川勝平太『日本文明と近代西洋』

川勝平太(1948-)氏の『日本文明と近代西洋』(1991)を読む。良く知られた人であるやうだが、迂闊にして、これまで読んだことがなかつた。

 

第一部 日本と西欧の併行的「脱亜」 - アジア文明圏からの自立 がおもしろい。木綿の西方伝播とイギリス産業革命、木綿の東方伝播と日本産業革命を比較して、形態や時期にこそ差はあるものの、インド木綿からの自立といふ点で共通してをり、言はば対称的に生じた現象であることを、東西において求められた木綿の差や、支払手段となる銀の調達手段の違ひなどを織り込みながら説明してゐる。

 

日本の産業革命を、世界的な視野で捉へて分析したところが特徴で、狭い専門分野だけを扱ふ学者からは聞くことのできない話には、教へられるところが多い。欧州が乗り出す以前から、木綿のみならず、茶、絹、香辛料などのアジア製品が、インド洋を中心に活発に取引されてゐて、そこでは回教徒商人が活躍してゐたことを知ると、東南アジアにおける人種や宗教の分布が納得できるやうな気がする。

 

第二部 「経済と文化」の構想 の方は、まだ、著者の構想が明確な形を取るに至つてゐないといふ印象を受ける。今西錦司氏の「自然学」について、こちらが全く不案内なせゐもあるだらうが。

 

日本の異質性は、日本人自身がもっとも意識してきたところであり、日本の知識人によって、後進性であるとか、「封建遺制」であるとか、マイナス評価が与えられてきた。このような見方には、西洋中心的な偏見が影をおとしている。まず、そのような知的偏見から自由になることが大切である。(246頁)
といふ主張は、尤もだ。日本は、明治以降、「先進国」の中で唯一のアジアの国であるといふ時代を過ごしてきたので、我々の先人たちは、欧米人が経験してゐない苦労を強ひられ、その分だけ、物の見方が歪んでしまつたことは確かだらう。

 

さうした見方を脱却し、日本独自のアイデンティティを主張しようといふのが著者の目指すところなのだが、大きな問題なので、様々な分野の専門家を集めて、共通の問題意識を持ちながら、時間をかけて議論を深めていくといふ仕組み作りが必要なのではないかといふ気がした。