対した。特に、感染率が低い状況で感度のそれほど高くないPCR検査を行ふと、偽陽性つまり実際には感染してゐないのに感染者として扱はれる人達が本物の感染者の何倍も出て来ることが計算から分かるので、PCR検査反対の声は高かつた。実際は病気でもない人達に貴重な感染症ベッドを占領されては堪らない、といふ気持ちは理解できる。

36.5°以上の熱が4日以上続いたら、保健所に連絡する、といふ方法で、その保健所でも意図的に、或いは忙しすぎて、振り分け作業が進まず、多くの人が検査にも行けない状態が続いた。それが結果的には、最大の感染源であつた可能性がある病院に人が集まるといふ状況を防いだ可能性も考へられる。勿論、「怪我の功名」といふやつだけど。

COVID-19の現状 2020.4.10

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新型コロナウイルス死者/感染者

 COVID-19の感染拡大は続いてゐる。4月10日現在のグラフは上記のとほり。感染者数では米国が最大で、死者数でもまもなく欧州の国々を追ひ抜くだらう。

グラフにあるやうに、感染者が増えると死者が増えるといふ当然の傾向が見られるが、同程度の感染者数でも例へばフランスの死者数はドイツの5倍以上になつてゐる。対数目盛なので、ひとつの枠で10倍数が違ふことに注意されたし。

かうした違ひが出るのには、大きく次の二つの理由が考へられる。

  • 医療体制の差
  • 検査数の違ひ

急速に患者数が増えて、患者を受け入れられなくなるといつた状態になれば、十分な治療ができないので、死者は増加する。

他方で、国によつて検査についての考へ方は異なる。検査を増やすことで感染の実態を把握しようとする国々がある。アイスランド(95、718件/100万人)、UAE(59,967件/100万人)などがその典型で、人口あたりの検査数が最も多い国々となつてゐる。シンガポール(11,110件/100万人)、ニュージーランド(10,610件/100万人)なども、その例として挙げられるだらう*1。ドイツ(15,730件/100万人)や韓国(9,310件/100万人)も積極的に検査をする国として知られてゐる。他方、日本は486件と桁違ひに小さい。Worldometerに依れば、人口当たりの検査数が多いのは以下の国・地域である。

  total tests tests/1M
Faeroe Islands 5,299 108,446
Iceland 32,663 95,718
UAE 593,095 59,967
Gibraltar 1,511 44,849
Luxembourg 27,521 43,965
Falkland Islands 137 39,368
Bahrain 55,096 32,379
Malta 13,732 31,100
San Marino 846 24,933
Liechtenstein 900 23,605
Norway 121,034 22,326
Isle of Man 1,879 22,097
Andorra 1,673 21,653
Switzerland 178,500 20,625
Brunei  8,985 20,538
Estonia 26,416 19,914
Germany 1,317,887 15,730
Slovenia 31,813 15,303
Qatar 43,144 14,975
Italy 853,369 14,114
Austria 126,287 14,022
Portugal 140,368 13,766
Greenland 770 13,564
Israel 117,339 13,557
Latvia 25,458 13,497
Australia 330,134 12,946
Hong Kong 96,709 12,900
Lithuania 32,809 12,052
Cyprus 14,273 11,822
Singapore 65,000 11,110
Denmark 64,002 11,050
Ireland 53,000 10,734
New Zealand 51,165 10,610
Czechia 106,845 9,977
Canada 370,315 9,812
Aruba 1,008 9,441
S. Korea 477,304 9,310
New Caledonia 2,320 8,126
Spain 355,000 7,593
Cayman Islands 479 7,288
Belgium 84,248 7,269
Montserrat 36 7,212
USA 2,353,096 7,109
Finland 39,000 7,039
Russia 1,004,719 6,885
Channel Islands 1,157 6,655
Netherlands 101,534 5,926
Bermuda 354 5,684
Azerbaijan 57,371

5,658

Source: based on Worldometer(https://www.worldometers.info/coronavirus/

他方で、上のリストにイタリアやスペインが入つてゐることからも分かるやうに、感染が広がると、人口当たりの検査も増える。増やさざるを得ない。従つて、検査数が多いと感染が抑へられる、といふ側面があるとしても、検査が多い国では感染者が少ないとは言へない。実際、下のグラフから分かるやうに、検査数と感染者数には相関は見られない。赤い点は日本。

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検査数と死者数でも、同様。

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 ただ、日本ではすでに感染者が急増する段階になつてをり、今後の対策を検討するためにも実態をしつかりと把握する必要があるので、検査体制の整備は急務だと言へるだらう。

 

*1:これらの国々でも国民全員を検査してゐる訳ではなく、100人に1人くらゐである。

COVID-19 についての覚書

COVID-19についての覚書の追加。このブログの運営者は何らの医学的専門知識を有しない者ですから、以下、その前提でお読み下さい。書かれてゐる内容に基づいて取られた行動については、一切の責任を負ひません。専門家のご批判は歓迎。尤も、そんな暇な人はをられないでせうが。

国別の感染拡大速度

Mark Handley氏が発表してゐる国別の感染拡大速度の比較(英文)は、興味深い。欧米諸国の感染は、ほぼ同じパターンで拡大してゐる。暖かい(高温多湿な)地域では感染拡大が緩やかだ、といふ事実も注目に値する。

ただ、ここ2~3日のフィリピン等、いくつかのアジアの国々の動きが気になる。米国フロリダ州でも患者が発生してをり、温暖な地域では感染が広がらないといふのは誤り、との説もどこかで見た。冷房の普及度との関連もあるのではないかと思はれる。

 日本の状況

Handley氏も日本は謎だと言つてをられるが、なんとか踏ん張つてゐる。以前に書いたマスクや手洗ひといつた要因に加へて、握手をしない等の習慣の差も大きいのかも。

厚生労働省日本のクラスター地図(3月15日現在)を発表してゐる。かうしたクラスターが把握できてゐる内は、まだ良い。

日本について、世間には、オリンピックが中止にならないやうに検査数を人為的に抑へてゐるのではないか、といふ根強い不信感がある。個人的には、これは穿ちすぎではないかと思ふ。

検査の問題

そもそも、検査はすれば良い、といふものではない。罹患率(全体の中で感染してゐる人の比率)が低いときには全数検査は害の方が大きいのだ。Hideki Kakeya氏(@hkakeya)がツイッターで紹介してをられる動画での分かり易い説明を是非、ご覧あれ。

感度(実際に罹患している人が検査で陽性になる率)70%、特異度(罹患していない人が検査で陰性になる率)90%の検査の場合、罹患率5%だと、検査して陽性とされる人の4人のうち約3人(!)が実は感染してゐない、といふ結果になる。だからこそ、事前の絞り込みが必要だ、といふ事。

他国との比較

このブログでは、各国の死者数と感染者数との比率をグラフにしてゐる。感染者数といふのは、実際にどれだけの人が感染してゐるか、ではなく、検査で陽性と判断された人が何人かを示してゐる*1

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各国の死者数と感染者数

このグラフで見ると、日本が特別に変な位置にあるやうには見えない。言ひ変へれば、日本の死者数に比べて、感染者数が異常に少ないとは言へない。日本のPCR検査数が少ないことは確かだが、効率的に検査を行つてゐるので、感染者は他国並に把握されてゐる、と言へるだらう。

グラフから見えること

引いてあるのは1%の傾きの線だが、感染が急速に拡大してゐる欧州のいくつかの国々は、これよりも急な傾きの線の上に並んでゐるやうにも見える。病院が混雑して、一時的に死亡率が高くなつてゐる可能性もあるし、検査まで手が回らず、感染者が十分に把握できてゐないといふことも考へられる。

米国は、これまで線よりも高い位置にあつたが、検査が進んで感染者がより正確に把握され、線上に並んだ。死者数の増加は感染の増加よりも遅れるので、比較的最近になつて感染が広がつた国々は線よりも下にあることが多い。

 

 

*1:検査しないと、感染かどうかは分からないので当然だが、この数字には、本当は感染してゐないのだが感染と判断された人が含まれてゐる可能性がある。

PCR検査を増やすべし!といふ議論の盲点

PCR検査を増やせ、といふ論が続いてゐる。この主張には尤もなところもあるのだが、盲点もある。少し整理してみよう。

情報は多いほど良いといふ信念

「もつと検査を」論の根本にあるのは、情報は多いほど良い、といふ信念だ。「情報至上主義」と名付けて置かう。しかし、美味しい食べ物でも食べ過ぎといふことはある。検査数をどれだけ増やしても、その結果が正しいのか、正しいとしても、その結果を受けた対応が現実に取れるのか、といふ点が明らかになつてゐないと、食べ過ぎてお腹を壊すだけに終はる。

検査が正確であるといふ誤解

PCR検査は正確で、これを使へば感染の有無が明確になると思ひ込んでゐる人が多い。残念ながら、実態は違ふ。これについては、下の忽那賢志氏の記事が分かり易い。

簡単に言へば、検査が陰性でも感染してゐること(偽陰性)があり、逆に陽性でも感染してゐないこと(偽陽性)がある、といふことだ。前者では、自分は大丈夫と誤解した人が感染を広げる恐れがあり、後者では感染してゐないのに入院や自宅待機を強ひられるといつた事態が生じる。それが、上の記事での事例にあるやうに、1000万人を検査すると1320人の真の患者が見逃され、その10倍の1万人の偽陽性が生じるといつた規模で起きるのだ。

検査にはリスクがないといふ誤解

また、検査にはリスクが伴ふといふ事実も十分に理解されてゐない。PCR検査のためには患者の喉からサンプルを採るのだが、その際に激しく咳き込むことが多く、採取する医療従事者のリスクが高まる。

患者側にとつても、病院は感染者が集まる場所で、感染リスクが最も高い場所の一つだ。そこに人が集まることは感染拡大の恐れを高める結果となる。

これに対して、PCR以外の検査技術が出てゐる、韓国のやうにドライブスルーで検査すれば良い、といつた反論もあるだらう。これらの方式にはそれなりの問題点もあるが、仮にこれらの方式を採用したとしても問題は残る。

行動に結びつかない情報は無意味

それは、検査の結果を受けてどのやうな対応を取るか、といふ点だ。

先づ、検査で陽性の場合に、どのやうな治療を行ふのか。現時点では、COVID-19の特効薬がある訳ではなく、対症療法しかない。その内容は検査の結果如何に依らないのだ。それに、PCR検査をしなくても重篤な肺炎であることは分かる。

次に、陽性の人は全員を入院させるのか。軽症者も含めて入院させたために重症患者が入院できなくなるといふ事態は、感染が急速に拡大した国々では実際に生じてゐるだらう。日本ではどうなるか。

「情報至上主義」の人達は、しばしば、病院が足らないのだから増やせばよいではないか、といつた理想論を主張する。そのための費用は誰が負担するか、といふ問題はしばらく置くとしても、たとへ中国のやうに一週間で新しい病院を建てても、医者や看護師を一週間で増やすことはできない。

軽症患者は自宅待機にすれば良い、との反論もある。実際、患者が増えてくれば、さうせざるを得なくなるだらう。政府もさうした方針を決めてゐる。しかし、少なくとも現時点では、入院することが原則になつてゐる。実際に自宅待機が必要になつた際に、それが円滑に行はれるのか、疑問は残る。家族への感染といつたリスクもある中で、軽症とされた人達が自宅待機で納得するだらうか。重症か軽症かの判断が公平に行はれるだらうか。*1

勿論、検査しなくても感染者は感染者であることに変はりはなく、知らないうちに感染を広げてゐるのかも知れない。しかし、現状で大きな問題がないのであれば、リスクを犯してまで新たな混乱の種を蒔くのが賢いやり方なのか、問ひ直すべきだらう。

要はバランスの問題

検査が悪いと言ふのではない。検査に伴ふリスクと、便益とを比較した上で、適切な検査のあり方を考へるべきだ、と言ふのだ。今の日本は、韓国に比べてPCR検査の能力が低く、その結果、検査数は少ないが、死者を見ると韓国の1/4だ。検査を増やせば良い、といふことではないのは、この数字で明かだらう。

現実の制約を踏まへた上で何が最適な対応かを議論する必要がある。責任のない立場の人達が自分の頭で考へただけの対策は、たとへどんなに良い頭の人が善意に基づいて考へたのだとしても、現実には害を及ぼすこともあるのだ。

なほ、このブログの管理者は歴史的仮名遣ひを用ゐてゐるので、安倍政権を擁護する右翼だと誤解される方もあるかも知れないが、事実は全く逆であることを念のため申し述べる。

*1:韓国には生活治療センターといふ仕組みもあるやうで、日本の参考になるかも知れない。

他方でこのセンターも運用に苦労してゐるとの報道もある。

COVID-19の流行の拡大が日本で(今のところ)比較的緩やかな理由

日本の現状

Financial Timesの記事”Coronavirus tracked: the latest figures as the outbreak spreads”

に累計の患者数の推移を国別に示した下の図が出てゐる。

A graphic with no description

欧米諸国が似たやうな線で拡大を続けてゐるのに対して、日本の流行拡大は比較的緩やかであるのが分かる*1シンガポールや香港では更に伸び率が低い。伸び率によつて医療機関にかかる負荷が大きく異なり、高い伸びは患者が多すぎて治療できなくなるといふ医療崩壊を招くので、この差は極めて重要なのだ。なぜ、日本の感染拡大は緩やかなのか。

政府の対応のお陰ではない(残念ながら)

日本政府の対応が良かつた訳ではない。むしろ逆だ。中国からの人の流入を早めに抑へなかつたために、春節の訪日観光客などによつて新型コロナウイルスはかなり早い段階で大量に持ち込まれたと想定される。結果的に良かつたのは、PCR検査を余りしなかつたことだ。それで医療機関に不要な負荷を掛けずに済んだ。しかし、これも言はば怪我の功名で、SARSの経験を踏まえて体制が整備されてゐた韓国に比べて、日本国内の検査能力が低かつたことの結果だ。(ある政府機関が情報の独占を図つたためだ、といふ説もあるが、行政検査といふ枠組みで行つてゐたといふだけで、さうした意図はなかつたのではないかと思ふ。単なる官僚的な対応で、この国のお役人には良くも悪しくもそこまでの狡猾さは無いのではなからうか。)

ダイヤモンド・プリンセス号の対応では、誤りも目立つた。横浜寄港を認める段階で基本的な方針を明確にしなかつたこと、船内の感染管理が不十分だつたこと、それにも係はらず14日の隔離で新規感染はなかつたといふ建前を守るために乗客に公共交通機関での帰宅を認めたことなど。その結果、海外からは船内でウイルスを培養してゐるとの批判を浴び、少数ながら下船客から新たな感染も出た。

気候の違ひ?
Financial Timesでは、香港、シンガポールの感染拡大が小さいのは政府の対応が早く適切だつたから、といふ意見だが、中国との行き来がかなりあり、それほど厳しい措置を採つたとは思はれない東南アジアの国々でも大流行は見られないので、高温多湿な地域では広がりにくいのではないか、とも考へられる。
マスクと手洗ひのお陰?
その他に、日本が欧米諸国と異なるのは、マスクと手洗ひだ。日本では多くの人がマスクを着けてゐる。手洗ひも欧米よりもこまめに行ふ。これが流行拡大の差になつてゐるのではないか。言ふまでもないが、新型コロナウイルスの性質が明らかになつてゐない部分が多いので、以下は全て仮説、あるいは思ひつきに過ぎない。
新型コロナウイルスの感染力が強いことは確かだ。その理由については、遺伝子レベルで専門家の研究が行はれてゐる*2が、現象面では、感染が広がりやすい理由の一つは、症状がそれほど酷くない人が多いことだ。
感染してもほとんど症状が出ない人もあるだらう。だから、知らないうちに感染し、ウイルスをばら撒いてゐる人もかなりゐるに違ひない。誰もが潜在的な感染源なのだ。マスクは感染防止には余り効果がないとされてゐるが、感染者が飛沫をとばさないことで感染拡大を防ぐのには確かな効果がある。だからこそ、咳エチケットが推奨されてゐる。誰もが感染源、といふ状況では、感染防止のために着けてゐるつもりのマスクが、結果的に感染拡大を防いでゐるのではないか。
手洗ひについては、その有効性について専門家の意見は一致してゐる。日本人は言はれたとほりに丁寧にやるのは得意なので、欧米よりも手洗ひが徹底してゐると考へて良いだらう。
これで万全?
では日本の新型コロナウイルス対策は現状のままで良いのか。安心は禁物だ。特に心配されるのは、PCR検査の利用拡大で陽性と判断された人達の扱ひだ。現在の仕組みでは指定医療機関への入院措置が行はれる*3

今後、PCR検査の拡大で感染者数が増大すると、重症ではない感染者の扱ひが問題となる。全員を入院させると、本当に入院治療が必要な重症患者に手が回らなくなるからだ。岩田健太郎氏は、下の記事で、軽症患者が居住できるような「セミ(準)医療機関」があれば理想だと述べてゐる。政府は、かうした検討を始めるべきだらう。

難しいのは措置緩和のタイミング

現在の自粛はかなりの経済的な悪影響を及ぼしてゐるので、いつまでも続けることは不適当だ。感染拡大を抑へながら、学校の臨時休業要請のやうなそもそも根拠があやふやな措置を手始めに、徐々に対策を緩和しなければならない。どうすれば、円滑に平常復帰ができるか、政府と国民の知恵が試されてゐる。

*1:日本の数字については、検査が十分に行はれてゐないのではないかとの議論がある、といふ註がついてゐるが、前回のブログでも書いたように、死者と感染者の比率で見ると、日本が特別な位置にあるわけではない。死者を誤魔化してゐるといふ極端な議論をしない限り、日本の調査数が他国に比べて例外的に低いわけではないと言へる。最新のデータに基づくグラフは下のとほり。

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*2:例へば次のNatureの記事

*3:一般社団法人 日本環境感染学会医療機関における新型コロナウイルス感染症への対応ガイド 第2版にある以下の記述参照。

新型コロナウイルス感染症は指定感染症に指定されています。それに伴い、中東呼吸器症候群(MERS )や重症急性呼吸器症候群SARS)と同じ2類感染症と同等の措置が取られます。具体的には患者を診断した医師は直ちに報告義務があり、都道府県知事は患者に入院を勧告し、全国約 400 の指定医療機関への入院措置が行われます。患者には一定期間就業制限の指示を出すことができます。なお、入院中の治療費は公費負担となります。なお、緊急その他やむを得ない場合につき、感染症指定医療機関における感染症病床以外に入院させること、又は感染症指定医療機関以外の医療機関に入院させることが可能となっています。