ラットの脳細胞で動くロボット

8月15日付け読売新聞の29面に、ラットの脳細胞を使つてロボットを動かす実験についての記事が載つてゐる。英国レディング大学における研究で、通常のロボットの制御に使はれてゐるICの代はりに、ラットの脳細胞を培養したものを使ふといふ試みである。実験の長期的な狙ひは、脳における記憶の仕組みを解明することにあるやうだ。ウェブにも、簡単な紹介が載せられてゐる。
http://www.rdg.ac.uk/about/newsandevents/releases/PR16530.asp

 

この実験を日本語で紹介したページもあり、こちらの方が情報は詳しい。
http://www.mypress.jp/v2_writers/beep/story/?story_id=1760753

 

上記の日本語のサイトに、つぎのやうな疑問が提示されてゐる。
今回は「生きているラットの脳細胞」です … 30万という少数ですが、そのラットの脳細胞は、自分が置かれている「世界」を認識する事になるのでしょうか? … 認識されたとしたら、それはどんなものなのだろう?

 

ここでは「認識する」といふ言葉が何を指すかについて、よく考へる必要があるだらう。それが、「外界の状況に応じて自らの行動を変へる」といふ広い意味であるならば、通常のロボットでも世界を認識してゐることにならう。しかし、「世界に意味を与へる」といふ狭義の認識は、動物にも可能かどうか、議論がある。まして、ラットの脳細胞と機械的な身体との組み合はせでは、無理だと思はれる。

 

では、通常のラットとこの実験のラットの脳細胞付きロボット(短くするために、以下「ラボット」と呼ばう)とは、何が違ふのか。また、ラボットと通常のロボットとでは、何か違ひが出てくるのか。

 

前者の問題について興味深い点の一つは、ラボットの脳がどのやうな構造を持つに至るか、といふ点だ。脳機能の発達は、身体との情報のやりとりを通じて行はれるので、どのやうな身体を持つかによつて、脳の成長が異なる道をたどることは、間違ひないだらう。また、使はれる脳細胞も影響を与へると思はれる。ラットの脳は、神経幹細胞が分化しながら形成されるのに対して、ここで使はれてゐるのは、分化した脳細胞を培養したもののやうなので、さらに様々な脳細胞へと姿を変へることはないやうに思はれる。この想定が正しければ、できあがるラボットの脳の構造は、通常のラットとは全く異なり、多様性の小さなものになるだらう。

 

それでは、ラボットとロボットの違ひは何か。実験結果を待たなければ判断はできないが、半導体と生きた脳細胞との差は、後者が、言はば自律的に変化する点にある。半導体は、あらかじめ設計されたとほりにしか動かないし、さうでないと設計の失敗なのだが、脳細胞は、あらかじめ知られてゐない動きを示す可能性がある。そもそも、この種の実験が記憶の解明といふ期待されてゐる意味を持つには、かうした自律的な脳細胞の動きが、記憶の形成に重要な枠割を果たしてゐるといふ前提が成り立つ必要があると思はれる。その期待が現実のものとなるか、今後が注目される。