『徳富蘇峰 終戦後日記』を読む

終戦の日が近づいたこともあり、『徳富蘇峰 終戦後日記』を読んだ。徳富蘇峰(1863-1957)は、戦前に活躍したジャーナリスト、歴史家で、戦前の一大論客。大日本言論報国会の会長などを務め、戦後は戦争責任者として批判された人である。そんな蘇峰が終戦後に何を思つたのか。

 蘇峰は、太平洋戦争は日本が一方的に起こしたわけではなく、欧米とアジアの争ひといふ世界史的な大きな流れの中で、米国に挑発される形で日本が立ち上がつたのだと考へてゐる。かうした見方は、戦後の日本、特に米国占領下ではタブーだつたが、今では普通に主張されるやうになつた。賛否はともかく、かうした主張が封殺されてゐたことからも、戦後といふのが異常な時代であつたことが分かる。

しかし、日本に非がなかつた訳ではない。戦争をするからには、負けてはいけない。何故負けたのかを蘇峰は考へる。そして、当時の指導者層に問題があつたとする。ここで蘇峰の主張が一般的な議論と大きく異なつてゐるのは、昭和天皇を責任者の一人だとしてゐる点だ。最近の一般的な見方では、昭和天皇は平和主義者だつたが、「君臨すれども統治せず」といふ英国王室的なお考へから、開戦にも反対されなかつた、しかし、このままでは国が滅びるとのご判断から終戦を決定された、といふことになつてゐる。しかし蘇峰は、大元帥であらせられた陛下がそんなご様子では戦争に勝てるはずがないと考へる。

海軍と陸軍の不仲は、日本の敗戦の大きな一因だつたが、戦前の体制で両者を統一して国としての方針を示すことが出来るのは、天皇お一人(及びそれを補佐する人々)だつた。丸山眞男が指摘したやうに、ドイツの戦争犯罪人が自分の責任を認めた一方で、日本の軍人は、個人的には反対だつたが周囲の勢ひに抗ふことは無理だつた、といふやうな言ひ訳を述べることが多かつた。それは、個人的な無責任といふ問題に留まるものではなく、制度的に大元帥がをられ、そこからの指示で動くといふ建前になつてゐたことも無視できないだらう。そして、大元帥からは何のご指示もないので、それぞれが自分勝手に動くやうになる。

蘇峰の軍隊に対する幻滅も大きい。日本人を含む一般住民を虐待したり、敗戦後に物資を持ち去つたりといふ所行が言語道断なのは言ふまでもない。勝つ見込みがないのであれば、中国での戦線を拡大しなければ良かつたではないか、といふ気持ちも窺へる。そもそも、日中事変がどこまで計画的に行はれたかは疑はしい。そして、止める者もゐなかつた。国民は歓呼の声で迎へ、新聞はこれを煽つてゐた。

解説の御厨貴氏の指摘にもあるやうに、かうした構造、責任者層の無能は、今日の日本でも余り変はつてゐない。

歴史は過去の物語だ。直接見聞きすることは出来ないので、文章などの物を通じて想ひ描く他はない。その際に、通史のやうな大きな流れをまとめた文章だけでなく、日記のやうな当時生きてゐた人の個別の感想を読むことで、より具体的な姿を想像することができる。この本は、著者が戦前論壇の大物といふ点でも、近代の歴史に関心を持つ人には必読と言ふべきだらう。