男の心と女の心

今年のノーベル文学賞を受賞したアニー・エルノ(1940-)が、受賞講演で「私は自分の一族と自分の性の恨みを晴らすために書く」といふ趣旨の発言をしたと聞き、アラン(1868-1951)が1923年9月22日に書いたプロポを思ひ出した。
行ひは思ひに規律を与へるが、それを道具へと貶(おとし)めもする。その例は政治の世界に幾らでも見つかる。主義を重んじる男が大臣は勿論、副知事になつただけでも、人間的な価値は二の次だと認める。必要性が姿を現すのだ。一番酷い精神の隷属は、最も多くを求める行ひである戦争に現れる。そこでは許したいと思ふ人間を銃殺隊に引き渡し、一番重んじる人間を確実な死へと送り出すこととなる。ここにあるのは素早く、勇気を持ち、冷酷な男の心だ。
女の心は必要性といふものを決して十分には理解しない。ここでは人間性が支配し、それだけを考へて、報いたり許したりする。母は子を身ごもる。外の世界の必要性は、どのやうなものでも、この自然の繋がりを変へはしない。常に自らの法則に従ひ、生きるのも滅びるのも一緒だ。女の判断はこのやうなもので、欠点があり、殆ど見境がないと言へるが、決して過(あやま)たないとも言へる。同じものを見てゐないのだ。女は弱く、守られてゐる。だから、人間の秩序について優れた判断をし、外の秩序についての判断は劣る。同じく弱くて守られてゐる教会のやうに、やむを得ぬ時は外部の必要性を耐へ忍ぶが、それを蔑(さげす)んでゐることに変はりはない。女が閉ざされた世界での価値の判断者であるのは、「愛の法廷」*1や騎士道の制度が示す通りだ。気まぐれで、頑固で、同じ理由を繰り返し、証拠に耳を貸さず、出口の無い状況でも変はらない、これは常に純粋に人間的な判断の結果だ。自然に、必要に応じて手段を調整し、様々な職務の男に実行を求める。バルザックが倦(う)むことなく描いたところだ。
オーギュスト・コントの著作にも見られるこれらの原則に戻ることを怠ると、人は子供つぽい矛盾に陥る。女は従はねばならぬ、といふのは決まり文句だし、支配するのは女であることが多い、とも良く言はれるのだから。真実は、外的な状況に少しでも猶予があると、女は人間的なものを求めて支配する、といふことだ。しかし、外部の必要性が感じられると、女は、男の命令により、譲らねばならない。男は自分自身が従はねばならぬ命令を伝へてゐるだけだ。全く同様に、繁栄の時には政治家は世論に従ひ、外的な危機の時には必要性を市民に負はせるが、最初にこれを身に受けるのは彼自身だ。
男の力は曖昧だ。教育があり賢明な男でも、力を持つと、自分が好んでゐたものの多くを手放す。人は、見かけから、彼は権力を得たと言ふ。しかし、彼はより一層従ふやうになつたといふのが物事の真実だ。男は、動けば動くほど、絶対に従はねばならぬ場面に出会ふ。樹が悪い方に倒れたら飛び退く樵(きこり)のやうに。他人を突き飛ばすことで助けることもある。行ひは容赦なしだ。この行ひの突風は、細かなことにも見られ、深く考へず、一見すると常識や正義、憐憫の情、愛情に反してゐるので、女の眼には言語道断だと映る。そして、男の突風は昂つて突き飛ばさうとし、必要性と憎しみに酔ふのが常だから、結局正しいのは常に女であるのは、政治家に対して市民が常に正しいのと同じだ。だから、仕事や地位、そして力は、女の価値を落とす。かうして、抽象的な両性の平等により、人間はその主張の中心で弱められ、機械的な必要性だけが法を定めることとならう。

今の価値観で読むと、男と女の役割分担が旧来の型を抜け出してをらず、特に、女性の社会進出に否定的だと見える最後の部分については、異論も多いだらう。ただ、外的な必要性と人間の価値といふ二つの軸を分けて考へるといふ視点は、人間の社会を考へる際に有用なものだらう。

ものの見方について

ものの見方は常に一面的だ。人は一度に全ての面を見ることはできないから。しかし、これはどんな見方も同じ価値を持つ、といふことではない。物事の姿がよく分かる視点もあれば、そこからみても何を見てゐるのか全く分からないやうな視点もある。

物自体は極めて多様な性質を持つ。その本質が何かを語ることは、特定の視点を前提としなければ、成り立たない。そもそも、対象を物として切り出すことが、大きな前提を置くことなのだ。これを踏まへた上で、ある問題意識から対象を見る際に、その問題意識にうまく対応して、対象の性質を浮き彫りにできるやうな視点があり得る。

言葉は、それ自体が世界を見る一つの視点だと言へる。世界をうまく描き出す言葉もあれば、何を指すのか分からないやうな言葉、人の目を眩ませるやうな言葉もある。
(ここで、言葉とは、単語に限らず、概念、表現を含んだものとして考へてゐる。)
私達が生きて行くためには、世界の姿や目指すべき目標をはつきりと浮かび上がらせるやうな言葉を育てることが大切だ。これを心掛けて言葉を使ふことを学ぶべきだ。かうした言葉が残されてゐるのが古典だと言へるだらう。

人の生き方については、レイモンド・チャンドラー(1888-1959)が書いた有名な台詞がある。「強くなければ生きていけない。優しくなければ生きていく資格がない。」*2これはアランが男と女に分けて考へた二つの軸を、一人の人間の中で同居させる必要を説いたものだと見ることができる。

*1:中世のフランスで行はれた宮廷の遊びで、裁判所を真似た形で、法や愛について議論した。詳しくはWikipediaの記事(仏文)を参照。

*2:原文では If I wasn't hard, I wouldn't be alive.If I couldn't ever be gentle, I wouldn't deserve to be alive.