ヨブヘの答へ

ユング(1875-1961)の『ヨブへの答へ』は、一神教の神について考へる機会を与へて呉れる本だ。
ヨブ記
扱はれてゐるのは、旧約聖書の「ヨブ記」である。ヨブは神がサタンに自慢するほど敬虔な人だつたが、挑発に乗つた神が、サタンに、命さへ取らなければ好きにして良いと言つたため、家族や財産を失ひ皮膚病を患ふなど、酷い目に遭ふこととなる。ヨブは、悪くない自分が何故こんな目に遭ふのか、それを知りたいと神に問ひ質さうとする。友人達があれこれと説得を試みるが、ヨブは考へを変へない。最後には神が大風の中からヨブに声を掛ける。神はヨブの問ひには直接答へず、逆に「なんぢ我(わが)審判(さばき)を廃(すて)んとするや、我を非として自身(おのれ)を是とするや」などとヨブを責める。ヨブはかう応じる。「嗚呼(ああ)われは賤(いや)しき者なり 何となんぢに答へまつらんや 唯(ただ)手をわが口に当(あて)んのみ われ已(すで)に一度(ひとたび)言(いひ)たり 復(また)いはじ 已(すで)に再度(ふたゝび)せり 重ねて述(のべ)じ」。かうしたやり取りの後、神は、ヨブの友人達は誤つてをり、ヨブは正しいとして、その財産をかつての二倍にする。新しい家族も出来、離れてゐた親戚、友人も戻つて来て、ヨブは幸せに人生を終へることとなる。
ユングの読み
一般的には、ヨブが神を責めるのを止めて改心し、幸せに暮らした、といふ読み方がされてゐるが、死んで仕舞つた子供達はどうなるのか、そもそも、神は何の為にヨブを酷い目に遭はせる必要があつたのか、サタンに唆されるとは軽率だつたのではないか、等の疑問が沸く。
ユングは『ヨブへの答へ』で、ここで明らかにされた神の暗部をどう受け入れべきか、といふ観点から「ヨブ記」を論じてゐる。そして、神はヨブの問ひに答へなかつた、答へることが出来なかつたが、ヨブとのやり取りを通じて自らの暗部に気づき、人間の優れた面を認めるに至つたと考へる。そして、神の子キリストが人間の姿で生まれるといふのは、神のヨブへの答へだと言ふのだ。キリストが死に際して「わが神、わが神、なんぞ我を見棄て給ひし」といふ言葉を発する場面は、神とヨブとの対話のクライマックスとも見える来る。
神とはどのやうな存在か
このユングの読み方が、宗教界から大きな批判を招いたのは、当然と言ふべきだらう。ユングは神を精神分析にかけた、といふ言ひ方がされることもあるが、神を人間に引き付け過ぎてゐるのではないか、と思はれる。しかし、ユングは聖書に書かれてゐることを基礎にして自説を展開してゐるのも事実なのだ。
予備知識を持たない日本人が想ひ描く一神教の神は、世界の創造者で、時間や空間を超えた、全知全能の、人智の遥かに及ばない存在ではないだらうか。だが、聖書に描かれた神は、怒りなどの感情を持ち、時間とともに変はるし、全知全能とも言ひ難い。少なくとも、自らの行ひがどのやうな結果を招くかをよく考へないで動いてゐると見える場面が何度も出て来る。自分が創つた人間が気に入らず、大洪水を起こしてノアの家族以外は全て滅ぼしてしまふのは、その一例だ。
また、神は善の極致だとする考へ方も、聖書の記述とは合はない、ユングは見る。そもそも神を唆すサタンも、神が創り出したのではないのか。神の暗い部分を否定するやうな一面的な見方が、心に巣食ふコンプレックスのやうに文明を歪めてゐる、と考へてゐるのだ。1952年に書かれたこの本の背景には、ナチスの暴虐や核兵器による人類の危機がある。全てが善だといふ神の姿を強調しすぎたために、暴力的な異教の神がドイツ民族の心の中で力を持つに至つた、といふのがユングの見方だ。神の中にも悪があるやうに、自分の中にある悪を知ることが、人間の進歩には欠かせないと考へてゐるのだ。
『GOD 神の伝記』
かうした神の見方は、1996年にピューリッツァー賞を受けたジャック・マイルズ(1942-)の『GOD 神の伝記』を思はせる。この本は、ユダヤ教の聖書タナフ(内容はほぼ旧約聖書に対応するが、配列は異なつてゐる)を一つの文学作品と見て、その主人公である神の姿が物語の進行に伴つてどのやうに変はるのかを分析してゐる。一神教の神は、他の宗教にも見られる世界の創造神だけでなく、個人や集団の守護神など、様々な神の役を一人でこなさなければならないので、その物語を矛盾なく進めるのは一苦労だ。
マイルズに拠れば、唯一神はタナフの初めの方では、天地を創造し、ユダヤ人のエジプトからの脱出を助けるなど、主役らしい活躍を見せるのだが、半ばに差し掛かると一人の女の願ひに耳を傾けるといつた小さな役回りになり、最後の方では殆ど言葉も発せず、姿が見えなくなる。「ヨブ記」は、この流れの中でも、一つの大きな転換点となつてゐる。
ユングにとつての神
マイルズにとつて、神は、少なくともタナフの主人公としては姿を消して仕舞ふのだが、ユングにとつての神は、確かに在るものだつた。それは人には知ることのできない神秘ではあるが、私達の心を動かす否定できない力だ。
神話はこの働きを表現したもので、それは聖書でも同じだ。聖書に描かれた神の姿は完結したものではない。私達が無意識の世界を知り尽くすことができないやうに、神の全貌を知ることはできない。しかし、様々な経験から、より豊かな像にすることはできるし、それが私達の務めだ。
かうした考へ方から、ユングは『ヨブへの答へ』の中でも、神の中にある女性的なものの働きを取り上げる。また、聖書の解釈を個人に委ねて仕舞つたプロテスタントには批判的で、1950年にマリアの昇天を正式な教義とする*1といつた動きを見せるカトリックに共感を示す。
聖書、特に旧約聖書については、これまで殆ど何の知識も持つてゐなかつたが、これらの本を読んで、そこで語られてゐるのが極めて複雑な物語なのだといふことが、少し分かつた気がする。

*1:聖母の被昇天と呼ばれる教義につては、このサイトが参考になる。

疑ふこと、共存の基礎

フランスのPodcastの番組Avec Philosophieで、「知るためには根源的な疑ひが必要か」といふ話を流してゐた。ラジカル radical といふ言葉は、ラテン語の「根」といふ言葉を語源に持ち、「根本的な」といふ意味を持つが、日常的なフランス語では、極端な思想を持つ人の狂信的な考へといふ否定的な意味で使はれることが増えた。他方で、哲学者には、正しく知るためには、根つこの部分から調べ直す必要があると考へる人がゐる。さうした哲学者の例として、デカルト(1596-1650)とフッサール(1859-1938)とを比べて取り上げてゐた。

デカルトの懐疑とフッサールの判断保留(エポケー)の違ひ

番組に登場したNatalie Depraz氏とPhilippe Cabestan氏は、

  • フッサールにとつて意識とは常に何かについての意識であり、世界に開かれてゐる。
  • フッサールデカルトの「我思ふ」が一種の公理であり形式的なものに留まると考へた。
  • デカルトの懐疑は一つの手段だが、フッサールの判断保留は根本的な態度である。
  • 「我思ふ」は個人的で世界の内に留まつてゐるが、エポケーでは自分を含めて世界そのものが消され、そこから超越的主体性が見出される。

といつた点を指摘してゐた。番組で紹介されたAlexandre Löwitの論文L'«épochè» de Husserl et le doute de Descarteでは、以下の3つが挙げられてゐる。

  1. フッサールのエポケーでは、デカルトのものとは異なり、否定的な要素は全くない。世界は存在し続けてゐるが、私がそれに対して何等の立場をも取らないのである。
  2. デカルトの懐疑が一時的なものであるのに対し、フッサールのエポケーはそのまま変はらず続く。
  3. フッサールのエポケーは世界の構成要素の全てを対象としてをり、物質や身体としての自分だけでなく精神としての自分をも含む。

かうした話を聞くと、ニュートン力学相対性理論量子力学との違ひを連想する。デカルトの世界観は、ニュートン力学のやうに、絶対的な時間、絶対的な空間の中で明確な形状と位置を持つ物体が運動してゐる姿が前提となつてゐると言へるだらう。真理は、明確で変はらないものとしてある。他方で、フッサールの世界観は、さうした絶対的な基準を持たず、この世に生まれ出た純粋な意識から全てを引き出さうとする。この立場は、絶対的な観測系を否定する相対性理論や、物の在り方が観測と不可分だと考へる量子力学とよく似てゐる。

価値観が見失はれた時代の哲学

この番組が企画された背景には、何を信じればよいかが分からなくなつてゐる現代の状況がある。フェイクニューズ(昔の言葉で言へば流言蜚語か)が飛び交ひ、極端な意見を持つ者の間で非難の応酬が止まない。自分の立場を正しいものと信じてゐるので、それを守るためには、嘘をつくことも厭はないのだらう。或いは、所詮、世の中に絶対的な真理や絶対的な正義などないのだから、勝てば官軍、儲けた者の勝ちだと思つてゐる人も少なくないだらう。

しかし、かうした狂信や虚無的な考へ方が主流になると、社会は維持できなくなる。分業が進んだ現代では、社会の構成員が助け合つてゐるといふ事実が見えにくくなつてゐるが、競争を前提とする市場経済が共通の価値観により支へられてゐるのは、アダム・スミス(1723-1790)が既に指摘してゐるところだ。共通の価値観、一定の規律を持たない社会では、貧富の格差が拡大し、相互不信が高まり、権力が腐敗する。

個々の利害を超えて、社会として成り立つための共通の価値観を作りだすことは、どうすれば可能だらうか。そこで哲学はどのやうな役割を果たすことができるか。

真実を探り当てる

全ての行動は、何を正しいと考へるかが出発点になる。デカルトフッサールも、絶対的な真理を目指した。そのためにデカルトは全てを疑ふことから始めて、考へる私といふ疑ひ得ないものを見出した。しかしそこには唯我論の危険がある。フッサールは、意識が世界を知るといふのは、継続的な行ひであると考へた。真実は、一度見出せば明確に決り変はらないものなのではなく、探究を続けるに従つて深まるものだと見た。

神ならぬ人間には、絶対的な真理を手にすることはできない。人間にとつての真理は、常に暫定的なもの、今のところの真理、これまでにたどり着けた真理に留まる。かうした見方が正しいとすれば、真実は相対的なものなのだから社会の共通の価値観などあり得ないと考へる人もゐるかも知れないが、人間としての限界を踏まへて、自分とは異なる意見も尊重するといふ姿勢が共有されれば、そこから社会としての最低限の決りを作り上げることもできる。民主主義といふのは、かうした考へ方に基づいた制度だと言へる。

多様性の許容を阻むもの

しかし、現実には心理的な事情や宗教的な理由で、自分は絶対的な真実を持つと主張する人達がゐる。価値観が見失はれた時代には、人は何かを信じたくなる。疑ふといふのは大変な仕事なのだ。何かを信じた方が話は簡単になる。多様性を認めるには、心の強さが欠かせない。

また、一神教を信じる人達にとつては、人間の知恵には限界があるからこそ、神を信じるべきだ、といふことになるのだらう。信者にとつては布教は義務だ、といふ話も聞く。宗教ではないが、今の中国の共産主義も、絶対的な真理として喧伝されてゐる。

だが、「コーランか、剣か」といふ言葉で知られるイスラム教も、実際には他の宗教との共存を容認してきた歴史もある。現代のテロリストがイスラム教を旗印に掲げてゐる例が目に付くのは事実だが、それはこの論文にもあるやうに、テロリストがイスラム教を正しく理解してゐるからではなく、洗脳の道具として使つてゐるだけに過ぎないと見ることもできるだらう。イスラム教にさうした道具として使はれ易い面があることは、否定できないが。

極端な貧困や政治的指導層の保身など、宗教や信条とは別の次元での要因も大きいと見るべきだらう。さうした要因を取り除くことができれば、人間の限界についての理解を基礎とした多様な価値を持つ人々の共存も不可能ではないと思ふ。

 

 

男の心と女の心

今年のノーベル文学賞を受賞したアニー・エルノ(1940-)が、受賞講演で「私は自分の一族と自分の性の恨みを晴らすために書く」といふ趣旨の発言をしたと聞き、アラン(1868-1951)が1923年9月22日に書いたプロポを思ひ出した。
行ひは思ひに規律を与へるが、それを道具へと貶(おとし)めもする。その例は政治の世界に幾らでも見つかる。主義を重んじる男が大臣は勿論、副知事になつただけでも、人間的な価値は二の次だと認める。必要性が姿を現すのだ。一番酷い精神の隷属は、最も多くを求める行ひである戦争に現れる。そこでは許したいと思ふ人間を銃殺隊に引き渡し、一番重んじる人間を確実な死へと送り出すこととなる。ここにあるのは素早く、勇気を持ち、冷酷な男の心だ。
女の心は必要性といふものを決して十分には理解しない。ここでは人間性が支配し、それだけを考へて、報いたり許したりする。母は子を身ごもる。外の世界の必要性は、どのやうなものでも、この自然の繋がりを変へはしない。常に自らの法則に従ひ、生きるのも滅びるのも一緒だ。女の判断はこのやうなもので、欠点があり、殆ど見境がないと言へるが、決して過(あやま)たないとも言へる。同じものを見てゐないのだ。女は弱く、守られてゐる。だから、人間の秩序について優れた判断をし、外の秩序についての判断は劣る。同じく弱くて守られてゐる教会のやうに、やむを得ぬ時は外部の必要性を耐へ忍ぶが、それを蔑(さげす)んでゐることに変はりはない。女が閉ざされた世界での価値の判断者であるのは、「愛の法廷」*1や騎士道の制度が示す通りだ。気まぐれで、頑固で、同じ理由を繰り返し、証拠に耳を貸さず、出口の無い状況でも変はらない、これは常に純粋に人間的な判断の結果だ。自然に、必要に応じて手段を調整し、様々な職務の男に実行を求める。バルザックが倦(う)むことなく描いたところだ。
オーギュスト・コントの著作にも見られるこれらの原則に戻ることを怠ると、人は子供つぽい矛盾に陥る。女は従はねばならぬ、といふのは決まり文句だし、支配するのは女であることが多い、とも良く言はれるのだから。真実は、外的な状況に少しでも猶予があると、女は人間的なものを求めて支配する、といふことだ。しかし、外部の必要性が感じられると、女は、男の命令により、譲らねばならない。男は自分自身が従はねばならぬ命令を伝へてゐるだけだ。全く同様に、繁栄の時には政治家は世論に従ひ、外的な危機の時には必要性を市民に負はせるが、最初にこれを身に受けるのは彼自身だ。
男の力は曖昧だ。教育があり賢明な男でも、力を持つと、自分が好んでゐたものの多くを手放す。人は、見かけから、彼は権力を得たと言ふ。しかし、彼はより一層従ふやうになつたといふのが物事の真実だ。男は、動けば動くほど、絶対に従はねばならぬ場面に出会ふ。樹が悪い方に倒れたら飛び退く樵(きこり)のやうに。他人を突き飛ばすことで助けることもある。行ひは容赦なしだ。この行ひの突風は、細かなことにも見られ、深く考へず、一見すると常識や正義、憐憫の情、愛情に反してゐるので、女の眼には言語道断だと映る。そして、男の突風は昂つて突き飛ばさうとし、必要性と憎しみに酔ふのが常だから、結局正しいのは常に女であるのは、政治家に対して市民が常に正しいのと同じだ。だから、仕事や地位、そして力は、女の価値を落とす。かうして、抽象的な両性の平等により、人間はその主張の中心で弱められ、機械的な必要性だけが法を定めることとならう。

今の価値観で読むと、男と女の役割分担が旧来の型を抜け出してをらず、特に、女性の社会進出に否定的だと見える最後の部分については、異論も多いだらう。ただ、外的な必要性と人間の価値といふ二つの軸を分けて考へるといふ視点は、人間の社会を考へる際に有用なものだらう。

ものの見方について

ものの見方は常に一面的だ。人は一度に全ての面を見ることはできないから。しかし、これはどんな見方も同じ価値を持つ、といふことではない。物事の姿がよく分かる視点もあれば、そこからみても何を見てゐるのか全く分からないやうな視点もある。

物自体は極めて多様な性質を持つ。その本質が何かを語ることは、特定の視点を前提としなければ、成り立たない。そもそも、対象を物として切り出すことが、大きな前提を置くことなのだ。これを踏まへた上で、ある問題意識から対象を見る際に、その問題意識にうまく対応して、対象の性質を浮き彫りにできるやうな視点があり得る。

言葉は、それ自体が世界を見る一つの視点だと言へる。世界をうまく描き出す言葉もあれば、何を指すのか分からないやうな言葉、人の目を眩ませるやうな言葉もある。
(ここで、言葉とは、単語に限らず、概念、表現を含んだものとして考へてゐる。)
私達が生きて行くためには、世界の姿や目指すべき目標をはつきりと浮かび上がらせるやうな言葉を育てることが大切だ。これを心掛けて言葉を使ふことを学ぶべきだ。かうした言葉が残されてゐるのが古典だと言へるだらう。

人の生き方については、レイモンド・チャンドラー(1888-1959)が書いた有名な台詞がある。「強くなければ生きていけない。優しくなければ生きていく資格がない。」*2これはアランが男と女に分けて考へた二つの軸を、一人の人間の中で同居させる必要を説いたものだと見ることができる。

*1:中世のフランスで行はれた宮廷の遊びで、裁判所を真似た形で、法や愛について議論した。詳しくはWikipediaの記事(仏文)を参照。

*2:原文では If I wasn't hard, I wouldn't be alive.If I couldn't ever be gentle, I wouldn't deserve to be alive.

量子もつれの哲学的な意味

今年のノーベル物理学賞は、量子もつれに関する先駆的な実験を行つた3人の研究者に贈られた。「量子もつれ」とは、二つの物体が離れてゐても、あたかも一つであるかのやうに振る舞ふ現象で、アインシュタイン(1879-1955)は量子力学が予測するこの現象を、「幽霊のやうだ」として否定してゐたが、それが現実に生じてゐることを示したのが、今回の受賞者達なのだ。

量子もつれとは

量子もつれの状態は、物体といふものに関する私達の基本的な考へを揺るがす。これを説明したノーベル賞のサイトの解説の一部を訳してみる。

二つの粒子が量子もつれの状態にある時には、一方の粒子の状態を測定する人は、他方の粒子に対する同様の測定の結果を確認する必要はなく、直ちに知ることができる。一見すると、それほど不思議ではないかも知れない。粒子の代はりに球を考へると、ある方向には黒い球が、逆の方向には白い球が送られる実験を思ひ描くことができる。ある観察者が球をつかんで白だと分かれば、直ちに逆の方向に進んだ球は黒だと言ふことができる。量子力学が特別なのは、球に相当するものが測定されるまでは決まつた状態を持たないといふ点だ。まるで、両方の球が、誰かがどちらか一方を見るまでは灰色であるかのやうに。見られると、ランダムに黒か白になり、他方の球は逆の色になる。

ここでは二つの点に注意すべきだらう。一つは、物の状態が、見られる前と後では変化すること。もう一つは、離れてゐる二つの物体が、瞬時に一方が黒だと他方が白になるといふ不思議な関係を保つてゐること。

私達は、見てゐやうと見てゐまいと、物の状態は変はらないと考へる。それが「物」といふものだ。人の場合には、見られると態度を変へるといふことがあるかも知れないが。ところが、量子力学では、生物ではない歴(れつき)とした物体が、見られると状態を変へるのだ。むしろ、物の状態は、どのやうに観察するかと分けて考へることはできない、と言ふべきかも知れない。

決定論の否定

この考へが正しいとすれば、全ては予め決められてゐるといふ決定論は、量子力学によつて実験的に否定されたことになる。哲学者たちは決定論と自由意志との関係について悩んで来たわけだが、そもそも決定論が誤りだつた、あるいは、人間が自らに課した前提に過ぎなかつたのだとすれば、問題自体が意味のないものだつたのだ。

カント(1724-1804)が「物自体」といふ考え方を導入したのも、この決定論と自由との両立を図るためだつたが、それはカントが古典的な力学の見方に捉はれてゐたことから出て来た問題だつたと言へる。実際、カントはかう述べてゐる。

あの一般物理学の原則のうちには、真にわれわれの要求する普遍性をもつものがいくらか見いだされる。たとえば、実体は残留し持続する、すべて生起するものはつねに原因により、恒常的法則にしたがってあらかじめ決定されている、などの命題がそれである。

(『プロレゴーメナ』「超越論的主要問題」第二編いかにして純粋自然科学は可能であるか 第十五節から。坂部恵『カント』から引用。講談社学術文庫版260頁)

カントがここで「普遍性をもつ」と言つてゐる原則は、知恵を使ひ世界に働きかけて生きる人間には、欠かせないものだらう。確かな手ごたへのない物は、動かせない。何の法則もなければ、経験から学ぶこともできない。しかし、この原則は、「普遍的」ではなかつたのだ。

量子力学の更なる拡がり

量子力学の考へ方を踏まへると、自然科学と社会科学との境目も、これまで思はれてゐたほど明確なものではなくなる。また、透視や念力のやうに、従来、あり得ないとされてゐた現象、説明ができなかつた現象にも、新しい光が当てられる可能性がある。当面の応用としては、量子情報理論を応用した暗号通信などが注目されてゐるが、量子力学が秘めた力は、極めて広い範囲に及ぶと期待される。

民主主義についてのチャーチルの言葉

「民主主義は最悪の政治形態である。ただし、過去の他のすべての政治形態を除いては。」といふのは、ウィンストン・チャーチル(1874-1965)の言葉としてよく知られてゐる。しかし、調べて見ると、これは元々チャーチル自身の言葉ではないやうだ。

この言葉が出て来るのは、1947年の議会での演説だ。その原文はこのサイトで読むことができる。(かうした文章を簡単に見つけることができるのはWWWの素晴らしさだと改めて思ふ。)その部分は次のやうになつてゐる。

Many forms of Government have been tried, and will be tried in this world of sin and woe. No one pretends that democracy is perfect or all-wise. Indeed, it has been said that democracy is the worst form of Government except all those other forms that have been tried from time to time; but there is the broad feeling in our country that the people should rule, continuously rule, and that public opinion, expressed by all constitutional means, should shape, guide, and control the actions of Ministers who are their servants and not their masters.

拙いながら訳してみる。

数多くの政府の形が試されてきました。この罪と災ひの世界では、これからも試されるでせう。民主主義が完璧で全知全能だと言ひ張る者は一人もゐません。実際、「民主主義は政府の最悪の形だ、時折試された他の全ての形を除けば」と言はれて来ました。しかし、私達の国では、かういふ気持ちが一般的です。人々が統治すべきだ、継続的に統治すべきだ、そして、合憲的なあらゆる方法で表明された世論が、閣僚の行動を形作り、導き、監督すべきだ、閣僚は人々の使用人であり主人ではない、さういふ気持ちです。

これを読む限り、チャーチルは「最悪の形」の部分を、他の人の言葉として取り上げてゐる。この理解は、Richard Langworth氏の記事でも裏付けられる。元の言葉を誰が言つたかは不明のやうだ。チャーチルらしい皮肉な言ひ方で民主主義を擁護した言葉といふ理解が一般的だと思ふが、さうではなかつたのだ。

しかし、元々誰の言葉かといふ問題はさて置き、チャーチルが民主主義を肯定してゐることは確かだと見える。演説の引用した部分でも、人々が主で、閣僚は僕(しもべ)だといふ明確な立場が述べられてゐる。

ところが、この演説の背景を考へると、さう単純な話でもないらしい。Lobelogの記事に依れば、チャーチルの演説の目的は、民主主義についての理念を述べることではなく、当時の議会で懸案となつてゐた上院の権限を弱める法案に反対することが主な狙ひだつた、といふのだ。

歴史的な事実といふのは、名句の由来といふ比較的簡単なことでも、確かめるのが難しいのがよく分かる。世の中に流布してゐる話の多くは、誤りではないとしても、部分的であつたり、単純化されてゐたりするのが普通だ。さうした「情報」だけを信じてゐると、大きな誤りを犯すことになる。忙しい時代だからこそ、時には自ら原典にあたり、背景を調べ、簡単な要約を鵜吞みにしないといふ姿勢を大切にしたい。

 

 

議会制民主主義を守る

安倍元首相の暗殺事件を受けて、NHKが「安倍元首相 銃撃事件の衝撃」といふ特別番組を流してゐた。その中で、御厨貴氏が次のやうな発言をしてゐたのが印象的だつた。

先づ、現在の状況をどう見るか。

テロを呼び込むのではないか、といふことまで考へなければならなかつたのが戦前の政治だが、戦後はそれを考へずに済んだ。そこに自然災害、感染症、戦争までやつてきて仕舞つた。人心が相当惑つた。どうやつて生き抜けば良いか。これまでは国や会社の保障があり、不満はあつても、それなりにやつて行けた。今は、自暴自棄になる人が結構ゐて、問題を起こしたりするのだが、その果てに、テロといふものが起きた。ありとあらゆる国家を傷つけることが順番に起き、ついにテロが発生した。

次に、政治とはどのやうなものかについての意見。

皆んなが言ひたいことを言へる社会になつたものだから、分断がはっきりして来る。皆んな、賛成か反対かでしかものを言はないから、その中間領域がなくて、あつちかこつちか、Aを選ぶかBを選ぶか、二値論理的に単純になつていく。
しかしよく考へたら、我々の生活とか我々の政治はそんな単純なものぢやない。Aかも知れない、Bかも知れない。一番良いのはそれをうまくマリアージュして、ある程度不満を残しながらも、全体としてこれなら許せるねといふところまで持つていく。これは議論しなければできない。何でも言へる社会になつたが、だからといつて、自分の要求がそのまま通る訳ではない。通らないとき、気に入らないときに、暴力的な手段を使ふのではなくて、発言することの責任を引き受けねばならない。言論とはそういふものだ。言論による政治を復活させるためには、さういふところで我々が気を配らないといけない。

最後に、政治家に求められること。

政党政治家はここで右顧左眄してはいけない。暴力的な問題から目を背けようとか、すぐに力で抑へようとか、さういふ話ではなくて、自分たちの政治に何か足りなかつたのかを考へて、有権者と言葉でもつて結びついて行く、その契機をもう一度重要視して、議会制民主主義を守るといふ行動を取るべき。
有権者が本当に思つてゐること、して欲しいことをストレートに受け止めて、それを次の選挙に勝つためとか何とかいふのではなく、本当に国民のためになることをやれば選挙には勝てるので、もう一度国民本位に戻つて考へる、これが政治家にとつて喫緊の課題ではないか。それを有権者が監視する。「議会制民主主義を守らなければならない」といふことをスローガンのやうに言つても守られないので、実際に内容のある議論を尽くすことで、その実を取つていく、さういふことだと思ふ。

「実際に内容のある議論を尽くす」といふのは時間のかかる仕事だ。SNSがさうした議論の場として不適当なのは明らかだし、テレビの討論番組も詰まらない。どの党の人間も、聴衆を前に点数を稼ぐことしか考へてゐないのがあからさまに見えて白けるのだ。問題の複雑さや、利害の対立を認めながら、政策的な選択肢を議論できる場をどう築いて行けるかに、民主主義の将来がかかつてゐると言へるだらう。

顔を躾ける

アラン(1868-1951)の1922年3月4日付けのプロポ。

誰もの顔に飛んでくる類(たぐひ)の表情がある。話すのを止められないお喋りのやうに、露(あらは)にするのを止めることができない目、鼻、口がある。新聞を買ふ時にも、偉さうな人、脅すやうな人、決然とした人、あるいは陰気な人や、馬鹿にしたやうな人がゐるのが分かる。私の知合ひは、いつでも笑つてゐた。これは悲しい特権で、人を愚かにする。賢さうな風の人は気の毒だ。それは守れない約束だから。言つてみれば、顔が最初に考へて、実際の会話は、無言の返事といつまでも折り合ふことがない。ぎこちなさは、主として、自ら望んではゐないのに送り出してしまふこの伝言によつて生じると、私は考へてゐる。伝言の意味は、本人も知らないのだ。鼻や眉や口髭の具合で刺客の顔をした人に出会ふと、私には、臆病で、そのために凶暴にもなり得る人が見える。衣装を着けてはゐるが、役が何なのか知らない役者のやうだ。

この小さな禍(わざはひ)から、望まないことは何も表さないやうに顔を躾(しつ)けるべし、といふ昔ながらの礼儀の決りが出て来る。主(あるじ)である心は、先づ、避難所に隠れるやうに、中立的な見かけの後ろに引き下がらねばならない。この用心をしないと、見かけの虜(とりこ)になり、いつでも返事が間に合はないこととなる。心や感情は、そして美しさでさへ、先づ隠されるべきもの、取つて置くべきものなのだ。人の顔は、かうして表すのを拒むことで完成し、言つてみれば裏返しになる。これにより自身のなかに身を隠すのだ。他人の中のかうした逃走を一筆(ひとふで)で追ふことは、画家の仕事だ。写真家には出来ない。美しい顔の人がこの大きな秘密をよく知つてゐるとは言へない。かうしてその人物は物見高い人々の餌食となる。微笑みが価値を持つには、先づ鏡や家具に向かつて微笑まないことだ。『パルムの僧院』には、眼が見るものと会話してゐるかのやうなブルジョワ娘が出て来る。この馬鹿げた小娘を神のやうなクレリアと比べてみ給へ。クレリアの顔には、演技ではない無関心しか表れてゐなかつた。しかし、我々の文学陳列室で一番美しい肖像は、多分、『村の司祭』のヴェロニクだらう。驚くほど美しい娘で、その表情は痘瘡で暗く仮面を被つたやうになつてゐるが、深い感情の効果で元の美しさを取り戻す。女性の真の力とは、望むときに美しくなれるといふことだらう。全ての女性の本物の力とは、さういふものだ。美しさとは、多分、この美しさの巡りに他ならないだらう。心の豊かな女性は、絶えず新しい姿を見せる。画家にはやるべき事がたくさんある。この動く魔法を表現しなければならないからで、それが「絵を生かす」といふことだ。

それは効果によつて感じ取ることができる。また、本物の媚(こび)は、気に入られることを避けようとする。その最も正しい動きとは、美しくあるのを拒むことだ。知性にはいつでも、理解しすぎるのを拒むことが含まれてゐるやうに。それは結局、自然のものを低く見て、心を許すことの価値を高めることだ。ここで私は母から娘への教へを書いてゐるやうだが、私の意図は別にある。見る者への効果を考へてゐるのではない。関心があるのは、印が返つて来て送り手に強く働きかけるといふ点だ。美しさも、褒めそやしに応へると醜くなる。私が言ふことの証拠はすぐに見つかるだらう。包まれてゐない美しさは、やがて多少の気難しさ、不安、ある種の攻撃的な愚かさを示すやうになる。同様に、注意深さの印は、注意を殺す。観察者は、一番良い状態にあるときには、ぼんやりしてゐるやうに見える。

人の顔が、そのあらゆる面で私達を欺くことは、これで十分述べた。そして、私は悲劇の仮面といふものがよく分かるやうになる。それは変はらない形で、役を告げてゐる。貧しい人の顔では、大きな集まりを整へるには強さが足りなかつたのだ。

思ひついたことを何でも口にするのが不躾(ぶしつけ)なことは常識だらうが、美しさも隠すべきだといふのは、意外に思ふ人もゐるかも知れない。

この話を読んで、フランスの語学学校で見かけた米国人の女の子を思ひ出した。その娘は、いかにも米国人らしい明るい娘で、育ちも悪くない感じだつたが、「見て、私、綺麗でせう」と全身で叫んでゐるといふ印象を与へた。見てゐると、フロム(1900-1980)が『愛するといふこと』に書いてゐる、現代では人々は少しでも良い商品を探すやうに愛する相手を探してゐる、そこで誰もが自分を商品のやうに売り込まうとする、といふ話が思ひ浮かんだりした。他方で、フランス人の女の子の多くは、自尊心が高いと言ふか、自分を売り込まうといふ態度はあまり見せないやうな気がした。

 アランといふ人は女性にモテた人で、1943年9月18日の日記には、「いつでも新しい恋を受け入れ、ハーレムを支配してゐるなどと言はれたこともある」が、「私は浮気をしない放蕩者débauche fidèleだつたのだ」などと書いてゐる。