文明と軍隊

本日(8月26日)付け朝日新聞の朝刊の、「東南アジア紀行 半世紀」に、「日本の立場で世界見るべきだ」といふ見出しで、梅棹忠夫氏の話が載つてゐた。国立民俗学博物館顧問、88歳である。

 

東南アジアは東欧と似て、大国に囲まれ歴史的地理的に制約が多い。それぞれの国が小さく、発展には限界がある。インドシナ紛争に巻き込まれたこの地域が、日本の戦後のように復興したかと言えば、そうでもない。日本には戦前の知識の集積があった上に、戦後に民衆の活力の発露をさまたげていた軍がいなくなった。これが大きい。
 ビルマミャンマー)のように軍が支配しているところはよくない。私が訪れた時も食堂から靴屋まで軍が経営していた。

 

梅棹氏が東南アジアの国々を回つたのは、半世紀前の話ではあるが、示唆に富む指摘だ。現在でも、ミャンマーでは軍が力を持つてゐるし、王政のタイでも、軍は無視できない。大国ではあるが、中国やパキスタンも、軍の地位が高いといふ点では、同様だ。かうした国々では、何故、軍が力を維持してゐるのか。他国の侵略から自国を守るため、といふのは、必ずしも最大の要因ではない。軍が、唯一の規律を持つた組織なのだ。国を纏めるためにも、軍が必要なのである。民政に移ると、すぐに汚職や腐敗が問題となり、清潔な印象が強い軍に対する期待が高まる。軍に汚職がないわけではないのだが。

 

戦前の日本でも、これに似た状況がなかつたわけではない。青年将校たちの間に、「君側の奸」を排除すべきだ、といつた議論が出てゐたのは、貧しい農村出身者が多い彼らの眼には、都会の政治家や官僚が、腐りきつた俗物と見えたからだらう。

 

戦後、軍が力を失つたのは、占領軍の「お蔭」だが、それが、財閥解体などと相まつて、旧来の枠を取り払ふことにより、日本の急速な発展に寄与したことは確かだ。しかし、代はつて生まれた文民の政権が、汚職や腐敗があつたとしても、それなりに戦後の日本の経営に成功したことは、日本といふ国の成熟度の高さを示すといふべきだらう。

 

ベルクソンの書簡集に、第一次大戦中に行はれた米国人とのインタビュー記事が載つてゐる。その一節。
("Correspondances", p.623-624)

 

<<If I understand you, M. Bergso, what you have said is also a principle with us Americans ; yet we have taken much of our territory regardless of it. Have you not done the same in the case of your possessions and colonies, Algiers, Morocco and the rest?>>
<<It cannot be said>>, replied M. Bergson, <<that these were nations. They were warring tribes. They had no solidarity, no national consciousness. They had not proved to the world the usefulness, even to themselves, of their turbulent condition. So our theory that a people who have welded themselves together until they have become a collective human entity does not apply to bands of individuals in the state in which the inhabitants of Algers, Morocco and our other possessions were before France took charge of them>>.

「私の理解が正しければ、あなたの言はれたことは我々米国人にとつても一つの原則です。しかし、我々は、それを無視して領土の多くを手に入れました。あなた方も、アルジェ、モロッコなどの領地や植民地で、同じ事をしたのではありませんか。」
ベルクソン氏は応へた。「あれらの地域を国と呼ぶことはできません。彼等は争つてゐる部族でした。連帯感や、国としての意識を持つてゐませんでした。自分たちの騒然とした状況が、世界にとつて、自分たちにとつてさへ、有用だと示すことはありませんでした。ですから、自分達を統一して、一つの集合的な存在となつた人々についての我々の理論は、フランスが管理する以前のアルジェ、モロッコ、その他の我々の領地の住民がゐた状態にある個人の群れには、適用されないのです。」

 

自国の「文化」で世界を染め上げようとする画一的なドイツの侵略政策を批判し、多様性を重んじるフランスの立場を述べるベルクソンに対して、米国人記者が発した問と答である。要するに、アルジェやモロッコの住民は、文明の水準に達してゐないといふ主張であり、植民地主義の典型的な主張だといふべきだらう。ベルクソンの口から、このやうな言葉が出てくるとは驚きだし、アルジェやモロッコの人達が納得するとも思へない議論だ。

 

それはともかく、さうしたベルクソンでも、西洋人が渡来した当時の日本が、国の体を成してゐないとは言へなかつただらう。日本が植民地化を免れたのは、欧州から一番遠いところにあつたといふ地理的な理由だけではなく、国として、文明としての纏まりを持つてゐたからでもあらう。