與那覇潤『中国化する日本』(II-3 歴史:過去を伝へる)

與那覇潤氏の『中国化する日本』を読んだ。2011年に出され、評判になつた本で、10年近く遅れての読書となり、今更の感はあるが、非常に面白かつたので、感想を書いて置く。宋の時代に封建制から郡県制に移行し、皇帝独裁政治と経済社会の自由化を実現した中国、その意味で、近代化、グローバル化の先駆者となつた中国に対して、これに習はうとした平氏が源氏に敗れ、独自の道を歩むこととなつた日本、といふ対比は、新鮮かつ説得的だ。

何故「失はれた20年」か

那覇氏の説は、日本経済の現状を考へる際にも、参考になる。

1980年代に「ナンバーワン」と持て囃された日本経済が、何故、20年あるいは30年に及ぶ長い低迷の時代を経験することになつたのか。私は、組織を越えた人の移動が少ないといふことが主因だ考へて来た。それは終身雇用といふ慣行によく現れてゐるのだが、終身雇用は大正末期から昭和初期に成立したと言はれてをり、これが多少とも変はれば日本経済も元気を出すかも知れない、といふ漠然とした期待を持つてゐた。それが、この本では、日本のグローバル化(與那覇氏は「中国化」といふ言葉でこれを指してゐるのだが)の道を閉ざしたのは鎌倉幕府だとされてゐる。問題の発端は遥か遠くに遡るもので、それだけ根が深いといふことになる。

当時は優れてゐるものとされた日本の仕組みが変はつた訳ではない。むしろ、変はらないことが問題だつた。自らは変はつてゐないのに、かつての勢ひを失つたのは、(バブル崩壊負の遺産を背負つた、高齢化により人口ボーナスが失はれた、といつた内在的な要因はあるとしても)日本経済を取り巻く環境の方が大きく変はつたことが主因だらう。具体的には、冷戦の終結によつて中国が世界市場に参入し、グローバルな市場が形成されたこと、インターネットに代表される情報通信技術の進歩によつて、国際的な通信のコストが急激に低下したこと、がその主な変化だ。

この新しい世界で勝負するには、国際的な調達によりコストを下げ、世界市場を相手にしたマーケティングで規模の経済を実現する必要がある。国内の下請け企業とすり合はせながら部材を調達し、終身雇用の人材を抱へ、国内市場を基盤として海外に展開するといふ戦略を基本としてきた日本企業は、かうした変化への対応が大きく遅れた。日本企業のビジネスモデル自体がガラパゴス化したのだ。

日本の特殊性

日本といふ国は、確かに変はり者だ。以前に「日本人の腦、日本の言葉」といふ記事で書いたが、日本語を母国語とする人は、その他の大多数の人々とは異なり、母音を言語処理の優位半球(多くの場合左脳)で処理してゐる。これは一つのやや特殊な例に過ぎないが、與那覇氏は、中国と比較する形で、日本の特殊性を示してゐる。氏によれば、中国は「可能な限り固定した集団を作らず、資本や人員の流動性を最大限に高める一方で、普遍主義的な理念に則った政治の道徳化と、行政権力の一元化によって、システムの暴走をコントロールしようとする社会」なのだが、その特徴は次のやうに整理される。

  1. 権威と権力の一致
  2. 政治と道徳の一体化
  3. 地位の一貫性の上昇
  4. 市場ベースの秩序の流動化
  5. 人間関係のネットワーク化

これに対して、日本は、次のやうな特徴を持つてゐる。

  1. 権威と権力の分離:名目上のトップはおほむね「箔付け」のための「お飾り」であり、運営の実権は組織内の複数の有力者に分掌されてゐる。
  2. 政治と道徳の分別:政治とはその複数の有力者のあひだでの利益分配だと見なされ、統治体制の外部にまで訴へかけるやうな高邁な政治理念や、抽象的なイデオロギーの出番はあまりない。
  3. 地位の一貫性の低下:たとへ「能力」があつても、それ以外の資産(権力や富)が得られるとは限らず、むしろそのやうな欲求を表明することは忌避される。
  4. 農村モデルの秩序の静態化:前近代には世襲の農業世帯が支へる「地域社会」の結束力がきはめて高く、今日に至つても、規制緩和や自由競争による社会の流動化を「地方の疲弊」として批判する声が絶えない。
  5. 人間関係のコミュニティ化:ある時点で同じ「イエ」に属してゐることが、他の地域に残してきた実家や親戚への帰属意識より優先され、同様にある会社の「社員」であるといふ意識が、他社における同業者とのつがなりよりも優越する。

那覇氏は、本の中で、かうした日本の特徴が現代の政治に及ぼす影響について詳しく述べてゐるのだが、経済面の影響も大きい。次のやうな事態が生じるからだ。

  • 変化の時代にはトップの決断が重要なのだが、サラリーマン社長には、大きな変革を指導する見識も実力も無い。
  • 大きな変革のためには、今後の方向を示す指導的な理念が欠かせないが、さうした理念を示すといふ訓練ができてゐない。
  • 能力と待遇が一致しないので、特に仕事の割に給与が安い若手や中堅については、優秀な人材を外から採用するのが難しい。年功序列などの能力とは異なる指標で待遇を決めて来たので、そもそも能力を評価するといふ経験が乏しい。
  • 自社内の雇用のみならず、下請け企業のことも考へなければならないので、思ひ切つた策が講じられない。
  • 同業他社への転職は裏切りと見做されるので、経験を生かした転職が難しい。会社側としても、即戦力の中途採用が困難になる。

かうした日本経済の問題は、未だに解決したとは言へない状況だ。規制緩和で企業の負担を軽減する方向の施策が講じられてきたが、コスト削減のために非正規雇用者を増やしたり、資産を売却したりといつた縮み指向の経営が目立ち、現金をため込む結果となつてゐる企業が目立つ。そもそも、企業とは株式等によつて資金を調達し、事業によつて収益を上げて、社会のニーズに応へるとともに投資家に還元するための組織のはずだ。それが現金をため込んで、どう使へば良いのかが分からなくなつてゐるとも見える状況は、本末転倒としか言ひ様が無い。

GDPでは世界第3位の地位を保つてゐるとは言へ、2位の中国とは3倍近い差がある。一人当たりGDPでは、シンガポールの3分の2の水準に落ち込んだ。韓国にも追ひ上げられてゐる。

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資料:GLOBAL NOTE 出典:IMF
日本の未来

それでは、この国には衰退の道しかないのか。與那覇氏は、三段階の「中国化」、最悪の場合には北朝鮮化といふあり得るシナリオを示しながら、「人口開国」により世界中から来た人がお年寄りを支へる仕組みを作る、世界に示すべき理念を持たない中国に憲法九条を押し付ける、などの道を探るべきだと述べてゐる。

かうした意見には、反論もあるだらう。ただ、はつきりしてゐるのは、日本の進むべき道は日本人が自分で考へるしかない、といふことだ。日本といふ国は、他にはない特徴を持つた国であり、世界の発展に独自の貢献ができる力を持つてゐる。グローバル化といふ条件を前提としながらも、その中で自らの特徴を生かす道を探ることが重要だらう。

人文社会科学の社会への還元

那覇氏の本は、最近の歴史学の成果を踏まへて、「日本の中国化」といふ大きな物語を作り上げたものだ。人文社会科学の成果が生かされるのは、人々の理解を通じてである。自然科学の成果が、人々の理解の有無に関らず、物を通して人々の生活を改善するのとは異なる。従つて、研究成果の普及啓発が欠かせないと言ふべきだらう。専門家は、それぞれの研究成果を分かり易い形で、社会に示す義務がある。與那覇氏の本は、さうした役割を果たすといふ意味でも、有意義なものだ。様々な反論もあるだらうが、さうした反論によつて議論が盛んになることが大切なのだ。

那覇氏はこの本の執筆後、鬱病を患ひ、大学を辞めるといふことにもなつたが、最近ではさうした経験を生かした本『心を病んだらいけないの?―うつ病社会の処方箋―』で小林秀雄賞を受賞してゐる。今後の活躍を期待したい。

なほ、『中国化する日本』については、ネット上にも様々な書評が載つてゐるが、その中では、季刊政策・経営研究2012.Vol.4中谷巌氏の評が良いものだと思つた。佐藤優氏の評も興味深い。