日本人の脳、日本の言葉

角田忠信(1926-)といふ人が『日本人の脳』といふ本を出したのは1978年、今から40年ほど前の事だ。2016年には『日本語人の脳』といふ本も出てゐる。角田氏は、独自の試験方法を用ゐて、日本語(及びポリネシア語)を母国語とする人は、その他の言語を母国語とする人達とは違つて、母音を言語処理の優位半球(多くの場合左脳)で処理してゐる、といふことを見出した。さらに、虫の声や動物の鳴き声も日本語を母語とする人は、優位半球で処理してゐる。日本人には虫や動物も何かを語るやうに聞え、それ以外の大多数の人達には雑音に過ぎないといふのだ。人の叫び声は母音を伸ばしたものであるが、欧米の人も中国人も、それを言葉の優位半球では処理してゐない。叫びは言葉ではないのだ。西洋人では論理(ロゴス)と感情(パトス)が別々の半球で処理されてゐるが、日本人は両者を同じ半球で処理する。日本人の脳では生き物の世界とものの世界が分けられてゐるのだ。

角田氏自身の論文は、ネットで見られるものもある。

「正常な人の脳に見られる最近の知見」(『計測と制御』昭和60年11月)

この角田氏の主張は、日本人の特殊性を強調するものとして、欧米では殆ど相手にされなかつた。試験方法が特殊で、追試が難しかつたことも、さうした冷淡な反応の一因だらう。しかし、ポリネシア語でも同じ現象が見られるのだとすれば、単に日本人が変はり者だといふ話ではなく、世界への向き合ひ方として、西洋型(大陸型とも言へるだらう)とは異なる自然との共生を重視した型があり得ることを示す説になるだらう。

この本を読んだのは数年前だが、これを思ひ出したのは、コーラスの先生から、日本人の発声について、口を横に開いて発音する「あ」を美しい音だと感じるのは、日本人とポリネシア人だけだ、といふ話を聞いたからだ。「ぶりつ子」アイドルが出すやうな甘えた「あ」の音は、西洋音楽的な発声ではバツなのださうだ。

そこで、日本語とポリネシア語には何か関係があるに違ひない、と思いネットを調べてみると、崎山理(1937-)といふ研究者が2012年に、

日本語の混合的特徴―オーストロネシア祖語から古代日本語へ音法則と意味変化―
といふ論文を書いてゐるのを見つけた。日本語の起源については、様々な議論があつて、怪しい説にも事欠かないが、これは国立民族学博物館の研究報告に載つてゐるものなので、学問的にある程度認められたものだと見て良いだらう。

日本語は,北方のツングース諸語および南方のオーストロネシア語族の両文法要素を継承する混合言語である。日本語の系統もこの視点から見直そうとする動きがすでに始まっている。これまでに発表したいくつかの拙稿では日本語におけるオーストロネシア系語源の結論部分だけを述べたものが多かったが,本稿では音法則を中心とした記述に重点を置き,意味変化についても民俗知識に基づいた説明を行った。

といふもので、日本語の語源についても、新しい観点を提供するものだと感じた。

この崎山氏の論文を読みながら思ひ出したのは、Jared Diamond氏の名著"Guns, Germs, and Steel"。第17章"Speedboat to Polynesia"には、現在のポリネシアで話されてゐる言語の大半は台湾から出てゐる、といふ話が書かれてゐる。だとすれば、台湾から日本に流れて来た人達によつてオーストロネシア語と共通の根を持つ言葉が齎されたと考へることは不自然ではない。勿論、日本語は混合言語なので、これで全てが説明されるわけではないが、韓国語と日本語はあれほど文法的に似てゐるのに、共通の言葉が少ないのは何故だらうといふ疑問に、一つの回答を与へて呉れる。

日本といふ国は、西洋諸国は言ふまでもなく、中国とも異なる特徴を持つてゐる。さうした特徴を誰にでも理解できる形で整理して示すことは、世界文化の発展にも貢献することになる。研究者の奮起を期待したい。