「復活」と「魂の存続」

"Annales Bergsoniennes III Bergson et la Science" に載つてゐる Bertrand Saint-Sernin 氏の論文、"L'Interconnexité entre les Êtres selon Les Deux Soureces de la Morale et de la Religion"に付された注(p.303)に、キリスト教の人間観がまとめられてゐる。

 

liberté de chaque homme ; lien indissoluble du corps et de l'âme, à l'image de l'Incarnation de Dieu dans le Christ ; croyance à la résurrection de la chair, à l'image de la Résurrection du Christ ; croyance à la Rédemption ; croyance en un lien intersubjectif si fort qu'il fait de tous les hommes <<un seul corps>>

一人ひとりの人間の自由; 神がキリストの肉体を得たことに見られるやうな、身体と魂との解き得ない結びつき; キリストの復活に見られるやうな、肉体の復活を信じること; (キリストによる人類の)罪の贖(あがな)ひを信じること; 人間の間には強い絆があり、人類は「一体」であるといふ信念;

 

ベルクソンは、かうした信念を共有してゐたのだらうか。個人としてのベルクソンと学者としてのベルクソンとは区別して考へるのが良いだらう。学者としてのベルクソンは、「復活」といふ言葉は使つてゐない。死後の魂の存続を指すには、生き延びるといふ意味の"survie"を使つてゐる。『思想と動くもの』の序論II で、プラトン流の議論の進め方と自らの方法との違ひを示すために取り上げてゐる問題も、人間は復活するか、ではなく、魂は身体の死後も存続するか (l'ame survit-elle au corps?) といふものである (OEuvres p.1288)。従つて、学者としてのベルクソンは、「身体と魂との解き得ない結び」といふことまでは言へないと考へてゐたと思はれる。

 

個人としてのベルクソンについては、断定は難しい。ベルクソンに強い共感を覚えてゐた小林秀雄について言へば、冒頭にあげたキリスト教の人間観に見られるやうな、肉体の復活は信じてゐなかつただらうと思はれる。