議会制民主主義を守る

安倍元首相の暗殺事件を受けて、NHKが「安倍元首相 銃撃事件の衝撃」といふ特別番組を流してゐた。その中で、御厨貴氏が次のやうな発言をしてゐたのが印象的だつた。

先づ、現在の状況をどう見るか。

テロを呼び込むのではないか、といふことまで考へなければならなかつたのが戦前の政治だが、戦後はそれを考へずに済んだ。そこに自然災害、感染症、戦争までやつてきて仕舞つた。人心が相当惑つた。どうやつて生き抜けば良いか。これまでは国や会社の保障があり、不満はあつても、それなりにやつて行けた。今は、自暴自棄になる人が結構ゐて、問題を起こしたりするのだが、その果てに、テロといふものが起きた。ありとあらゆる国家を傷つけることが順番に起き、ついにテロが発生した。

次に、政治とはどのやうなものかについての意見。

皆んなが言ひたいことを言へる社会になつたものだから、分断がはっきりして来る。皆んな、賛成か反対かでしかものを言はないから、その中間領域がなくて、あつちかこつちか、Aを選ぶかBを選ぶか、二値論理的に単純になつていく。
しかしよく考へたら、我々の生活とか我々の政治はそんな単純なものぢやない。Aかも知れない、Bかも知れない。一番良いのはそれをうまくマリアージュして、ある程度不満を残しながらも、全体としてこれなら許せるねといふところまで持つていく。これは議論しなければできない。何でも言へる社会になつたが、だからといつて、自分の要求がそのまま通る訳ではない。通らないとき、気に入らないときに、暴力的な手段を使ふのではなくて、発言することの責任を引き受けねばならない。言論とはそういふものだ。言論による政治を復活させるためには、さういふところで我々が気を配らないといけない。

最後に、政治家に求められること。

政党政治家はここで右顧左眄してはいけない。暴力的な問題から目を背けようとか、すぐに力で抑へようとか、さういふ話ではなくて、自分たちの政治に何か足りなかつたのかを考へて、有権者と言葉でもつて結びついて行く、その契機をもう一度重要視して、議会制民主主義を守るといふ行動を取るべき。
有権者が本当に思つてゐること、して欲しいことをストレートに受け止めて、それを次の選挙に勝つためとか何とかいふのではなく、本当に国民のためになることをやれば選挙には勝てるので、もう一度国民本位に戻つて考へる、これが政治家にとつて喫緊の課題ではないか。それを有権者が監視する。「議会制民主主義を守らなければならない」といふことをスローガンのやうに言つても守られないので、実際に内容のある議論を尽くすことで、その実を取つていく、さういふことだと思ふ。

「実際に内容のある議論を尽くす」といふのは時間のかかる仕事だ。SNSがさうした議論の場として不適当なのは明らかだし、テレビの討論番組も詰まらない。どの党の人間も、聴衆を前に点数を稼ぐことしか考へてゐないのがあからさまに見えて白けるのだ。問題の複雑さや、利害の対立を認めながら、政策的な選択肢を議論できる場をどう築いて行けるかに、民主主義の将来がかかつてゐると言へるだらう。