カール・シュミット『政治的なるものの概念』

今朝の朝日新聞大澤真幸氏による連載コラム「古典百名山」にカール・シュミット(1888-1985)の『政治的なるものの概念』が取り上げられてゐた。シュミットはここで敵と友の区別が政治の本質であることを主張してゐる。

政治的なものとは何かを定義するために、シュミットは政治に固有のカテゴリーを探すことから始める。そして、倫理では善・悪、美学では醜・悪、経済では得・損といふ区別が基本的なものであることに対応して、政治的なものは友・敵といふ区別によつて特徴づけられると主張する。

以前に、かうした考へ方は複雑な世の中を単純化するもので、意図は真面目なものだとしても、弊害が大きいといふ意見を述べた。ところが、上記のコラムには、次のやうに書かれてゐた。

 まったく逆に、この政治概念は、近代性ということをまじめに純粋に受け取ったときにこそ導かれるアイデアである。近代性とは、誰もが受け入れる(内容豊かな)普遍的な価値や善は存在しない、ということだ。全員に自明なものと見なされる善の観念や宗教的な規範はない。だから普遍的な善や正義が存在しているかのように仮定し、それらによって政治行動や戦争を正当化することは許されない。
 では近代の条件のもとで、政治はどうするべきなのか。暴力的とも見える仕方で秩序を押し付けるほかない。それこそが、友と敵の区別だ。「この命令を受け入れる者が友である」とする決然たる意志が必要になる。

確かに、平和な政治が成り立つためには、ある種の価値観が共有されてゐることが必要だ。それが無い場合には、力に頼るしかない。今、中国政府が香港で目指してゐるのは、まさにかうした暴力による秩序の確立だらう。逆に言へば、中国と香港には共有の価値観は存在しないことを中国政府が自ら示してゐるのだ。

シュミットは、政治的な敵は、倫理的な悪や美学的な醜であること、あるいは経済的な競争相手であることを必ずしも意味しない、と述べてゐる。経済的には敵と組むのが有利なこともある。しかし、敵は敵だ。自らの在り方と異質なものは、必要に応じて力を使つてでも排除するしかない。

大澤氏は、次のやうに解説してゐる。

シュミットが反対したのは、中立的な枠組みを与えておけば話し合いで秩序が生まれるとか、利害の調整だけで秩序が得られる、といった発想だ。内実をもった普遍的価値が前提にできないとき、こうした方法では現実的な秩序は導出できない。

米国のBlack Lives Matterの運動は、シュミットの主張の正しさを示してゐる、と言へるかも知れない。しかし、政治を力の問題に限定することは、政治を貧しいものにするのではないだらうか。むしろ、普遍的価値を共有させることこそ、政治の役割ではないのか。

シュミットは、純粋に宗教上の、あるいは倫理上、法律上、経済上の理由で戦争をするのは馬鹿げてゐると言ふ。宗教上などの対立が強まれば、命のやりとりが係る政治的対立に発展するが、政治の立場からすれば、対立の理由は何であれ、友・敵といふカテゴリーが当てはまるかどうかが問題なのだ。

シュミットの理論は、現代の状況を見るための有力な視点を提供するものかも知れない。しかし、かうした理論が注目されるのは、異なる立場を踏まへた利害の調整による平和の維持といふ、本当の政治が今の時代に欠けてゐることを示してゐるやうに思はれる。

日本語訳の『政治の本質』には、シュミットの論文の他に、マックス・ウェーバー(1864-1920)の「職業としての政治」も収められてゐる。

英訳”The Concept of the Political"には、シュミットの1929年の論文"The Age of Neutralizations and Depoliticizations”と解説が入つてゐる。

御進講録

『御進講録』といふ本がある。吉川幸次郎(1904-1980)の師である狩野直喜(1868-1947)が大正天皇昭和天皇に御進講した際の原稿を整理して1984年に出版されたものだ。「尚書堯典首節講義」「古昔支那に於ける儒学の政治に關する理想」「我國に於ける儒學の變遷」及び「儒學の政治原理」の4つの講義が収められてゐる。

今回は「我國に於ける儒學の變遷」を読み返して見たのだが、宮崎市定(1901-1995)による解説には、次のやうに書かれてゐる。

第三部「我国に於ける儒学の変遷」は、昭和四年十一月中、二回の御進講の内容である。日本は奈良時代における儒学の輸入に始まり、如何に異国の文物制度を我国に適応せしむるかに努力し、次第に目的を達成して、本来の国俗と融合せしめ、徳川時代に至りては、独自の発達を遂げて、時には中国に先行する研究方法を発明し、彼地の学者がこれを勦竊 *1して、自己の著述を飾るに至った経過を述べる。最も要領を得たる日中文化交渉史の概観と言うべきである。

 徳川時代に日本の儒学が進んだのは、鎖国が一因で、中国からの最新研究が入つて来なくなつたので、あれこれ読んで博学になるのではなく、「僅か計りの書を熟讀」して自己の考へを練つたので、独創の見も出て来た、といふ話は面白い。やはり儒学の本場は中国なので、そこの最新研究は気になる。それを追ひかけてゐては、独創は難しい。

伊藤仁斎(1627-1705)が「命」「性」「天道」「理」などの言葉について精密に研究して朱熹(1130-1200)の解釈の誤りを指摘したのは、清の考証学者戴震(1724-1777)の業績に先立つこと七十年であるとか、山井鼎(?-1728)の『七經孟子考文』は足利学校に残されてゐた古写本で明以来の版本の文字の誤りを正したものだが、この本は乾隆帝が編纂させた『四庫全書』の経部に外国人の著述として唯一収められてゐるとか、興味深い。なほ、「勦竊」の話が出て来るのは伊藤仁斎ではなく荻生徂徠(物茂卿)のところである。

最後の方には、尊王攘夷思想と宋学との関係についても述べられてゐる。

なほ題名は「我國に於ける儒學の變遷」となつてゐるが、本文では「皇國」といふ言葉が使はれてをり、皇に「オ」といふカナが振つてある。

かういふ歴史を学んでも、やはり日本は東の果ての国だといふ想ひを強くする。それは必ずしも悪いことではない。世界的な文化の中心地は、争ひの地でもあつた。様々な混乱で失はれた文物が島国に残されてゐるといふこともあるのは、上記の『七經孟子考文』でも分かるとほりだ。辺境の国には辺境なりの生き方があるし、そもそも、世界の国の大半は中心国ではないのだ。

*1:狩野直喜の原稿にある言葉。読み方不明。手元の小さな漢和辞典にはこの言葉は無く、ネットで検索しても日本語のサイトは見当たらず。剽窃と同じ意味らしい。

日本人の脳、日本の言葉

角田忠信(1926-)といふ人が『日本人の脳』といふ本を出したのは1978年、今から40年ほど前の事だ。2016年には『日本語人の脳』といふ本も出てゐる。角田氏は、独自の試験方法を用ゐて、日本語(及びポリネシア語)を母国語とする人は、その他の言語を母国語とする人達とは違つて、母音を言語処理の優位半球(多くの場合左脳)で処理してゐる、といふことを見出した。さらに、虫の声や動物の鳴き声も日本語を母語とする人は、優位半球で処理してゐる。日本人には虫や動物も何かを語るやうに聞え、それ以外の大多数の人達には雑音に過ぎないといふのだ。人の叫び声は母音を伸ばしたものであるが、欧米の人も中国人も、それを言葉の優位半球では処理してゐない。叫びは言葉ではないのだ。西洋人では論理(ロゴス)と感情(パトス)が別々の半球で処理されてゐるが、日本人は両者を同じ半球で処理する。日本人の脳では生き物の世界とものの世界が分けられてゐるのだ。

角田氏自身の論文は、ネットで見られるものもある。

「正常な人の脳に見られる最近の知見」(『計測と制御』昭和60年11月)

この角田氏の主張は、日本人の特殊性を強調するものとして、欧米では殆ど相手にされなかつた。試験方法が特殊で、追試が難しかつたことも、さうした冷淡な反応の一因だらう。しかし、ポリネシア語でも同じ現象が見られるのだとすれば、単に日本人が変はり者だといふ話ではなく、世界への向き合ひ方として、西洋型(大陸型とも言へるだらう)とは異なる自然との共生を重視した型があり得ることを示す説になるだらう。

この本を読んだのは数年前だが、これを思ひ出したのは、コーラスの先生から、日本人の発声について、口を横に開いて発音する「あ」を美しい音だと感じるのは、日本人とポリネシア人だけだ、といふ話を聞いたからだ。「ぶりつ子」アイドルが出すやうな甘えた「あ」の音は、西洋音楽的な発声ではバツなのださうだ。

そこで、日本語とポリネシア語には何か関係があるに違ひない、と思いネットを調べてみると、崎山理(1937-)といふ研究者が2012年に、

日本語の混合的特徴―オーストロネシア祖語から古代日本語へ音法則と意味変化―
といふ論文を書いてゐるのを見つけた。日本語の起源については、様々な議論があつて、怪しい説にも事欠かないが、これは国立民族学博物館の研究報告に載つてゐるものなので、学問的にある程度認められたものだと見て良いだらう。

日本語は,北方のツングース諸語および南方のオーストロネシア語族の両文法要素を継承する混合言語である。日本語の系統もこの視点から見直そうとする動きがすでに始まっている。これまでに発表したいくつかの拙稿では日本語におけるオーストロネシア系語源の結論部分だけを述べたものが多かったが,本稿では音法則を中心とした記述に重点を置き,意味変化についても民俗知識に基づいた説明を行った。

といふもので、日本語の語源についても、新しい観点を提供するものだと感じた。

この崎山氏の論文を読みながら思ひ出したのは、Jared Diamond氏の名著"Guns, Germs, and Steel"。第17章"Speedboat to Polynesia"には、現在のポリネシアで話されてゐる言語の大半は台湾から出てゐる、といふ話が書かれてゐる。だとすれば、台湾から日本に流れて来た人達によつてオーストロネシア語と共通の根を持つ言葉が齎されたと考へることは不自然ではない。勿論、日本語は混合言語なので、これで全てが説明されるわけではないが、韓国語と日本語はあれほど文法的に似てゐるのに、共通の言葉が少ないのは何故だらうといふ疑問に、一つの回答を与へて呉れる。

日本といふ国は、西洋諸国は言ふまでもなく、中国とも異なる特徴を持つてゐる。さうした特徴を誰にでも理解できる形で整理して示すことは、世界文化の発展にも貢献することになる。研究者の奮起を期待したい。

 

 

 

日本人と漢籍

渡部昇一(1930-2017)『実践快老生活』の第五章は「不滅の「修養」を身につけるために」と題されてゐるが、その中に、高齢者に適してゐるのは「人間学」であり、人間学の中心になるのは古典や歴史だ、といふ話が出て来る。

ここで渡部氏が古典として例に挙げてゐるのは、『論語』『聖書』『菜根譚』といつた書物である。すぐにこれらの本を読むよりも、『論語』のまえに中島敦(1909-1942)の『弟子』を読むこと、吉川英治(1892-1962)の『三国志』を読んでから中国王朝の興亡について学ぶことなどを勧めてゐる。また『易経』『神学大全』といつた本の名前も挙げられてゐるが、すべてに精通するのは専門家に任せて、自分の気に入つたところを暗記するのが良いと言つてゐる。

ここに挙げられてゐる本は、『聖書』と『神学大全』を除けば、どれも中国の古典か、これを元にして日本で書かれた本である。少し先を読むと『百人一首』『伊勢物語』『古今和歌集』などの純粋に日本の本も出て来るが、これらはどれも文学的な作品で、人としての生き方、宗教などを正面から扱つたものではない。哲学的な古典とは、渡部氏にとつてはキリスト教の本でなければ、漢籍だつた訳だ。渡部氏自身が、かう言つてゐる。

戦前の中学は漢文や英語の水準がすこぶる高く、二年生の時の漢文の授業は『論語』だったのである。ちなみに中学五年(今の高校二年)の漢文には『資治通鑑(しじつがん)』も含まれていたが、今なら大学の中国文学科の学生が読むようなものである。中学の頃に『論語』などの古典の名文句を暗記させられたことは一生の知的財産になっているように思う。

(『知的余生の方法』40頁)

ところが、今日の日本では、かうした中国の古典は殆ど顧みられることがない。例へば、人事院公務員研修所が有識者に依頼して2011(平成23)年に「若手行政官への推薦図書」といふ資料を作つてゐる。ここには新渡戸稲造(1862-1933)『武士道』、福澤諭吉(1835-1901)『文明論之概略』、マックス・ウェーバー(1864-1920)『官僚制』、マキャベリ(1469-1527)『君主論』など、70冊余りの本が並んでゐるのだが、漢籍は一つもない。中国の古典に関係がある本として、安岡正篤(1898-1983)『政治家と実践哲学』と司馬遼太郎(1923-1996)『項羽と劉邦』の二つがあるだけだ。

明治維新で江戸時代を否定して西洋文明を追ひかけることとなり、江戸幕府が奨励した朱子学には陽が当たらなくなつた。それでも残つてゐた漢籍の教育は、敗戦で戦前の文化が否定されて、殆ど消滅状態となつてゐる。

情報化時代、国際化時代の今日、何千年も前の中国の古典を読む意味などあるのだらうか。加藤周一(1919-2008)はこんなことを言つてゐる。

論語』が古典であるのは、何世紀にもわたって中国を支配し、また日本でも大きな影響を早くから及ぼして、徳川時代に支配的となったあらゆる思想の根本に、『論語』があるからです。『論語』を読むこと、それを自分なりに理解するということは、したがって中国思想を自分なりに理解すること、また日本の徳川時代--しかし徳川時代ものの考え方はいまの日本にも残っていますから、また明治以降の日本でのものの考え方の全体を、自分なりに理解するということになるでしょう。

(『頭の回転をよくする読書術』光文社版47-48頁、ゴチックは原文では傍点)

しかし、この本も初版は1962(昭和37)年に出されてをり、半世紀以上前の話である。

ともかく、中国の古典をもう一度読んでみようといふ人には、朝日新聞社が出してゐた『中国古典選』が便利だと思ふ。朝日選書、朝日文庫の両方で出てゐたが、残念ながら今は絶版のやうだ。吉川幸次郎(1904-1980)の監修。『論語』は吉川氏自身が注釈してゐて、中国の古注と新注などの『論語』解釈の歴史から伊藤仁斎(1627-1705)、荻生徂徠(1666-1728)など日本の学者の説まで紹介されてをり、冒頭の解説を読むだけで、大いに勉強した気になる。

島田虔次(1917-2000)が注釈をつけた『大学・中庸』の解説も、私のやうな初心者には非常に為になる。例へば、四書五経といふ言葉は聞いたことがあるが、四書と五経の違ひなど余り考へたことはなかつたところ、島田氏に、かう教へられる。

儒教の歴史を唐宋の際で二分して、唐以前の儒教を「五経」中心の儒教、宋以降のそれを「四書」中心の儒教、とするのは中国史の常識である。宋以降一千年、今から七○年前の清朝の滅亡まで、もっとも尊重され読まれてきた経典は「四書」であったのであり、そして『大学』『中庸』が、それぞれその「四書」の一つであることはことわるまでもない。「五経」の注釈の代表的なものが後漢の鄭玄(じょうげん)(127-200)のそれであるのに対し、「四書」の注釈の最高権威は南宋朱子(1130-1200)のいわゆる「四書集注(しっちゅう)」(『大学章句』『論語集注』『孟子集注』『中庸章句』の総称)であった。

(中国古典選6『大学・中庸上』朝日文庫版5頁)

小林秀雄(1902-1983)によれば、吉川幸次郎はこんな意味の言葉を残してゐるらしい。

徳川三百年を通じての出版物のベスト・セラーは、と聞かれゝば、それは「四書集註」だと答へざるを得まい。凡そ本といふものが在るところには、武士の家にも、町人の家にも、必ずこの本は在つた。廣く買はれ、讀まれた點では、小説類も遠くこれに及ばない。

(「天命を知るとは」小林秀雄全集第12巻、404頁)

それほど重要だつた古典が、日本の文化から消えようとしてゐることも、考へさせられる。

老後の過ごし方

老後の生活に関する渡部昇一(1930-2017)の本を二冊読んだ。義弟が貸してくれたのである。渡部昇一については、やや極端に右寄りの論客といふ印象を持つてゐて、何となく毛嫌ひしてゐた人なのだが、読んでみると同感するところが多かつた。

『知的余生の方法』新潮新書(2010)と『実践・快老生活』PHP新書(2016)の二冊。前者は著者80歳、後者は86歳の時に出された本だ。書かれてゐる内容は、あまり違ひはないのだが、『知的余生の方法』といふ題を付けられると、整理された方法論を期待して読む。しかし中身は自身の経験談が中心で、改めてあれこれ調べて書かれた本ではないので、少し肩透かしを喰つた感じになる。『実践・快老生活』は、最初から「教訓の書ではなく、思うままの一つのレポートなのである」と書かれてゐて、体験談として読むので、同じ中身でもすつと入つて来る気がする。

『知的余生の方法』の目次は以下のとほり。

 はじめに

 第一章 年齢を重ねて学ぶことについて

 第二章 健康と知恵について

 第三章 余生を過ごす場所について

 第四章 時間と財産について

 第五章 読書法と英語力について

 第六章 恋愛と人間関係について

 第七章 余生を極める

 あとがき

『実践・快老生活』では、かうなつてゐる。

 第一章 「歳をとる」とはどういうことか

 第二章 凡人にとって本当の幸福は「家族」である

 第三章 「お金」の賢い殖(ふ)やし方、使い方

 第四章 健康のために大切なこと

 第五章 不滅の「修養」を身につけるために

 第六章 次なる世界を覗(のぞ)く

 あとがき

書かれた時期は6年違つてゐても、老年をどう過ごすかといふ同じ問題を扱つてゐるので、両方に出て来ることも多い。例へば、本多静六(1866-1952)の説いた天引き貯金。また、パスカル(1623-1662)やアレクシス・カレル(1873-1944)を引用しながらの「オカルト」の話、佐藤一斎(1772-1859)の『言志晩録』など。英語学の先生なので、語源から説き起こす話が多いのも共通してゐる。

なるほど、と感心したり、さうなのか、と気づかされた点も多い。例へば

  • 若く死んだ漱石(1867-1916)の小説は詰まらないが漢詩は楽しめること
  • 歳をとっても記憶力は衰えない、といふ渡部氏自身の体験談
  • 高橋是清(1854-1936)が奴隷に売られた話
  • 文法抜きで英語を教えると、少し長い文章や、複雑な文章は絶対に読めるようにはならないこと など。

凡人にとって本当の幸福は「家族」である、といふのも、その通りだと思ふ。「時を失することなく結婚を奨めよ」といふお話は、わが身に切実である。

他方で、相続税廃止の主張とか、キャリア女性への冷たい視線など、自分とは意見が違ふな、と思ふところもある。地方の名家が文化を支へる大きな力であるのは事実だし、子供を産むのが女性にしかできないのも確かだけれど。

年金を貰へる歳になつて読む立場からすれば、渡部氏が老後に大切だとしてゐるお金にしても家族しても、「一日にして成らず」で、今更言はれても困る、といふ気がしないでもない。著者自身が「若い人、あるいは壮年期の人がご自分の老後の生活をイメージするときには何らかのヒントを提供しているかもしれない」(『実践・快老生活』あとがき)と言つてゐるやうに、「若い」人こそ読むべき本だと言ふべきか。

アレクシス・カレルといふ人は知らなかつたけれど、ノーベル生理学・医学賞を受賞した科学者でありながら、渡部氏の言ふ「オカルト」的な主張をしてをり、優生学を主張して物議を醸してもゐる、なかなか興味深い人物である。その本も読んでみようかと思つてゐる。

 

 

時代劇

NHK大河ドラマ麒麟がくる」に帰蝶役で出演してゐる川口春奈さんは、よく知られてゐる経緯で急遽代役になつたのだが、好評のやうだ。同じNHKの「鶴瓶の家族に乾杯」で岐阜県を訪れるのを見た。ご本人は言ふまでもなく大変チャーミングな女性なのだが、帰蝶の方が更に魅力的な気がした。これは、役者の方には誉め言葉だと思つて書いてゐる。

アラン(1868-1951)の『芸術の体系』の一節を思ひ出す。長谷川宏さんの翻訳で引用する。

 多くの人が、自分はありのままに判断してはもらえないと思っている。そんな思いにかられるのは、動物的本性の示すしるしやごまかしが、自他のあいだに入りこむからだ。考えていることを言いたいと思ったら、思いうかぶすべてを口にしてはいけない。同様に、自分がそのままおもてに出ることを望むなら、すべてをおもてに出すのではなく、習慣と均衡とをともども考慮して外見を作り直さねばならない。そうして初めて、猿ではなく人間がおもてに出てくるのだ。

 さて、女性の自然な姿は、男性のすがたよりも弱く、落ち着きがなく、不安定なものだから、違和感が大きいはずだ。だから、まわりがその人らしさをつかむには、装飾が欠かせない。装飾が少なく、安定性に欠け、着衣の部分が少なくなると、まわりの違和感がそれだけ増すし、当人も同じ違和感を感じる。

(光文社古典新約文庫「芸術の体系」100頁)

 アランはここで「ありのままの自分」とは何だ、と問ひかけてゐるのだとも言へる。「自分がそのまま表に出る」ことを望むのに、「すべてをおもてに出す」のではダメだ、と言つてゐるのだから。

上に引いた部分の後段は、原文ではかう書かれてゐる。

Et l'image naturelle de la femme lui est peut-être plus étrangère encore, parce qu'elle est moins forte, moins assise, moins soutenue. Il faut donc que cette femme soit parée, pour que vous saisissiez les vrais signes. A mesure qu'elle est moins parée, moins soutenue, moins vêtue, elle vous est plus étrangère, et à elle-même aussi.

 "étrangère"といふ言葉を長谷川さんは「違和感」と訳してをられて、これは良く考へられた訳語だと思ふのだが、直訳すれば「余所者(よそもの)」、「異邦人」といふ意味だ。「まわりがその人らしさをつかむ」とある部分は、「(相手となる)君が本当のしるし*1をつかむためには」となる。知らず知らずにするしぐさが意図しない意味を持つて相手に伝はるのを避けることが大切で、そのためには衣装や化粧が役立つ、と言つてゐるのだ。

「家族に乾杯」の川口さんは一人の若い女性だが、その年齢なりの不安定さを感じる。台本が無いぶつつけ本番が売りの番組なのだから、戸惑ふのは当然ではあるが、そこに川口さんの一番良いところが出てゐるとは言へない。寧ろ、作り物、お話であるテレビドラマの中で、それが出る。

それが時代劇だ、といふのも面白い。小林秀雄(1902-1983)に「故郷を失つた文學」といふ文章がある。1933(昭和8)年に「文藝春秋」に載つたものだ。その中に、なぜ時代劇が人気なのかについて書いてゐる。(文章中の括弧内の文字は原文ではルビ)

自分の生活を省みて、そこに何かしら具體性といふものが大變缺如してゐる事に氣づく。しつかりと足を地につけた人間、社會人の面貌を見つける事が容易ではない。一と口に言へば東京に生まれた東京人といふものを見附けるよりも、實際何處に生まれたのでもない都會人といふ抽象人の顔の方が 見附けやすい。この抽象人に就いてあれこれと思案するのは確かに一種の文學には違ひなからうが、さういふ文學には實質ある裏づけがない。(第5次全集 第二巻 370頁)

チャンバラ映畫や髷物小説に現れる風俗習慣は、西洋映畫に現れる風俗習慣と同じくらゐ既に私達から遠いものだ。併しさういふ社會的書割にしつくりあて嵌(はま)つた人間の感情や心理の動きがある。さういふ齟齬(そご)のない人間生活の動きが何んとはしれぬ強い魅力となつて現れる。この魅力が銀座風景よりも、見た事もないモロッコの砂漠の方に親しみを起させるものだ。(同 374頁)

 現代社会では変化が激しく、何が約束事なのか分からなくなつてゐる。それだけ、意味がうまく伝へられない、意味が分からないといふ状況になつてゐる。時代劇では、そこに描かれてゐるものが史実にどれだけ忠実なのかは議論があるにしても、ああいふ時代だといふ共有されたものの見方がある。それで落ち着いて見てゐることができる。

本当の自分つて何だらう。あらかじめ定義された自分といふものがある訳ではない。それは社会との係りの中で見つけ出していくもの、作り上げていくものだ。社会と切り離された自分など無い。そもそも人間は一人では文字通り生きて行けないのだから。その社会とうまく付き合ふには、一種の礼儀作法が欠かせない。かうした礼儀作法を身につける事を大人になると言ふ。社会の規範が乱れると、礼儀作法とは何かが分からなくなり、誰も大人になれなくなる。

*1:「しるし」"signe"といふ言葉はアランの文章ではよく出て来る重要単語だが、一つの日本語にはうまく当たらない。手元の辞書(Petit Robert)では、大きく二つの意味が挙げられてゐる。一部を訳してみる。

  1. (それが結びついてゐる他の物の)存在や正しさを結論させる感じ取られる物
  2. 1)誰かと意思疎通したり、何かを知らせるための意図的、習慣的な動き。2)一つの社会で自然の関係や慣習により複雑な現実の代はりになるとされる単純な物体。

前者の例文としては「涙が悲しみの徴候であるやうに、笑ひが喜びのしるしであることは、笑つたことがある人ならば誰も疑はない。」といふものが挙げられてゐる。「しるし」といふ日本語がほぼ当たる。後者の1)は日本語の「しぐさ」に対応する。2)は「しるし」でも良いだらう。

COVID-19の不思議

COVID-19については未解明の問題が多い。といふより、殆ど、何も分かつてゐない。

事実として確認できることで、不思議な事の一つは、「先進国」で蔓延し、死者も多く出てゐることだ。中心国や発展途上国での感染はこれから拡大するといふことも十分に予想されるので、現時点での判断ではあるけれど、それにしても先進国が軒並みやられてゐるといふのは、考へさせられる。

ちなみに所謂先進国の中に、厳しい閉鎖などのしつかりした対策も取らないのにそれほど感染が広がつてゐない、をかしな国が一つある。我らが日本だ。これは「やつぱり日本は先進国ぢやなかつたんだ」といふことなのだらうか。

先進国で流行した理由の一つとしては、交流の密度が高いことが考へらえる。新型コロナウイルスは症状が出ないうちから強い感染力を持つことが分かつて来てゐる。知らず知らずに感染を広げて仕舞ふのだから、人々が多く集まり、交流が盛んな場所ほど、感染が拡大するのは不思議ではない。

しかし、巨大都市は中進国や発展途上国にもあるが、これらの場所での感染拡大は、今のところ、それほどでもない。気候の違ひも一つの説明要因かも知れない。もう一つの仮説として、病院の普及といふことがあるのではないだらうか。先進国には病院が多く、日常的に人々が通つてゐる。体調が悪いと検査に行く。さうした場所でウイルスが広がるのだとすれば、先進国で感染が拡大したことも理解できる。

日本の場合、PCR検査の能力が低く、感染病棟も少なく、感染者は全て入院といふ当初の硬直的な運用のために、PCR検査→「感染」確認者増大→病棟満杯といふ医療崩壊の道筋がはつきりと見えてゐたので、医療関係者は声を揃へてPCR検査拡大に反対した。特に、感染率が低い状況で感度のそれほど高くないPCR検査を行ふと、偽陽性つまり実際には感染してゐないのに感染者として扱はれる人達が本物の感染者の何倍も出て来ることが計算から分かるので、PCR検査反対の声は高かつた。実際は病気でもない人達に貴重な感染症ベッドを占領されては堪らない、といふ気持ちは理解できる。

36.5°以上の熱が4日以上続いたら、保健所に連絡する、といふ方法で、その保健所でも意図的に、或いは忙しすぎて、振り分け作業が進まず、多くの人が検査にも行けない状態が続いた。それが結果的には、最大の感染源であつた可能性がある病院に人が集まるといふ状況を防いだ可能性も考へられる。勿論、「怪我の功名」といふやつだけど。