二元論の問題 其の二

久しぶりに、小林秀雄の講演「現代思想について」のテープを聞き直す。この中で、小林秀雄は、精神的事実と物質的事実といふ二つの経験的な事実があることを強調してゐる。

唯物的な思想の最大の弱点は、我々の一番切実な経験である自由といふ問題を無視するところにあるだらう。精神は脳の働きに過ぎないと、唯物論は言ふ。しかし、脳の働きを我々は直に感じることはできない。我々が感じるのは、自分が何をすべきか、といふ迷ひだ。もしも、心が物質の働きで因果的に決定されてゐるのだとすれば、何故、我々はかうした迷ひを感じる必要があるのだらうか。

Dennett が指摘するやうに、心と身体との関係を物理的に説明することには大きな困難が伴ふのは事実だらう。しかし、我々の経験は、両者の間には密接な関係があり、また、その関係は一方的な因果関係ではないと告げる。物の世界を、誰もが操作できるやうな形で扱ふ科学には、それなりの前提が必要だらう。しかし、その前提をどこまで広げるのが正しいのかは、別の問題である。

人生の大きな問題を、あるいは社会の問題でも、実際に科学だけでどれだけ解決できるか。環境問題が議論になつてゐる。地球の温暖化がどれだけ進むかは、純粋に科学的な問ひであるが、その予測には悲観的な場合と楽観的な場合とで、大きな幅がある。悲観的な場合を前提として対策を立てれば、楽観的な場合に比べて、格段に大きな経済的、社会的なコストを支払はねばならない。実際に、どれだけのコストを負担すべきかは、科学だけでは決められないのだ。社会の切実な問題で、かうした不確定性を伴はない問題、従つて政治的な判断を求められない問題は、一つもない。

また、歴史のなかで生ずる問題は、人間が記憶を持つ生き物である限り、完全に繰り返すといふことはあり得ない。境界条件が刻々と変はる問題を、繰り返しを前提とした科学で解くことはできない。