日本人の語学

日本人は外国語が苦手だと言はれる。確かに、恥をかくのが嫌ひな上に、自分の思ひを伝へたいといふ気持の余り強くない人が多いので、下手なうちは話さうとしない、話さないから上手くならない、といふ悪循環があるやうだ。

 

小林秀雄(1902-1983)のやうな外国文化を糧として生きた人でも、語学では苦労してゐる。あれほどの読解力を持つた人なのに、翻訳に細かな誤りが散見する。生の外国語に直接触れた経験が少ないからだらう。これは、本人も自覚してゐた。ヴァレリー(1871-1945)の翻訳をした際に参照した英訳と自分の訳を比べて、こんな事を言つてゐる。

だが、そこには英佛海峡の向う岸でフランス語を勉強した奴と東海の果てでフランス語を眼で覺えた奴とのどう仕樣もないひらきを、僕は實に形容し難い嫌悪の情をもつて直覺するのである。
(「井の中の蛙小林秀雄全集(第五次)第四巻53頁)

 

また、こんなことも書いてゐる。彼の考へてゐた語学力の水準が推し量られる文章である。

外國語が讀める樣になると言語で讀む方がわかりやすいと誰でも言ひ度がるものだ。だが僕の經驗によれば、さういふ意見は、半分は嘘、半分はうつかり、と言つた樣なものばかりなので、ほんたうに原語で讀む方がわかり易いのなら、その人は、默つて考へる時も外國語で考へるだらうし、寝言だつて日本語では言はないだらう。そんな人は先づゐない。
(「日本語の不自由さ」小林秀雄全集(第五次)第五巻300~301頁)

 

日本人が長い間学んできた外国語は、中国語であつた。これも、書物を通じての学習であり、訓読といふ特殊な翻訳によつて読んだのである。さうした間接的な読み方をしながらも、『論語』などの漢籍は日本人の精神的な柱となつたのだが、これは、漢文の特殊性に由るところが大きいやうだ。

 

吉川幸次郎(1904-1980)は『漢文の話』(ちくま学芸文庫)で、漢文を読む心得のはじめとして、まづ二つのノイローゼから脱却すべきだ、と書いてゐる。見慣れない漢字が頻出するのではないか、文法が厄介ではないか、といふ二つで、前者については、実際に出てくる漢字の数は五千程度だし、難読の漢字は、直観で意味がつかめるやうになると言ふ。
いよいよ妙な、かつ口はばったいことをいうようであるけれども、人人の参考として語ることを許されるならば、私は「百事人に如(し)かない」。他の才能については、人さまのようにゆかず、あまり自信がない。ただし中国文を読むことだけは、現代の水準では、国内国外を通じ、自負をもってよいと考える。私は初学であった短い時期、一しょうけんめいに字引きを引き、以後はほとんど字引きを引かない。そうして文章の上下をみつめることに専心したのが、私の能力を作ったと考える。」

 

文法についても、「源氏物語」や「枕草子」を読むほどには難しくないと言ひ、その理由を以下のやうに説明してゐる。

日本のいわゆる「古文」は、今は古文であるけれども、当時における口語である。したがって自然発生的な、理屈ではわりきれない放恣ないい方をふくむ。それを文法として整理すれば、複雑なものとなる。それに対し、漢文はその発生のはじめから、知的に整理された文章語としてあったのであり、一定の法則を意識して書かれている。

 

発音の異なる諸民族を抱へる広大な領土を治めるためには、かうした文章語が必要だつたのかもしれない。ラテン語にも、さうした性質があるのかとも想像される。

 

なほ、同書によれば、禅家の「語録」すなはち老師の言葉の記録などは、口語を直写した文章なので、訓読はあまり有効ではなく、口語訳の方がより良い方法ださうだ。

 

ともかく、かうした漢文の学習に慣れて来たことが、日本人の語学下手の一因だと言へるかも知れない。吉川幸次郎が自ら書いてゐるやうに、
ヨーロッパ語に対し、私の方法は、必ずしも有効ではない。
からである。