ベルクソンの生気説

ベルクソンは、ある種の生気説を唱へてゐた。(Œuvres p.830)

 

Que l'effort combiné de la physique et de la chimie aboutisse un jour à la fabrication d'une matière qui ressemble à la matière vivante, c'est probable : la vie procède par insinuation, et la force qui entraîna la matière hors du pur mécamisme n'aurait pas eu de prise sur cette matière si elle n'avait d'abord adopté ce mécanisme : telle, l'aiguille de pa voie ferrée se colle le long du rail dont elle veut détacher le train. En d'autres termes, la vie s'installa, à ses débuts, dans un certain genre de matière qui commençait ou qui aurait pu commencer à se fabriquer sans elle. Mais là se fût arrêtée la matière si elle avait été laissée à elle-même; et là s'arrêtera aussi, sans doute, le travail de fabrication de nos laboratoires.
 物理学と化学が力を合わせて、生命のある物質に似たひとつの物質を作ることができる日が来るかもしれません。生命は浸透によって進行します。そして、物質を純粋な機械性の外へと導く力は、もしもその力が最初にこの機械性を採り入れなかったならば、この物質に作用することはできなかったでしょう。たとえば、鉄道のポイントが、列車を別のレールに進行させようとするレールに沿って付いているのと似ています。言いかえますと、最初のころの生命は、生命なしで作られ始めていたか、作られ始めることができたかもしれないような種類の物質のなかに入り込んだのです。しかし、もしも物質がそこでそのままにされていたら、物質は止まっていたでしょう。そしておそらく、われわれの研究室での製造作業もそこで止まるでしょう。  (『精神のエネルギー』レグルス文庫版32頁)

 

かうした意見は、今日では一顧だにされないだらう。分子生物学は、生命の基本情報を伝へるDNAの構造や、その発現の仕組みを明らかにしたではないか。しかし、本当に、さうか。研究が進むにつれて、遺伝子発現の仕組みはますます複雑で精妙なものと見えて来てをり、簡単にその秘密が解き明かせるとは思はれない。ウィルスの遺伝子合成は成功したが、未だに単細胞の生命さへ作り出すことができない。遺伝子の操作も、既存の生きてゐる細胞に手を加へてゐるに過ぎない。ベルクソンの予想は外れた、といふのは、時期尚早かも知れない。