吉田秀和さんのコラム

吉田秀和さんが、今朝の朝日新聞のコラムで、中原中也の話を書いてをられる。吉田さんの文章は、必ず読むようにしてゐるし、いつでも一読の価値がある。元気を取り戻されて、新しい言葉を読むことができるやうになり、本当に嬉しい。

吉田さんの特徴の一つは、その驚くべき記憶力である。なぜ、あれほど克明に過去の演奏を覚えてゐられるのか、不思議でならない。記憶力とは、単に生活の便利な道具ではない。ベルクソン流に言へば、精神の力が物質に食ひ入る尺度である。覚えてゐるといふのは、精神が生きてゐるといふのと同義だ。

吉田秀和さん、大野晋さん、丸谷才一さんなど、私が好んで読む人達が、高齢にも拘らずお元気で活躍してをられるのを見るのは楽しいが、この人達の後に、誰が続いてゐるのだらうか。河合隼雄さんの書かれるものも好きで読んでゐたが、惜しいことに亡くなつて仕舞つた。小林秀雄は没後、既に四半世紀である。

戦前の日本が素晴らしいところであつたなどと言ふつもりは毛頭ないが、どうも戦前育ちと戦後育ちの論者を比べると、後者には薄つぺらいところがあるやうな気がしてならない。敗戦で失つたものが大きいのではないかと思はれる。かうした歴史を省みることこそが、真の保守主義の仕事であつて、ナショナリズムを振りかざすなど、児戯に等しい。自らの過去を知らないといふのは、心が働いてゐない証拠である。