東京オリンピック開催の目的

The Economist誌が、日本政府がオリンピック開催に固執する理由についての記事を出した。The impulse behind Japan’s decision to go on with the Olympic gamesといふ題で、2022年に冬季オリンピックを開催する中国には負けたくないといふ気持ちなどの「愛国心」が、日本政府の態度の裏にある、といふ趣旨の記事だ。仮に、この記事が指摘するとほり、東京オリンピックを開催するのが日本の威信を高めるためだとすれば、かなり危ない賭けだと言はざるを得ない。
今回のオリンピックが、普通のオリンピックにはならないことは、既に決まつてゐる。外国からの観客は来ないからだ。「おもてなし」の相手がゐなくなつて仕舞つた。外国選手や支援スタッフにしても、観光地を訪れるのは論外で、東京の街をぶらつくこともままならない。レストランでもお酒が飲めるかどうか分からない。心から日本を楽しむことは難しいだらう。
ゲームそのものも、本来の形で行はれるとは言へない。選手の中には、感染予防のために充分な練習ができなかつた人も多いに違ひない。流行の状況やワクチンの入手可能性には国により大きな差があり、始まる前から公平な戦ひではなくなつてゐる。(国の豊かさなどによつて不公平が生じるのは今回に限つたことではないが。)
試合の前にコロナ陽性が見つかる場合もあるだらう。その結果、有力チームが敗退するといつた事態も予想される。選手も欲求不満になる場合が多いだらう。
オリンピックが感染拡大の場になる恐れも大きい。国内に変異株が持ち込まれるだけでなく、世界中から人が集まることで、新しい変異株が生まれるかも知れない。WHOは変異株を国名で呼ばないと決めたが、ローマ字や数字が並ぶ名前は分かりにくいので、もし東京で新種が出れば、「日本株」の略称で呼ばれることは避けがたい。日本で感染した人が帰国後に母国で感染を広げることも予想される。
要するに、東京オリンピックによつて、日本に対する尊敬や好感が増す可能性はかなり低く、逆に恨みや軽蔑を招く恐れは大きいのだ。公平なゲームの実現が難しいことや、感染拡大の恐れを理由に、中止を決める方が、日本の評判を落とすリスクは小さいのではないか。世界的な理解も得られるだらう。
「日本はオリンピックもまともに開催できないのか」と馬鹿にする国もあるだらうが、さうした国は、日本が何をしても文句を言ふのだ。IOCとの約束は守らないといけないと考へる日本人もゐるだらうが、馬鹿正直に約束を守らうとする日本を、世界の場では、理不尽な約束をさせられた交渉下手とか、上手く断る方策も考へつかない愚か者と見るのが普通ではなからうか。
しかし、オリンピックが中止されることはないだらう。それは、この国の指導者に勇気や自信があるからではない。むしろ逆だ。
この国は、動き出したものを止めることが苦手なのだ。誰もが「これでは仕方がない」と思ふほど事態が悪化しないと、中止決定できないのだ。新しいことを始めるのが苦手なのと同じだ。かうした時こそ、指導者の先見性や指導力が求められるのだが、今の日本の政治家にそれを期待するのは無理だらう。
残念ながら、それが今の日本の実力なのだ。