心と身体

哲学と宗教

ベルクソンを読んでゐて、次の一節にぶつかつた。(Œuvres p.1289) Mais cette raison n'est pas la seule. Il faut tenir compte aussi de ce que la métaphisique moderne se donna un objet analogue à celui de la religion. Elle partait d'une concepti…

Antonio Damasio

Antonio Damasio の"The Feeling of What Happens"を読む。数多い脳科学の本の中では、臨床例などの具体的な事実を踏まへ、一般にも分かる文章で書かれてをり、好感が持てるものの一つだ。 科学者の立場から、二元論を排するといふ立場を明確にしつつ、現時…

覚えてゐるとは

哲学者達が好んで提出する疑問に、覚えてゐるといふのは何を覚えてゐるのか、といふものがある。一人の人間でも、正面を向いた顔もあれば横顔もあり、笑顔や泣き顔、走る姿や座り込んだ様など、千変万化である。そのどれを覚えてゐるといふのか。 これは、単…

知能指数

Linda S. Gottfredson "The General Intelligence Factor" (The Scientific American Book of Brain所載)を読む。"factor g"などといふもつともらしい概念を持ち出してはゐるが、For most purposes, these inpurities make no difference, and g and IQ can …

意識と記憶、知覚の統合

人は、意識に上らなかつたものを覚えてゐることがあるだらうか。 意識するとは、覚えるための条件であり、思ひだすことの条件で ある。むしろ、思ひだすことそのものではないか。 脳の中では我々が直接には知ることがない作用が絶え間なく生じて ゐる。色を…

知行合一

知ることと為すことは同じだと、Maturana と Varela が言つてゐる。 "All doing is knowing and all knowing is doing." (The Tree of Knowledge p.27) まるで、陽明学の知行合一だが、ここでは認識と道徳的実践とが一致 すべきだといふ道徳の議論をしてゐる…

クオリア

何故クオリアが問題になるか。 人間に与へられたものが、質的に異なるものであることは確かである。 さうでなければ、それをものとして区別することができなかつただらう。 量の違ひとして捉へられるものもあらうが、質の違ひは欠かせない。 であれば、それ…

身体性認知科学

今朝の朝日新聞の書評で知つたのだが、身体性認知科学といふ学問があるのださうだ。ウェブで検索してみると、こんな本も出てゐる。 知の創成 ―身体性認知科学への招待― / R.Pfeifer C.Scheier 著 石黒 章夫 小林 宏 細田 耕 監訳 | 共立出版 日本語版の刊行…