日本人と漢籍

渡部昇一(1930-2017)『実践快老生活』の第五章は「不滅の「修養」を身につけるために」と題されてゐるが、その中に、高齢者に適してゐるのは「人間学」であり、人間学の中心になるのは古典や歴史だ、といふ話が出て来る。

ここで渡部氏が古典として例に挙げてゐるのは、『論語』『聖書』『菜根譚』といつた書物である。すぐにこれらの本を読むよりも、『論語』のまえに中島敦(1909-1942)の『弟子』を読むこと、吉川英治(1892-1962)の『三国志』を読んでから中国王朝の興亡について学ぶことなどを勧めてゐる。また『易経』『神学大全』といつた本の名前も挙げられてゐるが、すべてに精通するのは専門家に任せて、自分の気に入つたところを暗記するのが良いと言つてゐる。

ここに挙げられてゐる本は、『聖書』と『神学大全』を除けば、どれも中国の古典か、これを元にして日本で書かれた本である。少し先を読むと『百人一首』『伊勢物語』『古今和歌集』などの純粋に日本の本も出て来るが、これらはどれも文学的な作品で、人としての生き方、宗教などを正面から扱つたものではない。哲学的な古典とは、渡部氏にとつてはキリスト教の本でなければ、漢籍だつた訳だ。渡部氏自身が、かう言つてゐる。

戦前の中学は漢文や英語の水準がすこぶる高く、二年生の時の漢文の授業は『論語』だったのである。ちなみに中学五年(今の高校二年)の漢文には『資治通鑑(しじつがん)』も含まれていたが、今なら大学の中国文学科の学生が読むようなものである。中学の頃に『論語』などの古典の名文句を暗記させられたことは一生の知的財産になっているように思う。

(『知的余生の方法』40頁)

ところが、今日の日本では、かうした中国の古典は殆ど顧みられることがない。例へば、人事院公務員研修所が有識者に依頼して2011(平成23)年に「若手行政官への推薦図書」といふ資料を作つてゐる。ここには新渡戸稲造(1862-1933)『武士道』、福澤諭吉(1835-1901)『文明論之概略』、マックス・ウェーバー(1864-1920)『官僚制』、マキャベリ(1469-1527)『君主論』など、70冊余りの本が並んでゐるのだが、漢籍は一つもない。中国の古典に関係がある本として、安岡正篤(1898-1983)『政治家と実践哲学』と司馬遼太郎(1923-1996)『項羽と劉邦』の二つがあるだけだ。

明治維新で江戸時代を否定して西洋文明を追ひかけることとなり、江戸幕府が奨励した朱子学には陽が当たらなくなつた。それでも残つてゐた漢籍の教育は、敗戦で戦前の文化が否定されて、殆ど消滅状態となつてゐる。

情報化時代、国際化時代の今日、何千年も前の中国の古典を読む意味などあるのだらうか。加藤周一(1919-2008)はこんなことを言つてゐる。

論語』が古典であるのは、何世紀にもわたって中国を支配し、また日本でも大きな影響を早くから及ぼして、徳川時代に支配的となったあらゆる思想の根本に、『論語』があるからです。『論語』を読むこと、それを自分なりに理解するということは、したがって中国思想を自分なりに理解すること、また日本の徳川時代--しかし徳川時代ものの考え方はいまの日本にも残っていますから、また明治以降の日本でのものの考え方の全体を、自分なりに理解するということになるでしょう。

(『頭の回転をよくする読書術』光文社版47-48頁、ゴチックは原文では傍点)

しかし、この本も初版は1962(昭和37)年に出されてをり、半世紀以上前の話である。

ともかく、中国の古典をもう一度読んでみようといふ人には、朝日新聞社が出してゐた『中国古典選』が便利だと思ふ。朝日選書、朝日文庫の両方で出てゐたが、残念ながら今は絶版のやうだ。吉川幸次郎(1904-1980)の監修。『論語』は吉川氏自身が注釈してゐて、中国の古注と新注などの『論語』解釈の歴史から伊藤仁斎(1627-1705)、荻生徂徠(1666-1728)など日本の学者の説まで紹介されてをり、冒頭の解説を読むだけで、大いに勉強した気になる。

島田虔次(1917-2000)が注釈をつけた『大学・中庸』の解説も、私のやうな初心者には非常に為になる。例へば、四書五経といふ言葉は聞いたことがあるが、四書と五経の違ひなど余り考へたことはなかつたところ、島田氏に、かう教へられる。

儒教の歴史を唐宋の際で二分して、唐以前の儒教を「五経」中心の儒教、宋以降のそれを「四書」中心の儒教、とするのは中国史の常識である。宋以降一千年、今から七○年前の清朝の滅亡まで、もっとも尊重され読まれてきた経典は「四書」であったのであり、そして『大学』『中庸』が、それぞれその「四書」の一つであることはことわるまでもない。「五経」の注釈の代表的なものが後漢の鄭玄(じょうげん)(127-200)のそれであるのに対し、「四書」の注釈の最高権威は南宋朱子(1130-1200)のいわゆる「四書集注(しっちゅう)」(『大学章句』『論語集注』『孟子集注』『中庸章句』の総称)であった。

(中国古典選6『大学・中庸上』朝日文庫版5頁)

小林秀雄(1902-1983)によれば、吉川幸次郎はこんな意味の言葉を残してゐるらしい。

徳川三百年を通じての出版物のベスト・セラーは、と聞かれゝば、それは「四書集註」だと答へざるを得まい。凡そ本といふものが在るところには、武士の家にも、町人の家にも、必ずこの本は在つた。廣く買はれ、讀まれた點では、小説類も遠くこれに及ばない。

(「天命を知るとは」小林秀雄全集第12巻、404頁)

それほど重要だつた古典が、日本の文化から消えようとしてゐることも、考へさせられる。