二元論の問題点

Daniel Dennett が、"Consciousness Explained" の中で、二元論が勢ひを失つた理由を述べてゐる。(p.32-)彼の言ふところでは、現代の主流の意見は唯物論 materialism であり、この世にあるのはただ一種類のもの、即ち物質であつて、精神は一種の物理的な現象にすぎない。唯物論によれば、原則として、すべての精神現象が、放射能大陸移動光合成、繁殖、栄養摂取、成長を十分に説明してゐる様な、物理的な原理や法則と原料となる物質を使つて説明できる。

 

なぜ、二元論は不評なのか。もし精神と身体が異なるもの、異なる実体だとしても、両者は関係を持つ必要がある。身体の知覚器官は、精神に情報を提供せねばならず、精神は、考へに従つて身体を適切に動かさねばならない。精神には、物理的なエネルギーや質量が伴はない。とすると、どうやつて脳細胞に影響を与へるのか。物理学の基本的な原則は、物理的な存在の動きに何らかの変化を与へるためには、エネルギーが必要だ、といふものだが、そのエネルギーはどこから来るのか。Dennett によれば、この論点は、デカルトの時代から議論されてをり、二元論の避けられない弱点だと考へられてゐる。

 

Dennett は、精神といふものが、ある種の特別な物質である可能性は排除してゐない。かつて在ると信じられてゐた「熱素」や「エーテル」が否定され、他方でニュートリノ反物質ブラックホールの存在が認められたやうに、精神についても、物理学における存在の考へ方を拡張する必要があるのだらう、と言つてゐる。

 

この考へは二元論と似てゐるやうではあるが、Dennett によれば、基本的な違ひは、精神を科学的に探究するといふ姿勢が維持されてゐるといふ点である。精神実体論の魅力は、神秘的で科学を寄せ付けない存在を約束してゐることではないか、と彼は疑つてゐるのだ。この基本的に反科学的な姿勢が、二元論を認められない最大の理由だと言つてゐる。

 

Dennett が反対してゐるのが、宗教的な考へ方であることは、明らかだらう。最近、"Breaking the Spell: Religion as a Natural Phenomenon" といふ本も出してゐる。天地創造説 creationism を文字どほりに信じようとする人達が一大勢力を成してゐる米国では、かうした批判が必要なことも分かる。しかし、ベルクソンは、二元論に与してゐるものの、科学的な態度は崩してゐない。Dennett 自身は、ベルクソンをまともに相手にしてゐないのは、次の文章でも明かであるが。(p.25)

Fiery gods driving golden chariots across the skies are simpleminded comic-book fare compared to the ravishing strangeness of contemporary cosmology, and the recursive intricacies of the reproductive machenery of DNA make élan vital about as interesting as Superman's dread kryptonite.