昭和天皇「拝謁記」

NHK昭和天皇「拝謁記」は興味深い番組だつた。NHKのサイトには番組の情報が載せられてゐて、放送ではカットされた情報も見ることが出来る。

「拝謁記」は、初代宮内庁長官だつた田島道治が残した昭和天皇との対話の記録で、これまで知られてゐなかつた事が多く書かれてゐる「超一級」の資料である。

個人的には昭和天皇が早い段階から改憲再軍備を主張してをられたといふのは意外だつた。勿論、戦前の軍閥は否定してをられるのだが、ソ連の脅威を重く見てをられたやうだ。また、戦後の労働運動と戦前の軍部の「下克上」を似たものとして見てをられたのも興味深い。

NHKの番組は、昭和天皇ご自身は独立回復時の声明で戦争への反省を述べたいといふ強いご意向を示されたが、吉田首相の反対でその部分は削除され、国全体としての戦争の反省がうやむやになつた、といふ論調で作られてゐたやうに思はれた。

国として戦争についての反省がきちんと出来てゐないといふのは、この国の大きな問題だと思ふ。賠償問題など、いろいろな問題が絡んでゐるので単純に割り切ることは難しいのだらうと想像はするし、様々な観点があり得るので、一つの正解が出るやうな問題ではないことも分かる。それでも、国民の間でこの問題が十分に議論されたとは言ひ難い。また、国としての基本的な考へ方、諸外国に対して日本としての立場をどう説明するかが整理されてをらず、一般国民に示されてゐない、といふのも異常だと言ふべきだらう。

その結果、東京裁判は事後法に基づくもので認められない、とか、現在の憲法は米国に押しつけられたものだ、とか言つた負け惜しみに近い議論が無くならない。これらの主張は、事実としては正しい。それでは、太平洋戦争は正義の戦ひだと言い切れるのか。

米国に押しつけられた戦後民主主義と経済復興は、日本人が戦争に関する後ろめたさを忘れるためには良い機会だつた。問題は、「一億総懺悔」のやうに、十把一絡げで話が終はり、主導者とそれに従つた人々とが区別されなかつたことだ。

戦前も選挙で国民の代表者を選んでゐたのだから指導者も一般国民も同様に責任がある、といふ主張があるかも知れない。確かに新聞も国民も戦争を煽つた。しかし、かうした考へ方が当時の事情を正確に知るために役立つとも、有益な反省につながるとも思はれない。指導者には指導者としての責任がある。それを資料に基づいて出来るだけ客観的に示し、批判すべきは批判し、改めるべきは改める、それが可能な仕組みを作る必要がある。

例へば記録の保存。今回の「拝謁記」も、焼却される寸前だつたと言ふ。先進国の名に値する国では、国家機密も数十年後には公開する仕組みが備へられてゐる。政府の意志決定の過程を記録に残さないのは無責任なのだ。

 

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